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「あの・・・鈴原?これは、ね・・・」 ヤマトが走り去っていた後、その場には何とも言えない緊張した空気だけがその場に残った。 加持リョウジあたりであったなら、こうした男と女の関係ということに、そしてこういう場面を収めることに長けていたかもしれない。 けれどそれを今のシンジに望むのは酷であろう。 そもそもシンジ自身、ヒカリの真意をつかめていなければ、ヒカリとヤマトの関係を"誤解"してもいる。 その状況で適切なフォローなどできはしない。 何を言うべきか、それを模索し続けることしかできないシンジの口からは、どのような言葉も発せられることはなかった。 『こんな時・・・』 "彼女"なら、いったいどうしただろう? 不意にシンジの脳裏に、一人の少女の顔が、思い浮かんだ。 世の中というものは何が災いし、そして何が幸いするかわからないものである。 シンジとマナの関係において、無論今の、絆を確かめ合った後ではなく、もっともっとその繋がりが脆かった以前の頃、その頃二人にとっての惣流アスカの存在は災いとまでは言わなくとも微妙な存在であったはずである。 だが今、あの頃のシンジとマナの関係と、ちょうど同じ立場に置かれているトウジとヒカリにとって、もし今この場にアスカがいたとしたなら、それは逆に大いなる救いになったはずであった。 アスカがいたなら、トウジを叱り付け、ヒカリを後押しし、そしてその行為は間違いなくこの場を収めていただろう。 アスカの傍若無人さ、それはこの状況においてよい意味での強引さとなる。 シンジやマナとてトウジたちを思いやる気持ちはあるが、彼らの優しさでは、それは不可能な話であった。 が、今ここにアスカはいない。 くしくもそのことが、今この事体を収束させることを、不可能にさせていた。 そこまでのことを、シンジも、そしてその場を見かねて姿を見せたマナも、考えていたわけではなかったが、少なくとも今この時において、自分たちがあまりに無力であることだけは感じていた。 が、どれほど無力であっても、自分たちが何とかしなければならないのも、また事実なのである。 アスカは、ここにはいないのだから。 そしてそうさせてしまったのは、他ならぬシンジ自身であるのだから。 アスカの存在。 それはシンジやヒカリたちだけでなく、ここでもまた、大きなものであったかもしれない。 何か、客観的に見て許されざるなにかをなそうとしているカスパー。 その彼女を、それを見つめる二人の男女には止めることはできない。 昨日今日の付き合いではない。 いがみ合ったことも、対立したことも幾度もある。 それでも、この二人にとって"彼女"は紛れもなく親友であった。 親友であるからなおさら、間違いは正してやらなければならない。 それを言えるのも、親友である彼らだけである。 が、同時に、彼女がそうなってしまった経緯の全ての、その側で見てきていれば、それを口にするのもはばかられることもあるのだ。 「なにも知らなければ、言えたのかもしれないわね。」 「あるいは、アスカなら・・・」 「アスカは・・・アスカなら、たとえ知っていてもそれを口にしていたでしょうね。わがままで、自分勝手だけど、そういうところはあの子のいいところかもしれないわね。」 「シンジくんやマナちゃんの"強さ"とは違う、別の強さを、アスカは持ってる。われわれにはない、な。」 「でも・・・」 「"今の"アスカにそれを望むのは・・・酷だな。まだ、アスカには時間が必要だ。」 アスカのような存在の必要性を感じながら、だが、今そのアスカを舞台の上に上げるわけにはいかない。 そのことを一番良く知っているのはこの二人であろう。 あの方舟事件が、ある種アスカにとっての転機になるのは確かであって、そこから彼女が新しい人生を歩んでいける可能性はあっても、今時点のアスカに、すぐそれを強いることはできはしない。 シンジとのことで、アスカが激しく傷つき、疲れているのもまた、事実なのだから。 それが癒されるまでは、今のアスカには・・・ 傷癒えたアスカが、その後、彼らの手を離れ、間違った道に向かって羽ばたきだしてしまうのは、また、別の話である。 そしてそんな歯痒さの中で、事体は悪いほうへ悪いほうへと、動き出していた。 シンジや、仮面の男たちに今アスカという存在が足りないように、ここにいる二人にもまた、なにかが足りなかった。 その二人に共通して足りなかったものは、父親の存在と、母親の愛情である。 一人は、もはやそれは過ぎ去った過去のことであり、もはやそれを手にすることはかなわない。 けれどもう一人にとってそれは、紛れもなく"今"の話であった。 そして、父親はともかく、母親の愛情は、与えてあげる事はできるはずなのだ。 だが、皮肉にもそれができるのは、目の前にいる、同じ思いを抱えたその女性だけである。 "それ"が、彼の本当の母親であるのだから。 「Drカスパー。」 そう、目の前の女性に向かってヤマトは話し掛けた。 その言葉の中に、幾ばくかの複雑な響きが含まれていたことに、カスパーと呼ばれた女性は気付くことはない。 聡明で知られる彼女にしては珍しいこと、意や、家族の情愛といったものにはもとより薄く、そこに愛憎が渦巻いていれば、ぞの頭脳が働かないのも無理からぬことなのかもしれない。 だから、母を面と向かって母と呼べないヤマトの気持ちなど、分かるはずもないのだ。 そんなヤマトの中の想いが、その女性の願いをかなえるきっかけになるというのは、何という皮肉なことであろうか。 母に愛されていない辛さ、母を見かえしてやりたい思い、母への反発、だがそれは全て母に認めてもらいたいがゆえ。 そんな思いには気付いてもらえることはなく、けれど母の望みはかなえられる。 子としてではなく、道具として。 それを知ってか知らずか、ヤマトはこう、切り出した。 「アダムを、復活させるんでしょ。僕を、使って。いいよ。こんな世界なくなってもいいから。」 アダム。 今となっては唯一、世界を滅ぼすことのできる存在。 その存在と、使い方を知るものは、だが今となっては誰もいない。 ただ一人、ここにいる女性以外は。 子供であるヤマトにも、もちろんそんなことの、細かい事情は分かるはずもない。 母がいったい何をしようとしてるのかも。 アダムの復活の意味、世界がなくなるということがどういうことかさえ、おそらくは理解できていないのではないだろうか? そう、それは単なる強がりでしかない。 母に認めてもらいたいがゆえの、精一杯の。 「あのさ、鈴原君…」 どこか、何か触れてはいけないものに触るかのように、マナはトウジに話し掛けた。 いつマナがここに現れたのか、動揺しているトウジやヒカリはもちろん、シンジすら気付いてはいなかった。 第一今の状況でそれはどうでもいいことである。 いや、正確に言えばそのタイミングは実は重要な意味を持っていたのだが。 その彼らの心のありようこそが、マナの現れるタイミングの遅さを物語っていた。 たとえばシンジたちより先にヒカリに声をかけていれば、あるいはいつものようにマナがシンジのそばにいたなら、 トウジの動揺より先にマナが言葉を発することができていれば、もう少し、マナにも何かやりようがあったのである。 アスカでなくとも。 けれどそれは決定的に遅すぎた。 そして、 「べつに、わいには関係ないことやろ。」 ヒカリの訴えも、マナの言葉も聞かず、そう言ってトウジは一人、その場を後にした。 「やっぱり何か、足りないのかもしれない。」 それがアスカの存在なのか、それとも加地リョウジのような強さなのか、そうつぶやいたシンジにもそれは分からない。 サードインパクトによって補完されたはずの人類。 だが、アスカのことがあり、リツコのことがあり、そしてトウジとヒカリのことがある。 もちろんトウジとヒカリの話は、単なる痴話げんかでしかない。 ただ、マリィのことやハルナのことがあって、それがエヴァというものにつながるから、何かどこか、すべてがそういうものにつながるような気がしてならないのだ。 そして偶然にも、今のこのやり取りが、ヤマトという少年に少なからず影響を与え、結果として一つにつながるという皮肉なこととなる。 だが、それを今のシンジたちが知ることは、ない。 それどころかトウジたちのことがあれば、そこに気をまわす余裕すらないのだ。 そう、余裕があればシンジとて何か違和感に気付くこともあったかもしれない。 今足りない何かではなく、今、目の前にあった、そのものに。 マナでさえ、ヤマトがどこかシンジに似ていると気付きながらも、その意味を考えることをしなかった。 ヤマトはシンジに似ている。 それは山岸マユミがシンジに言ったような事とは違う。 むしろ、渚カヲルが綾波レイに向けた言葉に近いかもしれない。 そう、シンジとヤマトは”同じ”なのである。 同じ血を持ち、同じ宿命を持つ。 違うのは、父親と、母親の愛情の有無。支えてくれる人の存在。 けれど、それは決定的な差である。 そしてその差が、シンジには世界を救わせ、ヤマトには世界を破滅に導こうとさせている。 けれど、それにシンジたちは気付かない。 世界の破滅よりも、親友たちのことのほうが気になるから。 が、それを責める資格が誰にあるだろう? 側にいるものたちのことを思いやれなくて、世界など救えるはずもない。 側にいるものを思いやれない世界など、どれほどの価値があるのだろう? けれど、そうするためには世界を救わなければならない。 それは大きな矛盾である。 いや、本当はそうではないのかもしれない。 世界を救う、と言ってみても、エヴァのない今シンジは単なる高校生でしかない。 人一人が世界を救えると言うのはおこがましい話である。 所詮、一人ができることなど、たかが知れているのだから。 その中で、自分ができることをそしていけばいい。 目の前にあることを、一つずつ。 遠い未来ではなく、明日のために… シンジたちがそのことに気付くのには、だがもう少し、時間を必要としていた。 |