プロコフィエフ Serge Prokofiev
『束の間の幻影』Op.22 Visions Fugitives

ミシェル・ベロフ(piano)
(EMI,1974/1983)5 69452 2
クルト・マズア指揮ピアノ協奏曲全集に併録



ロシアの作曲家プロコフィエフ(1891−1953)による20曲からな
る小曲集。1915年から17年にかけて作曲された。表題を持たず、演
奏時間は多くが1分に満たないのこのミニチュア音楽は「1曲でひと
つのことしか言わない」趣きだ。厚みを持たない簡素なスタイルで書
かれているためにドライな空間が広がるが、なんと鋭利な響きだろう。
単旋律の身の切れるような鋭さ、モダニズムの空虚、そして映像喚起
を拒絶するような謎めいた各曲のテーマ。しかし難解なのではない。
むしろ旋律は明快であり、第9曲などかなりキャッチーで、一度聴い
たらなかなか耳から離れないだろう。

エリック・サティ後期の、特に『スポーツと気晴し』にも通じる、ま
るで「目の前にぽんと置かれた何だかわからないもの」への不可思議
な困惑。サティは響きの抽象性を補うように曲ごとにタイトルを付け、
いやむしろタイトルをかなり具象的に絵解きした筆致も濃厚だが* 、
あらゆるヒントを剥ぎとられたプロコフィエフの幻影は、「それが何
であるか分かる前に失われていくもの、あるいは初めから存在しない
もの」というこの曲集の題名に対して、忠実な音楽を書いた。

* この曲集は、画家シャルル・マルタンによる作品とサティの音楽からなる
  アルバムとして出版された。『束の間』とほぼ同じ頃、1914年の作品。

この抽象性と自由さはショパンのプレリュードをも思い起こさせる。
20という曲数はプレリュードの流儀ではないけれど、24曲、いや
48曲をこの調子で書き連ねて欲しかったと思わずにいられない。録
音も最近やや増えてきたものの依然として多くないが、ディスクの余
白に埋められるのにちょうど良いくらいのひっそりとしたたたずまい
がそうさせているのかもしれない。

リヒテルやルービンシュタインなどの超巨匠が抜粋という形で頻繁に
ステージで演奏していた作品で、彼らの演奏は簡素な音楽の魅力を流
麗にかつ最大限に引き出す素晴しさで、巨匠ならではの演奏を残して
いる。筆者は今回1981年に録音されたミシェル・ベロフの全曲録音
を聴いたが、例えば第2曲の浮き立ち冴え渡る旋律断片にはっとさせ
られたりと、やはりベロフの響きへの感覚、音楽空間の把握はきわめ
て現代的で即物的なものだ。そしてそうでありながらも単なる音のオ
ブジェを並べるのではなく、音楽としての自律性を失わないのは彼の
メシアンやドビュッシー録音同様で、「フランスのエスプリ」などで
お茶を濁してはならない、真にオリジナルなベロフの耳と運動感覚に
よってである。待たれていた復帰を果たしたベロフだが、ロシアもの、
ことにプロコフィエフの独奏曲の体系的録音が実現しないかな、と楽
しみにしている。


関連ディスク

アルトゥール・ルービンシュタイン、1961年イタリア・ライヴ音源。
『束の間の幻影』は12曲を演奏している。簡素でありながら有機的な
音楽の連なり。

cover

Autur Rubinstein, Schumann etc. (Ermitage ERM 108S)


こちらはスヴャトスラフ・リヒテル。10曲を演奏。実に伸びやか。

cover

Sviatoslav Richter, Scriabin etc. (Philips 438 627-2)






1999.12.13 1999 shige@S.A.S.

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