斎藤隆夫(さいとう たかお)
 1870.9.13〜1949.10.7。兵庫県出身。
 1894年東京専門学校行政科卒業。95年弁護士試験合格。その後渡米しエール大学に留学。帰国後弁護士開業。1912年に立憲国民党で出馬当選。立憲同志会を経て、24年には憲政会から当選する。26年憲政会総務。27年民政党総務。浜口内閣で内務政務次官。第2次若槻内閣で法制局長官。斎藤内閣では内務政務次官を歴任。比例代表制選挙を唱える。軍国化が進む中、粛軍演説や日中戦争処理政策批判などを帝国議会で行い軍部の反発を買って衆議院除名処分。42年翼賛選挙で当選。終戦後の45年11月日本進歩党創立の発起人となる。同月の第89臨時帝国議会で、軍の責任を追及し、下村陸相から「軍の政治干渉が原因である」との言葉を引きだした。46年第1次吉田内閣で国務相。47年3月民主党創立に参加。6月片山内閣で国務相。48年3月民主党を離党し、民主自由党を創立した。