豊田貞次郎(とよだ ていじろう)
 1885..〜1961.11.21。和歌山県出身。
 1905年海軍兵学校卒業。11年から14年までイギリス駐在となり、オックスフォード大学へ留学する。19年海軍大学校卒業。金剛副長を経て23年よりイギリス大使館付武官。27年のジュネーブ軍縮会議、30年のロンドン軍縮会議随員を務め、31年海軍省軍務局長。32年伏見宮博恭王を批判して広工廠長に左遷されたと言われる。34年艦政本部総務部長、36年呉工廠長、37年佐世保鎮守府長官と歴任する。38年航空本部長、39年艦政本部長を兼任。40年9月海軍次官。41年4月大将。予備役。第2次近衛内閣で商工相。第3次近衛内閣で外相兼拓務相。日米交渉解決に当たる。しかし成功せず内閣も総辞職した。戦時中は日本製鉄社長、鉄鋼統制会会長、内閣顧問。45年4月鈴木内閣で軍需相兼運輸通信相。10月貴族院議員。46年8月公職追放。解除後は、日本ウジミナス会長。