軒下道場が原点!

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軒下道場が原点   若かりし頃の市毛先生と第1号門下生 浅木少年



    練馬区柔道会 副理事長   浅木 登美夫

 

私は、中学一年のとき、昭和386月1日に明徳館に入門しました。その日は市毛道場創立の日でありました。それより一ヶ月ほど前、私の母が自転車から転落し、右肩を負傷して市毛接骨院に通院していました。そして、市毛先生が近々道場を始めるので、門下生を募集中とのことで、母が私に入門を勧めてくれました。

ちょうど、テレビ番組で「柔道一直線」が放映中で人気があり、私も柔道に憧れていたので、入門することになりました。

入門の当日。午後7時ころ初めて道場に言って大変驚きました。そこには、道場がなかったからです。市毛接骨院はあるのですが、道場が見当たりませんでした。多分道場は別の場所にあるのだろうと思い、とにかく接骨院の玄関を開けて、先生を呼びました。すると、中から先生が出てきて、接骨院の軒下に駐車してあった乗用車を動かし始めました。私は、やっぱり道場は別の場所にあり、そこまで連れて行ってくれるものと思いましたが、先生はちょっと車を移動しただけで降りてきました。そして、先程まで車の止めてあった場所に行くと、その奥には、スノコと畳が6枚ずつ立てかけてありました。スノコを敷き、その上に畳を敷き始めました。私も、半信半疑で手伝いました。本当にここで柔道をするのかと思いましたが、本当でした。

畳を敷き終わると、接骨院の診療室から電線を引いて、軒下に裸電球で照明をしました。そのときが、軒下道場完成の瞬間でした。その日の入門者は、他に中学生1名、高校生1名、合計3名でした。

しばらくして、軒下道場に屋根がつき、畳も6枚から8枚、12枚と増えていきました。しかし、砂利石の上にスノコ、そして畳を敷いた道場でしたので、前方回転をしたときなど、畳とスノコと一緒に、砂利石の上を20cm位滑ったこともありました。乱取りをするときも、畳やスノコがずれたのを直しながらやりましたので、なかなか思うように練習もできませんでした。また、囲いがないために、雨や雪が降ったときは、大きなビニールシートを上から下げて、温室のような中で練習もしました。なにかと不自由な道場でしたが、それでも入門者も増え、区民大会でも好成績を上げることができました。

40年近く経った現在では、道場も空調付の立派なものになりましたが、あの当時の軒下道場と経験したことは、今でも忘れることができません。それらは、私にとって柔道、そして人生の原点であるような気がします。これからも、その清心を基盤とし、柔道、仕事を通じ、世の為、人の為に働いていきたいと思っております。