「魅力的なアンビエント」という問題
 良すぎてちゃんと聴いてしまうアンビエント






ブライアン・イーノのアンビエントのうち、筆者には特に好きなディ
スクが2枚ある。『アンビエント#2』と『パール』だ。どちらも
ピアニスト・作曲家のハロルド・バッドとのコラボレーションであ
る。ここでのピアノの位置は、ひとつの完結したピアノ曲というよ
りも断片的な音素材としてのピアノ・サウンドだが、それが同時に
シンプルで歌いすぎないだけに深くドライな叙情性をも持っている
という、筆者にとって奇蹟的に美しい響きをもった音楽である。

イーノがそもそも目指していたのは、環境に存在する音との融合と、
それにより音楽の再生される環境を異化したり特性を強調すること、
そしてもうひとつは「無視される可能性」を持つ目立たない音楽だ
ったのだが、前述の2枚は一般に言うところのピアノ音楽とも呼べ
る感触を持っている。ピアノの音が好きな筆者は、このような訳で
これらを聴く時、むしろ周囲は静かであって欲しいし、じっくりと
あくまでも普通の「音楽鑑賞」となるのが常である。

このような好み(興味)の度合まで含めて考えると、アンビエント
を企図したディスクであってもリスナーの思い入れが強すぎるアル
バムならそうはならないという現象が起こる。また、特に好きでは
ないが邪魔にならないという誰にでもあるそれぞれの音楽は、どん
なジャンルであっても心地よい「アンビエント」になるかもしれな
い。<誰にとってのアンビエントなのか>ということについて、考
えると面白い一つのテーマとして提示しておくことも無駄ではなさ
そうだ。魅力的なアンビエントは、鑑賞してしまうという話である。

ところでこれは筆者だけに限った話ではないらしい。あの『エアポー
ツ』をアコースティック楽器を中心に再録音したアンサンブル
"Bang On A Can"のメンバー、マイケル・ゴードンは、こう言って
いる。

必死になって聴かなくてもいい作品を作るというのがイーノのコンセプト
だったと思います。そのアイディア自体大変美しいものであるのですが、
《ミュージック.フォー・エアポート》はあまりにも美しくまた奥が深い
ため、BGMにはならないのです。

「musee issue13 May,1998」(タワーレコード、1998 p.21より引用)

誰にでも一枚くらい、イーノ他の制作者の意図に反して「アンビエ
ントとしてなど聴き流せない」名盤があってもいいものだが、音楽
の制作者の意図をあっさりと帳消しにしてしまうこの問題、アンビ
エントという言葉に常に生じる迷いのモトではある。しかしその迷
いとは、いうまでもなく幸福なそれであるけれど。

・「鑑賞するアンビエント」

・情感とは無縁の、響きそれ自体の音楽としてのアンビエントに囲
 まれ、環境音とも交感するという体験

両者の境界線は、音楽家の意図よりも遥かに強い作用を持つ、この
リスナーの指向・嗜好という変数によって大きく変化し、あいまい
であり続ける。






・h o m e・ ・ambient top・