2月27日(月)舞台 阪神淡路大震災


プロダクションから舞台のオーディションの話があった。
「舞台 阪神淡路大震災」
1995年1月17日。あの阪神淡路大震災を扱った舞台だ。2004年に東京で初演し、話題を呼び、全国各地
でも公演を行ったそうだ。
今回のオーディションは、今年6月の東京公演のためのものだが、被災者・関西弁の話せる方または、当時
ボランティアなどで現地に入った経験のある方が優先となっている。
私はどれにも当てはまならない。しかも、残念ながら初演の舞台も見ていない。
条件的にはどうかなと思ったけれど、応募することにした。

今から11年前。あの朝のことは、ハッキリと覚えている。
毎朝7時、J-WAVEのラジオが目覚まし代わりなのだが、パーソナリティが第一声「神戸で大きい地震があっ
たようだ」と告げた。
普段はラジオのスイッチが入って、天気予報や交通情報、ニュースなどを30分ほど聞いてからベッドを離れ
るのだが、その朝は、どうもとてつもない地震だったことが、刻々と伝わり、慌てて起き上がって、階下のテレビ
を付けたのだった。
あの当時、ニュースでTVに映し出される映像は、同じ日本で起きてることとは考えられなかった。あまりに
壮絶な光景だったからだ。
日本全国からボランティアが集まり、その活動もかなり苦労していると報じられていた。
なにかしなければ...
同じ日本人として、同じ人間として、なにかしなくてはいけないと思った。
しかし、家庭もあるし、会社もあるし...
それら全てを投げ打って、ボランティアとして現地に入るいう選択はできない自分がいた。自分にできるこ
とは、義援金を郵便局から振り込むことだけだった。情けないけど...

今回、優先的な条件は満たしていないけど、あのときのモヤモヤした思いがあったから応募する気になった
んだと思う。あの時、何もできなかったけど、舞台を通して、なにか伝えることができるならば...

実は、この「舞台 阪神淡路大震災」は、本になっていることを知った。
オーディションを受けるのだから、せめて本くらい読んでおこうと、今日、紀伊国屋書店で買ってきた。
脚本だけでなく、取材の様子や、当時のいろいろなエピソード、また舞台を作っていく上でのいろいろな
様子も書かれている。

隣で寝ていたご主人は既に亡くなり、火の手が回った家で必死に瓦礫の下敷きになった息子を探そうと
する母親。
「親父、逃げてくれ」と叫んでいた息子を、助け出すことができずに見殺しにしてしまった父親。
奥さんを病院に運んできたが、既に亡くなっているからと立ち去ろうとする医師に「ウソだ!まだ温かい!」
とすがるご主人に対し、「周りを見てください。生きてる方が優先なんです」と答える医師。
試験勉強中に、隣の銭湯の煙突が倒れてきて、シャーペンを持ったまま亡くなった女子学生。「可哀想
だから、見ないであげて」と言われる探しに来た彼氏。
・・・・・
読んでいて涙が止まらない。
なんという凄まじい状況だったことか。

この本を書いた作者は、この舞台の演出家でもあるのだが、人間がそうした極限状態のとき、どういう行動
を取るかについても、冷静に捉えている。
日常生活の中で肉親が交通事故にあったりしたら泣き叫ぶということがあるかもしれないが、被災地では
泣き叫んで誰かに訴えかけるという行為自体が意味がないとしている。
そのくだりを読んで、母が急逝したときのことや、父が亡くなったときのことを思い出していた。
人間、悲しいから泣き叫ぶというものでもない。一生懸命、そのことを受け入れようと、理解できないけど
理解しようとするのではないか。

人間は逞しい。あんなに悲惨なことがあったのに、町は立派に復興し、そして人々は生きている。
オーディションに受からなくても、東京公演は見に行こうと思っている。

By Toshiko