田中静一(たなか しずいち)
〜1945.8.24。兵庫県出身。
1907年陸軍士官学校卒業。陸軍大学校卒業後、イギリス駐在を経て、1926年メキシコ駐在武官。28年参謀本部欧米課アメリカ班長。30年歩兵第2連隊長。32年駐米大使館付武官。34年8月第4師団参謀長。35年歩兵第5旅団長。36年憲兵司令部総務部長、37年関東憲兵隊司令官。39年第13師団長。40年憲兵司令官。41年10月東部軍司令官。42年8月第14軍司令官。44年陸軍大学校校長兼軍事参議官。45年3月第21方面軍司令官兼東部軍管区司令。8月14日抗戦派の将校にクーデター指揮を要請されるが拒否。15日午前2時クーデター部隊の偽命令に疑問を感じた、近衛第7連隊の皆美大佐の通報を受け、武装配備についていた近衛師団の説得に当たり、クーデターを阻止。皇居を守備して終戦の玉音放送を実現させる。その後蜂起した陸軍予科士官学校生徒を説得するなどした後、8月24日深夜東部軍管区司令室で拳銃自殺。