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ハルナの行動がヒカリたちの問題の解決のきっかけとなりうるかも知れないというのはマナの頭の中にももちろんあったが、だからといって彼女にすべてを任せて事の成り行きを見守るというのはあまりに怠慢である。 かといって、たとえすでに夫婦として一つの家庭を持つにいたったとはいえ、シンジもマナもまだまだ子供であれば、偉そうなことを言う、いやそれ以前にトウジを諭す言葉すら見つけることはできない。 「やっぱり、冬月さんにでも相談したほうがいいのかなあ。」 どうやら失敗に終わったらしいマナの説得を見て、シンジは一人、そう呟いてみた。 ことがことだけに本来なら加持やミサトがこういった件の相談には向いているのだが、彼らはすでにこの世にはいない。 いや、あの方舟事件や、リツコのことを見れば彼らがどこかで生きているというのはあるが、だからといって今ここにいなければ相談のしようなどありはしない。 となれば冬月か、あるいはマヤというあたりがシンジの頭には浮かんでくるのだが… 「でも…冬月さんやマヤさんは…今…」 他に頭を悩ませていることがある。 そこに、こんなわずらわしい問題を持ち込むのはいくらなんでも、そうシンジは躊躇した。 もっとも、実際問題しとてこの二人が恋愛関係の相談相手として適任であったかどうかは、はなはだ疑問であるのだが…。 「どうした?シンジくん。」 「あ、日向さん。」 思い悩むシンジにそう声をかけてきたのは日向マコトであった。 加持やミサトに比べればこのマコトや青葉シゲルはいささか頼りない部分がある。 が、親身になって人の話を聞いてくれるという面もあり、ある意味シンジたちにとってよきお兄さん代わりであるといえた。 そういう、どこかほっとさせる部分があるからか、シンジは無意識のうちに、言葉を漏らしていた。 「恋の悩み、ってところなんですけど、ね。」 どちらかといえば話題が話題であるから、欲を言えばシゲルのほうがよかったと思わないでもなかったが、さすがそれは失礼なので表に出すようなことはしなかった。 もっともそのシンジの考えは、実のところ少し間違っていたりするのだが。 「こ、恋の悩みって…」 そんなシンジの裏側の考えなどには気付かず、少々マコトがうろたえたのは、別段彼がこういった相談事が苦手だからというわけではない。 いや、確かに得意といえるものでもなかったのだが。 「シンジくん、結婚したばっかりで…」 「え、あ、ち、違いますよ。僕のことじゃなくって…」 マコトのうろたえのわけがどこにあるのか悟って、慌ててシンジは事の次第を説明してみせた。 「あ、なんだ。友達の話、ね。」 「あ、当たり前じゃないですか。僕には、マナが、いるん、です、から…」 きっぱりと反論しながらも、だんだんと声が小さくなっていく当たり、シンジもまだまだである。 そんなシンジにふっと穏やかな笑みを向けると、 「わかるよ、シンジくんの気持ち。ほおっとけない友達って、いるもんなんだよな。」 そう言ってマコトは視線を別のほうへと向けた。 「え?」 マコトの言葉に、シンジはマコトの視線を追ってみる。 「青葉さん、ですか?」 少々意外、と言った風な口調で、シンジが聞き返す。 こういった色恋沙汰には、どこか長けているような印象があるからだろう。 そんなシンジの考えが分かったのか、穏やかな口調でマコトが返した。 「ああいう外見だからね。プレイボーイっぽく思われているような部分もあるけどさ、あいつ結構純情で、奥手なんだよな。ま、プレイボーイほど本命には弱いっているのもあるらしいけど。それはちょっと違うか。」 「で、相手は誰なんですか?」 そのシンジの問いにマコトは無言のまま、マヤのほうを目で合図した。 「ああ、なるほど。」 なんとなく、シンジはそれで納得できた。 考えてみれば今までマヤにはそういった噂がない。 潔癖症だとかあるいはリツコとのこととかそういう方面の噂はあったが。 だからそういう方面に疎い、といわれればそれはそれで分かる話でもある。 ましてや今マヤはリツコのことを抱えている。 シゲルのことをプレイボーイっぽいなどという失礼な見方をしていたシンジではあるが、その本質が優しいこともよく知っているから、そういう時、どうマヤに声をかけていいのか困ってしまうそんなシゲルの気持ちもわかるのだ。 「ま、こっちのほうは本人同士の問題。他人が口を挟むべき問題じゃないって、わかってはいるんだけどね。」 シゲルとマヤは大人であるし、またヒカリたちほどに問題が深刻ではない、そういうニュアンスもマコトの言葉には含まれていた。 「そうですね。」 そう言ってマコトとシンジは、顔を見合わせて笑いあった。 だが、そんな彼らの優しさが報われるのは、もう少し後のことである。 そんな、ある意味平和な問題など忘れさせる事件が、すぐ目の前に迫っていたからであった。 伊吹マヤにしてみれば、別段、シンジやマコトたちの言う問題を意識していたわけではない。 それを意識する余裕すら、今の彼女にはなかった。 それはそうだろう。 目の前にもっと大きな問題を抱えていれば、それどころの話ではない。 無論それはシンジたちにとっても問題であるのだが、別にシンジたちがそれを蔑ろにしているというわけではない。 個人的な感情の部分で、シンジよりもマヤのほうが思うべき事がある、ということである。 そもそも、シンジやマナはことその件についてはすでに悩むべき段階ではないのだ。 方法論として考えなければならないことはあっても、やるべき事ははっきりしているし、それについての心の整理もできている。 もちろん、マヤとてやらねばならないことははっきりはしているのだ。 とはいえ人の感情というのはロジックではないから、どう言い聞かせても心の片隅に何かやりきれない思いが残る。 強引に納得させて、でもまた悩む、そんな事をここ数日マヤはずっと繰り返していた。 そして、その悩みを解決できないまま、現実は無情にも彼女の前に突きつけられる。 ネットワークを介しマギに直結した彼女のノート。 方舟戦の後、防衛組織の必要性を再認識した冬月は組織の再編成を急がせていた。 といってもかつてのネルフ並みの組織、施設を一朝一夕で構築できるはずもない。 それにくだんの事件があればその速度はさらに遅くなる。 だから、伊吹マヤの私物であるはずのこのノートこそが、ある意味現在のメインコンピュータであるともいえた。 あの時と、同じように。 そしてそのディスプレイ上に、あるものが映し出される。 警戒信号とともに映し出されたそれは、かつて幾度も、そしてあの方舟事件のときにもマヤが目にしたものと、同じ物であった。 「パターン、青…」 今、それの意味するところは、一つしか、ない。 「使…徒?」 パターン青、それはまさしく使徒の反応そのものである。 エヴァや綾波レイもまた、それと同様の反応を示していたが、結局、"彼ら"とてある種使徒であることには違いない。 その反応に、マヤは幾ばくかの動揺を見せた。 いるはずのない、あるはずのない使徒の反応に、ではない。 サードインパクトを起こせるだけの”正規の”使徒はいなくとも出来損ないの使徒もどきのようなものはいるし、”あの人”ならばそれに類するもの、あるいはもっと強力な手札を手の内に持っていたとしても何ら不思議ではない。 その手札の名が”エヴァ”、あるいは”アダム”というものであったとしても、それはある種予想の範疇ですらある。 そして”あの人”が何らかの行動を起こすことは、すでにわかりきっていることなのだ。 そうでなければ、彼女や冬月たちがこうまで動かなければならないことはないのだから。 そう、すべてては予想通りのことであって、予想外のことなど何一つとしてない。 それでも… 「やっぱり、戦わなくちゃいけないんですね、先輩…」 誰とはなしにそう、マヤは呟いてみる。 言葉にしてみて、それで問題が解決するわけではないが、言葉にすることで明確に現状を認識できるということもある。 「映像、出ます!」 そんなマヤの心のうちを知ってか知らずか、青葉のそんな声が司令室内にこだまする。 そしてスクリーン、といっても”メインコンピュータ”同様まだ仮の代物である、に監視カメラからの映像が送られてくる。 かつてのネルフ本部のものと比べ、お世辞にも鮮明な画像とは言いがたいものであるが、本部の設備はともかく、張り巡らされたネットワークの大半が生き残っていたということがあるから、こうして入ってくる情報が正しいものであることには違いない。 「う…そ?」 そこに映し出された映像にそう呟いて息を飲んだのは、マヤのすぐ脇にいたマリィであった。 すでに解決されたはずの問題が、蒸し返されたときにトラウマとして残っていたのだと再認識させられることがある。 エヴァ四号機が目の前に現れたとき、参号機に酷似したその姿は、シンジとトウジ、そしてマリィのそれぞれに少なからず衝撃を与えた。 けれど、明らかに参号機と違うと認識できる部分が、逆に、それでも幾ばくかの余裕を彼らに与えていたのだと、その時彼らは悟った。 無論、マリィに関してはむしろ参号機よりも四号機の姿の方が直接的には衝撃だったかもしれない。 が、だからと言って彼女の中で参号機の存在が四号機の存在よりも軽いものなのかというとそういうわけではなかった。 だから、 「エヴァ、参号機?」 そういったまま、マリィの瞳は虚空を見つめていた。 トウジもまた、その姿を目撃していた。 ここまでの経緯があって、何よりハルナのことがあるから、トウジとてこの仮本部に半ば常駐のようにしていることは不思議なことではない。 あの時以来、トウジとハルナの関係もどこかギクシャクしたものがあった。 それでも、トウジはハルナの側を離れようとはしないから、サルベージされたとはいえまだまだ検査がある彼女の身に付き添わねばならない。 だから、あの時のハルナの言葉と、そしておそらくは心のどこかでヒカリのことが引っかかっていながらも、トウジはここにいるのである。 もっとも、この場合問題なのはトウジがここにいることの必然性ではなく、運不運の問題であるのだが。 ある意味、四号機がその姿をあらわしたときに一番冷静で入られたのはトウジであった。 もはや今となっては自分の足のことなどはどうでもいい。 それに付け加えハルナが無事に帰ってきた今であれば、もはや参号機の姿などどうでもいいように思われた。 そして四号機を見たときに冷静に対処できた自信もある。 だが、その姿を目にした瞬間、そんな思いはどこかに吹き飛んだ。 トラウマ、と一言で片づけてしまうのはあまりにも安直かもしれない。 けれど、そうとしか言いようがないのだ。 「お兄、ちゃん?」 ただならぬ様子の兄に、心配そうにハルナが話し掛ける。 ハルナとて参号機とは浅かららぬ因縁はあった。 トウジたちのように明確に意識をしていないが、逆にそれゆえに無意識下の心の傷は深いかもしれない。 が、ハルナは参号機の姿を一度もその目にしていないというのもあった。 深層心理の中の傷は深いが、それを呼び覚ますきっかけに参号機がなり得ないからハルナは冷静でいられるのだ。 「大丈夫?お兄ちゃん。」 いや、冷静でいる、というのは正確には違うかもしれない。 異様なまでに脅える、兄の姿を見たなら。 そして不幸なことに、そのトウジの心の内は、あの時参号機の中でトウジが感じた恐怖は、誰にも分からない。 マリィやシンジの中には苦い思いはあっても、それは恐怖よりも苦悩の記憶である。 あの状況下で恐れを感じたものがあったとするなら、それはトウジのほかにはリツコとミサトぐらいなのだろうが、彼女たちにはある意味、心の準備というものもあった。 結局、誰一人としてトウジの気持ちは推し量れないのだ。 大人だってわからないものを、幼い少女であるハルナに理解し、そしてなだめさせろというのは余りに酷な話であろう。 「お兄ちゃん!?」 不意になにかにかられたようにトウジは走り出した。 それをハルナは止めることができなかった。 それが、トウジにとって、そしてヒカリやマリィにとって新たな局面、それも間違いなくお互いにとって幸福とは言えない、そんなものを迎えさせる第一歩なのだと、気付く事もできないままに。 正確に言えばトウジの心情を理解し、なだめさせられるまったく人間がいなかったわけではない。 サードインパクトのときになにがあったかを知らずとも、マナにはシンジの心を落ち着かせてあげる事ができる。 それとまったく同じように、トウジの事を思いやる事をできる少女がいるのだから。 とはいえ今のヒカリにその余裕はない。 ならばもう一人、同じような、それこそ心が壊れてしまうような恐怖をその身で感じたものがいる。 シンジである。 先も延べたようにその恐怖はマナの存在で薄らぐ事はあるが、それでも決定的に消える事などありはしない。 そうであるなら、例えば今のシンジには側にマナがいて、トウジの側に本来いるべきヒカリの姿がないからといって、シンジにトウジの気持ちがわからないなどという事はない。 参号機の姿そのもので感じるところは違っても、それがもたらす恐怖というのはわからないものではないのだ。 だが、 「エヴァ…参号機…」 そう呟いたシンジの心情は、痛いほどマナにはよく分かった。 恐怖という感情はないかもしれない。 だが、参号機のその姿に、もっとも心をかき乱されているのは、実はシンジであるのだ。 シンジとマリィにしてみれば、同じようにトウジを傷つけてしまったという自責の念がある。 どちらの方がよりその思いが強いか、それはわからない。 が、直接手を下してしまった、直接その目にしてしまったシンジの方が、瞬間的に思い出す辛さは強いだろう。 「シンジ…大丈夫?」 そうかけるマナの言葉には、いくつもの意味がある。 言葉通り、シンジの心そのものを気にかける優しさ。 それでも戦わなければならないシンジを奮い立たせなければならない辛さ。 そして、今のままのシンジで果して戦えるのかという、危惧である。 参号機の姿が、本能的なところでシンジに戦いを拒否させるというのは十分に考えられる事である。 もとよりシンジは戦いなど好きではないし、幾度も逃げかけた事すらあった。 今でこそ強くなりはしたものの、その本質が変わったわけではないだろうし、別に変わって欲しいとマナも思ってはいない。 積極的に戦う勇気などより、誰かを思いやる優しさがあれば、それでいい。それがマナが愛したシンジなのだから。 けれど今は、自分たちが戦わねばならないときなのである。 それをシンジも頭では分かっているだろう。 だが、 そんなシンジを、戦いに駆り立てる方法がないわけでもない。 シンジがなぜ今強くなれたか、その原因を見れば簡単な事であろう。 そう、他ならぬマナ、彼女自身にそれはある。 自分を守るためなら、きっと戦う勇気を持ってくれるというのは、マナの中にもあった。 が、理屈がそうだとして、それをマナが口にできるかどうかはまた別の話である。 シンジを愛しているがゆえに、そしてそれとは別に、マナにもまたシンジに対しての罪の意識があれば、とてもではないがそれを口にはできない。 お互いを思いやる心が、今の彼らの強さの源であるが、それは同時に弱さでもあったのである。 「大丈夫、だよ。戦える、から。」 そんなマナの心の内を知ってか、シンジは静かにそう呟いた。 その言葉にマナは内心安堵したものの、また別の不安が、彼女の中には沸き上がっていた。 戦いに臨む事ができたとして、果たしでどこまで冷静にそれができるのか。 それは大きな問題である。 ことと次第によっては、戦えずに逃げてしまったほうがまだよかったかもしれない、そうなる可能性は十二分にあるのだから。 そのマナの不安は半ば適中していた。 ああ言っては見たもののシンジの胸中はもちろん穏やかではないし、大体、言葉こそああであったが、果して今のシンジは今のマナの胸中をどれほど分かっていたのか、それすら疑問である。 そしてトライデントという機械は、二人の心が通い合わなければ、その力を発揮できない。 ならば、 緒戦において、仮面の女が果してそこまで見切っていたのかどうか、それは定かではない。 が、参号機の姿がネルフ陣営のそれぞれにいかほどの衝撃を与えるのか、”彼女なら”それは十分によく知っていたはずである。 悪夢は今まさに、その幕を開けようとしていた。 |