出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)
1871.10.6(明治4年8月22日)〜1948.1.9。京都府出身。
旧名は上田喜三郎。1883年小学校を中退後様々な職業に就いた。92年大本教の出口ナオを知る。98年喧嘩が元で故郷近くの高熊山に篭もり7日間修行して霊能力を得、下山して病気治療などを行うようになる。清水市稲荷講社本部で長沢雄栃から行法を学び、郷里に皇道霊学会を作る。99年大本教のある綾部に移り出口ナオと稲荷講社・金明霊学会を設立。1900年ナオの5女すみと結婚。03年ナオの筆先で王仁三郎と改名する。06年ナオらと対立し綾部を離れ、京都皇典講究所分所にはいる。07年神職資格を取る。御嶽教西部教庁主事などを経て08年綾部に戻り、教団を大日本修斎会として再建する。教義の体系化、布教活動などを行う。16年皇道大本と改称。18年ナオが死去すると、すみを2代目教祖とし、20年大正日々新聞を買収。マスコミを布教活動に使うが、21年不敬罪、新聞紙法違反で弾圧を受け神殿などを破壊される。その後エスペラントを採用し経典「霊界物語」を著述、23年には紅卍字会と組み中国に進出する。24年宗教国家建設をもくろみ内蒙古へ行くが挫折。25年北京で世界宗教連合会を結成し、帰国して人類愛善会を設立した。27年先の起訴については免訴となる。28年大祭を行い弥勒下生を宣言。34年昭和神聖会を結成。35年治安維持法違反、不敬罪で弾圧。大本教は禁止となり社殿などは根こそぎ破壊され、信徒30万人は四散して壊滅した。その後は法廷闘争を展開、42年保釈。45年恩赦免訴。46年愛善苑を創立した。2年後再建途上で死去。