佐藤幸徳 (さとう こうとく)
1893.3.5〜1959.2.26。山形県出身。
1921年陸軍大学校卒業。34年第6師団参謀。42年中将。43年3月第31師団長。44年3月インパール作戦に参加する。ビルマ方面軍はイギリス軍の補給要衝コヒマを占領するために進出したが、第31師団は20日分の食糧しか支給されて居らず、敵の4個師団と対峙した。元々食糧不足の中で作戦がうまく行かず、5月15日に牟田口第15軍司令官は山内中将と柳田中将を更迭。佐藤中将は自滅の危険性を訴え、6月8日に交替することで撤退することになったが、約束であった兵站基地のカラソムには食糧はなく、病死者が増加し始めたこともありウクルルまで撤退した。撤退後、詰問に来た使者に実情を話すが、牟田口司令の一存で更迭。ビルマ方面軍司令部付となる。その後、副官と共にラングーンへ送られ軟禁。牟田口司令他ビルマ方面軍司令部では佐藤中将が狂人となったと弁明。インパール作戦の失敗は、佐藤ら3人の師団長が悪いという理由となり、独断撤退で軍法会議が開かれることになったが、開廷されず不起訴。11月予備役となった直後に召集されジャワに送られ終戦。戦後も長いこと狂人ということでインパール作戦失敗の責任を押しつけられた。