Photo Diary : Sense of Wander  -夢幻放浪記-   01      Topへ戻る    次へ

No.12: 7,July 2003    <何を願うの?> 六本木ヒルズ
テレビ朝日前の大屋根の下では何本かの竹が立てられ、ゆかた姿のおねいさんたちが短冊を配っていた。他にあるものとしては竹製のトンネルとアートのみ。莫大な資金を投じ、ハイテクの粋を尽くした都市空間としてはずいぶん質素な七夕だが、人ごみの喧騒や押し付けがましさがない分悪くないと思った。色とりどりの短冊には、恋愛や就職、受験など人々のありふれた願いが書かれていた。私も一枚書いたが、そこには世界平和と並んで、理想のコンパクトデジカメの誕生祈願もこめられていた・・・
DC4800  2003/7/3 17:32

No.11: 7,July 2003    <記憶喪失?> 六本木ヒルズ
何度か歩いたはずなのに、一体この場所に何があったのか、まるで思い出せない。あるいは、私の六本木経験とはアマンドのある交差点と、Cine VivantそしてWAVEの間に限られたものだったのかもしれないが・・・[ミツバチのささやき」「カルメンという名の女」「ノスタルジア」・・・あのころ映画は今よりずっとみずみずしい輝きを放っていたような気がする。
DC4800  2003/7/3 17:05

No.10: 6,July 2003    <露光間ズーム> 品川
DC4800は露光間ズームのできる数少ない機種である。しかしそのズームは電動式であるため、長時間露光でもあっという間にテレ端にゆきついてしまう。手動式のものに比べ三脚のない撮影では手ぶれが少ないというメリットもあるので、一長一短なのかもしれない。ところで、この3:2の画像、確かに横は28mm相当なのだが、縦はどうなのだろう。被写体のない余白をカットできるため多くの縦長・横長の被写体では画面内への収まりはよいけれど、4:3の画像に比べて損をしている気がしてならないのだが・・・
DC4800  2003/7/2 22:16

No.09: 6,July 2003    <もう一つの佃島> 品川宿
このところ、千住、板橋と旧街道の宿場町を歩くことが多くなった。京急線のどこかの駅を歩けば、行き当たるだろうと青物横丁で降りてみた。羽田と品川の区間では、窓の外に何かと気になる気配を感じたものだ。少し歩くとたちまち旧東海道の宿場通りに出た。夜も更けた時間であり、到底まともな被写体にはなりえないが、千住と並ぶ宿場町の名残りはよく残っている。戦災を免れたと思われる木造家屋の群れ、随所に顔を出す堂々たる仏閣、そして裏通りに入ればいくつもの古井戸とポンプのある路地が続いている。やがて通りが開けると踏み切りの向こうには、品川グランドコモンズやプリンスホテルの高層棟が顔を出す。新旧の都市空間の対比と言う点においては、限られた下町資源の割に開発の進んだ佃島以上かもしれない。
DSC-MZ3  2003/7/2 20:45

No. 08: 4,July 2003    <ラーメンパラダイス> 白山通り
La Quaでの飲食はリーズナブルであるが、それでも満腹になるには相応のお金がかかる。懐を痛めたくなければ、白山通りを神保町方面に歩くのがよいだろう。最近になって向かい合うようにして出来た安いラーメン店はどちらもなかなかの味で、選択の自由度もきわめて高い。まるで、キヤノンのPower Shot A60的なお買い得感があるので、ダイエット中でなければぜひ立ち寄ることをお勧めする。
DSC-MZ3  2003/6/30 21:43

No. 07: 4,July 2003    <Out of date> 水道橋
La Quaができて、格段に居心地のよくなったのが、水道橋エリアだ。遊園地も開放的なスペースとなり、夜遅くまで光と水のうごめくファッショナブルな世界が広がっている。そんな中降って沸いた競輪場復活構想だが、時代のニーズを完全に読み違えた迷案である。これに比べれば、「グラップラー刃牙」に登場する地下闘技場などの方がよほど気がきいていると言えるだろう。
DSC-MZ3  2003/6/30 21:12

No. 07: 4,July 2003    <デジタルズーム> 上野
高画素機になったメリットの一つにデジタルズームの活用範囲が広がったことがある。しかし、メーカーによりスタンスが一致していないことが大きな悩みの種だ。富士のハニカムズームや、最近のSony機のスマートズームなどはトリミング以上に画像を拡大することはないが、Canon機やOlympus機などはわずかな画像からデジタルズームでフルサイズにまで拡大しようとする。到底、見られた絵ではないのに、どうして悪い画質の絵をユーザーに見せようとするのだろう。5M機なら2M機として用いれば1.6倍程度までは等倍表示の画質がデジタルズームでも確保できる計算である。画素数比の平方根にしかならないのでこの倍率は大したことがないようだが、Optio550のような高倍率ズーム機の場合にはかなり効いてくる。37,5mmの焦点距離なら、2Mモードで300mmまでのアップが可能となる。しかし、このラインを越えると画質はどんどん劣化してしまう。多くのメーカーの場合、歯止めがきかないし、その境界線も分からない。意味のないデジタルズーム倍率を表記するのはやめて、少なくともそのカメラの本来の画質の範囲内にとどめるようにしてもらいたいものだ。
Optio550  2003/6/30 18:28

No.06: 3,July 2003    <木を見せて、森を見せず> 表参道
画素ピッチ2ミクロン台という高画素機を使っていると、一体何が楽しくてこんなカメラをメーカーは作るのかといつもながらに疑問に思ってしまう。まず、メディアを圧迫し、次にはハードディスク容量を圧迫する。ほとんどプリントアウトすることもない今、5Mものファイルサイズは邪魔なだけなので、さっさと2Mモードに切り替えて使っているのだが、画素ピッチを縮小したつけはダイナミックレンジの狭隘化となって現れる。実に窮屈で息苦しい画像である。シャッターを押す片端から、色のコントラストや光と影の織りなす微妙な陰影のもたらすビビッドな感動がすり抜けてゆく。最近のデジカメは発色がよくなったと悦に入るカメラマンもいるが、それはフラットな光を選んでの話だ。重なり合った色の両立は、順光でも厳しくなっている。自然、輝度差の高い構図を避け、無難なシーンを求めてちまちまとしたフレーミングを試みることになる。これはもうカメラを使いこなしているのではない。カメラに使われているのである。「デジタルカメラのダイナミックレンジはあまり広くないので、光の回る晴天戸外選んで撮るのがよい」と言われたのはせいぜい3ミクロン台前半の話だ。2ミクロン台となった今はそれもかなり厳しくなった。鮮やかな前景と空の色の両立は、前景の被写体の色が暗い場合には半分あきらめるしかない。明るい夜景もかなり厳しく、ハイライトを残そうとすると墨を余白に塗りたくったようなくすんだ絵になってしまう。それでもきれいに撮れる世界が存在する。ブツ撮り、植物マクロ撮影、レフ板やストロボで光り回してのポートレート、輝度の低い曇天下の屋外、そしてレンガ造りの建物のような暗い夜景、あるいはシルエットモードの夜景だ。購入を後悔しないためには、プロカメラマンのレビューやメーカーサンプル画像のように「木を見せて森を見せず」、そんな姑息な撮り方をするしかないのだ。
Optio550  2003/6/29 21:39

No.05: 3,July 2003    <夢のカメラ> 原宿
<夢のカメラ>というものは、いつも出るその時までしか存在しないような気がする。手にしてシャッターを押したとたん、裏切られる気がするのである。Optio550もまた、そんな夢のカメラの一つであった。その傑出した点は、ポケットに入るサイズに5倍ズームレンズを押し込め、しかもワイドとテレ両面にわたり強力無比なマクロ機能を備えた点にあった。しかし、他社のフラグシップに張り合わせようとした三兎を追う気持ちが、結果としてこのカメラの二つの長所を損なう結果になっている。低感度なCCDと高倍率のズームやマクロ機能は、仕様自体に矛盾を抱えたものである。望遠撮影では速いシャッターが要求されるが、感度を上げれば砂のようなノイズが覆い、解像感やクリアさを損なう。マクロでは手ブレだけでなく、風による被写体のぶれも対策が練られなければならない。しかし、ここでも感度アップとノイズが夢の画像の実現をさまたげる。そして、もう一つの側面としてラチチュードの狭さがある。望遠撮影は比較的ダイナミックレンジの狭さが気にならない世界だが、マクロはそうではない。花の白さに露出を合わせると、緑が沈み込み、色の対比の妙が出ない。ハードウェア的には非常に良く出来ているだけに、時流に押されて1/1.8インチ5MCCDを採用したことが悔やまれる。同じサイズの3MCCDであったら、マクロも望遠もどんなに楽になったか、それはISO200でも常用可能であったキヤノンのPower Shot S30を使ったものなら直感できるはずである。今日多くの<夢のカメラ>の実現はないものねだりではなく、あるものの誤った組み合わせによって妨げられているのである。

ないものねだり的な夢のカメラとして存在するのが、Fine Pix F700である。その冒険精神には賞賛を惜しんでやまないが、4倍のダイナミックレンジを実現するための、屈折した方法が果たして成功するものかどうかは実機が出るまで誰も分からないのではないかと思う。SanyoのMZ3のワイドレンジショットも、輝度の高い空や白い建物、低速シャッター時の動きのある被写体ではソラリゼーション的な画像を量産する。とても、常用できるものではないと思う。二系列の異なるデータを整合性をもった一つのデータにデジタル的にまとめることはそれほどまでに困難なのだ。F700の発売は再び延期されたが、少なくともその間は間違いなく、私たちの心の中で<夢のカメラ>であり続けることだろう。

DSC-MZ3   2003/6/29 20:39

No. 04: 1,July 2003    <下町の日曜日> 根津
下町商店街の日曜日は、がっかりするのであまり訪れない方がよい。夕食時でも、よほど根性のある商店街でない限り、空いている店はまばらである。古い店はほとんどと言ってよいほど、雨戸やシャッターを閉ざしている。鮮やかに夜を彩るのは、どの町でも見かけるようになったチェーン系の飲食店や惣菜屋だけである。
DSC-MZ3   2003/6/29 19:29

No.03: 1,July 2003    <Urban Nomad> 根津 
一日の画像を一枚で代表するなんてストイックな真似は、私にはできそうもない。どこか目的の場所があって歩いているわけではない。あたかも、ページからページへの読書のように、移動そのものが楽しいのだから。私は定住民として、この街で畑を耕しているわけではない。通りすがりの余所者(よそもの)、都市という名の砂漠の遊牧民にすぎないのだ。
DSC-MZ3   2003/6/29 19:11

No.02: 1,July 2003  <日の暮れる里> 谷中
谷中には日がな十匹近い猫たちのたむろする空き地がある。家屋の基盤であるコンクリートが残った敷地を有刺鉄線が囲み、大きな危険もなく、猫たちはほとんど動くことなくごろごろとしている。時折近所の主婦が持ってくる食事をむさぼっては、また自分の定位置へと戻ってゆく。その様はこの世の係累を断ち切りつつも、紙の家屋を作り、どこかに群れをなして定住せずにはいられない人々のようでもある。夕焼けだんだんよりの視界は新たに建設されつつあるマンションで一層さえぎられ、早い時刻に太陽はビルの背後に隠れてしまう。それでも、地形の落差が都市の閉塞感に風穴をあけ、人の影が長く尾を引く日暮里の夕暮れは印象的であることに変わりはない。いつの時代の命名かは分からないが、日暮里とはよく名づけたものである。 s
DSC-MZ3   2003/6/29 18:14

No. 01:1,July 2003 <言葉の喪失>
  ひたすらシャッターを押すこと、カメラの設定をいじることに集中していると、いつの間にか言葉を失っていることに気がつく。もちろん、カメラの性能やら画質を語る言葉は饒舌すぎるほど持っているはずなのだが、被写体を語る言葉はほとんど持っていないことに気づくのである。ある場所や建物、人物、動植物が私たちの心に残す強烈な印象、それを表現する言葉が出てこない。あたかも、その存在や動きが与える情動を自分の中で、あるカメラの画像に置き換えて、言葉は完全に沈黙してしまったかのようである。一方では、画像に対して余計物でしかない鈍重な漬物石のような言葉もあるのだが、画像に生命や輝きを与える木漏れ日のような言葉もあるはずだ。何のために日記を書くかといえば、数限りないイメージの洪水の背後に沈黙してしまった言葉を目覚めさせるための儀式、これ以外の意義は見つけにくい気がする。