|
霧島マナは、湖を見つめていた。 かつて、彼女の愛した、そしてシンジとの思い出の詰まった場所。 度重なる戦いの爪痕に、かつての面影は見るよしもない。 それでも、彼女はそれを見つめている。 特別な、想いを秘めて。 「しばらく、一人になりたいの。」 そういうマナを、シンジはひきとめなかった。 「必ず、帰って来るから。」 その言葉に偽りがないと、感じたから。 彼女にも彼女なりに思うこと、考えることがあるのであろう。 自分のこと、アスカのこと、アスカとの戦い、そして、シンジとのこれからのこと。 誰かが答えを出してくれることではない。 そして何より、シンジに答えを求めることは出来ない。 マナにも分かっている。 シンジに相談して、シンジから返ってくる答えは、間違いなく彼女が望んでいる答。 それはシンジの優しさではあるが、しかし、シンジの本心でもある。 結果として、マナにもその答えしか出せないだろうし、最終的には同じところに辿り着くなのだろうということはわかる。 けれど、過程が必要な時もある。 シンジに答えを出してもらったら、それに甘えてしまう。 考えて、悩んで答えを出す必要があった。 一人よがりだとはわかっていても、それが今のマナに出来る、せめてものアスカへの償い。 それがわかるから、シンジもマナに対して何も言わない。 今、シンジに出来るのはマナを信じて待つことだけ。 だが、今のシンジにはそれが出来る。マナを、信じきることが。 「いってきます。」 そう言ってマナは、そっとシンジの唇に、自分の唇を重ねあわせた。 わざわざ第3新東京市跡をマナが訪れたのには、もう一つ理由があった。 シンジにも伝えていない理由。 エヴァンゲリオン弐号機。 廃屋の中で、その存在をマナは知ったのである。 アスカが敵に回っている現状にあれば、エヴァもまた、敵である。 対抗する手段は、ない。それでも・・・ それでも、シンジは、戦うだろう。相手が、その中にいるのがアスカであると知っているから。 その時、自分になにが出来るのだろう。 シンジの力になりたい、けれど、 4年前、軍の任務で調査をしていたこと。エヴァの実体。 4年たった今、皮肉にもマナは、その核心、そのほとんど全てを知っていた。 だが、知っていればこそ、の辛さがそこにはあった。 自分とシンジの絆は、なににも負けない強いものだと信じている。色々なことがあったから尚更、そう信じることが出来た。 なんでも相談しあえる。何でも助け合って、生きていける。 だが、"エヴァンゲリオン"という、その"もの"が関わった時、その時だけは、マナには入り込むことが出来なくなる。 エヴァに乗る、エヴァに乗っていたことに対するケリは、シンジが、自分自身で、自分一人でつけなくてはならないことだから。 たとえ、その苦しみを、誰かと分かり合えるとしても、それは、それだけはマナには出来ない。 認めたくはないが、それを分かち合えるのは、同じエヴァに乗っていた、共に戦った、アスカだけである。 けれど、戦うのはシンジ一人でも、何か別のことで、別のところでシンジの力になれることはないだろうか。 それを探すために、マナはここへ来ていた。 「だめ、か。」 旧ネルフ本部。 マナも一度はこの内部に入り込んだことがある。しかし、詳しく知っているとは言い難い。 既に基地としての役目を果たせるものではないが、それでも"MAGI"の存在があるためか、一応、ここはいまだネルフの、冬月の管理下にあった。 その冬月が今、京都にいる以上、ここに人影はない。 おそらくは世界でもっとも、サードインパクトの爪痕が色濃く残る場所。 破壊された施設。こびり付いた血の跡。ベークライトによって封鎖された通路。すべては、あの日のままである。 無論、マナは話に聞いただけでであるが、ここに立てば、あの日、どんなことがあったのか、想像は出来る。 どれだけシンジが辛い想いをしたのか、が。 そして、あの日の出来事があるがゆえに抱く、シンジとアスカの互いへの想いも。 もし、あの日自分がここにいたら。そう考えなくもない。 しかしそれと同時に、自分になにが出来たのか、という思いもある。 そしてそれは、今の彼女に対する問題そのものでもあった。 それはわかっても、結局答えは見つからなかった。 崩れ掛けた第一発令所。ここには彼女に答えをもたらしてくれるものは、何一つないように思えた。 「”MAGI"か。」 いまだこの場に存在する"MAGIオリジナル"。放置しておいて良いものではないが、おいそれと持ち運べるものでもない。 そういう考えがあるからこそ、冬月もこの場を開けている。 もっとも、冬月が"MAGI"を放っておいているのにはもう一つのわけがあった。 今、"MAGI"は、自らその機能を自己凍結していた。 マヤやマコト、シゲルが幾度も解除を試みたが、成果は出ていない。 機能を回復できる者がいるとすれば、システムを作り上げた本人である赤木ナオコ博士と、その娘リツコぐらいであろう。 しかし、既に二人ともこの世にはない。少なくとも、冬月の知る限りでは。 もう一つ、方法があるとすれば、"MAGI"が自らの凍結を解くことなのだが、もとより"MAGIは"赤木ナオコ博士の人格を元に作られている。 言い換えれば、結局、あの二人にしか凍結は解け得ないと言えるだろう。 「私じゃ駄目、よね。」 赤木リツコ、そして母であるナオコがどういった人物であったか、それをマヤは母ユカから聞かされた。 "MAGI"は普通のコンピュータではない。何らかの、それもおよそ計算機を知るものにとって、科学者と呼ばれているものにとって、非常識とも言えるようなはずみで、機能の凍結解除をみずから行なう可能性もある。 ある意味、"MAGI"は赤木ナオコ博士自身なのだから。 だからこそ、娘のプログラムに抗い、そして自らその機能を封印した。 そうであるから、他人との一次的接触、つまり"誰かがMAGIに触れる"というだけで、機能が回復する可能性もあった。 科学の粋を集めたシステムでありながらどこか非科学的である。 しかしかつて赤木リツコがこう言ったことがある。 『発達しすぎた科学は、魔法と見分けがつかない。』と。 マナという少女は柔軟な思考の持ち主である。だからこういった、一見すると馬鹿馬鹿しいと思うようなことも、受け入れることが出来る。 ただそれは、全てを鵜呑みにする、ということではない。 自分で考え、そして理解は出来なくとも、納得がいくようなことであれば、それを受け入れられるのである。 しかし、いやだからこそ、その封印を解くのは自分の役目ではないように、マナには思えていた。 碇ユイに繋がる者。それはナオコやリツコにとって、憎悪の対象にしかならないのだから。 ちょうど、今のマナ自身に対して、アスカがそういう想いを向けているように。 「はあ。」 とため息を吐いてマナは"MAGI"に依りかかった。 そして、人差し指でそっと、埃を拭い取る。 そこには、くっきりと"BALTHASAR"という文字が刻まれていた。 マナが一つ、"MAGI"に関して誤解をしていたとすれば、"MAGI"は赤木ナオコ自身であっても、赤木ナオコそのもの、そのままではない、ということである。 確かに、"女"としてのナオコはユイを恨み、憎んでいるであろう。 だが、"科学者"であるなら、、そして"母"としての立場でなら、どうだろうか。 その答えは、今、マナの目の前にあった。 「な、何!?」 ブーンという低い音が響き、続いてシステムが起動していく。 「MAGIシステム?」 マナが驚く間もなく、システムが立体スクリーンに何かを映し始める。 「エヴァンゲリオン、初号・・・機?」 そして、同時に何か、文字が映し出される。 コンピュータによる無機質な文字の列。だが、その内容はあまりに人間的な"言葉"。 「そう、なの。」 その"言葉"に何かが込み上げてくるマナ。 「母と娘、か。」 そうつぶやいたマナは、その自分の言葉にハッとした。 何かが頭の中で形になろうとしていた。 しかし、今のマナには、まだ、その答えは出せなかった。 潮風が、磯の香りを運んでくる。 この香りも風景も、マナには懐かしいものであった。 彼女の生まれは鹿児島県の阿久根市。その海沿いの町である。 だから、こういう雰囲気は彼女にとって落ち着きを与えてくれた。 女の一人身であるから、旧ネルフ本部跡に野宿するわけにもいかず、彼女はここ、新国府津に宿を取っていた。 ここは、あの日、彼女が救命カプセルで流れ着いた場所にも程近く、そして、ムサシとケイタの墓があった。 宿へ向かう前に、マナは彼らの墓前を訪れていた。 「答えては、くれないよね。」 二人の墓前で、マナはそう呟いた。 花を供え、静かに手を合わせると、ゆっくりと立ち上がる。 その場を立ち去ろうとしたマナに、トンっという軽い衝撃と共にぶつかってくるものがいた。 「あ、ごめんなさい。」 小学生ぐらいの男の子。その子の顔を見た時、マナは思わずハッとした。 「ケイ、タ?」 「ほらユウジったら、ちゃんと前を向いて歩かないから!あ、ほんとにすみませんね。」 立ち尽くしているマナに、ユウジと呼ばれた男の子の母親らしき女性が、すまなそうに謝る。 「ほらユウジ。」 そういって息子を自分の方へ抱き寄せると、母親はマナの顔を見て、そしてほんの少しだけ、驚いたような顔を見せた。 「霧島、マナさんね。」 「え?」 いきなり自分の名を呼ばれ、ちょっと驚いたマナであったが、すぐに、目の前の女性が誰であるか、察しはついた。 「ケイタの、お母さん、ですね?」 その問いにその女性−浅利ミワコ−は静かに頷いた。 「あなたのことはケイタから手紙で聞かされていました。」 息子の墓前に手を合わせながら、ミワコはそうマナに切り出した。 「詳しいことは何も話してくれなかったけど、あの子、あなたのことが好きだったんだと思います。」 「私は・・・」 どこかで、うすうす感じてはいたことである。ムサシのマナに対する態度と、ケイタのそれは、どこか似通っているようで、しかし決定的に違うようにマナには思えていた。 元々身寄りのいなかったムサシは、友人、というよりもどこか家族を求めていたような節があった。 ケイタが弟で、そしてマナが妹。 どこかでそういう感覚があったのだろう。 そんなムサシがリーダーシップを取っていたこともあってか、マナたち3人はどこか"家族"という感覚でお互い接していたように思う。 けれど、ケイタがマナに抱いていた想いは違うのだ。 3人の中でもケイタが一番、悪い言い方をすれば落ちこぼれであった。 それなのに必死でついてきた、あまつさえマナを守ろうとさえした。そのわけは、 簡単なことである。 淡い恋心。 けれど、今のマナには、いやあの頃のマナにもそれに答えてあげることは出来なかった。 「お兄ちゃんの、恋人だったの?」 そんなマナに、ユウジが無邪気に話し掛ける。 その言葉に息を呑むマナ。 11、2歳ぐらいであろうが、どこか子供子供している。 どこかそんな態度に、ケイタを重ねあわせるマナ。 良くも悪くも、純真だったケイタを。 だが、純粋さというものは、時には残酷なこともある。 マナにはそのユウジの他愛のない一言、まっすぐな瞳が、自分を責めているように感じられた。 「ううん、ちがうの。私、私は・・・」 「やめなさい、ユウジ。」 そんな気持ちを察してか、ミワコはユウジをたしなめるとマナの方に微笑みかける。 自分がなぜ叱られたのか分からないユウジは、不満そうな顔を見せたが、マナの、どこか悲しげな表情を見て、おとなしく口をつぐんだ。 「ごめんなさいね。子供なもので。」 「いえ。」 謝るのは自分、悪いのは、自分の方なのだ。どこかにそういう思いがあった。 これはそのための償いなのだ。いや、この程度のことが償いになるはずもない。では、どうすれば・・・ 「霧島さん、今、幸せ?」 不意にミワコがそう尋ねる。 その真意を図りかねるマナ。 だが、その問いの答えを、真面目に考えてみる。 確かに、アスカのこともある、自分に課せられた運命、これからの戦い。でも、 「はい、幸せです。」 自分でも驚くほど、マナははっきりとそう答えていた。 その答えに対し、ミワコは満足そうな笑みを浮かべる。 「恋を、してるのね。」 その言葉に浮かんでくるのは、もちろん、シンジの顔。 頬を赤らめ、マナは小さく頷く。 「別にそれを責めているわけではないわ。あの子が、あなたが幸せになるならない、というのとケイタのことは関係ないもの。」 ケイタの母、というよりひとりの女として、マナの気持ちはわかる。ミワコはそう言いたげであった。 無論それは、母としての責務を忘れている、というわけではない。 「それにね。」 そう言ってミワコは続ける。 「ケイタは、あなたが、あなたとあなたの愛する人が不幸になるようなことを望む子ではないわ。」 なぜ、こうまで言い切れるのだろう。 ケイタは間違いなく、自分のために死んだのだ。その上、当のマナはケイタのことを忘れ、シンジとの幸せな生活を享受している。 極端な話しケイタを騙し、裏切ったと罵られても仕方ない、とさえ思える。 実際は、ミワコも心の隅にそう言う感情があった。ないといえば嘘になるだろう。 だがそれ以上に、ミワコにはケイタの気持ちがわかっていたのだろう。 マナという、我が子が愛した女性とまみえ、その気持ちを理解したから。 そんな感情を、マナも察していた。 どこか矛盾した、相反する感情を内包しながら、なのになぜ、"母"といわれる人たちは、こういう事が出来るのか。 共通して感じられるのは、確かな強さ。 その強さこそ、今まさに、マナが求めているものであった。 |