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マナが姿を消したのは、それからすぐのことであった。 彼女には、彼女なりにしなければならないことがある。 そうマリィが言った言葉を鵜呑みにしたわけではないだろうが、シンジは、それ以上の詮索をしなかった。 できなかった、という方が正しいかもしれない。 それは、マナが姿を消してすぐに”彼ら"の再度の襲撃があったからなのだが、その前に、もう一つの出来事があったから、という方が理由としては大きいだろう。 だいたい、再度の襲撃が起きたその時には、シンジはすぐに、マナが姿を消したそのわけを、知ることになるのだから。 そういうことを分かっていたわけではなく、その前に起きたもう一つの出来事というものは、とてもではないがシンジにマナのことを考えさせる余裕などは、与えてはくれなかった。 それはもちろん、トウジのことである。 「そうか。そういう、ことやったんか。」 その事実は、ヒカリの口から、トウジと、そしてシンジに告げられた。 それを、少なくとも表向きは、トウジは平静に受け止めていた。 むしろ、シンジの方が平静ではなかったかもしれない。 トウジにしてみれば、使徒に対して漠然としたイメージしかないし、綾波レイと同じと説明されれば、逆にそれで納得がいってしまう面もある。 そんなトウジがあれほどまでに恐怖を抱いたのは、結局何を自分が怖れているのか、その原因をトウジ本人が知らなかったことの方が大きいのかもしれない。 トウジに限らず、"知らない"ということはしばしば人の中の恐怖心を増大させる。 分かってしまえば、"なんだ、そんなことか"と言えるようなことは、良くある話だ。 もっとも、今回の件は"そんなこと"という一言で片付けられるようなものではなかったのだが、 「それでも、お兄ちゃんはお兄ちゃんだもんね。」 「それでも、鈴原は鈴原、だから。」 そんなハルナとヒカリの言葉が、どこかでトウジを吹っ切らせていた。 それだけで吹っ切れてしまうあたりが、文字どおり"トウジがトウジ"たる所以なのかもしれない。 アスカやケンスケがこの場にいたなら、きっとため息交じりにこういっただろう。 「やっぱり、トウジはトウジなんだ。」と。 もちろん、端で見ているほど単純に、トウジとて吹っ切れたわけではない。 ただ、自分自身のことよりも、周りのことを考えればどこか自分のことが些細−客観的に見ればそれはまったく逆の話なのだが−なことに思えていたからかもしれない。 震える声で、気丈を振る舞いながら声をかけてくれたハルナと、そしてなによりヒカリを思えばこそ、である。 自分が不甲斐ないばかりに、ヒカリたちやマリィに、要らぬ迷惑と、そして心配をかけたということも、ある。 そしてこの事で、おそらくは一番心を痛めているであろう、シンジのことも。 「すまんな、マリィ。」 まず、トウジはマリィに向かってそう言った。 その謝罪の意味がなんであるか、変な話であるが謝っている当のトウジには実際良く分かっていない。 なのに、言われたマリィは、そこに込められた、込められているはずの意味を、確かに感じ取っていた。 勘違いでマリィに告白してしまったということ、そこに込められた、二つの意味。 単純に、迷惑をかけたということと、そしてもう一つは、報われない想いに対する、かなわぬはずの期待を、抱かせてしまったということ。 二つ目の方の意味は、無論トウジの頭の中にはまったくない。 『言うべき相手が違う。』 トウジがマリィに告白したとき、マリィはそう言って返した。 そこに込められている様々な、そして複雑な意味を、トウジはもちろん知らない。 あの時は単純に、マリィがトウジの告白を迷惑に思っただけであると思った。 今は、真相を聞いた後では、自分のマリィへの想いが混乱ゆえの勘違いであると、あの時もうマリィが知っていたから、そう言ってくれたのだとしか、トウジには思えない。 そこに、マリィの気持ちなどは、ありはしない。 それこそが本来有るべき姿であると納得は出来ても、やはりマリィの胸には一抹の寂しさが過ぎった。 だが、それでも、 「お兄ちゃん!マリィさんにもそうだけど、もっと先に言わなきゃならないことがあるでしょう!?」 不意に、そうハルナが切り出した。 それは、マリィが今言わんとしていたことと、同じものであった。 無論ハルナは、マリィが兄に好意を寄せていることも、今なお、複雑な思いを胸に抱いていることも、分かってはいる。 だから、だからこそマリィに先んじて、兄に対してそう言ってみせたのだ。 同じ言葉を、マリィが口にすることが、どれほど辛いことであるか−理屈ではなく直感的な部分で−分かるからである。 実のところさすがのトウジとて、薄薄−ここまで言われてなお薄薄程度というのがある意味トウジらしいが−感じてはいた。 あまりに傍にいすぎて、当たり前のように寄り添っていて、昔から些細なことで言い合っていて、けれど、決して嫌いだとは思わなかった、なぜか思えなかった一人の少女。 その少女が、自分にどのような思いを抱いているのか、そしてなにより、自分自身がその少女をどう思っていたのか。 それを考えたとき、トウジは何か言い様のない気恥ずかしさを感じていた。 それでもまだ、明確にそこに"好意"という文字は浮かんでこない。 あるいは、そうさせないように自分自身からしているのか。 それを見透かしてか、ハルナが今一度、そんなトウジの後押しをする。 「お兄ちゃん!!」 そのたった一言は、どんな言葉よりもトウジの胸に、堪えた。 それぞれに複雑な思いを抱えながら、それでも、トウジもヒカリも、マリィも、そして、シンジも、それぞれが前を向いて歩み出そうとしていたその頃、いまだ、前に進むどころか、前すら見れないものたちの姿もあった。 いや、当の本人たちは、前に進んでいるつもりではあるのだ。 だが、端から見ていればそれは、その場から一歩たりとも動いていない、何一つとして、そこに発展の文字は見て取れない。 世界を消し去ろうと言うのだから、発展も減ったくれもないのは、ある種当然なのかもしれないが。 それを客観的に見つめられる目を持ちながら、だが、その場に居合わせた男と女には、それを止めるすべはない。 「やるのね・・・いよいよ。」 どこか諦めにも似た口調で、"メルキオール"は"カスパー"にそう尋ねた。 「当然じゃない。アダムは完璧になったわ。ヤマトと、完璧にシンクロした。」 完璧なシンクロ、その意味するところがなんであるか、メルキオールとバルタザールはそれを知っていた。 それが如何に、人として、あらざることであるか。 『それが、母親がする事だと言うの?実の、子に、まだ幼い子供に対して・・・』 嫌悪を込めた目で、メルキオールは"親友"を睨み付けた。 が、それに対してカスパーは何の反応も見せない。 気付いていないのか、いや、気付いていながら、それをまったく意に介していない、それが正しいだろう。 「邪魔するものも、もういないでしょうしね。」 トライデントは完膚なきまでに破壊した。 彼女が知る限り、もうあの機体の予備はないはずである。 そうであれば、アダムに対抗できる戦力は、もはや何もない。 だが・・・ あまりに歪みきったその感情が、彼女から冷静な判断力を奪っていたことに、彼女は気付いていなかった。 まだ、敵には対抗するための戦力がある、そのことに。 あるいは戦力の存在は知っていても、それを、自分以外のものには使いこなせないと、そういう思い込みがあったのかもしれない。 どちらにせよそれは、今までの彼女にしては、あまりにもうかつであったといえる。 本当は、自分の復讐がどれほど空しいものであるのか、そしてその復讐に息子を使ってしまったことが、どれほど罪なことであるのか、それに気付いていたのかもしれない。 わずかな良心と罪悪感が本来の意識とは別に存在し、"考えること"を邪魔したのかもしれなかった。 自分自身を、誰かに止めさせるために。 思えば、この時点で彼女の敗北は、決していたのかもしれない。 だが、神ならぬ身の人間たちに、それはわかりうるはずもない。 そうであれば、今、この光景を見詰めるメルキオールとバルタザールの心中には、絶望の2文字しか浮かんでは来なかった。 カスパーの言った言葉だけが、彼らにとっての真実であったのだから。 そんな彼らの目の前で、"アダム"が、ゆっくりとその体を起こす。 その中にいるはずのヤマトの意識は、もう感じられない。 ヤマトの言葉が、その中から聞こえてくることとも、もはやなかった。 それは、ヤマトが望んだ道でもある。 生きていく理由を見つけ出せなかった、まだ幼い、彼の。 「委員長・・・わい・・・」 さすがにハルナにあれだけ後押しされれば、トウジとて何かを言わなければならない、そんな気分にさせられた。 ひどくそれは情けなく、鈴原トウジという男にしては非常に主体性がないのだが、だが、ある意味それは正しいトウジのありようなのかもしれない。 ぱっと見、それではマリィへの告白と大差ないように見えるが、内実は大きく違う。 大体他人への好意などと言うものを口に出すのは彼の柄ではないし、それが異性であれば、その事を認識する事自体、避けて通るのがトウジなのである。 マリィのことにせよヒカリのことにせよ、なにかが後押ししなければトウジがそのようなことを口にすることは絶対にない。 それでいて、端から見ていれば明確にトウジの気持ちなどは見て取れる。 そう、シンジにさえも。 そして誰もが、マリィさえもが指摘したように、トウジの心はずっとヒカリの元にあったはずだ。 それは単なる周りの思い込みではない。 誰かに、なにかに言わされたことであっても、それが真実トウジの気持ちであると言うその一点において、先のマリィへの告白とは決定的に違うのである。 だが、 トウジにはその言葉の後を、続けることは出来なかった。 けれどそれは、実はヒカリにとっては幸福なことだったのである。 |