Laszlo Sary





Laszlo Sary
"The Voice of Time" etc
(Hungaroton Classic,1996)HCD 31643

cover


対位法、印象主義など何でも、形式が音楽史に記録されるまでにな
るのは、独立した存在としての「創始者」ひとりのお家芸ではなく、
同時代と後世の作曲家たちによって模倣・展開されるのを待ってか
ら、ということになる。当り前なことを書いてるが。
ミニマリズムがポピュラリティを得ていることは文字どおりポピュ
ラー音楽の領域だけを見ても肌で実感できることだけれど、実はこ
のジャンル、シリアス系音楽でもすでに定着し、しっかりと歴史に
残るところとなりそう。
いわゆる創始者たち以外の作曲家がミニマルをやるということが、
その音楽スタイルを客観視することを意味するのなら、このハンガ
リーの現代作曲家がまさに、ミニマリズムの拡散と展開を促す作品
群を制作し続けているという言い方ができそうだ。

ラズロ・サリ(読み方に確証がないので便宜的にこう表記)の個展
であるこのディスク、収録曲の様式はかなりレンジが広い。そして
その根底にはミニマリズムと、もしかするとアンビエントへの指向
性がある。この二つを包括的に捉える音楽家は数多いが、最も「現
在」を体現するスタンスだと思う。シリアス音楽もアカデミズムに
毒されているばかりではないのだ。

例えば"Fives Repeated"(1985)はエレクトリック・オルガン、マ
リンバ、ビブラフォンと言ったライヒも多用する楽器群が細かなパ
ッセージを繰り返し、その上を管楽器が息の長いメロディが乗ると
いう、ミニマルとしては古典的とも言える手法を用いている。
"Souvenir"はピアノと口笛という思いきった単純化がアンビエント
的空間を作り出している。口笛によるオブリガートが淡く静謐だ。
"Full Moon"では弦楽器主体の室内楽編成だが、こちらもクラシカ
ルな音色のアンビエント。
どの作品も古典的なたたずまいとアコースティック音楽ならではの
強度が、ミニマリズムとアンビエントと緊密に共存している。この
方向性では現在最も重要な作曲家の一人であることは間違いない。
筆者も偶然に知ったのだが、もっと紹介されていいと思う。

なお異色のトラックと言えるのがピアノ伴奏+ソプラノのための
"Five Melancholic Songs"(1981)。これはミニマル的ではない
が、新ウィーン楽派、例えばベルクの「7つの初期の歌」と違和感
なく溶け込むような感触で、しかしそれ以上にリズミックな魅力、
跳躍の大きな旋律の不思議な美しさを持つ曲集。





Laszlo Sary
"Flowers of Heaven" (1973)
"Prelude for Four Keyboard Instruments" (1977-78)
(Hungaroton,1982) SLPX 12370 (LP。CD化は未確認)



"Flowers of Heaven"
これは反復の要素は希薄だが、全体を統一する点描的な響きの感触
、つまり一つ一つの音素材の小ささと、劇的展開を伴わないことに
おいて、ミニマリズムの一形態と呼びうる作品。そしてこれほどま
でに文字どおり点描に終始する音楽は、柔らかな響きに包まれては
いるものの、鋭利な実験である。

2分42秒の演奏の後のペダルによる音の持続、それに休止を合わ
せて3分間からなるセクションが8回現われる構成(ライナーノー
ツによる)で、音は全てが点描的である。したがって旋律性は希薄
だけれど、音の重なりは協和的である。「歌ではないけれど調和の
とれた音の集まり」といった趣き。4台のピアノがぽつぽつと弾き、
その響きの重なりあう密度と強度の変化が自然なゆらぎを持ってい
る。4人の演奏者がそれぞれのリズムで音をひとつひとつ重ねてい
くその組み合わせがあらかじめ記譜されている音楽とは思えないほ
どに偶発的に聴こえてくる。シングルトーンを奏でる日本の風鈴と
いうよりも、長さの異なる金属片を複数組み合わせたウィンドベル
のような、予測できない響き。休止と再開、時折訪れる強音、そし
て音の多寡といった変化を楽しんでいることに、ある時気付く。

風に揺れる、平原に咲き乱れる花々の密度に現われる自然のアルゴ
リズムか。この音楽のテーマは花であると同時に、それらを揺らす
風にあるのではないかと思わせる、無数の運動する音。





・h o m e・ ・minimal・