志賀義雄(しが よしお)
 1901.1.12〜89.3.6 。福岡県出身。
 萩中学5年の時米騒動に参加する。一高卒業後新人会にはいる。22年暁民会に入り、日本共産党の機関誌「農民運動」の編集に関わるが、入党したのは東大在学中の23年11月。25年産業調査所、10月に学生連合会にフラクション(左翼グループ)を組織する。12月に1年志願兵として入隊する。27年1月党中央常任委員。政治部長。3・15事件で検挙され34年に懲役10年判決。満期後も予防拘禁され、終戦後の45年10月に釈放される。共産党再建に加わり、12月中央委員。46年衆議院に当選。32年テーゼの解釈で神山茂夫と対立。50年コミンフォルム批判では、受容して国際派を率い、徳田球一と対立する。55年に徳田球一の客死を公表した。64年部分的核実験停止条約の国会批准決議で賛成票を投じ、党を除名される。同年7月「日本のこえ」を結成した。