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「母さん、また、私の邪魔をするというの?」 モニターを見つめ、仮面の女カスパーは小さくそう呟いた。 その響きは、その言葉ほどに単純ではない。 母への恨み、憎しみ、自分への悲しさ。 そう言う、言葉そのものから容易に読み取れる感情以上のものが、そこにはある。 恨み、憎しみながら、けれどどこかで母を求め、甘えたがっている。 いや、それどころか、こうして母が自分の前に立ちふさがっていることを、喜んでいるような部分さえあった。 自分を見てもらいたくて、叱られるために悪さをする、そんな子供に似ている。 あるいは、叱ってくれることで、母がまだ自分を見守ってくれている、見捨てないでいてくれることを、確認したかったのかもしれない。 NERVきっての才媛。 大人の女。 頼りになる先輩。 それらがすべて、ちょうど今被っているのと同じ、偽りの仮面でしかないことを、どこかで感じ取っていたのかもしれない。 「結局、あの子も大人になりきれてない、か。そんなのが母親だって言うんだから、生まれてきた子供も不憫よね。もっとも、そんな事私が言えた義理じゃないんだろうけど。」 だから、間違ったことであると、再びシンジたちに苦痛を与えることになると知っていながら、こうやって手を貸しているのかもしれない。 もう一人の仮面の女は、"カスパー"を物陰で見つめながら、そう、ため息を吐いた。 母になりきれなかった女がいれば、その反対に、母にならざるをえなかった少女も、いる。 この二人にただ一つ共通する部分があるとすれば、そんな状況が彼女たちを不幸にしているということだけであろう。 無論この少女に、実際子供がいるわけではない。 いや、むしろその方が彼女にとっては幸せであったであろう。 子供が嫌いであったわけではないし、母となることを拒んでいるわけでもない。 むしろ、それを望んでいるようなところさえある。 マナとシンジをそばに見て、短い間とはいえレイの存在を知ることがあれば、女性として自分もまたそれを望んでみるのはごく自然なことだと言えた。 けれど自分がそうなるためには、乗り越えなければならない大きな壁がある。 自分の子の、父親となって欲しいその男性が、あろうことか自分のことを母親代わりくらいにしか思ってくれていない。 年が自分のほうが遥かに上であるならまだしも、同じ年齢であるにもかかわらず、だ。 そこには、多分に彼女の思い違いがあるのだが、それに気付けなければ彼女が不幸であり続けることに変わりはない。 そしてその誤解は、シンジやマナでは解いて見せることもできない。 ことの張本人である鈴原トウジの口から、明確な言葉として伝えられなければ、それに終わりがくることはないだろう。 いや、もう一つ方法がないわけでもない。 それは他ならぬ彼女自身のほうから、アクションを起こすことである。 けれど彼女自身の、長年にわたって培ってきたその性格を考えれば、それもまた難しいように思えた。 正しくは彼女の性格というよりも、彼女と、ヒカリとトウジとのこれまでの関係によるところが大きい。 いまさら何かを言うのは気恥ずかしいのだ。 あたかも母親のように接してきたから、なおさらに。 母性。 誰しも女性はそういうものを持ってはいるが、彼女の場合それが彼女自身の本質といってもよかった。 そしてその彼女の母性こそがこの先のキーワードになって行くことに、この時のヒカリが気付くはずもなかった。 その出会いは偶然であったのか、それともそれが、運命であったのか。 それはきっと神ですら、知らないことだったであろう。 時間は暫しさかのぼる。 トウジたちの元から走り去ったヒカリは、一人、春の京都の街中を歩いていた。 そこに涙はない。 あったのはある種の空しさと、虚無感だけ。 時は夕暮れ、赤く染まった京都の町並みのその中で、ヒカリは”彼”と出会った。 「あら?」 不意に、その少年の姿はヒカリの視界の中に飛び込んできた。 わけもなく、その少年の姿にヒカリは視線を奪われた。 その少年は確かに、類希なる容姿を持つ美少年であった。 が、ヒカリが目を奪われたのはそう言った理由ではなかった。 その少年は真っ赤な瞳をしていた。 綾波レイと、そしてヒカリの知らないもう一人の少年と、同じ色の瞳。 もちろんヒカリは彼らの瞳の奥に秘められた、その同じ瞳を持つ者たちの、彼らの生まれてきた経緯を知りはしない。 シンジや冬月たち、あるいはマナであったなら、その瞳の奥に渚カヲルや、綾波レイと同じ匂いを感じたかもしれない。 ヒカリとて、カヲルはともかくレイとは面識があるわけであるから、レイの姿を思い描かなかったといえば嘘になるが、シンジたちほどに事情を知る事もなく、マナほどにレイの心の中を知る事がなければ、それは通り一遍の感情でしかない。 けれどだからこそ、その赤い瞳に隠されたもう一つのものを、ヒカリは感じることが出来たのかもしれない。 「寂しい、のね。」 どこか自分に言い聞かせるような口調で、ヒカリはそう呟いた。 少年の瞳の奥に、何とも言えない寂しさをヒカリは感じていた。 それが、幼子が母を求めているようなものであると、どこかで気付いてしまうのは、今のヒカリにとっては皮肉でしかない。 けれど、そういうことに気がついてしまうのが、ヒカリのヒカリたる所以でもあるのだろう。 そしてその言葉は、今のヒカリ自身にも当てはまることでもあった。 だから・・・ 「ねえ、君・・・」 自分でも気付かぬうちに、ヒカリはその少年に、そう話し掛けていた。 その少年の名が、ヤマトとものだということを、ヒカリはじきに、知る。 その翌日。 マナは一人、街を歩いていた。 "方舟事件"以来、実はマナがシンジと行動を別にするというのは極めて珍しい。 式の前に一人ユカに会いに行ったのを除けば、ほとんど共にその時間を過ごしたといってもよかった。 そんなマナが、その日に限って一人街を歩いていたのにはもちろんわけがあったのだが、それが偶然にも、大きな誤解の元となることには、誰も気付くことはない。 それがシンジとマナの関係のことでなければ、マナに気付けという方が酷であろう。 確かにこの日、シンジにも黙ってマナは一人で街に出ていた。 例の四号機との戦い以降、マナがその身に変調を覚えていたからである。 その変調の元がなんであるか、何と無くマナには分かってはいたのだが、それを、いや身体に支障をきたしていることすら彼女はシンジには告げていない。 それはシンジに無用な心配、いや正確に言えばこの場合は期待というべきなのかもしれないが、を与えたくないという彼女なりの配慮であった。 彼女の予想通りなら、それは心配を抱く筋合いのことではないのだから。 さすがにシンジも、その内容までは分からなくともマナがなにか自分に隠し事をしているのだということは薄々気付いてはいた。 けれど、シンジにすら隠さなければならないなら余程のことなのだろうし、時が来れば彼女のほうから告げてくれるという信頼があるから、それを無下に問いただすような真似はしない。 それが、今のシンジとマナの関係であれば、そんな些細な行動が彼らの関係に支障をきたすことなどはないのである。 ヒカリがうらやみ、今のトウジとヒカリの間にはない、絆。 その差が、後の誤解の元となる。 ヒカリとて、マナとシンジかここまで来るのに何もなかったなどとは思ってはいない。 むしろ、ここまでの信頼関係を築くまでには、なんらかの障害が不可欠であることも、どこかで理解していた。 けれど、まさか今、自分と鈴原トウジの関係がそういう局面を迎えつつあるのだということには、気付くことはなかった。 そしてそれは、唐突に訪れる。 「あれ?ヒカリ?」 病院を出たマナの視界に飛び込んできたのは、間違いなく彼女の親友、洞木ヒカリのその姿であった。 正確に言えば、そこにいたのはヒカリ一人ではない。 見知らぬ少年が、ヒカリの横にはいた。 けれどそれを、不思議とマナは穏やかな気持ちで捉えていた。 病因での検査の結果が、彼女の期待通りのものであったから、そしてその結果分かった事実が、彼女にゆとりのようなものを与えていたからかもしれない。 トウジとのいざこざがあって、そして今あるこの事実を見ればあらぬ誤解をしても無理はない。 いやおそらくは、当のヒカリでさえ自分自身の真意には気付いていないかもしれない。 それでも、マナには、"今の"マナにはわかるのだ。 マナの目に映るそれは、姉弟か、母子のようなもの。 二十歳になるかならないかのヒカリと、おそらくは十四、五歳、"あの頃"の自分たちと同年代ぐらいの少年を捕まえて母子というのは変な話であるが、妙にマナの中ではそれは納得ができる話であった。 かつてカヲル、未来から来た彼女の息子であるカヲルとの触れ合いが会ったからかもしれない。 といっても目の前い似るその少年は、ヒカリや、あるいは鈴原トウジの面影を宿していたわけではない。 というかにても似つかないという表現のほうが正しく、むしろ、その面影はシンジに似ているといってもよかった。 が、少なくともその少年のヒカリを見る瞳は、母を求めるものであったし、少年に接するヒカリの態度は、母親そのものといってよかった。 「面倒見がいいのよね、ヒカリは。」 その一言で、マナは自分の中でその事態を納得させた。 細かい事情は分からないが、母を求める、どこか母親の愛情に飢えている少年がいて、それをヒカリが見過ごせなかった。 その少年の背負っている過酷な事情、そしてなによりその少年の本当の母親と、彼女の背負った運命に気付くことはなくとも、そういうことはわかる。 それがわかれば、何も心配することなどはないのだ。 が、確かにそのマナの直感は正しく、彼女の導き出した答は今目の前にある状況の正しい回答ではあったが、それがわかるのは"今の"マナだけであることも、また事実であった。 "普段なら"マナでさえもその答に辿り着くのは至難の技であったかもしれない。 ましてや、少年たちには・・・ 「洞木・・・さん?」 珍しく朝からマナが出かけていたためか、シンジはトウジと二人で街に出ていた。 トウジと二人だけでこうして歩くのもなにやら久しぶりのことである。 こうしてトウジと二人で居るとなにかあの頃の、ケンスケと三人でつるんでいた頃を思い起こさせる。 もっとも、感傷に浸るほどにシンジたちはまた老いてはいない。 いや、正確にいえば時がまだ、シンジたちにそういう場を与えてはくれないのだ。 「だ、だからやなぁ、わしといいんちょは別に・・・」 シンジのその呟きにトウジがそういいわけめいたことを言いはじめたのには訳がある。 おりよく二人きりになれたためか、シンジはトウジに先日の、あのヒカリのことを告げていた。 それはシンジのヒカリを思いやる優しさであり、別の見方をすれば余計なお世話、おせっかいでもあった。 それをシンジがトウジに告げることができたのも、ここにマナがいなかったせいであろう。 マナがいたなら、もう一歩踏み込んでヒカリの気持ちを考えて、今はまだそれをトウジに告げるべきではないと、そう思うから。 もちろんそういうこともある、 だがそれ以上に、男同士であるからこそ、言えることというのはあるものなのだ。 シンジがマナを愛し、心から信頼を寄せていても、男と女の関係は、やはり男同士の、親友同士のそれとは微妙に違う。 それはトウジの側でも同じであろう。 ヒカリと面と向かって、あるいはマナたちのいるところでは言えないことも、シンジの前では言える。 口に出して言えなくとも、いくぶん緊張の糸が緩むから、動揺のようなものが表に出てしまう。 シンジにすら、わかるほどに。 ハルナの姿があったのだから、マリィとの間に、ヒカリに対して言い訳をしなければならないようなやましいことがあったわけではない。 ましてやトウジの理屈なら、恋人でもないのだから言い訳をする必要もない。 が、表向きそうはいってみても内心がそれとは相反しているのは明らかであった。 そしてそんな話の流れの中で、シンジは唐突にヒカリの名を呟いたのである。 「いや、そういうことじゃ、なくって・・・」 どこかシンジの言葉がよどむ。 「なんや、いったい。」 そういって、トウジはシンジのほうに向けていた視線を、"シンジの見ているほう"へと、向けた。 そして、"そこにいた"ヒカリと、トウジの目が合った。 そして・・・ 「鈴・・・原・・・。」 その時、ヒカリの胸に去来したのはなんだったであろうか? 状況は、カヲルと合っていたときのマナと、まったく同じである。 一つ違うことがあるとすれば、マナのほうが少しだけ、自分の置かれていた状況をより理解していたということであろうか? が、その僅かな差は、マナには落ち着きを、ヒカリにはどこか疾しさに似た感覚を与えていた。 無論その差は、二人の現状認識力の差だけではない。 いやむしろ、もう一つの理由のほうが大きいだろう。 そう、シンジとマナ、トウジとヒカリ、その二つの関係の、絆の差。 その差が咄嗟に、トウジがヒカリを信じきれない以上に、ヒカリのほうが、トウジが信じてくれないと強く感じさせてしまっていた。 「ヒカリ、さん?」 そのとき、横にいたヤマトが、親しみを込めた声で、けれど幾分不信そうな声で、そう問い掛けた。 そして、硬直したままの、ヒカリの視線の先に、トウジの姿を見つけて・・・ 「そう、結局、ヒカリさんも、僕なんてどうでもいいんだね・・・」 やけに寂しそうに、そして幾ばくかの恨みを込めた声で、そう呟いた。 ヒカリのトウジを見る目を見れば、その意味することはヤマトにはよくわかった。 それは母が、今は亡き彼の父を見るその目に似ていたからである。 彼の父は、彼の母を道具にぐらいにしか感じてはいなかった。 それでも母は、父を愛した。 父が、徹頭徹尾冷酷な男であったなら、それでもよかったかもしれない。 人間的な暖かさを一切持たない男であったなら、まだ諦めがついていたかもしれない。 けれど、そうではない。 母を道具として利用し、生まれてきた自分のことなど目もくれないその男は、だが、別の女性を深く愛していた。 あまつさえ、その時既にこの世にはなかったその女性と、"再び会う"ために、母を利用していたのである。 その上、その女性との間にできた子だけは、表向きこそ冷たく扱いながらも、心の底では思いやることを忘れなかった。 それどころか、その子と結ばれる運命にあるという少女、自分の娘でもない少女を救うために、腐心していたともいう。 そんな父を、ヤマトも、そして彼の母も当然のごとく恨んだ。 だが、 母の友人である、葛城ミサトという名の女性は、こう言う。 「それでもあの子は、あの人のことを、忘れられないのよね。」 いい意味でも、悪い意味でも。 それはつまり、母がまだ父のことを、愛してもいるということでもあった。 そしてその結果、母はあれほど恨んだ父と、同じ事をしている。 父との間にできた自分を、母はおそらく道具としか思っていてはくれていない。 それは父への復讐のため、けれど根幹にあるのは、まだ心の底にある父への愛情。 それはヤマトという少年が歪んでしまうのには充分すぎる理由であった。 そんなヤマトの前に、実の母よりも母と慕える、ヒカリという少女が現れた。 お互いに心になにかかけたものを持っていた二人は、すぐに分かり合えた。 分かり合えたような、そんな気がした。 それはつい昨日のことであったが、人と人の絆に年月などは関係ない。 生まれてはじめて、ヤマトはその時居場所を見つけられたような気がした。 だが、 今彼らの目の前に現れた一人の少年を、ヒカリは、さながら彼の母が彼の父を見るようなめで見つめている。 その意味するところは、痛いほど彼には分かった。 「ヤマト、くん?」 「結局、みんなそうなんだ。僕を裏切って・・・。僕は、生まれてこなければよかったんだ。」 "母親を取られた"ことへの嫉妬。 それはその一言で片づけられる。 つまりは、弟や妹ができて、母親がかまってくれなくなって、かんしゃくを起こす子供と、同じである。 けれど、トウジのことで動揺を覚えたヒカリは、そのことに気付かなかった。 「あ、ヤマトくん!待って!」 だから、そう叫びながらも、ヒカリは突然走り出したヤマトを、追うことができなかった。 そしてそれが、悲劇の引き金でも、あった。 |