先日、高校時代の仲良しグループ6人で再会するチャンスがあった。
そのうち、3人は学校の先生である。先生という仕事も、大変らしい。
一時期荒れていた学校も、一段落したようだが、土曜日が月2回、休みと
なり、授業時間が減ってしまった。だが、指導要領はあまり対応していな
いそうだ。ということは、教えなきゃいけない内容と時間が釣り合わない
ということらしい。
とても驚いたのは、小学校で漢字の書き方を授業時間中に教えないんだそ
うだ。書き方ドリルがあって、何ページから何ページまで宿題という風に
して、学校では漢字テストをやるんだって...。これは、驚き!!
しかし、学校では漢字を教える時間が取れないんだって。
でもね、そうやってテストするでしょ、当然、ドリルと同じ内容がテスト
に出る訳。だから、漢字のそのものを習得するというよりも、ドリルの内
容を暗記するという形式なため、ちょっとでも、応用の形で出題されると
できない子が多いんだって。その漢字の持っている意味とか、いろいろな
使い方なんてのも教わることなく、ドリルにある形を、ただ暗記するだけ
で、本当にいいんだろうか。
私には、まだ、子供はいないけど、こうした教育の実状は問題がある気が
する。私たちが受けた教育は、内容が豊富過ぎたのかもしれないが、それ
は、それなりに有意義だったと思う。
多分、詰め込み教育が問題となって、土曜日が週2回休みになったのだろ
うが、子供たちはこの休み、どうやって過ごしているのだろうか...。
ファミコンだの、ゲームだの、そうしたことに費やしているのでなければ
いいのだけど..。
話がちょっと飛ぶが、子供の頃、私は工作が大好きだった。中学、高校の
頃は、発明工夫展なんていうのにも、興味があった。
小学校の頃、例えば、竹ひご(竹串)と牛乳びんのフタでタイヤを作って
車をつくるなんて工作、やりませんでしたか?あの時、牛乳びんのフタで
作ったタイヤを輪ゴムでグルグルして動かないように止めたりしたじゃな
いですか。ああしたことが、例えば、大人になって、輪ゴムは蓋を閉めた
り、袋の口を止めるだけでなく、なにかを固定するストッパーに利用でき
るんだって、応用力に繋がる気がする。
ホント、些細な事だけど、日常生活で、例えば何かを切りたい時にハサミ
も、カッターナイフも無い時どうするか...缶コーヒーのプルの角とか
って、十分、カッターの替りになるのよね。
逆に、なにかを止めたいとき、糊もセロテープも無い時どうするか...
例えばノートの裏に付いている値札をちょっと剥がしてセロテープ替りな
んてね。
そうしたちょっとした工夫って、子供の頃、経験した工作や遊びにその原
点がある気がするの。やはり、応用していく力って、自分の手を使って、
自分で考えて、なにかを創り出す時に培われいくのではないのだろうか。
果たして、ファミコンって、なにかを創り出す力を子供たちに与えてくれ
るんだろうか...与えられたものをクリアする力は養われるように思う
けど。
ファミコンに熱中し、パソコンを自由に操れる子供たちが、日常生活の中
で、創意工夫し、応用する力を培っていけることを祈っています。
By Toshiko