Federico Mompou






1893年、バルセロナに生まれ、スペイン内乱時にはパリで活動
した。その後帰国し1987年に亡くなるまで故郷に生きた作曲家。

フェデリコ・モンポウの作品のジャンルは、いくつかの声楽曲やギ
ター曲などがある他は大部分はピアノ曲だ。音楽史上、モンポウの
ピアノ音楽の位置付けは自身の言葉によれば、
「ドビュッシー、フォーレ、サティの影響を受けた」
ものであるという。モンポウはこれらの近代フランスの音楽家と作
品から、何を得たのか。

ドビュッシーからの影響は、感覚的な和声だろう。
音楽の展開・論理的構造を決定するためのいわゆる機能和声ではな
く、作曲者自身の耳が聴いた響きそれ自体に音楽を流れさせるとい
う音楽を響かせるプロセス。他の誰のでもない、まして理論書にも
載っていないだろう和音は、モンポウがドビュッシーに近いものを
持っていることを示している。二人の作風はまったく別のものだが、
自分の耳をひたすらに信じ、音楽を音の喜びとしてのみ、考えると
いうアプローチが、似ているのだ。

彼の作品の多くは「ABA」のフォルムから成っている。これは歌
の形だ。スペインの民謡に取材しながらも通俗的ではない、歌謡性。
フォーレの夜想曲や即興曲も、多くがこの形式に依っている。そし
て「魅惑の巨匠」と呼ばれるフォーレの旋律美と、調性感が希薄に
なるぎりぎりの線まできわめられたフォーレ独自の転調の美しさが、
モンポウでは長調/短調で捉えることがあまりにも乱暴に思える微
妙で揺れ動くメロディ・ラインへと引き継がれているように聴こえ
てくる。

そのモンポウの形式と旋律のありかたををさらにシンプルさへと導
いたのが、サティではなかっただろうか。サティは常に即興を避け
ていた。どれほど簡素な音楽であっても、ひっそりと置かれたわず
かな音符の集まりとして、サティでしかなし得ないやりかたで<き
ちんと>書かれている。こんな、サティのあらかじめ楽譜上に用意
された「ひそやかな音楽」の数々には、同じ言葉をタイトルに持つ
モンポウ晩年の4つの曲集と近しい位置にあるように思われるもの
も多い。

決して多くを語らないけれども、それだけに<一つ>と<少なく>
を慈しむ音楽、その小品の集まりが、モンポウ・ソノリティとも呼
びたい世界を覗かせる。同時代を生きたフランスの作曲家たちの影
響をモンポウ自身は語るけれど、他者からの影響を内包しながらも
「わたしはわたしの道を歩むしかなかったのですよ」*
と言い得たことが、真にオリジナルな音楽を書いた芸術家の姿を映
している。

*「モンポウ・プレイズ・モンポウ 第3集」濆田滋郎
による(国内盤)ライナーより。


「モンポウ・プレイズ・モンポウ」について
20世紀をほぼカヴァーするほどに永く生きたモンポウは、1974
年、自作自演のピアノ曲全集録音という大きな遺産を残してくれた。
モンポウ自身が演奏するピアノは、光にふちどられた雨上がりの空
気にも似た、透明で広々とした空中へ逃れ去るかのような響きを持っ
ている。一つの音、一つの和音、旋律として扱われるかのようなア
ルペジオが慈しみをもって弾かれる。この自作自演盤は、演奏・録
音の両面から、レコードが<記録>という本来の意味を超えて一つ
の芸術にまでなっている。モンポウは自身の音楽を音によって記録
した近代最後の作曲家の一人である。
これら4枚のレコードは、単にひとつのリファレンス(参照点)と
なるだけではない。それは後世の演奏家の表現を限定するのでは決
してなく、むしろ自由な解釈を可能にするためのものだ。いつでも
戻れるレコードがあるなら、ピアニストは安心して自身が楽譜から
読み取った響きを提示することができるのだから。

なおこのCDは長らく廃盤状態が続いていたが、原盤を保有するスペインの
ENSAYOレーベルから最近ジャケットを改めて再発された。未出版のも
のや録音当時書かれていなかったごく一部を除き、ほぼ全曲を収録する4枚。

"Mompou Plays Mompou"
Vol.1(ENY-CD-9716) Vol.2-4(ENY-CD-9725〜27)分売

cover


September 1995,April 1999 shige@S.A.S.
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