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「マナ!」 放たれた銃弾が、シンジの前で誰かに当たり、鮮血が飛び散った。 おとなしく助けを待つ、というのはあまりマナの得意とするところではなかった。 当然、逃げるための手はいろいろと打ったわけだが、決定的だったのは、やはり例の仮面の男が手助けをしてくれたからであろう。 表だって助けてくれた、というわけではなかったが、そこかしこの彼の影が、少なくともマナとレイには見て取れた。 自分で捕らえておきながら、自らの手で逃がす、というのはどう考えてもおかしな話なのだが、男にも何やら事情があるようだ、とマナは自分を納得させた。 不思議と、罠、という感覚はなかった。 だが、目の前に見せられた事実を見れば、むしろ罠であった方が良かったようにさえマナには思えた。 おそらくは自分を助けに来てくれたのであろうシンジと、そのシンジに銃口を突き付けているアスカ。 そしてマナは、反射的に飛び出していた。 「マナ!マナ!」 致命傷ではない、が、重傷ではある。 肩口から血が、ドクドクと流れ出ていた。 致命傷ではないとはいえ、ほおっておけば命に関わるのは、誰の目にも見て取れた。 「大丈夫。」 シンジがそのマナの身体を支えている。 そのシンジに、マナは痛みを堪えて微笑みかけると、アスカの方をキッと睨み付けた。 「どうして・・・とは言わないわ。でもね、アスカさん、」 「言わないで!」 そのマナの言葉に負けまいと、アスカも声を張り上げる。 マナの言いたいこと、そして何より自分のやっていること、そんなことは言われなくてもわかっている。 けれど、 「私はともかく、シンジまで殺して、それでどうなるって言うんですか!?」 大切なのは自分の生き死にではなく、シンジのこと。 そしてもっと大切なことは、アスカに罪を犯させないこと。 「いいじゃない、シンジを殺して、死体からクローンでも作ろうかしら。ファーストみたいに。」 冗談めかしてそう言うアスカ。だが、実のところ、それが本心でもある。 無論、そんなことをシンジが承諾するとも思ってはいないが。 そして、冗談であれ、本心であれ、その一言はシンジに決心をさせてしまった。 「僕は、アスカの思い通りになんかならない。僕は死なないし、マナも、殺させない。」 「そんなに、その女がいいって言うの?アタシより・・・」 そういってアスカは銃口をマナの方へと構え直す。 だが、マナはそれに怖れる様子もなく、アスカをまっすぐに見つめ返した。 「私は死なない。なにがあっても、私はシンジと添い遂げるんだから。」 その瞳には、迷いはない。 アスカとて迷いなどは捨てている、そのはずであるし、当人もそう思っている。 正確に言えばそう信じようとしていた。 でなければ、あまりに自分が惨めであるから。 「アスカ・・・」 そんなやり取りを、辛そうに見つめるヒカリ。 どちらも彼女にとっては親友である。 その親友同士が、彼女の目の前で殺し合いをしようとしている。 だが、それを止める術を、彼女は知らなかった。 自分の無力さを、ヒカリは痛感していた。 「やめい、惣流。そんなことをしても、なんにもならへん。」 そんなヒカリの心情を知ってか知らずか、不意にトウジがそう話し掛けた。 不器用ではあるが、そんな中にヒカリを思いやる優しさが垣間見える。 マリィがいたなら、そんな光景を見てアスカの気持ちも理解できたかもしれない。しかし、それは今のアスカの行動を許容して良いということでない。 「おやめなさい。あなたらしくないわ。」 「アスカ!もうやめて!!」 リリーとマリコがそう叫ぶ。 トウジの言葉が、一同の呪縛を解いた。 どこかで、これはシンジたち3人の問題である、という思いがあったのかもしれない。 だから、手を出せなかった。いや、出さなかったのだ。 それは、逃げ、である。自分には関係ない、という。 だが、それは間違いである。 「アスカ、帰っておいでよ。」 そのヒカリの言葉こそ、正しい答え。 関係なくなんかない。アスカのために、帰れる場所を作ること。 ヒカリたちにはそれが出来るのだから。 トウジの言葉が、それを気付かせてくれた。 アスカに、とっても。 もとより自分のしていることが正しいなどとは思っていない。 それでも、迷いを捨てたのは、そうしなければ自分の心が壊れてしまうから。 必死に抑えていた思い、しかし、トウジやヒカリの声を聞いてしまえば、やはり気持ちは揺らぐ。 彼らと共に過ごした時。アスカは気付いてはいなかったが、それは彼女にとって束の間の安息の日々であり、輝かしい思い出であり、そして、今でも心の拠り所であった。 一瞬、アスカは躊躇した。 喚起された思い出が、彼女の決心を鈍らせた。 その隙を、シンジは、見逃さなかった。 「もう、やめようよ。」 穏やかな言葉とは裏腹に、素早い動きでアスカの手を抑えるシンジ。 「もう一度・・・」 言い掛けたシンジの言葉に、アスカも動きを止めた。 やり直せるものなら、アスカとてやり直したいのだ。 だが、その可能性をつい先ほど、シンジ自身が否定した。 そしてそれにシンジは気付いた。 そこから、言葉を継ぐことは出来ず、シンジはマナを見やる。 だが、シンジ以上に、マナにはアスカにかける言葉はなかった。 マナになにが言えよう。 アスカとマナは所詮は相容れることは出来ない。 それが分かっていれば、言葉を紡ぐことなど、できるはずもない。 目と目で、お互いの気持ちを悟るシンジとマナ。 そしてそんな、僅かな、何気ないやり取りが、アスカを現実に引き戻した。 「もう、後にはひけないのよ!」 そう叫ぶと、シンジの手を振りきってアスカは駆け出した。 「アスカ!」 だが、シンジには、アスカを追うことは出来なかった。 あの時と、同じように。 「やっぱり私は、シンジの側にいるべきではなかったのかもしれない。」 アスカが去ったその直後、冬月たちが駆け付け、マナたちは救出された。 今マナは病院のベッドに横たわっている。 その横にいるのは、シンジだけ。 そんなマナの言葉を聞いて、シンジは、黙ってマナの手を握り締めた。 「私は、一人でいることに、寂しさに慣れているもの。でも、アスカさんはそうじゃない。」 そういってマナは、静かに天井を見つめた。 「私は、シンジがいなくても生きていける。」 それは、嘘である。 シンジと別れてから、彼女にも何人も友達が出来た。 元々マナという少女が、明るく、社交的であったこともある。 男にも女にも、彼女は好かれた。 彼女の周りには、いつも人の輪があった。 だが、その光景を見て、かつて、加持リョウジはこう言ったことがある。 『寂しいんだな。』と。 加持の目から見れば、それは寂しさを紛らわすため、シンジを忘れるために躍起になっているようにしか見えなかった。 マナにとって、シンジという存在はそれほどまでに大きな物なのだ。 確かに、彼らは結ばれるべき運命にあった。加持もそれは知っていた。だが、それでもなお、シンジとマナの間にはそれ以上の何かがあるように、加持には感じられた。 どこかで加持は、羨ましかったのかもしれない。 あるいは、自分とミサトの姿を重ねあわせていたのか。 結局、マナの心から、シンジの存在が消えることはなかった。 アスカにシンジを委ね、自分は身をひく。そんな事が出来るなら、はじめから出来ていたはずである。 だがマナはシンジをひきとめ、そしてシンジはそんなマナに手を差し伸べた。 それは、マナにとってだけでなく、シンジにとってもまた、マナの存在というものが大きいことの証であった。 そして、マナは、そんなシンジの手を、握り返した。 今更、後戻りできることではない。 今のシンジには、それが分かるから、だからこそシンジは、何も言わず、ただマナの手を握り締めていた。 そうしていないと、マナがどこかへ消えてしまいそうな気がしたから。 人と人の関係というのは、少年少女が考えるほど、簡単なものでも、そして美しいものではない。 辛くて、悲しいものなのだ。 ここにももう一つ、そんな人間模様があった。 「あなたが、シロウ様の妹さんね。」 病院の待合室。うつむくワカバの隣に腰を下ろしながら、リリーはそう話し掛けた。 「なんで、あなたなんです?」 その言葉の意味を、リリーは一瞬、図りかねた。 「どういう、こと?」 「わたしだってただ捕まってたわけじゃありません。いろいろ、見て、聞いてきました。」 そう語るワカバの口調は暗く、重い。 ワカバの知った真実。それは兄時田シロウがああなってしまった原因。 兄自身も知らない、未来の時田に起こった、事の真相である。 「結局みんな、同じなんですよ人間なんて。軟弱で、情けなくって。」 それは未来の時田の妻、すなわちリリーの身の上に起きたこと。 今よりおよそ10年の後、リリーは凌辱され、殺される運命にあった。 無論時田は犯人を捜し、そして見つけ、捕らえた。 だが、裁判の結果は証拠不充分による不起訴。 けれどその本当の理由は、犯人が政府高官の子息であったから。 その時、時田は全てを憎んだ。犯人を、犯人を庇った連中を、力さえあればどうとでもなるこの社会そのものを、・・・腐りきった人類そのものを、そして、そんな人類を救ってしまった碇シンジを・・・。 そして時田は復讐を誓い、何より力を欲した。 そして知ったのだ。全てを滅ぼすことの出来る力を、それを扱う資格が自分にあることを。 "今"の時田はその事実を知らない。上辺だけのお題目に騙され、未来の自分が正しいと信じるしかない、その想いに突き動かされているに過ぎない。 だが、ワカバは、仮面の男から、その、兄すら知らない真実を聞かされた。ワカバだけが。 確かにその話はショックだった。 だが、それ以上にワカバが考えたのは、10年後の自分の事。 自分は、どこでなにをしていたのか、兄の側にいなかったのか、自分は兄の拠り所になれなかったのか。・・・リリーの代わりにはなれなかったのか。 それほどまでに、自分と比べてリリーが大切だったのか。 それは、単純な嫉妬、である。 大人げないとは思う、ブラコンでないと否定もしてみる。しかし心のモヤモヤは消えることはない。 だから、思わずリリーに言葉をぶつけてみた。兄の愛した、その人に。 そのリリーは、ワカバよりも精神的に少し、大人であった。 正直、今の話はリリーにもショックではある。 いくら大人びているとはいえ、リリーとてワカバと同じ歳であることに違いはない。 しかし反面、どこか嬉しい気持ちと、ほっとしている気持ちもあった。だからこそ、冷静にワカバの言葉を受け止められていた。 愛されているという喜びがある、そして、"彼"がこんな暴挙を起こした、起こそうとした原因が極めて人間的な理由からであることは、どこか安心できた。 それは付け入る隙、何より説得の余地があることの証である。 歪んだだけのただの人間なら、神でないなら、勝てる可能性は十分にあるだろう。 だから、リリーは大きく息を吐き出すと、ワカバにこう言った。 「悩む前に、出来ることをしましょう。"私たち"にはまだ、出来ることが、いえ、しなくてはならないことがあるわ。」 諭すようなその口調は、だが、自分に向けられたものでもある。 この時まで、ワカバはリリーという人間の事を知らなかった。 だが、その一言は、ワカバにリリーという人間を理解させるのには十分であった。 自分と同じように兄を愛し、自分と同じような脆さを持ち、けれど、その奥に強さを秘めた女性。 「落ち込むのは、嘆くのは全てが手遅れになってからで十分。出来ることもしないうちに、あれこれと思い悩むのは、いけないことよ。」 同い年でありながら、どこか"姉"という雰囲気を感じさせる。 なにがこうまで違うのか。いや、実際はたいした違いなどはないのであろう。 ワカバとて聡明な少女である。 そして、どちらかといえばトウジに近いその性格は、思い悩むことには向いてはいない。 リリーに触れ、ワカバは彼女を認めた。 「そうですね。まずは馬鹿兄貴を連れ戻さなきゃ。」 何時しかその口調は、いつものワカバのものに戻っていた。 「いいですね、若いって。」 そう言ってマリコは横に立つマコトに微笑み掛けた。 「マリちゃんだって十分に若いだろうに。」 そんなマリコの言葉に、思わず苦笑いするマコト。 「でも、悲しいですよね。」 不意に、マリコは表情を曇らせる。 何もかもすべて、始めから憎しみがあったわけではない。 むしろ、その逆。 何かを、誰かを強く愛しているから、愛していたからこそ、起きたことであった。 マリコもマコトも、お互いの存在があるから、その悲しさはわかるし、自分が同じ立場に立たされた時に、こうならないという保証もない。 「でも。」 幾分強い口調のマコト。 「乗り越えていかなきゃならない、事だよ。」 「はい。」 そう言って二人はもう一度、リリーたちの方を見た。 そこに、希望があるような気がしたから。 希望とは対照的なもの、絶望。 まさにその絶望しか存在しないような領域。まるで絶望を具現化したような漆黒の闇の中に、時田シロウは立っていた。 無論、未来からきた、時田である。 そして、あの、仮面の女もいる。 「"方舟"を発見いたしました。」 「そうか、なら、さっそく浮上の準備に取り掛かってくれ。」 その言葉に女は思わず眉を曇らせたようだ。 もっとも、仮面の下の事である。上辺からそれを窺い知ることは出来ない。 「何か、不満かね。」 だが、時田には、そんな仮面の下の表情が読み取れるのか、そんな質問をした。 「時期尚早かと。旧ネルフの面々も動いています。もっと入念な下準備が必要と思われますが。」 そんな女の意見に、時田は不満そうな表情を見せる。 「そのために過去の私をこちらに引き入れたのだ。抜かりはない。」 「しかし・・・」 「私が君に求めているのは意見ではなく絶対の服従だ。かつて君自身が、碇ゲンドウに対してしていたものと同じような、な。」 「はい。出過ぎたことをいたしました。」 そうは答えたが、女は時田ほどは楽観していなかった。 時田シロウ一人で押え込めるなどと、ネルフの戦力を侮ってはいない。 『やはり、アスカを、弐号機を動かす必要があるわね、それにしても・・・』 その場を立ち去りながら、女はちらりと時田の方を見る。 「所詮は、小物、か。」 その女の呟きは、時田の耳には届いていないようであった。 |