クリスマスはサンタクロースの日ではない

クリスマスはサンタクロースの日ではない


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 年末を迎え、世間はなにかと気忙しく、不況の巷に輝くネオンは少なく、それでもあちこちの家庭では、子ども達が親と一緒にクリスマスプレゼントの期待に胸をふくらませながらクリスマスツリーを飾り付け、イルミネーションを奮発する所もあり、デパートではここぞとばかりクリスマス商法に力を入れ、救世軍の社会鍋が新聞の風物詩となる頃であります。
 新聞のチラシやら、商店のポスターやらに「X'mas」という誤用が目立つこの頃でもあります。正しくは「Xmas」「Christmas」です。
 このニッポンでのクリスマスのキーワードは「サンタクロース」です。サンタクロースとは何か。私のパソコンの中に入っている「学研グランド辞スパ」の現代新国語辞典では、
[サンタ] クロース クリスマスの前夜、煙突からはいってきて、子供たちの靴下の中にいろいろな贈り物を入れて歩くという老人。白いひげをはやし、赤い外套ガイトウをきて、長ぐつをはき、トナカイがひくそりに乗ってくる。サンタ。▽Santa Claus
と、なりました。ちなみに英語ではどうかと、ニューアンカー英和辞典をひもとくと、
San・ta Claus 《名》サンタクロース (口語では単にSantaともいう) [子供の守護聖人とされる聖ニコラス (St. Nicholas; 4世紀ごろの小アジアの僧) のなまりから]
でした。どちらも、12月25日もしくは24日とどう関係があるのかという疑問には答えて下さいませんでした。
 次に、こういう時の定番、冨山房の「英米故事伝説辞典」A Dictionary of English & American Phrase and Fable 1979年版を見てみましょう。ここをクリック
 なるほど、St. Nicholasの命日と関係があるのですね。余計なことですが、[注解]は良いですね。この辞典が書かれたのは1963年頃(「はしがき」が昭和38年と記載)ですから、当時の民家のお風呂は石炭でした。少なくとも私が子どもであった頃の千葉県の新興住宅地ではそうでした。小学校のストーブも石炭でした。中学校は東京だったのですが、なんと「コークス」でした。コークスがハイカラに思えたくらいの田舎者でした。ストーブの周囲に金網が張り巡らしてあり、その棚みたいな所にアルマイトの弁当を朝置いておくと、昼食時にはちょうど良く暖まっていたものでした。(三丁目の夕日モード)
 石炭風呂の煙突は、直径でおよそ15センチくらいでして、注解者の「あんな細い穴」という表現はまさに同感です。日曜学校(今は教会学校CSという)でサンタ・クロースの話を見て、でっぷり太った白いヒゲに真っ赤なマントが、どうやってわが家の細い煙突から入ってくるのだろうか、途中ではさまって出てこれなくなったら、プレゼントはどうなるんだろうか、次に回る家の子の分はどうなるんだろうか、もし煙突が壊れたら、明日のお風呂はどうなるんだろうか…と、こども心に真剣に、サンタ・クロースの身の安全よりも自分がもらうべきプレゼントの方を心配したことが懐かしく思い出されます。(なんたる自己中心。罪は子どもにも及ぶのでした。)
 その煙突も、いまではほとんどの家庭がガス風呂になったので、無くなりました。あるいは、もっと細い「換気孔」となって、ますますサンタ・クロースは苦労することになりました(笑)。
 結局、サンタ・クロースを記念するというよりも、サンタ・クロースの行った善行が伝えられているということになるでしょう。そして、その善行は、人知れず行なうものでした。これはキリスト教精神とも合致いたします。聖書にはこうあります。
マタイの福音書6:3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
 うーん、これは実態に合っているかな。プレゼントの中身を見ると、どうでもいいようなおもちゃや装身具(痩身具?)、結局はゴミとなるものが多いのではないでしょうか。また、贈り主を明確にして贈る場合がほとんどです。
 もっとも、毎年末になると新聞を賑わす「こっそり大金投げ込み事件」がありますが、貧しい家庭に大金が投げ込まれると、今の日本では「ああ、神様が下さったのだ」と感謝する人はほとんどいないでしょう。かえって、「何だこれは。」と警察に届ける人が多いのではないでしょうか。それに、本当に貧しい家庭にではなく、中流位の、持ち家のある家庭に投げ込まれるのですから。
 こういう訳で、現代の日本社会のクリスマスの現状は、サンタ・クロースの日ではないし、しかもサンタ・クロースの精神、キリスト教精神とは何の関係もないことが明らかになったと思いますが、さて、では、クリスマスとはいったい、何の日なのかという疑問が次に出てきますね。
 手っ取り早く、餅は餅屋ということで、本家キリスト教の辞典を引いてみましょう。ここをクリック
 はい、正解は「イエス・キリストの降誕を祝う大祝日」でしたね。「くりすます」と言うより、「こうたんび」と言うほうがなんとなくカッコイイではありませんか(笑)。しかも、「大祝日」なんですよ。キリスト教国から来日された人にとって、日本のカレンダーでは毎週日曜日が休みなのにどうして12月25日が祝日ではないのか理解に苦しむそうです。クリスマスに働くことは、「クレイジー」なんだそうです。
 ここで次のポイント。昔の偉い人らしいイエス・キリストの誕生日がどうして祝日なのか。そもそも、キリストとは何か。名前か。
 さきほどのキリスト教辞典の文章の中には、専門用語(ギョーカイ用語)が多数出ました。星印のついているものだけでも、*カトリック*クリスチャン*救い主*賜物と出ています。
 キリスト教国では、雰囲気としてのキリスト教精神が当たり前のように存在していますが、このニッポンでは、キリスト教は「教」なのですね。教えられなければ知らないままです。仕方ありません。知りたければ自分で探す、見つける、求めるしかありません。イエス・キリストについては「聖書」に書いてあります。しかし、自分流で読むとなかなか分かりません。そこで、求める人にはキリスト教会が最大限の協力をすることになっています。
 ただし、キリスト教会といってもいろいろあります。クリスチャン作家の三浦綾子さんは、その著書「道ありき第三部 光あるうちに」(新潮文庫)で、はじめて教会に行く人のために懇切丁寧な解説をなさっておられます。その中に、
…自分の街のどこに教会があるのか、それがわからない時は、職業別の電話番号簿で、宗教関係の部の、教会の欄を探すのもよい方法である。そして、電話をかけ、
「キリストを信じたいのですが、イエスは本当にキリストでしょうか、救い主なのでしょうか」
と尋ね、そうだと答えたら、そこは明らかにキリスト教会である。…中略…もし、イエスは別にキリストでも救い主でもない、という答えがかえってきたら、それはキリスト教とは言えないので、わたしはそこをおすすめするわけにはいかない。そのほか、「私がキリストである」とか「この人がキリストの生まれ変わりだ」とか、イエス以外の者をキリストという教会があるとしたら、それは決してキリスト教会ではない。(同書173ページ)
と、あります。なお、三浦綾子さんの著書は、「氷点」を初めとして多数ありますので是非ともお読み下さることをお勧めいたします。


ルカの福音書
2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。
マタイの福音書
7:7 求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
7:8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
 クリスマスは、救い主イエス・キリストの降誕を祝う日です。

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