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「こんにちわー。」 「あれ?洞木さんじゃない。どうしたの?」 「うん、ちょっと、マナに借りてたものがあって・・・。あれ?マナは?」 「今、ちょっとお母さんのところに、行ってるんだ。」 「そう・・・そう、か・・・」 マナが母の元へ赴いた理由。 その理由に思い至って、ほんの少し、ヒカリのトーンが下がる。 別段、心配するようなことではない。むしろ、その逆である。 が、そんなマナと自分を照らし合わせてみたときに、ほんの少し、ヒカリの胸の中にうらやましさと空しさのようなものが浮かんでくるのだ。 サードインパクトから4年以上もの時が流れて、その間、ずっと一緒にいたにもかかわらず、いまだ、とても恋人、と呼べるような関係になれない自分とトウジ。 マナがユカの元へ行ったのはシンジなりの配慮。 母と娘にとって、最後の水入らずの時を過ごさせてやるため。 正直な話、結婚したからといって霧島マナが碇マナになるだけ、本当にそれだけの話であって、もちろんユカに会えなくなる、というわけではないのだが、なせかシンジはマナにそうさせていた。 まるでこのあと起こる出来事を、どこか予兆していたかのように。 人は残念ながら未来を見通すことが出来ない。 今を見て、今と過去を判断するしかないとすれば、少なくとも、ヒカリの目に映る今のシンジとマナは、幸福そのものであった。 そこに、悲劇的な要素など微塵も感じられない。 互いに互いを思い合い、愛し合う心。 自分の気持ちに素直になれる二人の姿。 それらすべてを、どこかで自分たちに重ねあわせてしまえば、そこには空しさ、切なさのようなものしか残りはしない。 冗談めいて言うことはあっても、決定的に口にしなければ、あのトウジのことである。 無論、普段のトウジの様子を見ていれば、少なくとも嫌われていない、もう少し言えば好かれている、というのは分かっていても、その先に進むことはできないのだ。 シンジとて、女心に敏感、というわけではない。 結局、今の自分とマナの差は、積極的になれるマナと、なれない自分の差であり、そんな事は分かっていてもなお、どうすることもできないもどかしさのようなものがある。 それはもう、自己嫌悪にも近い。 だが、ヒカリは知らない事だが、結局それらは、取り巻く環境の違いでしかない、という側面もあった。 アスカとの対比のときもそうだったが、結局マナは、積極的なのではなく、そうせざるをえなかった、という状況があるためである。 さらにもう一つ付け加えるなら"母親"の存在もある。 ユカが、シンジにとっても伯母にあたる、という特異な状況もそうだが、結局母親がいて、どこかで頼ることができる、というのは結構大きい意味があるのだ。 幼い頃に母を失い、以後、自分自身が"母親"を務めてきたヒカリには、それは出来ない話であろう。 委員長、という形で、外でも"母親役"を務めてきた彼女には、結局アスカと同じ部分があるのかもしれない。 人に縋りたい弱さ、けれど、決してそうさせないプライド。 それらが同居している状況は、彼女にとって不幸であった。 「何年ぶりかな、こうやって、母さんと過ごすのって。」 そのころマナは、母娘二人きりの静かな一時を過ごしていた。 中学生になるかならないかのころに軍に入れられ、そのあとは名前を変え、そしてサードインパクトのあとはシンジと二人、生きてきた。 こうやって母と過ごす時間は、もう、遠い過去の話である。 父も、もういない。 無邪気に甘えることなど出来ないほど、時間が経ち、取り巻く状況も変わっている。 その間にマナも変わったし、いろいろなことも知った。 自分の存在、シンジとの関わり、父と、母の想い。 両親への想いも、少なからず変化している。 けれど、 ユカがマナにとって母であると言うことに、変わりはない。 母が娘を愛し、娘が母を慕う、その心にも。 取り留めのない話を、楽しげにしてた二人であったが、ふと、ユカの声が曇る。 「ごめんね、マナ・・・」 「え?」 不意にそう謝る母に、マナは驚いたような顔を見せる。 「私たちのせいで、辛い思いばかりさせてしまって・・・」 マナが生まれてから、いや、マナが生まれるずっと以前から、それはユカが抱きつつけていた思いであった。 生まれてきた、あるいは生まれてくるであろう我が子がたどる運命。 母として、何もしてやれないもどかしさ。 それはいつもユカの胸のうちで渦巻いていた。 表向きはいつも、気丈に振る舞っていた。 努めて明るく、強く。 過酷な運命を娘に強いても、必ずマナなら乗り越えられると言い続けて。 母であり、姉であったユカは、そうせざるをえなかったのだ。 ともすれば弱気になりがちだった妹に、『生きてさえいれば、幸せになるチャンスなどいくらでもある。』と諭したのは、他ならぬユカ自身である。 ユイなきあと、失踪したゲンドウを立ち直らせたのも。 妹を、義弟を、甥を、そして何より実の娘を、陰から支えてきた。 気丈にみえたその裏には、けれどいつも悔恨の思いがあった。 普通の家に生まれていれば、こんな思いをすることもなかったのに。 娘にも、妹にも、こんな思いをさせなくともすんだのに。 『生きてさえいれば、』 それは何より、自分自身に対しての、励ましだったのであろう。 空元気で表面を取り繕って、そうしなければ生きていけなかった自分に対しての。 涙を流してうつむく母を、マナはそっと抱きしめる。 その肩は、意外なほど小さかった。 マナとてもう19である。 母よりも、自分の方が大きくなってしまった、というのは分かっている。 けれど、マナの中にあるユカは、いつまでも自分を包んでくれていた幼いころの、母のままなのだ。 だから、今自分の両腕の中に母が包まれていることは、マナにとって嬉しくもあり、同時に寂しいことでもあった。 「私は・・・私は生まれてきたことを、後悔してない。母さんの娘として生まれてきて、生まれてこれて、良かったと思ってる。」 「でも、できれば普通の女の子として、幸せな一生を送って欲しかった。そう望みながら、でも・・・」 それは叶わぬ思い。 神の血を引いている以上、後継者を残す役目を負わされた以上、戦うにせよ、屈するにせよ、マナに平穏な人生、というのはありえない。 そして母であっても、それを肩代わりしてやることは、できないのだ。 「どんな苦労もいずれは、笑って話せるようになる。生きていれば、必ず・・・。そう私に教えてくれたのは、母さんでしょう?」 「マナ・・・」 涙を拭いて、そっと目を閉じる。 そして、思いを馳せてみる。 マナも、シンジも大きくなった。 シンジはユイの遺志を、マナはユカの意志をしっかりと継いでいる。 それは、今のユカにとってわずかばかりの、救いであった。 自分がしてきたことが、無駄ではなかったことの、その証。 そしてそれは、ちゃんと受け継がれている。 「それに・・・」 「それに?」 「ちゃんと私は、一人の女としての幸せを、見つけられたもの・・・」 「でも、シンジくんは・・・」 シンジがマナのことを幸せにしてくれる、というのはユカも疑ってはいない。 先に言ったように、シンジはしっかりとユイの遺志を受け継いでいる。 そしてユイにそれを教えたのは、ユカなのだから。 だが、シンジとマナの関係、というのはある種定められた運命でもある。 結局、そんな所まで娘と甥に運命を強いてしまっている、そんな思いがユカにはあるのだ。 「確かに、私とシンジは結ばれるよう定められた、決めれらた運命だったのかもしれない。でも、運命は操れても、人の意志は操れない。」 一つ呼吸をおいて、マナはしっかりとした口調でこう続けた。 「私は、私の意志で、シンジを好きになったんだから。」 それは単なる思い込みではない。 そこには、確かに信じられる何かがあった。 それがなんであるのか、明確な言葉にはならないが、確かにそれはある。 そして、それがあるから、 「ありがとう、私を、生んでくれて。」 自然と、そんな言葉が口から漏れる。 そんな娘の言葉に、ユカはただ、涙で返す他はなかった。 そして時は、運命の日の、その朝を迎える。 「綺麗よ、マナ。」 純白のウェディングドレスに包まれた娘を前にして、ユカはそう言うのが精いっぱいであった。 ヒカリ、マユミ、ワカバ、マヤにマリコといった女性陣も、その場に居合わせている。 ヒカリはともかくとして、マユミたちは久しぶり、と言ってもわずか三ヶ月ほどではあるが、の再会であった。 無論、マナを祝福する気持ち、というのは一同それぞれにある。 反面、どこかやっかみ、というかそれに近い気持ちもあるわけなのだが、もちろん、それを表に出したりはしない。 そしてそんな通り一片の羨望とは別に、それぞれにはそれぞれの複雑な想いもあった。 マリコやリリー辺りの想いは、きわめて単純であり、羨望、羨み以上のものはない。 マリコにはマコトという相手がいる。 先にあった二人の、 「まさか、シンジくんに先を越されるとはね。」 「あら、私はいつでも、何なら今すぐでもいいんですけど?」 「マ、マリちゃん・・・」 というやり取りを例に取るまでもなく、どこか次は自分、という感覚のようなものがあるから、羨む、と言ってもそれほどのものがあるわけではない。 それはリリーも同じ事であり、結局、マコトや時田といった辺りが冷や汗をかかされるだけの話でしかない。 もっとも、そう言ってくれる女性がそばにいる、というのは、ケンスケ辺りから見れば、ある意味羨ましい状況でもあったりするわけでもあるのだが。 ワカバは、もう少し、複雑である。 単純に羨ましい、という部分はもちろんあるわけだが、マリコたちのように相手がいないから救いがない。 もっとも、一般論に照らしてみたとき、それは別に特異な状況ではなく、きわめて一般的な話であるから、そんな事を気にしているわけではない。 結局自分がどうこう、とかマナとシンジがどう、ではなく、横でいちゃついているリリーと、兄に、問題があるのである。 さて、打って変わってマユミであるが、こちらはワカバとは対照的に、その想いの中心にはシンジの存在があった。 当の昔に吹っ切ったつもり、であったのだが、それが本当につもりだけであったことを、改めて思い知らされた、ともいえる。 告白すら出来なかった、いや、させてすらもらえなかったものへの、後悔。 だが、いまさらそれは言うことではない。 そうやって耐えて、自己の中で完結させてしまうのが、山岸マユミという少女の、不幸な部分なのかもしれない。 だが彼女は知らない。 シンジへのその想いの根幹に、もう一人の、別の少年の存在があることを。 いや、本当は知っていながら、気付いていない振りをしているだけなのかもしれない。 そうしていることが、彼女にとっては一番楽なのだろうから。 マヤは、なにかもやもやするものを感じながら、マナの様子を眺めていた。 ワカバのような単純な羨望でも、マユミのような、嫉妬と自己嫌悪とも違う。 今時点で定まった恋人、というのはいないマヤではあったが、別段をそれを気に留めているわけではないから、十も年下のマナに先を越された、からといって焦るようなこともない。 マヤの見ているもの、それはマナと、そしてユカである。 幼いころ、マヤは母と死に別れた。 そんなマヤに、母の記憶はない。 母の思い出が希薄である、というのはここにいるヒカリやマユミ、いわゆるチルドレン候補生ならすべてに当てはまる話であるって、別段特殊なことではない。 むしろ、変な話であるが母親が健在であるマナや、エヴァの中で再会した、という状況はあれど、他に比べて母親との繋がりが密なシンジやアスカの方が珍しいとさえ言える。 そんなマヤが、他と違った点があったとすれば、彼女に母親代わりの存在がいた、ということであろう。 年を考えれば、母親、というのはあまりに失礼な話で、姉代わり、という方が正確なのだろうが、精神的な部分で、やはりマヤにとって彼女は母親に等しい存在であった。 それは、彼女自身の、母親との繋がりにも起因している。 どこか母親らしくない母、母であるより、女であろうとした母、母と同じ人を好きになってしまった自分、母親となることを、普通の女としての幸せを否定していながら、どこか、そんなものへ、何より母へコンプレックスを抱いていた自分。 そういったものがいつも胸のうちにあったから、後輩であったマヤに、どこか母親のように接してしまった部分があったのだろう。 そしてそれに、マヤも甘えた。 こうやってマナとユカを見ることで、母と娘の触れ合いを、間近で見ることで、マヤは、あのころの自分とリツコの関係が、そういったものであったのだと、感じていた。 「母親、か・・・」 誰にも聞こえないほど小さな声で、マヤはそっと、呟いた。 「それでは、誓いのくちづけを。」 神父の言葉で、シンジはマナを引き寄せると、そっと、マナの唇にキスをする。 「ええなあ、シンジは。」 そんな様子を見ながらそう呟いたトウジを、思わずヒカリはつねってやりたくなった。 トウジのことであるから、深い考えなどは当然ない。 が、だからこそ、逆に腹が立つのである。 隣にいる自分は、いったいトウジにってなんなのであろうか? もしかしたら母親代わり、ぐらいにしか思われていないのかもしれない。 マナとユカのやり取りを目にして、ヒカリはそんな事を考えはじめていた。 端から見れば、恋人というよりは確かに姉か母親のように見えるかもしれない。 それは、ヒカリにとってみれば不満極まりない話であるのだが、事実は、そう悲観したものではない。 それを如実に感じているのが、トウジにほのかな思いを寄せる、マリィである。 トウジ本人がどう思っているかは知らないが、ヒカリは自分とトウジの関係を恋人未満と感じ、逆にマリィはそんな二人の関係を、むしろ恋人以上と感じていた。 ヒカリがもっとも羨み、憧れている関係であるシンジとマナのそれに、実は自分とトウジの関係が極めて近いものであると言うことに、ヒカリではなくマリィが、マリィだけがどこかで感じていた。 実際、母親代わり、といえば、シンジにしても同じなのである。 シンジが、マナやレイに感じたもの、それは間違いなく母ユイの、その面影である。 どこかで母を求めているからこそ、レイにひかれ、マナに好意をよせ、そして、アスカを拒絶した、という面がある。 無論、今のシンジにとってそれは最初のきっかけにすぎず、しっかりとマナをマナとして捉え、愛してはいるわけなのだが、言ってしまえばトウジとシンジの差違などは、そこだけでしかない。 その差違を、ヒカリは大きく感じ、マリィは些細なものと感じているから、二人の間に認識のずれが生じるのである。 そんな二人の複雑な思いに、だが、トウジが気付くことは全くなかった。 三人がそれぞれに、それぞれの想いを抱いている間に、式は終わりに近づいていた。 マナを伴い、シンジが歩き出そうとした、その時。 ガクン、と衝撃とともに地面が揺れる。 そして、続いて爆発音。 一同の胸に、嫌な予感が走る。 慌てて外に飛び出した、その目には、 「あ、あれは!」 「エヴァン・・・ゲリオン?」 だれしもが、そう口にするのがやっとであった。 地上に存在しないはずのもの。 ユイの魂なきあと、初号機は動かすことはもはや出来ない。 弐号機も同様で、アスカなきあと、キョウコの魂もなぜか失われてしまっていた。 もはやこの世に、動けるエヴァは存在しないはず、である。 第一現存するエヴァは、二体とも冬月の元、厳重に保管されていた。 だからこそ、目の前にあるものが信じられない。 銀色のその巨人は、零号機、初号機、弐号機のいずれとも違ってはいたが確かに、エヴァンゲリオン、であった。 「参、号機?」 思わずシンジがそう呟く。 確かに、色を除けばそれは参号機そのものであった。 それは、シンジに苦い記憶を思い出させる。 そしてシンジ以上に、苦い思い出が浮かんでくるのは、トウジである。 片足を失ったこと、ではない。それ以上に、そのことでシンジが苦しむのが、彼にとっては何より辛いことなのだ。 あの状況である、命があっただけ、それでいい、とトウジは思っている。 第一片足をなくした、とは言っても現在の医学である、さほど、実生活で困るようなことはない。 だからこそ、そのことでシンジが思い悩むのは、トウジにとって耐え難いものであるのだ。 が、そんな事情を知るのは当人たちのほかにはケンスケぐらいしかいない。 マヤやシゲル、それに冬月といった旧ネルフの面々を除けば、『エヴァ参号機』というものさえ、知りはしないのだ。 参号機の存在、あの時あったこと、それはマナやヒカリさえ、知らない事である。 そんななかでただ一人、冷静にこの事態を見つめているものがあった。 「ようやく出てきたわね。あの時奪われたあいつ・・・エヴァ、四号機。」 苦渋に満ちた表情で、マリィはそっと、そう呟いた。 |