HP上でもご案内しましたが、先週4月4〜6日、新宿での公演
「夢のかけら」が、無事終了しました。見に来て下さった方、どう
もありがとうございました。
今回の舞台は、内館牧子さんの「夢はにほへと」という小説を朗読
するところから、始まります。
この小説の一部を紹介すると....
ある朝、ダンナ(幸夫)が中国へ渡るという手紙を残し、結婚
10年目にして家を出てしまう。妻(秋子)は、初め、女がで
きたのだと思うのだが、ある時、中国からの絵ハガキが届き、
愕然とする。
幸夫は、学生の頃から、黄河文明の研究をしたいという夢を持
っていたが、暮らしていく上で自ら日和り、エリートコースの
道を歩んでいた。
一方、秋子は初め専業主婦であったが、「自分の存在価値を求め
て」昔からの夢だったカウンターバーを開くことを実現する。
秋子は燃えるように「自分の存在価値」を欲していた。
それは、「夫があればこその存在価値」ではなく、「子供に託す夢」
でもなく、秋子自身の存在価値であった。
この気持ちは、すごくよくわかる。結婚して家庭に入ると、1人
の個人としてではなく、○○さんの奥さんとか、△△ちゃんの
お母さんという呼ばれ方をする。いったい自分は何なのだろう
と思うよね。
一方、カウンターバーを始めてみたいと言い出す秋子に対し幸夫は
「僕だって夢はあったよ。だけど、それを上手にだまして押さえ
つけて、少しでも元気にこの世を渡っていくってのが大人だろ」
サラリーマンの中には、幸夫のように自分の気持ちに蓋をして、
生活のために安全な道を歩んでいる人もいるんだろうなぁ。
その昔、芝居を辞め会社員になった役者仲間が、何人もいたこと
を思い出しました。
この小説では、秋子の夢であったカウンターバーの実現が、幸夫
の心の奥の「パンドラの箱」の蓋を開けてしまうことになったのだ
と思います。
話を舞台に戻しますが、この小説を読んだ感想をみんなで討論す
るシーンと朗読とを交互に構成し、舞台は進行していきます。
討論の部分は、実際に我々が話し合ったことをテープにとり、そ
こから台本を作りました。
ですから台詞は自分が喋ったことが、ほとんどなのですが、自分
で自分を演じるというのは、かえって難しいものです。
夢と現実のしがらみとの折り合いについて答える私の台詞に
「与えられた状況の中で一番を考える、ベストをつくすっていうの
かな。夢についても、自分の環境のなかで、一番夢に近いところ
を選択する。白か黒かってことになっちゃうと、どちらかを捨て
なくちゃいけないでしょ。..(中略)..私にとってファジー
なのは、自分の環境では選択できないところを掴もうとすること
だよね。結局、それは掴めないものなんだから。..(中略).
与えられた自分の環境の中で夢に近いところを掴むとその周りに
新たな環境ができあがるのよ。」
まあ、私の生き方そのもの、ってところでしょうか...。見に
来てくれた友人や私のダンナも、私の日常がそのまま舞台にあった
と感じたようです。
<結婚><会社><生活>という現実と、<テレビ><ラジオ>
<舞台>という私のやりたいこととの両立。これは、時間的にも
精神的にもハードではあるけれど、結局は、やれる範囲以上のこ
とはできない。それは妥協とは異なるのだが、やはりベストをつ
くすことを繰り返すしかないと思っています。
今回の舞台を見に来てくださった方々の感想で、「自分の夢につい
て考えさせられた」とか「忙しい生活の中で自分の夢ということを
忘れていたことを思い出させてもらった」というような内容が多く
ありました。現実を踏まえながらも、心の中に夢のかけらを持ち
続けたいものですね。
By Toshiko