3月19日(木)リハビリ病院奮闘記


年末に脳梗塞で倒れた父のその後。
救急病院からはひと月ほどで、他の病院に移るように言われ、今後の
看病のことを考えて、実家から一番近い病院に転院。
しかし、これが失敗だった...
リハビリをしてくれるつもりで転院したのだが、結局はいわゆる老人
病院で、リハビリは週1回。リハビリというのは、なるべく早く始め
た方がいいと聞いていたので、なんとしても、リハビリをしてくれる
病院へ移そうと、我々のリハビリ病院探しが始まった。

友人や親類から『どこそこの病院がいいらしい』『××治療をしてく
れるところが良い』など、いろんな情報を仕入れ、山梨の石和の方へ
温泉病院を訪ねたり、地元のリハビリ専門の病院を訪ねたり、あちこ
ち電話しまくったり...
ところが、どこも満員。ベッド待ち。だいたい2週間〜2ヶ月待ち。
冬に倒れる老人が多いので、この時期は混んでいるんだそうな。
そうこうするうちに、地元のリハビリ病院で本人を連れてくるように
言われ、父が面接試験(?)を受けることになった。
しかし、結果は不合格!厳しい先生に『リハビリしても良くなる見込
みがない』と言われてしまった。(Oh,MyGod!!)
現在の父の病状は波があり、調子がいい時とボケてる時がある。たま
たま運悪く、面接を受けた時は、ボケ状態だったのだ。
結果、どこにも入れるところがなくなり、現在の担当医に『どこか、
先生のお心当たりの病院はありませんでしょうか』と泣きついた。
すると、先生の友人が群馬の方で温泉治療をやっていると言う。
藁にもすがる気持ちで、とりあえず、母と弟と3人で、その病院へ見
学しに行った。
『六合村(くにむら と読みます)医療センター』というところで、
最寄り駅は『長野原草津口』。草津温泉に近いところだ。
浦和から特急で2時間。さらにバスに揺られること40分。本当に山
奥だ。最寄りのバス停と言われたところで降りたのだが...私はて
っきり、バス停の前にあるのだと思い込んでいた。バス停にあったの
は大きな看板。『六合村医療センター 1.3キロ →』と書いてあり
矢印は更に上りの山道を指している。山道1.3キロって、30分くらい
歩き?!しかし、タクシーもなにもないので、歩くしかない。トボト
ボ3人で歩き始めたら、医療センターの車とすれ違い、乗せてもらう
ことができた。ふぅ...

施設は大変立派で、環境も良く、介護も行き届いていて良さそうなと
ころだった。一通りの説明を受け、イザ帰ろうと思い
『すみません、帰りのバスの時刻を教えてください』
『あぁ、10分前に出ちゃったところです』
『そうですか..次のバスは?』
『2時間後です』
『???!!!』
周囲には喫茶店のような時間を潰せるところもない。どうしよう..
『温泉に入ってもらうくらいしかないんですよ...』
『はぁ...』
『タクシーを呼ぶこともできますよ』
という訳で、タクシー会社に電話。バスで40分の道程。料金を聞い
たところ、6000円〜8000円という。高いが2時間待つよりは
ましだ、3人で割れば2000円ちょっとだし...
『では、長野原までお願いします』
『じゃぁ、25分後くらいに伺います』
『えっ、混んでるんですか?』
『いや、ここから(草津のタクシー会社だった)だと25分くらいか
かるんです』
とにかく、驚くことばかり!秘境のようなところだった。見舞のこと
を考えると、ちょっと難しい距離だなぁ。

他の病院にもあたったが、直ぐに入れるところがなく、結局、この六
合村の医療センターにお世話になることが決まった。

しかし、またまた、問題が起きた。正確に言うと医療センター内の老
人保健施設への入所が決まったのだ。入所が決まってから初めてわか
ったことなのだが、老人保健施設というのは病院ではなく、介護老人
を家庭復帰させるための施設。つまり病人の扱いではなくなり、疾病
保障や生命保険の入院特約などの対象外になってしまうというのだ。
しかし、現に父は歩けないし、ボケもあるし、紛れもない病人なのだ
が...。母に言わせると、こうした保障が月に20数万あったとい
う。それが支給されなくなってしまうというのだ。これは大きい問題
だ。しかも、リハビリ専門の施設ではないので、毎日リハビリをして
くれる訳ではないという。本当はリハビリのための転院のはずだった
のだが..
しかし、入所も決まって、他に入れる施設もないのだから、お金の問
題はさておき、とにかく父には今度の施設で頑張ってもらうしかない
のだ。今まで母が毎日病院に通い、弟や私が週末に顔を出すというパ
ターンだったが、距離が距離だけに、今までと同じという訳にはいか
なくなる。寂しがりやの父だけに、ちょっと心配だが..
父は、今度の月曜日に転院する。


By Toshiko