1月31日(火)頑張れ、お義兄さん!
義兄(kuriさんのお兄さん)が大手術を受けた。
昨年11月、風邪をこじらせ肺炎で入院したと連絡を受けた。
ビックリして見舞いに行ったが、病室で主治医と偶然出くわした。
「弟さんですか。ちょっと経過をご説明しますので、こちらへ」
待ってましたとばかりに、別室へ。
義兄は独身。両親ともに既に他界しているため、ひとり暮らし。
先生から「実は貧血がひどく、胃カメラ検査をしたらガンらしきものがみつかりました」
しかも、食道ガンと胃ガン。転移ではなく、2か所に別々のガンがみつかったのだそうだ。
いやぁ、驚いた。
「本人には告知するのですか?」
「大手術になるので、告知せずに行うわけにはいないと思います」
聞けば、ずっと胃の調子が悪く、太田胃酸を常用していたらしい。最近では飲み込むとき
食道あたりに違和感があったらしい。
こういうとき、やはり一人は辛いなあと思った。
奥さんがいれば、もっと早く医者に行くなりして早期に発見できただろう。我々も日々の
生活は別々だから、限りがあるしね。
年末年始は我が家に泊まりがけて来てもらった。一緒に夜中に初詣をしてお節を食べて
「いいお正月だったよ」と言ってもらった。
そして手術入院の直前の週末、義兄を誘って食事に出かけた。
なにが食べたい?と聞いたら、「焼肉」というので、美味しいお店へ。
退院したら、胃が無くなっちゃうから、なかなか焼肉には行けないんだろうなぁ。
薬を服用している効果で胃の調子がよいらしく、美味しいと言ってたくさん食べていた。
その後、紹介された大学病院へ。執刀医の先生から手術の説明を受けた。
まず、食道から胃を全摘出。そして大腸の一部を切除し、それを食道と小腸に接続するという。
小腸を伸ばせばよさそうだが、伸びないのだそうだ。図解して説明してくれたのだが、想像した
だけで気が遠くなるような大手術。12時間くらいの手術になるとのこと。
食道ガンの位置によっては声帯に影響が出るそうだが、義兄の場合、おそらく大丈夫であろうと。
執刀医もひとりではなく、部位によっては咽頭科の先生が担当するなど、先生たちも大がかり。
手術の日。朝7時半前に病室へ。手術は9時からだが、麻酔をかけるため7時45分には病室を出た。
「がんばってね!」「頑張るよ」
kuriさんと2人、待合いコーナーでひたすら待機。途中、食事に出たりするときはひと声かけて。
長時間だったので、私はノートパソコンを持ち込み、溜まっていたワープロ作業。
さらに毛糸を持ち込み、せっせと編み物。kuriさんも読書していた。
とにかく状況がわからないから待つだけ。
18時半くらいに、手術室から出た執刀医の先生が通りかかった。
「とりあえず、食道から胃を摘出し、大腸を切り取りました。今は咽頭科の先生がノドの縫合をして
います。20時くらいにまた入ります」とのこと。
どうにか順調に進んでいるらしい。
が、20時過ぎても執刀医の先生が通らない。21時少し前に「今、呼ばれました。」
どうやら予定より時間がかかったらしい。
そして21時になったら消灯。真っ暗な中でkuriさんと2人、待合いコーナーでひたすら待つ。
手術開始から12時間経過。
13時間経過。まだ呼びに来ない。なにかあったのかなあ。
そして手術開始からおよそ14時間、23時少し前にやっと「先生がお呼びです」
でもまだ手術は終わっていなかった。最後の縫合手術中。まだ1時間以上かかるという。
先生は切り取った食道と胃を見せながら説明してくれた。
「ココとココがガンです」
変色していた。私は意外にこの手を見るのは平気。
思わず、私が聞いた。「胃ってこんなに小さいんですか?」
「お兄さんはかなり胃も小さく、普通の人の半分くらい。腸も細かったです」
食の細い人だったからだろうか。
いやぁ、しかし15時間に及ぶ手術を受けた義兄も、執刀してくれた先生たちも、そしてひたすら待って
いた私たちも、大変でした。
とにかく手術は無事終わりました。
後日談1:
朝7時半〜23時すぎの病院待機でかなり疲れた私たち。翌日もグッタリしつつ自宅で夕食。サンマを焼いて
食べたのですが、その翌朝、2人とも調子が悪い。胃がムカムカし、吐き気があり、kuriさんは悪寒。
2人して食あたり。普段なら問題なかったでしょうが、焼サンマで食あたりだなんて。。。
体調がよっぽど悪かっただんね。
後日談2:
手術から数日し、人工呼吸器が外れ、なんとか話せるようになった義兄。
その後、車イスで移動したり少し歩いたりと順調に回復しつつあったのですが、息苦しいという。
術後8日ほど経ったとき、容態が悪化し、調べたら肺炎を併発したとのことでまた管を入れ人工呼吸に逆戻り。
15時間もの手術に耐えたのに、肺炎ごときでダメになったら可哀そう。
先生の話では、抗生物質の効果があるということで様子見となりました。その後なんとか復活し、人工呼吸器
が再度外されました。
まだまだ予断は許しませんが、とにかく頑張れ、お義兄さん!
By Toshiko