7月28日(水)母が残してくれたもの


このページでも何度か書きましたが、一昨年、父が脳梗塞で倒れました。
そして母が一生懸命、介護・世話をし、父は驚異的に回復することができ
ました。風呂・トイレは自分ででき、庭先くらいなら杖がなくとも歩くこ
ともできるようになったのです。

しかし、なんと父を世話していた母が14日に急逝してしました。
9日夜に倒れ、動脈瘤破裂と、クモ膜下出血と動脈硬化も併発し、手術が
できない状態でした。その後、薬と器械で延命していましたが14日午後
2時過ぎ息を引き取りました。

母は、元気で明るくおしゃれな人でした。
ですから、意識不明でダメだとわかったとき、私としては母の死という
ショックよりも、絶対に母らしく旅立たせてあげたいと考えました。
母が一番気に入っていた洋服(私が母の日にあげたものです)とアクセサ
リーを準備し、いつでも化粧できるようにと、化粧道具も病室に置いてお
きました。
病院では呼吸器を口にくわえ、チューブをテーピングされているような
状態でしたが、毎朝、顔をキレイに拭いて、化粧水でパッティングして
あげました。シワシワで旅立つのはかわいそうだからネ...
顔を拭いてあげた時、母の眼の端から涙の跡のようなものに気付いたこと
がありました。きっと私たちが母に呼びかけたりしていることは、わかっ
ていたんですね。でも眼が開けられなかったんだよね。
母は父のことだけが心残りだったんだと思います。ですから「ママ、
大丈夫だからね」と涙ながらに何度も呼びかけました。

そして、臨終の時。チューブをはずし、キレイにお化粧してあげたら、
眠るようないい顔になりました。父は「キレイになったねぇ。また、惚れ
直したよ」と言ってました。死んだ後に、惚れ直してもらえるなんて、母
も幸せだネ。
そうして、皆さんに見守られ無事に、旅立っていきました...


親孝行ってホント難しいです。
この日記にも書いた回復した父のために企画した露天風呂付きの温泉旅行
が母との最後の旅行となってしまいました。
また、母が倒れた直前の週末、偶然時間ができて実家に立ち寄り、父と母
を連れ出し、ショッピングをしたんです。それが母との最後です。
その時、選んであげたブルーのブラウスが形見になってしまいました。

母が残してくれたもの。
パパの生命。
そして、明るく元気な私。
私のエネルギッシュな生き方は、母の生き方そのものです。

ママ、ありがとうね!!あなたの娘に生まれて良かったよ。


By Toshiko