プリペアド・ピアノのアンビエント的可能性





西洋音楽では楽音(音楽演奏に用いられる音)の定義から締め出さ
れていたそれ以外の音を芸術の領域へと越境させたジョン・ケージ
の試みの一形態と考えられる「プリペアド・ピアノ」を、その発音
の偶発性と環境音との近しさ、さらにはアンビエントにとって有用
な表現手段である「新しい音素材」の視点から捉えてみる。




:::: 発明

1940年3月、ケージがあるダンスの伴奏曲を依頼された折り、
その会場には大規模なアンサンブルが入る余地がないことを知らさ
れていた。そこでピアノ1台から多彩な音色を得るために、ケージ
はピアノ線の間にボルトやナット、ゴムなどをはさむことを思いつ
いた。これが「プリペアド・ピアノ」('prepared'はここでは「あ
らかじめ準備・加工された」= 'processed'の意だろうか)の誕生
の経緯である。note1)


:::: 響き

この画期的な試みを発展させて、1948年、『プリペアド・ピア
ノのためのソナタとインターリュード』が作曲された。この作品を
聴いてまず気付くことは、それがもはやピアノの音にはほとんど聴
こえないという、半ば当然の事実である。音色の点では、ピアノ線
とその下に位置する金属板との間に物体がはさまれているため、響
きが抑えられ、同時にさまざまな物体の材質(金属、ゴム、木材な
ど)により、音色に大きな違いが出るのである。また、それぞれの
キーの振動数、つまり音高が調律という秩序から解放される結果と
なる。note2)

こうして様々な音色と予測のつかない音高で鳴るピアノを発明し、
ケージが構想していた先のアンサンブル(もともとは打楽器アンサ
ンブルが予定されていた)をピアノ・ソロで実現したのである。こ
こに聴かれる音はまた、「偶然性」との強い結び付きがあることは
言うまでもない。すなわち、ピアノが演奏の機会ごとに'prepare'
されるということは、毎回異なった音色が「偶然に」生みだされる
ことを意味する(プリペアについての指示がある場合も、音色の毎
回の変化はやはり起こるものだ)。音高の点では、両隣の鍵盤との
音程が正しく半音に保たれる保証はなく、微分音note3)に言わば
「再調律」されることもある。また、「時には、一つの鍵を押すだ
けで、複合的な響きがでることもある」note4)という。


:::: 中間の音

プリペアド・ピアノの音色は、それがもはや本来ピアノ一台から現
われる音響ではなく、その音色の多様性の点から、聴き手を取り囲
む環境の偶発的な音との区別が曖昧になるほどの響きを現出しうる
のである。日常聴かれる様々な音が音楽として捉えられることは、
一般的にはない。伝統的な西洋の音楽観では、これらは音楽空間に
入り込む「雑音」と考えられる(だからこそ純粋に音楽を享受する
ためのコンサートホールが発達してきたのだ)。日常音と音楽。両
者の間にプリペアド・ピアノを位置付けることができるだろう。前
者は偶然により現出した音、後者は音楽演奏を前提とした楽器(例
えば正しく調律されたピアノ)による、言わば予定調和の音楽であ
る。

プリペアド・ピアノは確かにピアノであるけれど、プリペアされた
ピアノはどんな音を鳴らすのか−たとえ作品ごとに指定されたよう
にプリペアしても−予測がつかない。偶発的なこのピアノの音は、
音色の点からも、そしてその偶然性ゆえに環境に存在する音へと近
づくこととなる。また、環境音もこのピアノへと歩み寄るというこ
ともできる。すなわち、「偶然の楽器」から生まれる音に入り込む
環境音は、普通のピアノの場合のようにノイズとして締め出される
こととは別の位置を与えられるだろう。プリペアド・ピアノは、環
境へ開かれた音楽の再生装置であり、また、環境音と楽音を交換さ
せる半透膜としての役割をも果たすことができるのである。


:::: 固有の音色からの脱却

こうして、実際の音色、そしてそれ以上に「楽音」「環境音」の区
分を無効にする象徴的意味を持ちうるプリペアド・ピアノであるが、
アンビエントというものが既存の楽器そのものの音素材から遠いと
ころにある音を使うことで高度の抽象性を得ようとするなら、プリ
ペアド・ピアノはこれにも適う楽器である。プリペアの状態によっ
てはある音高のキーはパーカッションに、あるいはまた、本来のピ
アノ以上の輝きを持った金属的な音など、きわめて多彩な音色の可
能性を持っているのだ。

サウンド・エフェクトとして環境音を取り入れたアンビエントは多
く、これらの音楽は聴き手の置かれた空間の音環境と音楽からの音
(音楽内の環境)の交錯を体験することができる。プリペアド・ピ
アノがランダムにピアノらしからぬ音が出る楽器であることと、音
楽と環境音の入れ替わる現象との間に、近親性があると言えるはず
だし、あらゆる既存のイメージから逃れることを意図するのであれ
ば、シンセサイザー同様の新たな音色の創作手段を、この楽器は持っ
ていることになる。


note1)
デヴィッド・レヴィル、河合拓始訳「ジョン・ケージの修行時代」
『MUSIC TODAY』No.18,1993(リブロポート)所収 p.27を参照した。
note2)
音高はピアノ線の長さによって決定されるため、線の途中に物が挟まれること
によりこの結果となる。
note3)
微分音とは半音よりもさらに狭い音程。例えば全音に対して4分の1を四分音
という。
note4)
マイケル・ナイマン著、椎名亮輔訳『実験音楽ケージとその後』(水声社,
1992)p.94 より引用。なお、この原因として、ピアノは通常一つのキーに2
本から3本の弦が張ってあり、そのうちの一部が 'prepare' されることが考え
られる。


April 1 2000,shige@S.A.S.




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