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ちょうど、アスカたちが突入を開始したころ、日本では日が暮れようとしていた。 カヲルという少年の事が気にはなるマナではあったが、さすがに家にまで連れ帰るわけにはいかない。 男なんて連れ帰ったら、シンジが焼き餅を焼くかな、という想いがあるせいであろう。 逆に焼き餅を焼いてくれるならそれで、ちょっと嬉しかったりもするのだが、さすがにそれは意地が悪いと思いとどまる。 そんなマナなりの配慮が、かえって彼女にとって裏目に出るなどとは考えてはいない。 カヲルを連れ帰り、シンジに全ての事情を話してしまえば何もなかったかもしれない。だが、神ならぬ身の彼女にそんなことは分かるよしもなかった。 連絡先だけ教えあい、カヲルと別れマナは家路へと急いだ。 そのカヲルの連絡先が、信憑性があるのか、そして危険性があるのか、という事をマナとて考えないでもない。 親切な老夫婦に拾われ、世話になっているという話であったが、その老夫婦とて裏がないとも言い切れない。 そう言った危険性の全てを考えるように、軍では仕込まれていたが、ほんとのところマナは人を疑うのが好きではなかった。 だから、とりあえずその老夫婦の事を含め、いま目の前にある事実を信じる事にして、マナは帰路についた。 早く帰らなければシンジが心配する、というのが一番の理由かもしれないが。 シンジがカヲルと一緒にいる光景を目撃し、マナに対し疑いを抱いている、などという事は夢にも思ってはいない。 そうしてマナは、自宅のあるマンションへとたどり着いた。 古都京都の中にあって近代的なマンションである。 ただ、それゆえに景観を壊す恐れがあるためか、京都中心部からは多少離れた位置にあったが、それで別段不便と感じる事もない。 マナが家に帰り付くと、既にシンジもレイも帰宅していた。 「ごめーん。遅くなっちゃったね。」 明るく謝るマナ。 別に反省をしていないというわけではない。 通常、些細な事でシンジは怒るような性質ではないし、そもそもあまり真剣に謝ったりすると、逆にシンジが気を遣ってしまうからである。 それがわかっているから、マナもこういった謝り方をするし、シンジもそれを笑って許す事が出来た。 今までは。 だが、今シンジは、そんなマナに対し何もリアクションを起こさない。 普段なら、「しょうがないなあ」といいながら笑いかけてくれるのだが、押し黙ったまま、マナの方を見ようとすらしない。 「ごめん・・・ね。」 さすがに悪いと思ったのか、しおらしく謝るマナ。 だが、それでもシンジの態度は変わらない。 「別にいいよ。気にしてないから。」 そうはいうものの、その言葉には、どこか突き放すような冷たい響きがある。 それをマナは敏感に感じ取った。 「シンジ・・・?」 「疲れてるんだよ、きっと。ね、お腹すいちゃった。ご飯にしよ。」 そういってレイが間に入る。 彼女とて、シンジの様子がおかしいのはわかっていた。 逆にいえば、だからこそそう言って間に入ったのだ。 「そ、そうね。」 考えて答えが出るはずもない。 仕方なしにマナは、夕飯の支度をするために台所へと向かった。 一方シンジは、まだ考え込んでいた。 別に怒っている、というつもりはない。 ただ、考えている、というか悩んでいるだけのことだ。 どちらかといえばシンジ自身の問題、シンジの内面の問題であるといえよう。 『結局、自分に自信が持てないんだよな。』 そう言って自嘲してみる。 今までの、4年前までのシンジの生き方である。 自分で自分を否定する。そうすれば自分以外のものは傷つかずに済む。 それは間違いであると、かつて教えられた。 だが、今はそうするしかない、とシンジは思っていた。 『マナに、他に好きな人がいるなら・・・』 自分が身を退けばいい、そうシンジは考えた。 自分が愛されるとも、自分がマナを独占できるとも考えてはいない。 そもそも一人の人間を独占するなど、傲慢であるとさえ思う。 当のマナはおそらくシンジに独占されたい、と考えているのだろうが、そんな女の子の気持ちなどシンジに分かるはずもなかった。 だから、だからこそ黙って身を退くという考えが真っ先に浮かんでくる。 4年前の、あのころのシンジなら、それですべてが済んでいた。 そうやってただ一人傷ついて、一人で何もかも背負い込んで、そうやって生きてきたのだから。 自己欺瞞といわれようとも。 だから今回も、そうしようとした。 できるはずだった。 笑ってマナを送り出して、それで・・・ だが、 考えれば考えるほどに、シンジの中の迷いは強くなっていった。 かつての自分なら、簡単に出来たはずの事が、出来ないのだ。 失うのが怖いのか、と自問してみる。 そんなはずはない、元々何もなかったのだから、と自己完結を試みる。 それが出来ない。 そうやって思考の無限ループへとはいっていく。 そしてそこから抜け出せない。 なぜ出来ないのか。 理由は至って簡単な事である。 シンジの心の中で、マナという存在はもはや小さなものではないのだ。 いやそれどころか、シンジの心の大半を埋め尽くすほど、大きなものとなっていた。 だから、諦めることなんて出来るはずもない。 何よりも大切で、何よりかけがいのないもの。 マナの事が好きだ、などということはもちろん解っているし、アスカのようにそれを否定しようとするつもりもない。。 ただ、それほどまでに大きなものだとはシンジ自身気付いてはいなかった。 常に側にいるのに、いや側にいるからこそ、その存在の大きさに気付かなかったとも言える。 ただ、そこまでにマナの存在が大きくなったのは、4年もの間側にいたから、ではない。 もっともっと以前から。出会った時から。 でなけれでば、加持に頼み込み、先生に嘘までつき、学校を抜け出してまでマナに会いに行こうとは思わなかったろう。 そのこと自体、シンジらしくない。 マナのおかげで変わりつつある自分、変わっていった自分をまだシンジは自覚できていなかった。 ただ、自覚できていなくとも、心の奥底に確かにそれはあった。 だからあの時アスカではなく、マナを選んだのだという事も、シンジにはわかっていない。 そしてもうひとつ・・・ マナがカヲルと出会ったあの日から、5日が過ぎていた。 2019年11月3日。日曜日。 その午前中。天気もよく、冬とはいっても暖かな休日であった。 だが、マナとシンジの関係は、そんな外の様子とは裏腹に修復どころか、さらにギクシャクしていた。 いまだ答えが出せずに思い悩むシンジ。 なぜシンジが思い悩むのか、気付けないマナ。 悩みがあるのなら、相談してくれればよいと思う。 まさかその悩みの原因が自分にあり、そしてそれゆえに、今のシンジがマナを信頼できていない、などとは思い至らない。 どちらにせよ、そのすれちがいははた目からも深刻なものとなりつつあった。 トウジまでが二人の異変に気付き、心配しているのだから、よっぽどの事である。 そんなわけで、ヒカリの家にトウジ、ケンスケ、マユミ、そしてレイまでが集まっていた。 「いったいなにがあったんや。」 そうトウジに問われるが、問われたレイも事情が分かっているわけではなく、肩を竦めてみせる。 「心配ですよね。」 そういうマユミにとっては、ある意味チャンスかもしれないのだが、それに乗じてシンジをものにしよう、などという考えを持つような彼女ではない。 だから、真剣に、本気で心配をしている。 「ほんと、あの二人があんな風になったのなんて初めてだわ。」 そう言うヒカリ。 彼女のいうように、平時のシンジとマナの性格を考えれば、彼らが衝突する事など考えられない。 これが相手がアスカなら、衝突など日常茶飯事の事で、騒ぐ事ではなかったのだろうが。 もっとも、この雰囲気ではそんな冗談を言うものもいない。 「そういや今日は時田さんは?」 集まったメンバーを見渡して、ケンスケは一人足りない事に気付く。 「ワカバなら、今日お兄さんが帰って来るとかで、出かけたわ。」 その兄である時田シロウが、今敵の手にあるなどとはもちろん知らない。 そもそもヒカリたちは"敵"の存在すら知らない上に、今はシンジたちの事で手一杯なのだから仕方のない事である。 「なにか手をうった方が良いのかしら。」 どことなく、自分にも原因があるような気がして、レイはうつむいた。 そういった想いがあったからこそ、トウジやヒカリたちに相談を持ち掛けたとも言える。 ヒカリたちにしてもシンジたちの様子は心配であったし、同居人であるところのレイが相談してくるのだから、それはよほど深刻な事態である様に思えた。 だから、ほとんど初対面のレイを交えても、それより大事な事があれば、そんなことには違和感などなく話し合いをする事が出来る。 ただ、どこかレイには初対面と思えない雰囲気もあった。鈍感なトウジはまったく気付いていないが、ヒカリやケンスケなどには、どことなく、シンジやマナに通ずるものを感じるのである。 「やっぱこういうときに一肌脱ぐのが友達ってもんやろ。」 本質的には面倒見のいいトウジ。こういった気配りをもう少しヒカリの方に向けてやればいいのに、と思うのはケンスケだけではないだろう。 「そうね。」 ヒカリもそうは思うのだが、とにもかくにも、今はシンジとマナの方が大事である。 「なら、」 そう言ってケンスケは自分のプランを話し出した。 作戦としてはいたってありきたりの、単純なものであったが、逆にこういう時はあれこれ策を弄さずにオーソドックスにいった方がよい、というのがケンスケの意見であった。 本来ならトウジとヒカリのために使おうと考えていたものであったが、当然そんなことにトウジは気付かずケンスケの意見に賛同した。 そんなトウジとケンスケの気持ちを知ってか知らずか、なぜだかヒカリは二人の顔を見つめていた。 その日の午後。 シンジはトウジとケンスケに呼び出されていた。 待ち合わせの場所は京都駅前。 せっかくの休みだし、映画でも見に行こう、という話である。 シンジにしても、いい気分転換になる、という想いがあったからか、そんなトウジたちの突然の誘いに疑いもなく乗る事にした。 冬特有の、くすんだ青空を見上げるシンジ。その視線の先に、京都タワーが映り込んでくる。 暖かい、とはいっても15になるまで夏しか知らなかった身である。 いまだに冬の気候というものにはあまり慣れていない。特に京都は盆地であるがゆえに、暑さも寒さも厳しい。 今は11月の初め。 寒さが本格的になるのはこれからの事である。 シンジは冬を迎えるたびに風邪をひいていた。そんなシンジにしてみれば、少々憂鬱な季節でもあるのだが、その度に甲斐甲斐しくマナが看病してくれる事もあってか、なんだか嬉しいものもある。 「マナ・・・」 そんなことを考え、改めてマナのこと、マナの存在というものを考えるシンジ。 その時、唐突にシンジの携帯が鳴った。 「はい。」 「あ、シンジか、すまんなぁ、わいもケンスケも急用が入ってしもうたんや。代わりにチケットは霧島に渡したさかいに、二人で行ってくれんか?」 「ああ、そうなんだ。うん、わかったよ。」 「じゃあ、ごゆっくり。」 さすがに鈍いシンジも、この状況ではトウジたちが何かを企んでいる、いや自分のために何かしてくれようとしている事は分かった。 だから、逆にシンジはトウジたちの好意に甘える事にした。 思えば、レイが来てからというものシンジとマナは二人きりになる機会がなかった。 だからといってレイを責めるつもりがあるわけではないが、ただ、それが元で二人の間に微妙なずれが生じ始めてきたのも事実であった。 二人きりで話し合えれば、もっと簡単な事なのかもしれない。 ようやくシンジは、答えの糸口を見つけ出すかに思えた。 「まったくヒカリもマユミも・・・」 そう言いながらもマナはヒカリたちに感謝していた。 『自分から映画に誘っておいて、行けなくなったからシンジと二人で行ってこいなんて。』 彼女たちの意図は見え見えである。 ただ、だからこそ、本気で心配してくれているのもわかる。 『レイまで一緒になっちゃってさ。』 レイまでもがヒカリたちと共にいた、というのは意外だったが、みんなに溶け込んでいるレイを見れば、マナとしてもなぜか嬉しく思う部分がある。 『ま、シンジと仲直りすればいいんだし。悩む事ではないわね。』 そうは思えど、このすれちがいの原因が、マナには分からない。 そんな部分に一抹の不安はあれど、そこでくよくよ考えるようなマナではない。 ましてやシンジとデート、という事であれば知らず知らずのうちに顔もほころんでくる。 「ちょっと遅刻かしら。」 この前、夕飯に遅れたからシンジの様子がおかしくなった。 そんな理由からでもないだろうが、多少マナは急ぎ足になった。 だが、駅へと向かう道の途中、マナは向こうから走ってくる人影を見つけた。見つけてしまったというべきなのだろうか。 「カヲル、君?」 その小さな呟きが、彼の耳に届いたようで、カヲルは立ち止まりマナの方を見やる。 「マナ、さん・・・」 そしてゆっくりとマナの方へと歩み寄ってくる。 だが、どこかその表情には怯えのようなものが見てとれた。 「追われて、るんです。」 息を切らし、ようやくそれだけ言葉を吐いたカヲルは、そのままマナに抱き付いた。 怯える子供が、母を求めるように。 だからマナは、そんなカヲルをそっと抱きしめた。 まるで母のように。 「遅いなぁ、マナ。」 シンジは駅の時計を見上げた。 腕時計はしてはいるのだが、なんとなく待ち合わせの時はそうしてしまうのがシンジの癖であった。 「あ、マナ。」 そのときシンジは向こうから歩いてくるマナの姿を認めた。 なぜだか離れていても、人込みの中にあってもマナの姿だけは見分けられた。 見分けられる自信があった。 だからこそ、逆に悩みが募ったともいえる。 見間違いなどとは思えないからだ。 人込みを掻き分けその方向へ向かう。 ようやく人垣を越え、マナのもとに辿り着くシンジ。だが、そこで彼が見たものは。 「マナ・・・」 そのシンジの声に、マナは顔を上げた。 その腕にはしっかりとカヲルを抱きしめている。 「あ、シンジ・・・あの、ね、これは・・・」 状況を説明しようとするマナ。 言い訳などではない。 別段、悪い事をしているとか、そう言った意識があるわけではないから当然だろう。 事実、マナにやましいところなど何一つない。 ただ、シンジにカヲルの事を相談したかっただけ。ただシンジに力を貸して欲しいと思っただけである。 だが、そう言った事を含め、今のシンジの耳には、マナの言葉は届かなかった。 抱き合ってる姿を見て、見間違いとか勘違いとか思えるほどシンジは大人ではない。 正確に言えば、普段のシンジなら、もっと冷静になれれば、マナの言葉に耳を貸す事も出来たのだろうし、それで誤解だと気付く事もあっただろう。 だが、今のシンジにはそれは出来なかった。 ここにいたるまでのマナへの不信感。 それを拭う事が出来ない。 『やっぱり。』 最悪の想像が、シンジの中で最悪の現実へと変わる。 だがマナに他に好きな男ができたとして、それをシンジに咎める権利はない。 そんなことは誰にいわれなくとも分かっている。 なら、笑ってマナを許してやればいい。 しかし、それも出来ない。 一番辛くて、それでいて一番簡単であったはずの事が。 好きなのに、いや好きだからこそ、本当に愛しているからこそ、許せない事というのがある。 アスカではないが、それがただの焼き餅であるとわかっていれば、こうもいらつくことはない。 アスカと違い、決してシンジは素直でないというわけではない。 ただ、子供なのだ。 自分の中の感情を整理しきれないほどに。 「シンジ!!」 マナが止める間もなく、シンジは走り出していた。 |