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方舟。 聖書におけるノアの伝承で一般的には知られている。 単なる言い伝えではなく、方舟は実在したともいわれている。 トルコとイランの国境付近に存在するアララト山。 聖書中では、ここに方舟が流れ着いたとされ、今でもこの山のどこかに方舟は眠っているとさえ言われている。 「伝承は単なる伝承ではなかった、と?」 闇の中で女は男に問うた。 「そうだ、だから"神々の遺跡"と呼ばれるもののうち、アララト山に最も近いこの場所に、方舟が眠っていると踏んだのだ。」 彼の知る、遺跡の中では確かにここが伝承に最も近い。 代々彼の家に語り継がれてきた知識−もっとも彼自身若いころは自分の血の宿命もそんな知識も知らなかったのだが−神と呼ばれるものは確かに存在し、その痕跡は世界各地の海に眠っているはずであった。 ここもその一つに過ぎない。 彼の言うように、その中でも確かに伝承中に登場するアララト山に、ここはもっとも近い。 ただし、あくまで相対的に、とも言える。南氷洋や大西洋、日本海などと比べれば、エーゲ海が一番近いと言うだけの話だ。 「ですが・・・方舟はここにはありません。」 そんな女の一言で、暗がりの中、わずかに表情を曇らせたようではあったが、この闇の中では心情まで読み取る事は出来ない。 「なら、どこに?」 わずかな動揺を見せつつも、平静を装い、男は尋ねた。 「伝承の中には時として真実が紛れ込んでいる、というのはわかります。しかし、もっと単純に考えた方がよかったのでは?」 「というと、日本ということか?だが、使徒があらわれたのはあそこにアダムがあったからに他ならない。すべてはサードインパクトを起こすためのものでしかないのだから。」 「聖書にある大洪水も、サードインパクトとほぼ同じもの。すべては旧人類の抹消と、新人類の創造のため。」 「そうだ、そして方舟は種を保存するための存在でしかない、本来はな。」 「全ては聖書に書かれている状況と酷似する、という事ですね」 「そうだ、つまり人類の再生は一度行われ、その記録がノアの方舟の伝承として残っている、そう考えたのだ。だからこそ、伝承に最も近い、この地に方舟が眠っていると考えたのではないかね?」 「そうです、ですがそうであるなら、方舟はアララト山そのものに眠っていると考えた方が筋でしょう。が、方舟は眠っているのは遺跡のどこか。なら逆にどこにあっても不思議ではない、と。」 「ふむ、なるほど。」 「なら、日本、と考えるのが自然でしょう?」 「なぜだね?」 「お忘れですか?碇の血をひくものは、ともに日本人なのですよ。」 「もう、敵はいないみたいですね。」 そういうトモアキは、まだ余裕がある。 対する冬月は息をするのが精一杯で、そんなトモアキに答える事は出来ない。 「大丈夫ですか?」 あたりを見渡し、敵の影のないのを確認してから、シゲルはそう冬月を気遣った。 「すまんな、年寄りが出てくるものではないか。」 ゼイゼイ、と息をしながら、冬月はようやくそう返した。 もっとも、冬月も怪我らしい怪我はしていない。どちらかといえば、走るのに疲れた、というのが原因であろう。 そもそも、冬月とて、修羅場はくぐっている。一同が感じたように、戦いなれをしていない連中とは、比較にはならない。 「さて、方舟を探さねばならん、か。」 ようやっと息を整えると、そういって冬月は立ち上がった。 もともと無駄に人殺しをするためにきたわけではない。 方舟を見つけ出し、破壊すればそれでことは済む。 だが、 「ここには方舟は存在しませんよ。」 有らぬ方向から声をかけられ、3人は振り向いた。 そこに立っていたのは、仮面の男。 笑っているような、それでいて泣いているような、奇妙な滑稽な仮面は、この場にはそぐわないように見えた。 「何者だね、君は。」 「さあてね、誰でもいいでしょう?冬月副司令。いや今は司令でしたね。今はもっと大切なことがあるでしょう。」 その声と、そのしゃべり方で、冬月は彼の正体を悟った。 だが、それ以上余計な詮索はしない。彼の言うように、今大事な事はそんなことではないのだ。 「方舟はここにはないのか?なぜ?」 そのなぜは、ならばなぜここに彼らが集うのか、という意である。そして仮面の男はその意を解したようだ。 「簡単な事ですよ。単なる見込み違いです。」 「なるほど、方舟の正確な場所は知らなかった、というわけか。だが・・・」 「あなたのおっしゃりたい事はわかります。今ここにいる"監視者"は・・・」 「そうだ、"彼"なら知っているはず。」 「彼とて"神"ではないのですよ。過去に起きた事すべてを把握しているわけではない。ましてや、彼の知るものとまったく違う過去では、ね」 「なるほど理屈だな。彼の預かり知らぬところで"方舟"は破壊されたわけか。」 「それを指揮していたのはあなただそうですよ。」 それは奇妙な会話であった。 その場にいるシゲルもトモアキも、その意味を図りかねている。 だが、あえてそれに口を挟む事はしない。 なぜなら冬月とこの男の間ではそれで通じている。 それならそれでよいのだ。 少なくとも今は。 「では、方舟はどこに?」 「彼らの見込みでは、日本だそうですよ」 その言葉に、冬月は苦虫をかみつぶしたような顔をする。 わざわざ欧州くんだりまで来て、目的のものは実は日本にある、と言われればそうもなる。 だが、"監視者"がここにいるなら、それでも良い。彼を何とかすれば、とりあえず方舟はほおっておいても構わないからだ。 最終的には、憂いを残さぬよう破壊する必要はあっても。動かすものがいなければそう焦る問題でもない。 「それともう一つ」 その場を立ち去ろうとする冬月に、男は話しかけた 「"鍵"が逃げ出しました。彼も、日本にいます。」 その言葉に多少の衝撃はあったが、冬月の覚悟は尚更固まった。 ここですべてを終わらせる必要があると。 もう一度振り返ると、もうそこにあの男はいなかった。 「大丈夫かい、リリー」 言いながら少し緊張している時田。 妹以外の女性と2人きり、などというのは初めてである。 このあたり、まるでシンジを見ているかのようで微笑ましい。 さて一方のリリーであるが、時田と2人っきりというのはある意味チャンスなのだが、それで任務を忘れているわけでもない。 「大丈夫です、シロウ様。」 戦闘能力、という点においてここの組はやや他の組よりは劣る。 そのせいもあってか、時田もリリーも多少傷ついていた。 もっとも、深刻になるような大怪我ではない。 それでもリリーにしてみれば、本当なら時田に抱き付きたいところなのだが、敵地の只中という事もあって、それはさすがに自重する。 そして冷静にあたりを見やる。 見ると通路の突き当たりに、今までとは明らかに違う扉が見える。 見た目が違うのではない。何か異質な雰囲気のようなものを感じるのだ。 「シロウ様、あそこ。」 そういってリリーは扉を指差した。 時田は技術者である。 技術者というのは物事を理屈で考えがちになる傾向がある。 だが、時田は勘、それも女の勘、というものを信じていた。 かつて共に戦ったある女性の影響であろう。 その女性の勘は、当たらない事で有名なのだが、そんなことまでは時田は知らなかった。 だから、この場も時田はリリーに従う事にした。 キー、という音とともに、扉はあっさりと開いた。 その奥は真っ暗で、何も見えない。 通路の光も、部屋の奥までは照らしきれないようだ。 というよりむしろ、部屋の中の闇が、通路の光を侵食しているかのようにさえ思える。 それほどまでに深い深い闇が、そこには広がっていた。 注意を払い、警戒をしつつ、時田とリリーは部屋の中へ踏み込んだ。 細心の注意を払っているはずだった。 闇の中、何も見えないからこそ、気配を感じる事に全ての神経を注いだ。 だがそれでも、二人はここにいる者たちを感じる事は出来なかった。 「あら、早かったわね。」 漆黒の中から女の声が響いた。 どこかで聞いたような声だ、と時田は感じたが、それを思い出す事は出来なかった。 「誰だ!」 「その声は時田シロウ、か。なかなか皮肉なものだな。」 どこからともなくもう一つの声が響いてくる。声から察するに初老の男性のようだ。 「誰です、姿を見せなさい!」 やや声を荒げて、もう一度今度はリリーが問う。 「リリー・マルレーン、か。夫に対してそのような口の利き方は感心せんな。」 「何を馬鹿な事を言っているのです!」 『私の旦那様になるのはシロウ様です。』と言いたいリリーではあったが、さすがにそんな状況ではない。 だが、男はそんなリリーの想いさえ見透かしたようであった。 「私の名は時田シロウ。おまえの横にいる男の、15年後の姿だ。」 「"彼"は未来からきた男だ。」 「未来?」 唐突な冬月の告白にシゲルとトモアキは聞き返した。 既にマコトとマリコも合流している。 「そうだ、そして過去を本来有るべき姿、もっとも"彼"にとってのものでしかないが、に戻すためにこの時代へときたのだ。」 そう話ながら冬月たちは通路を進んでいく。 「"彼"のいる世界、言い換えればようやく"鍵"が使えるようになった頃、というべきか、その頃には既に"方舟"の方がこの世に存在しない。」 ほとんど記号のような会話である。 だがその記号一つ一つには重要な意味があり、ここにいる誰もがそれを承知していた。 人類に破滅をもたらす記号の意味を。 「それで"方舟"がまだ存在する時代にきた、という事ですか?」 「そういうことだ、違うかね。」 扉の前まできた冬月は、その先の闇に向かってそう呼びかけた。 「冬月さん、ですか。」 光の当たる位置まで歩み出ると、扉の外からかけられた声に、男はそう返した。 年の頃50前後であろうか、顔にしわは刻まれているが、確かのその顔は時田シロウのものである。 「まさかな、未来の時田くんだとは思わなかったよ。」 「私もね、まさか過去の自分がここにいるとは思いませんでしたよ。どうやら私がここにきた事で若干歴史が変わったようだ。」 そう話す冬月と未来の時田との間で、現在の時田はただ動けすに立ち尽くしていた。 それはリリーも同様である。 時田は動揺していた。冬月から聞かされた話、それが全てではないのは承知していたが、少なくとも彼らのやろうとしている事が正しいとは思えなかった。 もう一度サードインパクトを起こし、今の人類を滅ぼし新たな人類を創造する。それをなそうとする人々がいる。 時田が知るのはそれだけである。 それだけであっても、神への冒涜としか見えないその思想を見れば、少なくともそれが正しいなどとは思わない。 だが、よもやそれを画策したのが、未来の自分自身であったとは。 過去の自分なら、今の自分が過ちを正せばいい。 だが、未来の自分、という事はつまりこれから自分が選び取る道である。 簡単に言えば、今の自分の方が間違っている、という事でもある。 「迷いがあるようだな。私も初めはそうだった。だが結果私はここにいる。これが未来の君の姿だよ。」 そんな時田の迷いを見透かしたかのように、未来の時田は言い放った。 「人類は一からやり直す時期に来ているのだ。」 言葉だけを見れば、正しい様な気さえしてくる。 未来とはいえ、自分自身の言葉だからであろうか。 なんとなく共感さえ覚えるような錯覚を、時田は感じていた。 フラフラと未来の自分の方へ歩き出す時田。 「シロウ様!」 それを見て銃を構えるシゲル、トモアキ、マコト。 「しっかりして、リリー。」 マリコはその場にへたり込んでしまったリリーを優しく抱き起こす。 アスカやマリィなら、叱咤し、怒鳴ってでも立たせるのだろうが、マリコにはそれは出来ない。 それは彼女が甘いとかそう言う話ではない。 リリーの気持ちが分かるからである。もしそこにいる男が時田でなく、マコトであったなら・・・ 「味方に銃を向けるのかね?」 慇懃な言い方たが、そう言われてしまえばシゲルたちに撃つ事は出来ない。 戦いそのものには慣れているかもしれないが、結局のところ、彼らはプロの軍人ではないのだから。 だが、 パン、という音がして、ちょうど未来の時田と、今1人その場にいた謎の女、その間当たりで銃弾が跳ねる。 「甘いわね。見逃すとでも思ったの?」 「アスカ!」 見るといつの間にか、アスカが銃を構えて立っている。 「やめてアスカ!」 だがそんなアスカの前に、リリーが立ちはだかる。 「どきなさいリリー。」 そういってマリィがリリーを押しやる。 「でも、シロウ様が!」 そんなリリーの方を向いて、アスカが微笑む。 「話は聞かせてもらったわ。ようは未来からきた方のあの男だけを倒しゃいいんでしょうが。」 「でも・・・」 「安心しなさい!アンタの愛しい男には傷一つつけないから。」 未来の時田も時田には違いないのだが、この場合、アスカの強引な理屈の方が正しいし、強引でもなんでも納得し、納得させる事が重要なのだ。 納得したかどうかはともかく、アスカのその一言でリリーは引き下がる。 なんとなく、リリーのそんな姿を見て勝ち誇ったような気分にならないではないが、それで状況を見失うようなアスカではない。 負けん気が強いというだけで、決して冷酷でも意地が悪いわけでもないのが、惣流アスカである。 気を引き締め直し、銃を構え直すアスカ。 「というわけだから。ごちゃごちゃと細かい事情は知らないけど、あんたを倒せば終りらしいから、悪いけど、恨まないでね。」 そういってアスカは引き金をひいた。 さすがに偉そうに言うだけの事はあって、アスカの撃った弾は、狙い違わず、男の眉間を射抜いた。 はずであった。 「AT、フィールド?」 「言い忘れたがな、私とて"監視者"なのだよ。碇の血をひくものどもと違って血は薄いが、確かに神の血をひいている。そういうわけだ。」 そう言うと、男の作り出したATフィールドは男と女、そして時田を包み込む。 「そして、こういう事も出来る。」 その言葉とともに、部屋全体を覆っていた闇を切り裂くかのように光が輝き、その光が消えると、中にいたはずの3人の姿は消えていた。 「逃げられた、か。」 悔しそうに歯噛みする冬月。 「シロウ様・・・」 ただうなだれるリリー。 第一ラウンドは最後の最後で冬月たちの敗北に終わった。 「落ち込んでる場合じゃないでしょう!あいつらを追うのよ!!」 唯一アスカの瞳だけが輝きを失ってはいなかった。 だが、そのアスカも、最後に男が残した"碇の血"という言葉が心に引っかかっていた。 そして再び、日本は戦場となる。 |