世界ナイフ紀行 -- エチオピア
アジスアベバ その1
老兵の銃剣


   この国は一見平和そうにみえるが、80にも及ぶ少数・多数の部族が若干のイデオロギーを絡めながら密やかに抗争している。爆弾テロも小規模ながら頻繁におきている。
    ある日現地人ビジネスマンとともに、とある官庁の役人を訪ねた。用事も終わり帰りかけたところ、連れが人に会いたいというので一人で駐車場へ向かい、車のそばで彼を待つことにした。
    目の前にはさっき通ったばかりの門がある。連れはここの門番達と親しいので入るときはフリーパスだったから気づかなかったが、警戒は厳重を極めている。数人の門番が金属探知器を持って入館者を厳しくチェックし、反対側には銃剣付きの歩兵銃を持った老人が一人、他にも二人の老兵がベンチに腰掛け訪問者を監視しているのだ。

   門の外を山羊の群が通った。30頭はいただろうか。首都・アジスアベバの真ん中でもこのような光景が見られることに感心しつつ、カメラを向けると、門番の一人の若い女性がこちらに向かって大声を上げている。
    たぶんそうだろうとは思ったのだが、被写体が山羊だろうが何だろうが、ここでは撮影禁止なのだ。そばにいた三人の老兵もまた
「おい、やめとけ」という感じでこちらに話しかける。しかたなくボヤーッと老人達のそばで立っていた。もちろん、時折銃剣付きの鉄砲を盗み見しながら。挙動不審者とみられても致し方ない状況だ。
    そのうち後ろの茂みの奥にある芝生のなかで、バタバタしている人影に気がついた。作業服の青年が縄を持って騒いでいる。いや、それは縄ではなく蛇だった。こういうのを見逃す私ではない。どんな蛇なのか近くで見ようと、急いで茂みの切れ間を探して芝生の中に入ろうとした。すると老人達がまた
「おい、だめだ。こっちへ戻ってこい」と騒ぐ。すごすご戻った私に
「おまえ、うろちょろしないでここに座っていろ」とベンチの端を指さす。小銃を持った老人の隣だ。これは銃剣をじっくり観察するいい機会だと思い、私は喜んでそこに腰を据えた。

「アメリカ製か?」と銃を指さすと、「いや、エチオピア製だ」と自慢げに銃身をなでる。
    どうせ英語が通じるはずもないので私は日本語で話す。あちらの答えはどうやらアムハラ語らしい。この町中で遠距離狙撃の状況も考えづらいのでスコープこそないものの、タンジェントサイトが付いている。そして銃剣というのは全て脱着式だと思っていたら、これはフォールディングナイフのように銃身の下側に折り畳まれている。当然両刃ではなく、片側だけが切れるようになっている。さもなきゃ危ない。

「これ、すごいじゃんか」と今度こそ目当ての銃剣を指さした。
    老兵はすっかり気をよくして、わざわざ「ガチャン」と剣をのばし、ロックまではめて見せてくれた。先端が刃こぼれしているが、鈍く光る鋼色は日本刀のそれと近い。しばらくの間、通じるはずのないお互いの言葉で銃や剣についてやりとりが続いた。しかしやがて老人は、先ほどの女性門番の冷たい視線を感じて剣を畳んだ。銃を持った門番が、素性もわからぬチャイナ(町の子供達は私をこう呼ぶ)を隣に座らせ、鉄砲の自慢話をしているのはいかにもまずい。他の門番に探知機で体中をなで回されている人も不思議そうな顔でこちらを見ている。

   もう一人見ている人がいた。さっき分かれた連れだ。気が付くと5メートルほどのところから呆然としてこちらを見ていた。

「おい....、なにしてるんだ?.....」
(写真)ホテルの窓から見える風景。看板にアフッリカン・ダンスと書いてある(写真)


まるで日本にいるみたい


 
(写真)小さい方のナイフ。三日月型ではない(写真)    この国は3000年の歴史を誇る国だそうだ。
    連れの男は旧約聖書の記述を引き合いに出し、自慢げに国の成り立ちを説明してくれる。有名なシバの女王もエチオピア人だそうだ。正確にはアビシニア人と言うべきなのだろうか。たしかに骨董屋に行くとその歴史を彷彿とさせるナイフが並んでいる。
   アラビア文化の影響も強く受けているため三日月ナイフもゴロゴロしている。昔からこれが欲しかった。
    あまりにたくさん、雑然と並んでいるのを見てやや白けたが、それでも二本、大小を買い求めた。大きい方はシースがベルトと一体になっていて、そのまま腰に巻き付けられるようになっている。小さいのは三日月型のカーブはしていない。刃先のカーブが大きいだけだ。
    ハンドルの作りはかなり雑で、うっかりしていると取り忘れのバリで擦り傷をつくりそう。それでもシースやブレードの痛み様を見ると、観光客向けの土産物でないことだけはわかる。このアビシニア高原のどこかで、実用に供されていたことがあるのだろう。それがどのような方法で あったか知りたいものだ。
(写真)雑然としたナイフの棚。銃剣がたくさんある(写真)
(写真)店の主が長剣をぶら下げてみせている(写真)   骨董屋の主はどうしても私に長大な剣(Sward)を売りつけたがったのだが、成田の税関は絶対に許してくれそうにない代物だった。残念だが写真だけ撮って我慢することにした。

(写真)三日月ナイフとその革製の鞘(写真)
   私がアジスアベバで泊まったホテルは世界的にも名の通った○×トンホテル。しかし、部屋ではダニに食われた。体中にダニの食事の跡が焼き印されてしまった。これはしばらくとれそうにない。売店で買い求めた民族衣装に住み着いていたのかもしれない。これでホテルの中を歩き回っていると従業員達が喜んで話しかけてくる。
   彼らの話によると、私が買った民族衣装は南部の部族のものだそうだ。やけにダボダボするので、着ているだけで気持ちがだらけ、とても三日月ナイフを腰に巻く気にならない。これではイカンと、もう一着、ガウンのようなものを入手した。日本の着物と同じようにして着るのだ。やはり世界にはこんな服があるのだ。かなり厚手なので、日本へ帰ってからはバスローブにしている。実に快適である。ダボダボの方はパジャマになった。
   日本と似ているのは着物だけではなかった。
   親しくなった現地人の家に招待されて田舎道をテクテク歩いていくと、通りがかりの住民がこちらを珍しそうに見ているので、軽く会釈をした。そうするとあちらはかなり丁寧なお辞儀を返してくる。
    彼らが私を珍しそうに見るのは、滅多に見かけぬ東洋人だからなのだし、当然、東洋式のお辞儀の習慣など知らないだろう。にもかかわらずあの頭の下げ方は我々の丁寧な挨拶そのものではないか。
「どうなっているのだ?」と友人に尋ねると、
「我々もこういう挨拶をするのだ。ただし、あの挨拶はかなり尊敬される人向けのものだ。おまえはよほど偉くみえるのだろう」と、からかわれた。
(写真)バスローブにした着物を来て、腰に三日月ナイフをさしている(写真)

(写真)町外れの住宅街はなだらかな丘のふもとにパラパラと家が建っている(写真)

   その後幾度かこのお辞儀を見かけた。たしかに友人どうしの挨拶にみえたことはない。ことほど左様にウヤウヤシイのだ。
    西洋人もときにこのような挨拶をするが、特に習慣にもなっていない見よう見まねのお辞儀はどこか卑屈にみえる。しかし彼らのお辞儀はまことに優雅である。挨拶のように基本的なところが似ているとまるで日本にいるような気がしてくる。さらに我々はナマの魚を食べるが、彼らはナマの肉を食べる。とれるものが違うので素材は似ても似つかないが、食文化も基本が似ているのではなかろうか。ここは日本人にとっても暮らしやす土地と思える。ただし、ダニと乞食と泥棒が多いようだが。

   赤道はすぐそばを通っているものの、標高2500mほどの高地にあるため、一年を通じて高原の涼しさが心地よい。空の青さもすがすがしい。原色の羽を自慢げにさらす鳥達のさえずりが朝の耳に清涼感を与えてくれる。アビシニアの王がここに遷都したのは決して気まぐれや偶然ではないだろう。彼はここに楽園をつくろうとしたのだ。

1997年 9月