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その頃、ようやく光明を見出しかけていたヒカリをよそに、別の場所では別の事態が進行しつつあった。 結局、この問題はヒカリだけの話ではない。 トウジの側にも、多少、いや、かなりの問題があった。 無論、細やかな女心であるとか、ヒカリの微妙な心情などといったものは、今までの、そしておそらくはこれからのトウジにも、分かるわけはないわけで・・・そこに原因がない、といえばもちろんないわけはないのだが、そこだけが原因なら、マナやヒカリにもいくらか対処のしようはあった。 つまりは、それだけではないのだ。 ハルナの事があって、ヤマトとヒカリの事があって、参号機の事があれば、トウジが平時の心構えでいられない、というところにもう一つの原因がある。 いつもなら、ヒカリの心のうちを分からずとも、ヒカリの身を案じる事ぐらいはできていたのだが、それをしてやれる余裕がなかったのが、今の事態を作り上げている一因でもあった。 それはもちろん、今トウジの目の前にいる女性には、よく分かっている話であった。 もちろん、シンジやマナたちとて、それが分からなかったわけでもない。 けれど、シンジやマナには、いや、今ここにいるマリィにさえ、そのトウジの心の奥底に秘められていたものには、まったく気付いてはいなかった。 無理もない、なぜならば、それはトウジ本人でさえ、知らない事だったのだから。 あまりにも残酷な、その真実を。 「わい、思うたんやけどな・・・」 三体のエヴァンゲリオンと、大破したトライデントのならべられたケイジ。 四体の巨大な人型を後にし、外へと歩き出しながら、トウジの横にいるマリィにそう切り出した。 四体もの巨人、威容を誇りながらも、だが、もはや動く事のないそれらは、トウジに圧迫感を与えるものではなかった。 トウジの言葉を耳にしながら、同時にマリィはこれらを前にして、改めて己の無力さを感じていた。 そう、エヴァはまだ、三体も手の内にあるのだ。 先の方舟戦のおりにシンジが呼び寄せた初号機。 アスカが駆り、そのままうち捨てられた弐号機。 そして、先にシンジとマナの手により捕獲された四号機。 だがそれらは、今はただ、中身のない器でしかない。 弐号機にせよ四号機にせよ、その建造と整備が行われたのが使徒との戦いのおりであり、以降そのままの状態で秘匿されていたという部分があったにせよ、カスパーと名乗ったかの女性はそれをものの見事に使ってみせた。 それは単純に、彼女がエヴァを造った一人であるから、とか、マリィとの純粋な能力差のせいから、というわけではない。 理屈だけなら、多分マリィにもエヴァを稼動させる事はできたはずである。 ハルナをサルベージさせる事ができたのだから、その逆ができないはずはない。 けれど、それをするには、冷徹にならなければならないという事実がある。 だから、マリィにはそれはできなかった。 それは、トウジの事がトラウマになっていた、そんなせいもあったからかもしれない。 けれど、優しさがあるがゆえにできないというのは、言い訳にもならない。 マリィにもまた"科学者"としてのプライドがあるがゆえに、マリィの方が人間的であるから、というその事実が、マリィに敗北感を与える一因にもなっていた。 世界と未来のために、個人的な感情や小さな事情は捨てなければならない。 それが有るべき科学者の姿なのだと、そうどこかでマリィが感じていたからである。 決してマリィが無力でないという事は、それぞれにさまざまな想いを抱えたトウジとヒカリが、良く知っていた。 けれど科学者として決定的に負けているという事実が、そんな思い込みが、先のシンジの言葉以上に彼女に無力感を与えていた。 ため息を吐きながら、肩を落とすそんなマリィの姿を見れば、さしものトウジとてその無力さぐらいは分かる。 無論その度合いも、根本にある原因もトウジにはさっぱり分かっていないのだが。 いや、原因について言うなら、彼なりに思うところはあった。 というより、マナやシンジに怪我を負わせ、挙げ句にシンジにああ言われた事実を見ていれば、いくらトウジが鈍くとも、それが彼女の心情に影響を与える事ぐらいは分かるもので、それ以外の細かな事情など目に入らなければ、それこそが決定的な理由だと思うだろう。 そして親友であるシンジの一言が原因であるなら、けれど、そう言いたいシンジの気持ちも分かるから、自分がマリィの面倒を見てやらなければならないという責任のようなものがあった。 鈴原トウジとは、そういう男なのだ。 加えてハルナの件があれば、トウジのように単純な男であれば、こう思う事もある。 「わい、もしかすると、マリィの事が・・・好きなのかもしれへん。」 それが、トウジの本心でない事は分かってはいても、好きという言葉の意味が、マリィや、あるいはヒカリがトウジに望んでいるようなものでない事を分かっていても、それでも多少はマリィにしてみれば嬉しい部分もありはしたのだが、ほんの少しの、彼女の中にある疑問が、それを押しとどめた。 ”なぜ、自分なのか?" ヒカリとのすれ違いのせいなのか、あるいはハルナの件があったからか、シンジの言葉に対する親友としての責任からなのか、同情や責任感、あるいは感謝、寂しさ、そういうものか好意に変わる、あるいはトウジみたいなタイプならそういう自分の気持ちを好意と錯覚する、というのはある話である。 あるいは参号機の件がトラウマになっていて、トウジらしかぬ弱さを見せるというのは、分からない話ではない。 それで、誰かにすがりたいという気持ちも、分かる。 それらが色々絡み合って、マリィに行きつくという話は考えられなくもないのだが、なにか、ほんの少しマリィには引っかかるものがあった。 トウジの気持ちの原因というのは分かるのだが、元来トウジという人間はこういった事を面と向かって口にするようなタイプではなかったはずである。 もしかしたら、自分の気持ちを察してくれてそう言ったのかと、、一瞬そんな考えもマリィの頭の中をよぎったが、すぐにマリィはその考えを捨てた。 自分の中にある淡い淡い想い。 それに気付く事ができるほどトウジが敏感な男であったなら、今のような事にはなっていない。 そうでないならないで、ではなぜ今になってこんな事を口にするのか、それがマリィには分からないのだ。 初めて会ったあの日から、ずっとトウジの事を見続けていたわけではなかったが、あの頃や、そして今を見ればトウジを取り巻いている状況というものは察する事ができた。 だからこそ、である。 同じ気持ちを抱いて、同じ様に、ヒカリに対して同じ言葉を言う機会は、おそらく幾度もあっただろうと、マリィには感じられた。 シンジやマナといった後押しをする存在もあるのだから、自分に対してそう言う言葉をかけるよりも、そちらの方がよほど容易であったはずである。 どちらにしても、なにかがおかしい、のである。 「マリィ。」 「え?」 そんな彼女の考えを遮るかのように、トウジが今一度、声をかけた。 「マナ、もう大丈夫なの?」 気持ちが一区切りしたせいか、ヒカリは、病院にいるマナの元を見舞っていた。 が、そこでヒカリが目にしたものは、もう、病院を出ようかというマナの、そんな姿であった。 無論、先の戦いで負った傷が、こんな短時間で癒えるはずもない。 が、今彼らの置かれている現状を考えたら、こんなところで安穏と寝ているわけには行かない、というのがマナの気持ちであった。 とりあえず動けるなら、こんなところにいるわけには行かないのである。 「止めたんだけどね、僕も。」 あきれたような声で、横にいたシンジがそう言った。 「碇くん・・・」 無茶であるというのは、シンジにだってわかっているはずである。 なにがあっても止めるべきであり、おそらく、それをできるのがシンジだけである事も、シンジにはよくわかっているはずである。 けれど、全身に包帯の痛々しいその姿が、やはり同じ様な姿で、懸命に戦っていた一人の少女の姿を思い起こさせたからか、シンジはそんなマナを止める事を止めた。 「綾波と、レイたちが、守ってくれるなんてのは・・・勝手な考え、かな。」 というよりも、マナの中に綾波レイに対する、どこか対抗意識のようなものがあったのだが、そのことにシンジは気付いてはいない。 もっとも、マナを突き動かしていたのは、それだけではないのだが。 自らの身が傷つくのも厭わず、シンジを守りとおしたレイに、ある種嫉妬のようなものもあった事に違いはないのだが、それだけの事で、シンジを困らせるような無茶をするほど、マナは子供ではないし、シンジとマナの仲とてそんなに薄っぺらいものではない。 戦いとは別に、今、マナがやらなければならない事があるから、こうしているのである。 「大丈夫なのってね・・・それは、こっちの台詞なんだけどね。」 綾波レイの名を出したシンジの言葉をわざと無視して、マナはヒカリに向かってそう言った。 「そう、ハルナちゃんが、そんな事言ったんだ。かなわないなあ。」 強引にシンジをその場から外され、ヒカリと二人っきりになると、マナは最大の懸案をまずは解決する事にした。 つまりは、ヒカリとトウジの事、である。 シンジに席を外させたのは、ヒカリの事を考えて、というよりもトウジよりで、なおかつ鈍いシンジがいては話が進まないと考えてのことである。 が、マナが休んでいる内に、事態は解決に向け、わずかであるが光を見出しつつあったようであった。 それもたった一人の、幼い少女のおかげで。 「それで、さ。マナのところに来たのは、お見舞いっていうのもあったんだけど・・・。聞きたい事が、あって・・・」 ヒカリの方からそう切り出してくれるだけでも、それは格段の進歩であった。 そのヒカリが、聞きたい事、というのが何だのか、漠然とマナにはわかっていた。 それが決して、マナにとって楽しい話でないという事も。 それでもマナは、 「私にわかる事ならなんでも話すわ。」 そう、笑顔を向けた。 「マナなら、きっとわかるよね。アスカの、気持ち・・・。あの時アスカが、どんな想いを抱いていたのか。何でアスカが、ああせざるを得なかったのか・・・」 やわらかな日差しの降り注ぐ街路樹の中を歩きながら、ヒカリはマナにそう問い掛けた。 アスカをそうさせてしまった張本人が、他ならぬマナであるという事を、知った上で。 本当は、ヒカリとてあの頃のアスカの気持ちが分からないわけではない。 同じ状況に置かれている分、もしかするとヒカリの方が、よほどアスカの心情が分かるかもしれなかった。 けれど、それはあまりに主観的すぎて、かえって周囲のことは見えなくなってしまっていた。 だから、マナに尋ねたのである。 あの時の状況を、それぞれの想いを、最も冷静に、そして痛いほど感じていた、マナに。 「多分、ヒカリが今・・・ううん、ほんの少し前まで、かな・・・抱いていた想いと、おんなじだったと思うよ。好きな人に、必要にされていないんじゃないかっていう絶望感、好きな人に必要といってもらえる事が、唯一の生きる意味だって、そう思い込んでしまっていたから、なおさら、それは辛かったんだと思う。」 人を好きになる、というのは、大なり小なりそんなものなのだろうと、マナはそう思っていた。 一歩間違えれば、自分がアスカのようになっていた可能性だって、ないとは言い切れない。 そして、ほんの少し前までの、ヒカリも、また。 結局、今の今までトウジに告白できなかったのも、それが恐かったからに他ならない。 それは何もヒカリに限った事ではない。きっと、誰もがそうなのだ。 「でもね、私は思うの。そしてきっと、アスカさんも最後にはわかったんだと思、う・・・」 言いかけて、マナの言葉が途中で止まった。 そしてその視線が、ある一点で止まる。 「マナ?」 不思議そうな顔で、ヒカリはそうマナに問い掛けると、その視線の先に目をやろうとした。 「駄目、ヒカリ!」 そのマナの言葉は、だが、一瞬、遅かった。 その光景を一瞬目にしたとき、マナにさえいったいなにがどうなっているのかさっぱりわからなかった。 彼女たちの視線の先には、トウジとマリィの姿があった。 二人は互いに向き合い、お互いの両手をそれぞれの背に回し、先の結婚式のおりにシンジとマナがしてみせたように、口付けを、交わしていた。 「ヒカ・・・リ?」 その光景が、ようやく立ち直りのきっかけをつかみつつあるヒカリにとって、あまりに残酷なものである事は明白であった。 恐る恐る、ヒカリの表情を覗き込んだマナの表情は、だが、すぐ驚きに変わる。 「ヒカリ・・・」 取り乱すでなく、けれど、絶望するでもなく、ヒカリは、その光景を真っ直ぐに見詰めていた。 「ねえ、マナ・・・」 さすがに、動揺がまったくない、といえば嘘だろう。ほんの少し震える声で、だが、しっかりと、ヒカリは視線を逸らす事なく、マナに話し掛けた。 「マナが思った、アスカがわかった事って、なに?」 「あ、あのね、それは・・・」 マナの方がたじろいでしまうほど、その言葉はしっかりとしていた。 そんなヒカリに気圧されまいと、マナは、一つ深呼吸をすると、こう切り出した。 「好きな人に必要とされてないからって、それですべてが終わりじゃない。好きな人が、別の誰かを必要としていたって、それでも・・・」 「できる事は、ある・・・。そう、だよね。」 そのヒカリの返答に、マナは黙って肯いた。 「これは、私の勝手な思い込みかもしれない。でも、あの時アスカさんは、自分からシンジの手にかかってみせた。あれは、彼女なりの抵抗だったんだろうけど、同時に、本当の意味で、アスカさんがシンジの事を好きだったって、何より自分が好きになった碇シンジっていうその人を、認めたってことなんだと思う。」 「好きな人が選んだ道を認めてあげるのも、好きになった自分の、義務、だよね。」 「ヒカリ・・・」 「そんな心配そうな顔しないでよ。大丈夫、鈴原に振られたって、一人ぼっちになるわけじゃないんだから。マナだって、いてくれるんだから、さ。」 アスカが最後に見つけ、そして、できなかった事。 けれどヒカリには、まだ、できる事があった。 「私は、私なりに、鈴原のためにできる事を探すの。これから、ね。」 それは確かに、アスカが選んだ道とは、違う道であった。 けれど、その先にあまりに残酷な真実がまっていたことを、今はまだ、彼女たちは知らない。 |