人の気配がした。
没頭していた書物からふと目を上げると、部屋中に連なっている本の山の間から黒い塊が見え隠れしている。
どうやら、床も見えなくなってしまっているほどの膨大な量の蔵書を片付けているらしい。最近、よく目にする姿。それが自軍の大将だと、書物にどっぷりと浸っていた脳が認識した瞬間…

トクン。

心臓の鼓動が早くなってしまう。捲簾の姿を、目で追ってしまう。
目が離せなくなってしまう。

最近の自分はどうも変だ。
以前は他人に興味が無く、他人の行動や言動なんて全く気にならなかったのに。
まあ、今でも全く興味は無い。ある一人を除いては。
その人物を見ていると、胸が苦しくなる。動悸・息切れがするような歳ではないし、不整脈だってないし。捲簾の姿を見るたび、彼のことを考えるたびにわけの分からない感情と、原因不明の心臓病に陥ってしまう。

会ったばかりの頃は、「面白い」としか思わなかった。「退屈しない人だ」とも。
年上のくせに無邪気で、子供のようによく笑う。そのくせ妙に頭が切れる。
上には煙たがられているが、部下には絶大の信頼と人気を誇る。
いつも何かしら騒動を起して、自分を巻き込んでくる。
ブツブツ文句を言いながらも、何の得にもならない部屋の片づけなんかをしてくれる。
他人に干渉されるなんてまっぴらなのに、彼ならば気にならない。
・・・というか、最近では干渉されるのが嬉しいなんて。
自分とは違うタバコの香りが部屋に漂うのが心地良いだなんて。
自分の心の内が分からない。
「よく分かんないです」

「何が?」
考え事が言葉に出てしまったらしく、部屋の片付けをしていた捲簾がこちらを振り返っている。
トクン…とまた鼓動が跳ね上がる。
「最近僕、変なんです」
「そりゃいつものこったろ」
即答されてムッとする。
「何がですか。僕はいたって普通です。ただ最近、貴方に対してだけ変なんです。」
「へ〜、どんな風に?」ニヤッと笑った、琥珀色の瞳から目が離せない。
「…貴方のことをつい見ちゃうんです。本を読むよりも楽しいんですよね。以前は他人に干渉されることなんて大っ嫌いだったのに、貴方だと平気なんです。眼に見えるところにいたらいたで心臓がバクバクするし。いなかったらいないでまた同じだし。自分でもどうしてだかよく分からなくって、イライラしちゃうんですよっ」
多少八つ当たり気味に答えると、やけにあっさりとした返事が返ってきた。

「お前ってば、そんなに俺のこと好きなの?」

え? 一瞬真っ白になってしまう。
僕が? 捲簾のことを好き? は?
わけが分からず、考えもまとまらない。
頭の中がぐるぐるしているところへ、捲簾が再び問い掛ける。
「自覚無かったわけ〜? 元帥様ってばv」
にやにや笑う捲簾を呆然と見返しながら、ぼそぼそと言葉を吐き出す。
脳味噌なんて動いていない。本能だけで話しているみたいだ。
「自覚なんて無いです…。だって、こんなこと初めてですもん…」
その言葉を聴いて、捲簾が無邪気に笑う。また、目を奪われる。
「んじゃ、お前の初恋の相手ってば、俺?」

……初恋!? 確かに、そう言われてみればこんな感情は初めてのことで。
いつまでも見ていたい人なんていなかったし、本よりも興味の持てる人なんていなかったし……とまたもや頭の中がぐるぐるしてしまう。
だから、一瞬唇に暖かくて柔らかいものが触れて、すぐ離れていったのが何か認識できなかった。
「どうよ?」
すぐ近く、目の前に満面の笑顔をたたえた捲簾がいて、また心臓が跳ね上がる。
「どうって…」
「初恋の人との初ちゅーはどうよ?」
「……よくわからなかったです。……もう一回、してもいいですか?」
ためらいがちに尋ねると、おどけた口調で「どうぞ〜v」と返事をしながら、捲簾が瞳を閉じる。
肩に手を置いて、そっと捲簾の唇に触れる。
何だか恥ずかしくて、すぐ離してしまったけど。
「で、どう?」いたずらっぽく笑う相手に、今まで誰にも見せたことの無い満面の笑顔で答えてやる。
「心臓がバクバクして胸が痛くて苦しいですけど、それ以上に楽しくて嬉しくて……何だか幸せな気分になっちゃいますね。……もう一回、してもいいですか?」
「ふやけない程度にな〜」
「善処します」

本当に、この人は面白い。
引っ掻き回されて、振りまわされるけどそれがまた面白い。
自分でも知らなかった自分を、たくさん引き出してくれるから。
この人と一緒にいる限り「退屈」なんて感じる暇は無いだろう。
捲簾の唇を味わいながら、天蓬はそんなことをつらつらと考えていた。



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