はじめに

 私がこの本を思いついたのは2007年秋の日のことでした。ちょうど皇居前の木々が、紅葉していて、 あまりに美しく、私の心にとびこんできました。たくさんあって、深い赤のサクラ。空の青の反対色の 黄色に映えわたるイチョウ。ここの木々は大きくて、半端なく壮大でした…ここの木をかきたいな。 この木が、この建物の近くにあって、ここを少し曲がれば、並木が見られますよ。この本なら、 花好きな母も喜んでくれるし〜、ここで働くビジネスマンさんも木々を見て、なごんでくれたらいいなぁ。 そんな軽い気持ちで始めた皇居案内でした。

 しかし、しばらく歩いて行くうちに、千代田区の立て看板を発見! なんと、この地はまるで歴史の 教科書のようではありませんか、徳川家康さんやら、明治天皇やら、歴史の登場人物が、このまわりに いて、ここ周辺で、数世紀もの日本の歴史が作られた〜ってことにあらためてびっくりでした!東京は即、 東京になったわけではなく、歴史本やTVで見たヒーローたちや先人たちが、この地を考えぬいて、創り 上げた大地だったのです。ヒーローだけではありません。広大な皇居のお掘も、その大地すら400年前の 侍たちが、刀を捨て、プライドも捨て、藩主の命令で、土木工事をして(それはもう日比谷から、築地 方面まで海だった広大な面積を)首都、江戸を新しい住みやすい街に創り上げた痕跡なのだ〜ってことに 大感動!

 こうやって、埋立てて大地を作ってきたのなら、震災や大戦の復興がなぜ、早かったのかが少しだけ 分かった気がしました。大戦といえば、先の第二次世界大戦のきっかけのひとつに、81年前、昭和4年 (1929)の世界大不況もあったと、言われています。今も百年に一度の不況と言われています。今まで、 普通に仕事して、暮らせてたいたことが、どんどん価値観が変わって自分の身の回りすら支えられない ような焦燥感の漂う昨今・・・数十年おきにあった、戦争や維新、いろんな価値感が変わっていく時に、 先人はどうしたんだろう。ひとつの時代が終わって、混乱する時代の中で、新しい時代を築きあげた 人々を中心に調べたくなりました。 急に鎖国が解かれて、海外の威圧にも、堂々と対処した幕末の人々。戦に明け暮れた、戦国武将の面々 と、十数年後小さな漁村に大地を切り開き、水を引き、首都にした徳川家康公。

 でも日本の歴史を遡れば、どんな時代の先人も元いた先人を大切にしていて、畏敬の念を忘れてなく、 江戸っ子って言えば、平将門公の神田明神だし、最初の江戸城主太田道灌公が誘致した神社も大切にして いる日本人の先人を思う気持ちが良いなぁと思います。そして日本の人々の自然を大切にする心が、 良いなぁと思います。

 徳川家の将軍は家康公をはじめ代々、園芸好き。あちこちに、花見の名所を作って、皆もこぞって 出かけます。そんな花好き、自然好きの風景描写で、江戸時代は旅行ブームもあり、開国とともに、 流出した日本の絵画が海外でも大ブームとなり、西洋の絵画の観念さえ変えてしまったことも、 あるのです。

 そうそう、皇居まわりにある木々も意味を知ると曰くある木々がいっぱいです。日本屈指のサクラの 名所、千鳥ヶ淵もあり、歴史的にも意味のある木も多いのです。東御苑の二の丸雑木林や北の丸公園には 昭和天皇によって 国民に 開放された時、なるべく自然に近い形で、鳥や虫の住めるよう 実のなる樹木 が植えられたそうです。 そういえば、皇居内の樹木に、名札が付けられていますが、たまに雑草の花にまで、小さな名札がつけら れていて、世界広しといえども、こんな小さな自然を大切にしている首都があるものだろうかと感慨 ぶかいです。高層ビルの林立する中に、ぽっかり、花見の名所があって、ぽっかり、原生林のような 皇居があるのは不思議で、すばらしい!

 そして、ここのビル達も、それぞれの歴史があって、すごいんですよ。そんな、こんなを、皇居周辺、 ぐるっとパノラマ式に並べて、かいてみました。はじめて、来られる方にも分かりやすいように、東京駅 から、そして、地下鉄の出口から、即、皇居さんぽができる様に、出口すぐに見える景色をかきました。 日本の景色、歴史の一端を、ご堪能くだされば、うれしいです。

         平成二十二年(2010) 春 植月真弓

もどる