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その日、彼の空は血の色に染まった。 それは、まさに地獄としか形容できぬ光景であった。 憎しみのような負の感情は、意外と長続きはしない。 復讐など、遂げたところで後には何も残りはしない。 それは正論である。 だがそれは、あくまで傍観者にとっての正論でしかない。 当事者たちにとって、同胞を失ったその怒りを捨てろといったところで、その言葉が、彼らの耳に届きはしない。 所詮、言葉や想いなどで全てを収めることなど、出来はしないのだ。 が、だからと言って今ここで行われている、"凶行"と呼ぶに相応しい光景が許されるわけでもない。 そう、それはもう、戦闘行為と、戦争とすら呼べない"もの"であった。 殺したから殺されて、殺されたから殺して・・・もはや戦意を失い、戦いを放棄したものたちにすら銃口を向ける。 その罪を、やがて彼らもまた、自らの命であがなうことになるのだろうか? だが、いったい誰が、そんな彼らを裁く、裁けるというのだろう。 この惨劇で、愛しいものを失ったものたちであろうか? しかし、今この惨劇を行っている者たちにも愛すべき人たちがいる。 そもそもそれ以前に、彼らのこの凶行の原因もまた、無慈悲に殺された、同胞たちの復讐でしかない。 復讐に終わりはない、ただ、同じことが繰り返されるだけなのだ・・・誰かが憎しみの連鎖を断ち切る、その刻まで・・・ そう、誰かが・・・ 惨劇から遡ることおよそ半月。 この別の大地でも、空が紅く染まろうとしていた。 今はまだ、青く、ただただ蒼いその空。 その蒼く済んだ空を、いくつもの赤い華が染め上げてはじめていた。 その赤は、その中で散った、命の赤でもある。 しかし、それでもまだ、それは惨劇と呼ぶような光景ではない。 そう、まだ・・・それは"真っ当な"戦争であった。 この時点では、まだ・・・ もっとも、真っ当であろうがなかろうが、これから飛び立とうとする彼にとって、たいした違いはなかったのだが。 愛機のコクピット脇に描かれた、自ら描いた愛しい人との絆の証、四つ葉のクローバーをそっと撫でながら、彼は空を見上げ、一つため息をついた。 想いを交わした、まだ少女と呼んでも差し支えない幼なじみの、その瞳と同じ色の、蒼穹を。 彼が、お世辞にも一流のパイロットとは言えない彼が、それでも戦闘機などに乗ろうなどと考えたのは、結局、その空の色がすべてであったのかもしれない。 半ば強制的に軍に徴用され、自らの不甲斐なさゆえに、彼女と別々の道を歩まされる羽目になった彼にとって、愛しい人を思いおこさせるその優しい蒼は、唯一の安らぎであった。 だが今は、その蒼と、そしてそこに咲く真紅の花は、彼に絶望しか与えはしない。 惨劇と呼ぶような光景ではないが、戦闘は、友軍にとって絶望的な状況であった。 戦闘が起こるその直前まで、敵の目標は別の拠点であると、そう伝えられていた。 ゆえに、友軍は、持てる力の全てをそこへと注いだ。 そして彼の愛しい少女もまた、その地に身を置いているはずであった。 彼と共にありたいがために、そのためだけに戦いの中にその身を置いた彼女。 本来であれば、彼女の同胞であるはずの者たちとの、戦いに。 お世辞にも、戦いに向いているとはいいがたい性格でありながら、その性格とは相反して、高い能力を持っていたゆえに彼女は彼の地へと赴くこととなった。 最前線、いや最前線になるはずであった彼の地へ向かったあの日のことを、彼は思い起こす。 ほんの二、三日前のことであるが、彼にとっては、遥か昔の事のようにも思える。 その蒼い瞳いっぱいに、不安を浮かべていた彼女の表情を、彼はきっと、忘れることはないだろう。 確かに彼女は優秀であったかもしれない。 軍の、戦争をはじめた上層部の者達が敵軍を指して言うことがある。 『奴らは違う生き物だ。』 『我々と、奴らとは違う。』 それは、この戦争でのお題目でもある。 友軍の、だけではなく、敵味方、双方にとってのお題目。 そして、確かに彼女のありようを見ていれば、そんな言葉も判らなくもない。 が確かに一面としてそれは正しいかもしれないが、それが彼女の全てでもない。 優秀ではあっても、彼にとって彼女は、そう・・・泣き虫で、甘えん坊で・・・優秀だけれども引っ込み思案で人見知りの激しい・・・普通の少女でしかない。 それを知るからこそ、自分と離れて一人最前線へと向かう彼女の不安も良くわかったし、そして、それが分かりながらも何も出来ない自分の不甲斐なさを悔やみもした。 『俺がそばにいてあげなくちゃ、あいつは何も出来ないのに・・・』 それが彼の、彼女のことを一番理解していると、そう信じている彼の、偽らざる気持ちである。 なればこその、絶望でもあった。 敵は、直前にして攻撃目標を変えていた。 彼女の向かった地ではなく、彼の残った、この大地へと。 持てる力のほとんどを、彼女の向かった彼の地へと送った、そうでなくとも、もてる力は敵の方が上だというのに、だ。 彼が、彼らが乗る貧弱な旧時代からの戦闘機では、敵の人型兵器に遠く及ばない。 それでもここまで、およそ一年の間何とか戦ってこれたのは、数の上での有利さがあったために他ならない。 だが今、少なくとも彼が今たつこの大地の上では、そのたった一つの頼みである数の上でも、考えたくないほどの劣勢に立たされていた。 それを、絶望と言う以外、なんと呼べるのだろう。 少なくとも、これで彼女が命を落とすことはなくなった。 だが、自分がいなくなったあとの彼女のことを思えば、結局同じことである。 だから彼は、絶望するのだ。 いとおしいはずの、あの空の蒼に。 未熟な腕前であるとはいえ、それでも彼は、いっぱしの軍人であった。 突然、眼前で巻き起こった爆炎と、爆音に彼は感傷から意識を現実へと引き戻した。 「もう、こんな所まで・・・」 咄嗟にわが身を庇い、その場に伏せた彼が頭を上げた時、その視線の中に飛び込んできたもの、それは白銀に輝く白い巨人の姿であった。 そしてそんなものはもちろん、友軍には存在しない。 敵の、敵だけが持つ、人型兵器のその姿であった。 身構えた彼であったが、敵はそんな彼に目もくれず、ゲートを破壊すると数機の味方機を伴い基地内部へと進んでいく。 それはそうだろう。 ただでさえ敵に比べて貧弱な、彼の愛機。 その愛機にすらおさまっていない彼や、今彼の周りにいる、やはり同じ状況のパイロットや整備員達。 そんなものたちを手にかけるのは、いかに戦争といえど許されることではない。 もっともそれ以前に、敵にとってもそんなことをしても何も意味がないから、といったほうが正しいのかもしれないが。 基地内部に入り込み、制圧してしまえば、そこで終わり。 そういう意味ではまだ、ここで繰り広げられている戦いは、やはり絶望的なものであっても、それでもまだ、真っ当な戦いであったのだ。 この先に待っている狂気をまだ誰も知らない、この時までは。 為す術もなく敵が侵入していく姿をただ見送ったあと、自分の愛機が無事であったことを確認した彼であったが、そこで一瞬逡巡した。 彼が今いる場所は基地のメインゲートではなく、前線に近い位置にある発進口である。 がたとえそうであっても、そこを敵に突破されたということは紛れもない事実であり、こうも易々と入られてしまうということは、外の状況は彼が思う以上に厳しいのだろう。 おそらく突破されたのはここだけではなく、メインゲートとて時間の問題・・・それはつまり、基地の陥落も時間の問題であることを示していた。 別拠点に向かった本隊が援護に戻ってくる、それだけが彼らにとって唯一の救いであるが、この状況ではそれが間に合う可能性も極めて低いだろう。 そんな状況で、果たして出撃する意味が、命をかける意味があるのだろうか? だがしかし、そんな想いは所詮、一兵士に感傷に過ぎない。 そして、そんなものにこだわっていては軍という組織は動かないのだということも、一応軍人である以上判かってもいた。 それが軍人というものだと。 そうあきらめをつけようとした彼の耳に、だがふと、こんな言葉が飛び込んでくる。 格納庫の脇で、敵の侵入に我を失っていた一人の整備兵に、士官と思しき人物が、なにやら声をかけていた。 軍人として叱咤しているのだろう、そう思った彼の耳に飛び込んできたのは信じられない言葉であった。 「おい、ここは撤退だ、基地は放棄される!」 状況的には圧倒的に不利、だがそれでもまだ、ゲートを突破されたばかりであるというのに撤退などと、冷静であったなら、そこに疑念を抱いたかもしれない。 だが人というものはえてして、自分の聞きたいことだけを聞こうとするものである。 そして彼にとって、愛しい人のために生き残らなければならない彼にとっては、それは縋るに足る言葉であった。 「生き残ったやつを集めて、早く脱出するんだ。最低でも基地から十キロ以上は離れるんだぞ、いいな!」 まるで念を押すかのようにそう言い聞かせると、その士官は生き残っていた機体の一つに飛び乗る。 「これは命令だぞ!」 襟元にちらりと見えた階級証は、少佐のものであった。 上官の命令であれば、従うしかない。 彼は、自分にそう言い聞かせた。 彼自身が、生き残る為に。 『命令』とまで言って飛び去っていったその士官の言葉の真意を、このとき彼はまだ知らない、知りようもなかった。 この戦闘の裏側に隠されていた狂気にその男が気付いていたこと、そしてその狂気そのものを彼が知るのは、まだまだ先のことである。 このときの彼は、ただ、その男の言い残した言葉に縋る、ただそれのみであった。 意を決し、彼は愛機のコクピットに飛び乗ると、その機首を、眼前の蒼い空へと向ける。 スロットルを全開にすると激しい加速の衝撃が彼を襲い、そして、愛機共々彼はその空へと飛び出した。 撤退する、といってもそれさえ今の状況では厳しいかもしれない。 だが少なくとも、そこには一縷の望みがあった。 絶望しかなかった先程までよりはまだ。 前方には、奮戦を続ける友軍の、白亜の巨艦の姿が見て取れる。 まだ戦っている味方の姿に、多少の後ろめたさを感じながらも、彼は愛機を空へ、空へと向ける。 ただ生き延びる、そのためだけに。 そして・・・ どこをどう飛んだのかすら、覚えていない。 だが気がつけば、周囲に敵の姿も見えなくなっていた。 さすがに無傷というわけにもいかず、一番近い友軍の基地まで果たして辿り着けるかどうか、そういう危惧もある。 それでも、助かったかもしれないという安堵感を、どうにか感じられる程度の余裕は出来ていた。 その、まさにその瞬間である。 不意に、強い衝撃が彼の機体を襲う。 直接的な衝撃ではない、爆発の衝撃波のようなもの。 激しく機体が揺さぶられる中、何とか姿勢を保とうとした彼のその眼に飛び込んで来たものは、 「なんだよ・・・あれは・・・」 それは、巨大な火球、爆発の光景であった。 そしてその方角は、そう、彼がさっきまでいた、彼が逃げ出してきた、その大地であった。 そして・・・その炎こそ、まさにこの先の狂気の始まりを告げる、狼煙でもあったのである。 ![]() Phase-0 蒼穹‐BlueSky‐ |