Morton Feldman
Why Patterns ? (1978)
for flute/alto flute/bass flute, piano, and glockenspiel


(Hat Hut,1991) hat ART CD 2-6080


破線状の旋律

フルートが一つの音高を吹く。線を描く管楽器なのだから、切れ目
なくメロディを続けるのがこの楽器の本来の役割である。しかし、
フェルドマンの作品の多くの特徴、そしてこの作品に特に顕著なこ
となのだが、フルートは次の音を吹く前に、休止符を置いている。
同じ長さの、それぞれが別の音程で繰り返されるこの音と音の関係
を、「旋律」と呼んだものか、どうなのか。そう言えば一つ前の音
の高さを思い出せない。かと言って調性を失った前衛音楽の難解さ
もない。これは断絶したメロディとしても、メロディを形作ること
が意図されていない、同じ音色と音価(音の長さ)による、音高だ
けが変化する響きの連続に過ぎないものとしても聞こえてくる。

ピアノとグロッケンシュピール(鉄琴)は終始点描を繰り返す。そ
してフルートもまた、すこしだけ長い点の連なりなのだ。こうした
各楽器の関係は、どれもが控えめであり、音楽的な主体であること
をどの楽器も主張しないという印象を与える。

楽器の音色はどうだろうか。低い順に3つのフルート、ピアノ、グ
ロッケンシュピールへと、高音の成分を多く含むようになる。この
差異は響きに奥行きを与える結果となり、奥まった場所から届くバ
ス・フルートのひそやかな靄と、耳元で小さく輝く運動を繰り返す
鉄琴との間には、遠い距離がある。立体的な音色の関係は、互いが
離れていながらも、そして沈黙に挟まれながらも緊密であり、決し
て融和もしない。独立したそれぞれは等価の存在であり、この等し
さは旋律楽器であるはずの(ピアノでさえも、本来そうなのだ)、
フルートの寡黙さによるものであることに気付く。

破線状の旋律は雄弁でありえない。このことがフェルドマンの作品
群の静けさの源泉であり、作品と聴き手との、親密と断絶との奇妙
な共存の秘密なのかもしれない。同じ場所で鳴らされる音域の異な
る楽器が自動的に生じさせてしまう遠近感にも似た、近いようで離
れた音楽。そして、押し付かせと思い入れという、作品と受容する
側の双方に起こり得るあの強い感情とは別のところにある音楽に思
えてくる。静かなのは音楽だけではなく、それを聴く私たちもきっ
と、同じなのだ。



April 09 2000 shige@S.A.S.




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