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平成十九年2月18日 合気道清進塾


       

 平成十九年2月 苫小牧合気会の土田さんが稽古に参加された。そのときの集合写真だ。!
せっかくの機会だったのに。僕はいそがしくて満足に稽古に参加しなかった。後で聞いたら東京で稽古されるのはこれが最後とのこと。一瞬たいせつなものを失ってしまったような寂しさを感じた。道場で一度ごあいさつしただけだったが、大きな体に『気は優しくて力持ち』が初対面の印象だった。
これからは北海道の距離と位置を感じながら道場で稽古したい。そうすれば大きな空間の中にわが身を投じる。そんなスケールのでかい稽古をすることができるかもしれない。夜空のジェット機から下界の愚かな自分を見つめていく。そんな感覚だろうか。    

 あれから石原先輩が合気道と禅についてコラムを書かれた。合気道と禅とはある意味同じである。稽古すること、そして日々の生活それ自体が禅なのだ。と広義に理解してよいだろうか。そんなことを感じている。

 衣食住 そして働く。そして介護。未曾有の少子高齢化社会で各自が大変な負担をしていかねばならない。若いと思っていた自分も何時しか年をとっていく。疲れていればまともな判断をすることもできない。
だが戦禍をのりこえた時代もあった。人は突然の自然災害にも対峙していかなければならない。年配者にとっては極限の忍耐だ。どうしても若者の力が必要だ。だから道場にも若者をつれてこなければならない。

 我々はそれぞれの時代状況で与えられた生を生きていくしかない。それが万葉集以来の民族的、そして時代的使命だ。逃げることはできない。もはや多くの道場生にとって道場はその精神的よりどころとなっているのではないだろうか。だとすれば今日的に道場の存在意義は大変に大きなものとなっているはずだ。  (4/8管理人敬白)

撮影: 石突 写真編集: 栗田 守屋

(c)合気道清進塾