COLUMN(?)


トイガンに関する思い出

 私はトイガン初心者ではありますが、過去にトイガンに触れたことがないわけではありません。いやむしろ普通の人よりは触れる機会が多かったと思います。
 そこで、過去の思い出をふり返りつつ当時の状況を考えてみたいと思います(オヤジくせぇ)。

・小学生の頃
 当時はまだ駄菓子屋というものが存在しており、男の子たちはそこで買える銀玉鉄砲や火薬を鳴らすピストル(当時はルガーやワルサーをかたどったものが多かった)、当時はまだ生き残っていたワリバシ鉄砲などを公園や住宅街で結構気軽に撃ち合っていました。
 しかし小学校も高学年のころになってくると、撃ちっこを卒業する人たちと、当時出始めた安価な組み立て式のエアガンなどを使ってより本格的な撃ち合いを楽しむ人たちに分かれていきます。
 で、私は当然ながら後者の撃ち合いを楽しむ人たちの側だったのですが、エアガンといっても威力もさほどないせいもあってか住宅街で市街戦などを結構やっていたものです。今あんなことをしていたら苦情が殺到するでしょう。昔はよかったなぁ(おやじモード)。
 みんながエアガンや銀玉鉄砲(弾が安くて連射可能なため至近戦では超強力)で撃ち合う中、私がメインウエポンにしていたのは、そう、

「マルイ つくるモデルガン コルトガバメント」

だったのです。当時のつくるエアガンと比べて倍近い値段の代物です。わざわざこんなものに手を出すのだから、我ながらイヤな小学生だったと思います。
 プラモデルとはいえ火薬でブローバックする本格的なもので、プラモデル作りには自信のあった私もこれにはかなり手こずりました。でも完成したときのエアガンにはないリアルさや重量感、はじめて撃ってうまくブローバックしたときの反動と感動は今でもはっきりと覚えています。
 当然ながらモデルガンなので、弾は出ません。代わりに薬莢が出るので撃つたびにいちいち拾わなければなりません。また組み立てが荒かったせいか、ジャムを起こすことの方が多いくらいで、はっきりいって実戦では何の役にも立たない代物でした。でも、私はいつもこれを持って撃ちっこに出ていました。この頃から充分にトイガンにはまる素地はできていたのでしょう。

・中学生の頃
 この頃になっても撃ち合いを楽しむ人たちというのはちょっとマニアックな人たちになってきました。困ったことに私もその中の一人になっていました。
 この頃にはほとんどメンバーも決まってきて、組み立て式ではない完成型のエアコッキングガンを使う人がほとんどになりました。この頃になるとさすがに住宅街で撃ち合うことはなく、近所の公園がメインの戦場となりました。でも周りに人がいようとお構いなしに撃ち合う困ったちゃん達です。ちなみにこの頃の私の愛銃は組み立て式のトンプソン(もちろんコッキング式)でした。
 この頃は弾がツヅミ弾からBB弾が主流になる頃で、弾が高価だったため、撃ち合いの後は必ず弾拾いをしていました。その際に古いツヅミ弾を拾ったりもしたのですが、一度だけ先端に画鋲の針を仕込んだツヅミ弾を拾ったことがあります。今も昔も危ない人は近所に必ず一人はいるものです<おいおい
 そして、メンバーの中にマニアが現れました。彼は中学生にしてゴルゴ13を熟読し、当然のことながら愛銃もM16(ガスカート式)という強者で、だれも彼の銃に触れることは許されませんでした。彼の銃は撃つ前にカートにBB弾とガスを入れる必要があり1)、黙々と作業をする彼の姿には凄みすら感じました。
 しかし、彼は実戦では弱かったのです。なぜかというと「弾がもったいなくて撃てない」からなのです。カートの1発1発に丹念にガスを込める苦労を考えればむやみやたらと撃てないのも当然です。また排莢もされるので、カートもいちいち拾わねばなりません、発射直後はノンガードです。たちまち蜂の巣にされてしまいました。その姿は小学生時代ガバメントを振り回していた自分と重なるものがありました。
 彼とは中学校卒業以降会っていません。今頃はどうしているのでしょう。トイガンショップでも開店して成功していることを願うばかりです。

・高校生の頃
 高校に入ってからはトイガンに手を出すことはほとんどなくなりました。ただ、卒業間近になってから一度だけ外部ガス式のウージーに手を出したことがあります。しかしこの銃に関しては苦い思い出があるので割愛させていだたきますが、これ以降はトイガンに触れることはなくなりました。

・・・そして十数年後、私は再びトイガンにはまることになります。


1)本当にこのような方式のエアガンが存在したかどうか自信がないのですが、記憶の中ではこういうことになっています(^^;)




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