□decay


Thomas Wilbrandt
"Mono Tones-12 Studies in Silence"
(Decca,1994)440 228-2

cover

ピアノの音ひとつひとつが、こんなにも近くへと迫り来る体験が、
かつてあっただろうか。それはCDというメディアと録音技術の到
達点、という意味だけではない。作品自体の持つポテンシャルつま
り、この音楽の持つ、リスナーとの間の「近しさ」とはなにか、が
テーマになる。

ディスクの構成は、ソロピアノによる"mono tones"と4手(二人
の演奏者による)の"dialogue"がほぼ交互に現われる。この音楽の
最大の特徴は、和音がないことだ。ほとんど常に、シングル・トー
ンとしてのみ、音が立ち現われては減衰していく。
ペダルによって音が延ばされているため、アタックは同時(=和音)
ではないが前の響きが消えいく中で次の音が鳴らされる。したがっ
て、完全な沈黙はほとんどない。
極めてスタティックな音楽だが、高感度なマイクで拾われ増幅され
た針が落ちる音を聴き、ミクロなレベルでの出来事の存在の大きさ
に驚くように、ピアノという楽器の名前の由来通りにピアニシモで
貫かれるこの音楽が内に持っている、音の立ち上がりの鋭さを思い
知らされることになる。

音が立ち上がる−減衰する−次の音が、というサイクル自体がこの
音楽のエッセンスであると、思いたい。それだけのことが、こんな
にも美しく、凝視せずにはおかない体験になる。
アタック(立ち上がり)とディケイ(減衰)のどちらがより「音楽」
を体現しているのか、そんな問いは無意味だろう。

鋭利な一瞬のすぐ後に訪れるなだらかな響きの下降線を、ただただ
見つめる。海岸で繰り返される波、たき火の炎、そして砂丘の曲線
といったゆらぎを持つすべての現象を決して見飽きることがないよ
うに、二度と、二つとして同じ強度をもって鳴らされることのない、
生の音楽。あるいは、これこそが、
アコースティック・ピアノの芸術。


1999 shige@S.A.S.
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