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トウジとマリィがハルナと共に平穏な時を過ごしていたその頃、伊吹マヤは深く思い悩んでいた。 「復讐・・・。でもいったい、何をする気なの?」 そう言ってマヤは、片手をテーブルにつきながら、一口コーヒーを口に含んだ。 その仕種が、何やら妙にあの人、かつての尊敬する彼女の先輩に、なんだか似ているような気がして、マヤは苦笑いを浮かべた。 だが、その表情がすぐに曇る。 ただひたすらあこがれたあの人、目標だったあの人、死んだと思っていた、後を継ごうと決意した、その人。 自らその名を語ったわけではない。 だが、 生きていた、その事実は確かに嬉しい。 だが、彼女は今や敵である。 その動かしがたい事実は、彼女の上に重くのしかかっていた。 アダム。 第一使徒。 すべての源、すべての元凶。 エヴァンゲリオンの原形、でもある。 "それ"は先のサードインパクトの折りに、碇ゲンドウとともにこの世から消滅した。 そのはずである。 だが、マヤは、あの人が生きていると知ったその時から、あることに気付いていた。 "アダム"が彼女の手にあるという事を。 MAGIの中に残されていた不可視属性ファイル。 そこには彼女が残したアダムについての研究成果が記されていた。 こんなものの存在に気付くのは、当の彼女以外にはマヤぐらいのものであろう。 単なる研究の結果に、そこまでする必要はない。 つまりそれは、碇ゲンドウや葛城ミサトに知られないような何か、を彼女が裏でしようとしていた事を示していた。 それがアダムに何か関連していて、なにより彼女が生きていて、そして、なにかを今まさに始めようとしていて。 そういった事実があれば、アダムが彼女の手の内にあるのだろう、ぐらいの想像はマヤにもついた。 だがそこまでである。 ファイルの中には、マヤが既に知っているレベルの情報しか書かれてはいない。 そこから推測するにはあまりに情報が少なすぎた。 アダムが、サードインパクトを起こすための今一方の鍵である事は、もちろんマヤとて知っている。 が、もう片方の鍵たる使徒は、既にこの世に存在しない。 本来使徒は、"神"の立てたプログラム通りの"生成"され、覚醒する。 そしてその制御はすべて、方舟が行っていた。 それらは、あのあと方舟の残骸を調査して分かった事であるが、あの女性がこの事を知らなかったとも思えない。 そして"神"も"方舟"も消滅した今、それらをなすことは今や不可能である。 厳密にいえば、使徒といっても正式に確認されている17番目のタブリスまで以外にも、出来損ないのようなものがいる、という話はマヤも聞いた事はあった。 が、出来損ないには出来損ないたるゆえんがある。 つまり、出来損ないでは"鍵"とはなり得ないのである。 方舟もない今、アダムだけが手許にあったとしてももはやサードインパクト、正確にはフォースインパクトというのかもしれないが、を起こす事は事実上不可能な事であるとマヤは考えていた。 ならば、なぜ? アダム一体でなにが出来るというのだろうか? 確かに、アダム単体でもかなりの戦闘力はあるかもしれない。 一都市、いや小さな国ぐらいなら壊滅させる事も出来よう。 うまく使えば大国とも渡り合えるかもしれない。 だが、そこまでである。 エヴァはなくとも、それによって培われた技術は生きている。 世界中の人々が力を合わせれば、アダム一体ぐらい最終的には倒せる、そうマヤは確信できた。 現実問題として、世界のすべての人が力をあわせる、というのは難しい問題のように思えるが、マヤはそうは思わなかった。 無論、実際にはそれはあくまで言葉のあやであって、本当に世界のすべての人が力をあわせる必要はない。 一部の、戦える力を持っているものたちが、その死力を尽くせばいいだけの事なのだが、そういうことを抜きにしても、マヤはなぜか確信を持てていた。 悲しい話かもしれないが、危機的状況になれは自ずと人は力を合わせる事が出来るのだ。 ましてやサードインパクトを生き抜いてきた人々なら、自分が生きていようとするために必ず立ち上がるであろう。 そういう状況にならなければ力を合わせられない、というのは情けない話かもしれないが、この場合はそれでもいい。 「まさか・・・」 それこそが、彼女の狙いなのであろうか? サードインパクトによって"生きる"という事を自ら選んだ人々を、更に次のステップに進めるための。 今回の事だけでなく、先の方舟事件さえも。 自ら、汚名を被ってまで、人を導こうというのであろうか? 「きっと、そうだ。そうなんですね、先輩。」 そう呟いたマヤの言葉は、希望である。 そうであるなら、彼女はまだ戦える。 いや、そういう一縷の望みにすがらなければ、今のマヤには彼女と戦う事など到底出きる話ではなかった。 だが現実は、もっと単純で残酷なものだったのである。 「方舟の出現、そしてアダムの襲来により、人はより良い方向へ導かれていく、か。」 暗い部屋の中で、男は天井を見つめて、そう呟いた。 声から察するに、それは"あの"仮面の男であるようであった。 今はその仮面をつけてはいなかったが、暗がりでその顔を判別する事は出来ない。 「なにそれ?」 男に寄り添うように隣で寝そべる女がそう尋ねる。 「結果、としてさ。そういう形になる、そういうことさ。」 「リツコは・・・そんな事考えちゃいないわ。なにを考えているのか、私にはわからないけど・・・。たぶん。」 「それでも、そう考えられれば救われる。」 「リツコが?それとも、あたしたちが?」 「どちらも、だよ。」 「そう思わなければ、あたしたちも救われない、か。」 そう呟きながら、女は男の首に手を回した。 「ね、いったいリツコ、なにを考えてるのかしら。あの男に協力してたのが、方舟からアダムを入手するためだってのはわかるけど・・・。そもそも、アダムっていったいなんなの?」 「第一使徒、人の原形だ。」 「それはわかってるわ。そしてアダムは、プログラムに従って方舟の中で生成される。他の使徒と同じようにね。唯一の違いはアダムの生成は他の使徒の覚醒の引き金である、という事ぐらい。でも、」 「新たなアダムを生成したとて、方舟が存在しない以上他の使徒が目覚める事はない。だいたい、今更サードインパクトやらフォースインパクトを起こすつもりはないだろ、リっちゃんだって。」 「そうかしら。」 そういって女は男の胸に顔を埋める。 「碇の血への復讐、それが根底にあるなら、碇の血によって救われたこの世界そのものも、復讐の対称となり得るわ。」 「碇の血、か。」 そう呟いて男は天井を眺める。 「あの子をエヴァに乗せたのは、ある意味威嚇みたいなものだわ。いえ、皮肉、かもね。だいたい、直接的な力で世界を破壊しようとは思ってないはずよ。」 「確かに、アダムを使って直接的な攻撃、というのはあまり頭の良いやり方だとは思えないな。」 「なら・・・」 考えても、今の彼女たちに答は出ない。 アダムとは何者であるのか、その答を導き出すまでは。 碇夫妻がこの世を去り、霧島ユカすら姿を消した。 監視者たちももういない。 そんな状況の中で、真実を知るものがいるとするなら・・・ 「アダム、か。残念ながら私が知っている事は、君たちとは変わらんよ。碇なら、何か知っていたのかも知れんが。」 マヤにそう問われたとき、冬月はため息交じりにそう答えた。 ユイやユカではなく、ゲンドウの名を出したのにはなにか訳があったのであろうか? ゲンドウやユイたちが、冬月にさえいくつか隠し事をしていたのは確かである。 冬月の感覚からすれば、それはどことなくゲンドウ一人が画策していたように感じられたが、それが、ある意味嫉妬のような感情からの偏見である事も自分でわかっていた。 もっとも隠し事をされていたからといってそれでゲンドウを怨んでいたわけでもない。 アダムについても、使徒覚醒の鍵、世界の破滅と再生の要であるという、その話だけ知らされていれば、取りあえずのところはそれで良かった。 それ以上の事は知らなくとも、彼の職務に差し障りはなかったし、知りすぎる事が同時にどこか危険をはらむ事も感じていた。 結局、知る事が恐かったのかもしれない。 本来組織のすべての物事を一人の人間がすべて知ってしまう、というのは危険な事である。 ゲンドウとて、すべてを見通しているように見えて、実のところ冬月やリツコの、それぞれの職務について深く知る事はなかった。 もっとも冬月については煩雑な雑務を押し付けていたという一面もあったが。 そうであっても、本来組織とはそうあるべきものである。 お互いの領分に、あまり踏み入る事は避けたほうがよい。 それは正論であるのだが、同時にそれが言い訳であった事も冬月は十分すぎるほどわかっていた。 そういった冬月の事情を、マヤが知る由もなく彼女はあからさまに落胆の表情を見せたが、別段冬月を責めているとかそういった意味合いはそこにはない。 どんなに理屈をこねて割り切ろうとしても、割り切ることのできない複雑な想いがあるなら、普段のような細やかな気配りなど出来ようはずもないし、そういうマヤの心情を、冬月とて介さないわけではないから、そんな彼女の表情に、咎められるような気持ちは浮かんでくることもなく、むしろ彼女の身を案じるような気持ちが、冬月の胸中を支配していた。 が、その想いの根幹にあるのが"彼女"の存在であり、その"彼女"をそうさせてしまった責任の一端は冬月にもある。 結局、巡り巡って冬月は責められる立場となるのだと、そう彼は気付いた。 手詰まりであった。 今のマヤに、残された手がかりはない。 冬月が何も知らない以上、彼女に真実を知る術が残っているようには思えなかった。 が、今一人、真実を知る"もの"の存在を、彼女は失念していた。 "MAGI"である。 もちろん、マヤとて真っ先にMAGI内部のデータを徹底的に洗い出したりはした。 出なければリツコの残した不可視属性ファイルを見つけることなどで気はしない。 だが、MAGIは単なる計算機ではない。 視認出来るデータがすべてではない、いやそれどころか人が見ることが出きるデータなどは、氷山の一角に過ぎないのである。 計算機内部の機械語の羅列とか、そういう意味合いでの"視認"ではない。 MAGIは赤木ナオコの遺志、いや意志のいわば結晶であって、ある意味、赤木ナオコ自身なのである。 その事実を知る少女が、一人だけ、いた。 碇マナ。 旧姓霧島マナ。 母ユカから碇の血を受け継ぎ、ユイの子シンジから碇の名も受け取った一人の少女。 ユカの血とユイの想いと、そして綾波レイの意志を継ぐこの少女が、唯ひとり赤木ナオコの真意を知っている、というのはなんとも皮肉な話であろう。 母ユカこそ直接の関係はなくとも、ユイとレイは、赤木ナオコを死に追いやったといってもいい存在なのだから。 無論、そこまでの事情をマナが知る事はない。 それどころか赤木リツコ、という女性と、さほどの面識も、そこに感慨もなければ、今の彼女にとっては他に悩まなければならないことがあり、そうであるなら赤木ナオコに託された伝言も、今は記憶の隅に埋もれていた。 トウジやシンジの、鈍さ。それがヒカリを傷つけている。 そこに悪意がないのはわかっているし、それが、トウジやシンジの人間性であるとも分かるし、そして、そんなシンジだからこそ好きになったという部分があれば、それを責めることなど彼女に出来はしない。 それでも、ほんの少し恨めしく思う部分もあるのだ。 今彼女の横で眠っている、彼女の愛しい人、碇シンジの、その鈍感さが。 しかし、事は何が幸いするかわからない。 その鈍さゆえに、今のシンジにはヒカリのことよりも、リツコの事のほうが頭の中にはあった。 「何を、する気なんだろう。」 ヒカリのことに思い悩んでいたマナに、不意にシンジがそう声をかける。 「え?」 「リツコさん、多分、そうなんだと思うんだけど・・・」 ユカの遺言からすれば、さすがのシンジにもそれは容易に想像できる。 戦うことに、迷いがあるわけではない。 リツコの憎しみも、分かる。 ではその恨みを持って、いったいリツコは何をするつもりなのだろうか? 自分たちだけの復讐をする、あるいは周囲を巻き込む、いろいろと形だけは浮かんでくる。 が、それは逆にいろいろとありすぎて、漠然としすぎていた。 復讐、そう一口に言ってもその具現化はそれぞれである。 たいていの場合、その復讐の方法は、恨みを受けたその原因と酷似する。 物を壊されれば壊しかえし、取られたら取り替えす。 目には目、歯には歯、という奴である。 ある意味子どもの論理に近い。 が、その対称が物であればこそ、子供っぽく見えるだけでそれが人であったなら、それは過去から現在まで珍しい話ではない。 大切な人を殺されたなら、その殺した張本人を殺す、あるいはもっと凄惨な方法として、その殺した人物にとっての大切な人物を殺す。 倫理観や法、というものに照らし合わせれば、もちろんそれは人として許される行為ではないかもしれない。 が、感情の問題とすれば、それを全面的に否定できないのもまた事実である。 だからこそ復讐というものがいかに空しいことであるとわかっていても、それを止めるのは難しい話なのだ。 まして、リツコが自分を恨んでいるわけがわかってしまったならなおさらである。 無論、だからといってリツコの"暴挙"を放っておいていいわけではない。 そして問題は、その暴挙の内容である。 やられたらやり返す、というのが本質であるが、根本がゲンドウへの想いであれば決定的にリツコの気を治める方法などはない。 当の本人であるゲンドウ、大元の恨みの対象でもあるユイ、レイ。 そのすべてが、今はもうこの世にはいない。 唯一残されているのがシンジであって、今の彼女の恨みの対象がシンジであるというのは分かっても、実のところシンジ相手では決定的にリツコの復讐心を満足させることなどで気はしない。 シンジを殺したところで空しさだけが残るだけであるし、だからといって自分がされたように、シンジからマナを取りあげる、あるいはその逆をやる、というのは情けない話である。 ではなにをするか? 「たぶん・・・」 思い悩むシンジを横に、ふとマナがそう呟いた。 「何もかもを否定したいんだと思う、今は。」 「でも、そんな事をしたって・・・」 「何をやっても、もう空しさだけしか残らない。それが分かってるなら、それしかないんじゃないかな。」 アスカが、そうであったように。口には出さなかったがそれがシンジとマナの共通の想いであった。 「シンジだけじゃなくって、シンジのお父さんやお母さん、綾波さんの匂いのするものすべてを消し去るつもりなのよ。たぶん、自分自身も含めて、ね。」 それはつまり、ゲンドウやユイが成してきたことを否定するとうことでもある。 ゲンドウたちその命と引き換えにしてきたこと、人類補完計画、人という種の存続。 それを否定するということは、つまり・・・ 「それはナオコさんがしてきたことでもある、だから、ナオコさんがリツコさんを止めて欲しいと思うのは、残酷な話かな・・・」 マナは、MAGI、いや赤木ナオコからも、リツコを止めて欲しいと、救ってやって欲しいと懇願された。 無論、母として娘に罪を犯して欲しくない、というのはあるだどう。 自分が後悔しているからこそ、娘に同じ道を歩んで欲しくない、というのもあるだろう。 それは確かにナオコの、MAGIの中に残された今の彼女の、大部分の気持ちである。 が、どこかにわずかに、科学者として自分がやってきたことを否定されたくない、という思いもあったのかもしれない。 そうであるならば、リツコの運命は、悲しい。 「でも、人類全体を消し去るなんて、個人で出来ることじゃないよ。使徒も、方舟ももうないのに。」 かつてのネルフ内でのリツコの立場のことを考えれば、ある程度のものは用意できるであろう。 事実エヴァ四号機をリツコは使って見せた。 あれ以上の切り札があるであろうことは予測は出来ても、方舟と使徒という決定的な手段を失っている今、リツコ一人の力で世界を滅ぼすことなどできはしない。 それがシンジの、そしてマヤたちの考えでもある。 だが、 「そのための、アダムと槍、だわ。」 やけに確信めいた、そして重い声で不意にマナはそう呟いた。 |