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マリィの告白が、トウジにとってショックだったことは確かだろう。 けれどそれを、トウジは一切表に出すことはしなかった。 それは彼が19年という歳月の中で培っていた強さであり、ヒカリがかつて指摘したトウジの優しさでもある。 その優しさが、誰にでも等しく与えられるものであり、決して、特別な感情に起因しているわけではない事はヒカリにも分かっている。 だが、 「あいつは、ハルナは、助かるんやろ?」 ただ一言だけそういったトウジに、マリィは小さく肯き、 「何があっても、必ず、私が助けて見せる。」 小さく強く、そう言い放った。 そんなマリィにトウジは優しく微笑みかけ、 「なら、そないに気にすることはあらへん。第一、マリィがおらへんかったらハルナを助けれれるやつがおらんやろ?」 トウジは、確かに優しい男ではあるが、だからといってことさらに温厚なわけでも、人の気持ちに敏感なわけでもない。 少なくともヒカリの知る限りではそうだったはずである。 事実、初号機の暴走に巻き込まれてハルナが怪我を負ったとき、そのパイロットたるシンジに手を上げたという過去もある。 無論、シンジとはその時が初対面であり、シンジという人間を知らなかったということもある。 まがいなりにも、マリィという人間のことは知っているという側面もある。 あるいは、ハルナに諭されシンジに謝ったというその後の経緯もある。 けれど、ことハルナが関わることであれば、もっと直情的に動いていいのがトウジという人間なのだ。 それなのに、マリィに対するトウジの態度は、少なくとも、ヒカリの知るそれではない、そう彼女には思えた。 マリィの告白の内容もあいまって、ヒカリはトウジ以上の衝撃を受けていた。 果たしてトウジがマリィに対して”特別な感情”とやらを本当に抱いていないのか。 もし、もしも・・・ 人は、常に変わっていくものである。 シンジとマナ、というお互いを支え合っていくものの見本のような存在があれば、トウジとて本人の気づかぬうちに変容を果たしているのだ。 ましてや、自分自身がたとえ意識をしていなくとも、トウジにはヒカリという存在がある。 他人との触れ合いが、人を大人にしていくものだとするなら、トウジの周りにはそのための要素は十二分にあった。 それはヒカリが、彼女が常にトウジの側にいるからこそ、気づくことのできない変化でもある。 けれど確かに、トウジとてあのころのただ突っ走るだけのトウジでないのだ。 トウジの物言いに、マリィは確かにそのことを悟っていた。 そして同時に、自分の居場所の無さも。 トウジをそうさせたのが自分ではないと、自分以外の誰かの存在があるからだと、分かるから、である。 それの最たるものは恐らくはシンジ(とマナ)なのであろうし、それはマリィにもわかる。 そしてそうであるなら、それはさしてマリィが気に止めることではない。 が、影響力の大きさでは確かにシンジの存在があっても、それとはまた別なところに、もう一つの小さな、けれど確かな存在があることも、同時にマリィは見抜いていた。 「結局私も、アスカと同じ、か・・・」 その呟きはもちろん、ヒカリの耳に届くことはなかった。 「すまんな、こんなことになってしまって。それに、ユカくんのことも・・・」 「いえ、こんな時、ですから。」 すまなそうに謝る冬月に、だがマナは笑顔で答えて見せた。 マナにとって肉親、と呼べるのは母とシンジだけである。 といっても、シンジは家族、とはためらいなく呼べるが肉親、と呼ぶにはいささか戸惑いがある。 確かに血は繋がってはいるが、そのことを知ったのはシンジと出会い、愛し合い、未来を誓い合ったあとのことである。 そうであれば、やはりマナにとってのシンジは、あくまでいとこ、ではなく愛する人、夫、という位置づけに他ならない。 だから、マナにとって母ユカが、唯一の肉親であるといっても過言ではない。 その母を失い、挙げ句、この状況下では満足に葬儀すら上げてやることもできない。 ましてそれが起きたのが自らの婚礼の最中であれば、受けた悲しみと衝撃は、如何ばかりのものであろうか。 悲しくないはずなどはない。 けれど、それでもマナは笑顔を見せる。 それが空元気であるとわかるからこそ、なおさら冬月は辛かった。 確かにそれは空元気であったろう。 悲しみを必死に押さえ、気丈に振る舞っている、といわれれば確かにそうだ。 ただ、不思議とマナ自身は自分がことさらに無理をしているとは感じなかった。 それは無論、シンジという支えてくれる存在がいる、というせいもある。 が、それ以外にももう一つ。 今、彼女を取り巻いている周囲の状況。 あの時以来妙にふさぎ込み、それぞれの悩みを抱え込んでいる女性たち。 マヤ、マリィ、そしてヒカリ。 それぞれがそれぞれの悩みを抱えてはいるが、その根幹は同じといってもよい。 支えてくれるべき、その存在。 マヤは本来支えてくれるべき人と敵対せねばならず、マリィはそこに自分の居場所のなさを思い知らされ、そしてヒカリは、トウジと自分の関係に不安を感じ、自分自身の存在意義に迷いを感じはじめていた。 そういう彼女たちと比べれば、シンジがいるぶん自分はまだ、遥かに楽なのだという思いが、彼女の中にはあるのだろう。 彼女たちの辛さを思えば、今の悲しみになど耐えることができる。 それに、 「こんなとこでめそめそしてたら、母さんに叱られちゃうもんね。」 そう言うとマナは、一つ大きく、息をついた。 マヤやマリィはそれでも、悩みながらもまだ、目の前に成すべきこと、成さねばならぬことがある。 マヤなどは、その成さねばならぬこと、というのが”あの人”との対決である以上それは救いにはなってはいないのだが、それでも、眼前に明確な答えがあることは確かである。 今、深く苦悩していてもいつかはたどり着かなければならない答えがある。 そこへ至る道は確かに、厳しく苦しいものかもしれない。 マリィにいたっては、悩む余地すらない。 自分の罪を償うためには、自分が成せるすべてを、成せねばならない。 それがたとえ辛さを強いられるものであっても、その道から逃れることなどはできないのだ。 それぞれの前の、険しい道。 けれど、その道すら、今だヒカリの前には示されてはいなかった。 今自分になにができるのか、なにを成すべきなのか、それは今のヒカリにはわからなかった。 「結局、私ってこういう時には何の役にも立たないのよね。」 委員長として、優等生としてクラスをまとめていくようなことはできても、こういう異常な事態においてなにかを成せるだけの技能が自分にないことは、ヒカリ自身が一番よく分かっていた。 あるいは、自分自身でそう、深く思い込んでしまっていた。 そして、その迷いはマリィのほんの些細な一言によって、確信へと変わる。 「あなたの妹さん、ハルナさん、って言ったかしら。彼女の魂は今、このエヴァ四号機の中にあります。」 急造に設置された仮本部。そこに運び込まれた四号機を前にマリィはトウジにそう切り出した。 どういった原理であるのか、あるいはそこにいったいどういった意味があるのか、一応の説明はマリィやマヤ、シンジたちから聞いてはいたが、そのすべてをトウジは理解できていたわけではない。 が、感覚的にそれが真実であり、”そこ”にハルナが居るのだという確信は、間違いなくトウジの中にあった。 「彼女を形作るはずのATフィールドは今失われ、そのままでは人としての形を形成することはできない。」 「ATフィールドっちゅうと、あれか?使徒が使っとったあのバリアーみたいな・・・」 「まあ、わかりやすくいえばそうね。でも、ATフィールドの持つ本当の意味は武器とが防具とかそういうものではないわ。心の壁、人と人、他人との境界線。」 「ふーん。」 マリィの説明は、いまいちトウジにはぴんと来ないようであった。 無理もない、言っている当のマリィさえ、観念的には理解してはいるものの、具体的にそれを感じることは結局できていない。 ATフィールドを失って、他人との境界線がなくなって、すべてが融けてしまうような、そんな感覚。 それを実体験として感じ、記憶にとどめているのは冬月やマヤたち、限られた一部のものたちだけである。 ましてやそこから、自分の意志で、意識的にもう一度実世界に戻ってくるとなると、それを体現せしめたのは唯ひとり、碇シンジだけである。 確かに、今ここにいるものたち、この世界に立っているものたちは明確な生きる意志をもって、現実世界へと帰還を果たしたものたちである。 ただ、その体験は意識の片隅に追いやられ、記憶の中にはない。 意識的にそれをしろ、といわれて、成せる自信もまた、彼らの中にはない。 その、自分にすらできるか定かではないことを、年端もいかないハルナに理解させ、させなければならないのだから、それは当然のように、大変なことなのである。 過去に二度、行われたサルベージが、一度目が完全な失敗、二度目とて、成功したとはとてもいえるような結果とならなかったのは、そのせいであろう。 また、ユイが自らの意志でエヴァの中にとどまり、シンジが自身の意志と、ユイの導き似よってどうにか戻ってきたという事情を知れば、なおさら、サルベージの成否はハルナ自身に関わっているといえよう。 いや、サルベージなどというだいそれた話ですらない。 マリィやマヤたちにできるのは、所詮還ってきたいと願うもの、還りたいと願うものたちの、ほんの手伝いにすぎないのだ。 「だから、鈴原くん。あなたの力が必要なの。」 実の兄、その存在はハルナにとって、間違いなく彼女をこの世に繋ぎ止める存在となりうる。 そして、 「あ、それから、なるべく関係ない人は、この場から出ていってくださいますか?特に・・・」 そう言ってマリィは、ヒカリの方を振り向いた。 精神的なものが、事の成否と大半を占めるなら、特にサルベージする対象がまだ精神的に不安定な少女であるなら、不確定因子は取り除いておきたい、と考えるのは確かに当然のことであろう。 トウジの横にヒカリの姿があれば、ハルナにしてみれば兄を取られた、と感じることもあるだろう。 それが、現実へと還るための障害となることは考えられる話である。 それはつまり、認めたくはないが、ヒカリという存在が今のトウジの中では決して小さくない、そういう話でもある。 ただ、その核心の部分を、当のヒカリとトウジが気づくことはない。 そしてマリィも、だからこそ、あえてそのことは告げなかった。 それは、彼女なりのささやかな抵抗であったのかもしれない。 「私って、なんなんだろうね。」 ガラス越しに、エヴァ四号機の前に立つトウジの姿を見つめながら、ぽつりとヒカリはそう呟いた。 「なにって・・・そんな、」 そんなヒカリの呟きに、マナは返す言葉が見つからなかった。 ヒカリの気持ちは分かる。何に悩み、何に苦しんでいるかわかるからこそ、今のマナにかけてあげられる言葉はない。 「洞木さんは洞木さんのできることをすればいいんじゃない?人にはそれぞれの役割があるんだし。こういう場面はマリィやマヤさんたちに任せて、ね。」 マナの横で、シンジがそう優しくヒカリに話し掛ける。 その言葉はシンジの優しさの現れであるが、同時に彼の鈍感さの裏返しでもあった。 「私にできること、私にできることってなに!?」 「え、あ、それ、は・・・」 不意に語気を荒げるヒカリに、思わずたじろぐシンジ。 「あ、ごめん、なさい。」 「そ、そんなに気に病むことないんじゃない?わ、私だってほら、シンジに引っ付いてるだけで、なんかの役に立ってるわけじゃないし。・・・アスカさんとの、戦いのときだって・・・」 言ってはみるが、それがヒカリにとって救いになっていないことは、マナにもよく分かっていた。 確かにアスカとの戦いの折だけ見れば、具体的に何か手助けをできた、目にみえて何かをしてあげられた、ということはなかったかもしれない。 けれど、それはあくまであの戦いを見て、のことであって、今のシンジにとってマナの存在がどれほど大きく、必要不可欠であるかは明白である。 アスカとの戦いの、あの時にしても、精神的な部分では、シンジの強い支えとなっていた。 いつも側にいる、そんな感覚。心の支え。 それは、具体的になにかを、動作であらわすよりもよほど、重大な意味を秘めている。 そう、それができさえしていれば、ヒカリとて悩まずともよいのだ。 今まではそれでも、わずかばかりでもトウジの支えになれていた、という自負があった。 あるいはいずれは、お互いに支えあって生きていける、という希望的観測もあった。 が実際にこういった状況に直面したときに、いかにそれがうぬぼれであったか、それをヒカリは思い知った。 特殊な技能を持たない、というのはある意味諦めがつくことであっても、なにかトウジのためにしてあげるられることがあるはずである。 けれど今のヒカリは、トウジのそばにいてあげることすらできない。 ふと、オペレーションルームに立つマリィの横顔を見つめ、先ほどのやり取りを思いかえすヒカリ。 あの時、振り向いたマリィの瞳は、明らかにヒカリがこの場にいるのは邪魔であると、そう語っていた。 マリィがトウジに想いを寄せている、というのはもちろんヒカリにはわかっていることであって、それがマリィなりの彼女への、恋敵への挑戦である、というのもわかる。 だが、そのマリィの言葉にヒカリは反論することができなかった。 今、自分がトウジのそばにいても何の意味も為さないと、どこかで自分自身が感じてしまっているから。 「あ、始まったみたい。」 そんなマナの言葉に、ヒカリははっと我に返る。 モニターに映し出されたエントリープラグの内部。 そこに、LCLが注水されていく。 やがてエントリープラグの内部がLCLで満たされ、サルベージが開始された。 「ハルナ・・・。」 穏やかに、だがしっかりとトウジは妹の名を呼んだ。 「そう、そうやって妹さんの名を呼びかけて。あなただけが、彼女のこの世界へ連れ戻せるのだから。」 マイク越しのマリィの声に、トウジは強く肯く。 小難しい理屈などは分からない。 が、自分の呼びかけが、何より自分の存在そのものが、ハルナをこの世界に引き戻せるのだということは、理屈ではなく感覚として、トウジには理解できた。 トウジにとってはそれで十分なのだ。 だから、 「ハルナ、ハルナ!兄ちゃんやぞ!」 そう、声高にトウジは四号機へ向かって叫んで見せた。 変化は、すぐに現れた。 LCLが変化を起こし、小さな泡がそこから生まれ出る、 やがてその泡は徐々増え、その大きさもだんだんと大きくなっていく。 ピンポン玉ほどの泡が、数限りなく生まれ、そして今度はその泡が、一つに固まっていこうとする。 「ハルナ!」 そのトウジの声を引き金にしたかのように、一塊になった泡が、今度はまるで生き物のように、その形を変化させた。 一つの固まりから、四肢と頭にあたる部分が伸びだし、それぞれが徐々に、手の、足の、そして頭の形へと変わっていく。 「ハルナ・・・ハルナ、なんだな・・・」 モニターを見つめトウジがそう呟いたときには、LCLの中で少女の裸身が、その身を浮かべていた。 それは間違いなくトウジの妹、鈴原ハルナの、その姿であった。 その姿を認めたとき、トウジは反射的に走り出していた。 そして、 「ちょ、ちょっと鈴原くん!?まだ、」 そんなマリィの制止の声にも耳を貸さず、トウジはエントリープラグをイジェクトさせると、そのハッチをこじ開けようとする。 「う、ぐっ!」 今の今まで、サルベージ作業のために四号機は稼動していたのだから、エントリープラグも当然のように熱を持ったままである。 ハッチのレバーをつかむトウジの両手から、煙が立ち昇る。 だが、そんなことなど意に介さず、トウジはそのハッチをこじ開けた。 かつて、シンジやゲンドウがそうしたのと、まったく同じように。 「ハルナ、ハルナ!」 意識を失った妹の身を抱きかかえると、トウジは必死にその名を呼んだ。 腕に抱かれているハルナの身は、五年前と何一つ変わることはない。 そう、本当にまるで、ハルナの身は変わってはいなかった。 それが、エヴァに取り込まれたことの、ある意味副作用のようなものであるということは、トウジは後になって聞いた話である。 今は、そんなことすらトウジには、気付く余裕すらなかった。 後ろで見守っている、少女たちの気持ちにも。 「・・・お兄、ちゃん?」 やがて、ゆっくりと目を開け、はっきりしない意識の中で、静かにそうハルナが呟く。 そんなハルナに、トウジはただ、黙って涙を流し抱きしめることしか、できなかった。 「そう、か・・・」 ヒカリの立つその位置から、トウジの表情を窺い知ることはできない。 だが、その背中を見ていれば、トウジの気持ちぐらいは伺い知ることはできた。 だから、 「やっぱり私じゃ、鈴原の心の支えには、なれないのかな。」 さびしそうにそう呟くと、ヒカリは一人、部屋を出た。 「ヒカリ・・・」 その後ろ姿を、マナには引き止めることはできなかった。 |