山川 均(やまかわ ひとし)
1880.12.30〜1958.3.25。岡山県出身。
1896年同志社中退、上京。1900年守田文治と「青年の福音」を創刊執筆して不敬罪で検挙。04年出獄後、平民社で幸徳秋水に会い帰郷。06年2月日本社会党に加入して上京。日刊平民新聞の編集に従事する。08年6月赤旗事件で検挙。10年9月出獄後、帰郷して薬局を開業。堺利彦らと連絡を取り、16年上京。売文社に入社。「新社会」の編集に参加。評論活動をしていた青山菊栄(後に婦人問題運動家)と結婚する。19年「社会主義研究」を発刊。21年共産主義組織の結成の相談を行い、共産党創立時に総務幹事となる。22年「無産階級運動の方向転換」で大衆の中へ入るべきだと主張、理論的に影響を与える。しかし福本和夫らの批判を受け、共産党再建には加わらず。27年堺利彦、荒畑寒村らと「労農」を発行。労農派の代表となり共同戦線党論を展開する。28年日本大衆党結党に参加。31年一旦引退するが、機関誌執筆などで復帰、37年人民戦線事件で検挙。戦後の46年民主人民戦線を提唱し、民主人民連盟委員長となるが病気で活動できず、47年社会党と共産党の対立で連盟も解消した。同年「前進」を創刊。社会党に入党する。48年社会主義政党促進協議会に参加。協議会は意見の違いで消滅。51年大内兵衛と社会主義協会を発足する。「社会主義」を創刊した。58年死去。