被爆62周年原水爆禁止世界大会

「核兵器廃絶2007ヒロシマ大会」(3団体)には6500人が参加
−核も戦争もない平和な21世紀に!−

原水爆禁止世界大会は、今年も開会総会にあたる部分を 原水禁・連合・核禁会議の共同開催として、8月4日「核兵器廃絶2007平和ヒロシマ大会」として行い、広島県立体育館大アリーナに海外7カ国の14人を含む6,500人が参加しました。

原水禁の市川定夫議長が、「世界中で核兵器が作られ、劣化ウラン弾が使われている。問題がより深刻になっている今年こそ充実した議論を願う」と開会あいさつ。来賓の秋葉忠利・広島市長は「日本にも核兵器使用容認の議論が一部にあるが、いかなる国家も正当化はできない」などとあいさつ。被団協の坪井直代表委員は、広島市の路上で被爆し九死に一生を得た体験を証言。当時の記録映像「ヒロシマ・ナガサキ 1945年8月」も上映しました。

集会は、この他、連合の古賀伸明事務局長の主催者あいさつ。 国際労働組合総連合(ITUC)のP・カマラン平等局長の来賓あいさつ、 平和ナガサキ代表団ピース・メッセージなどが行われ、 最後に、「被爆国として核兵器のない世界の実現をめざす」との平和アピールを採択し、「原爆を許すまじ」の合唱で閉会しました。

第2日の5日には7分科会、1特別分科会、3つのひろばと2フィールドワークの他、3団体によるシンポジウムも行われました。

第3日には県民文化センターでまとめ集会を行い、市川定夫・大会実行委員長の主催者あいさつにつづいて、海外ゲストを代表して米ピースアクションのリーヴァ・パトワルダンさんのスピーチ、メッセージfromヒロシマについて高校生の有田和宏さん、横山千夏さん、高橋真捺さんの3人からの報告。 福山真劫・大会事務局長の広島大会まとめが行われた後、ヒロシマ・アピール、さらに、中越沖地震で被災した柏崎刈羽原発の廃炉を求める特別決議を中村進新潟県原水禁事務局長が提案・採択、「原爆を許すまじ」で締めくくりました。

8月7日から9日にかけての長崎大会には、広島から25人が参加しました。 「核兵器廃絶2007平和ナガサキ大会」は、長崎県立総合体育館に3,700人が参加しました。8日は分科会・ひろばなど開催され、9日のまとめ集会には、約2200人が参加。

福山真劫・大会事務局長が大会を総括し、伊藤前長崎市長射殺事件、久間前防衛相の原爆「しょうがない」発言、柏崎刈羽原発の事故を挙げ「時代が大きく揺れる中での大会開催」と情勢を指摘。連合、原水禁、核禁会議の3団体の取り組みを「平和と核軍縮、被爆者援護は確実に広がっている」と評価しました。「核拡散防止条約(NPT)再検討会議へ向け、平和市長会議と連携し、一大運動にする」と今後の運動強化も訴えました。

「核被害を根絶するため、世界のヒバクシャと連帯し『対話と共存』を基本とした平和な世界を実現。核も戦争もない21世紀を子どもたちに贈る取り組みを強める」とする大会宣言が提案・採択されました。そして、原爆中心碑公園までの平和行進、11時2分の黙とうを行い、大会日程を終えました。

被爆62周年原水爆禁止世界大会報告(詳細)


被爆62周年原水禁大会のまとめ
核廃絶、被爆者援護、脱原発にさらに前進を

3年目を迎えた3団体の取り組み

核廃絶をめざす連合・核禁会議・原水禁の3団体の取り組みも3年目を迎え、今年も広島・長崎の開会大会と、シンポジウム「被爆者援護の強化にむけて、現状と課題」(広島)、「東北アジアの非核化の実現に向けて」(長崎)を共同開催しました。開会大会に広島で6,500人、長崎に3,700人が参加しました。核軍縮と被爆者援護の課題は確実に横に拡大しています。

しかし、中越沖地震により現実化した原発震災、1万件を超える原発事故と不正隠し等の事態の中で、脱原発への取り組みが必須であるにもかかわらず、3団体では取り組めませんでした。また、憲法や日米安保条約、米軍再編成等の課題でも意思統一ができていないことなど、来年に向けて多くの課題もあります。

意欲あふれた原水禁大会

今年の原水禁大会は「核も戦争もない平和な21世紀に!」をメインスローガンに、8月3日の国際会議を皮切りに、4日からの広島大会では折鶴平和行進、分科会、ひろば、まとめ集会が行われ、7日からの長崎大会は、分科会、ひろば、大会宣言を採択したまとめ集会、平和行進と続きました。大会に先立ち各地で平和行進などが取り組まれましたが、さらに全体化が求められています。

国際会議は大阪で、「東北アジアの非核化をめざして」をテーマに150人が参加しました。また広島、長崎大会ともに、久間前防衛大臣の「原爆容認」発言もあり、「被爆の実相と被爆者の怒りを自らのものにしよう」「米軍再編や憲法改悪などの当面する課題を学習しよう」とする意欲のあふれた大会でした。またメッセージfromヒロシマ、ピースブリッジinながさきの取り組みなど、子どもたちや高校生、若者を中心とした取り組みも充実・定着してきました。

「核廃絶の壁」の木のブロックキャンペーンの取り組みも3年目となり、ブロックも12,000個集まり、マスコミの関心も高く、確実に定着してきましたが、さらに全国的に取り組むことが必要になっています。

情勢をふまえた運動を展開しよう

こうした大会の成果を踏まえ、運動の具体的取り組み方向について、数点まとめます。

  1. 情勢の基本的認識を変えよう。
    7月29日の参議院選挙で与野党が逆転し、私たちのめざす政策実現の可能性は大きく前進しました。新しい事態が始まった事を認識しましょう。
  2. 被爆者援護の課題
    被爆者団体、連合・核禁会議、野党と連携して、「被爆者認定基準の抜本改正」をめざしましょう。また在外被爆者、被爆二世や三世の課題、被爆者援護法の改正が課題です。
  3. 平和と核軍縮の課題
    2010年のNPT(核不拡散条約)再検討会議へ向け、平和市長会議が提唱する2020年に核兵器廃絶を実現する「2020ビジョン」の実現めざして、世界の平和勢力とともに一大運動をつくりあげましょう。また進行している「米印原子力協力」に強く反対しましょう。東北アジアの平和と非核地帯化については、2005年9月の6ヵ国共同声明から、2007年2月の初期段階措置の合意がなされ、次の段階へと前進しています。日朝ピョンヤン宣言(2002年)にそって、国交正常化めざして取り組みを強化しましょう。また非核3原則を遵守させ、さらに法制化への運動にも取り組みましょう。
  4. 原子力政策の転換と脱原発の社会づくり
    原発をめぐる事態は深刻です。まずすべての原発を止めて総点検させるとともに、柏崎刈羽原発は廃炉を求めましょう。また、青森の六ヶ所再処理工場稼動阻止、もんじゅ再稼動反対など、山場を迎えるプルトニウム利用路線など原発推進路線と対決するため、各地の闘いをつなぐ必要があります。
  5. 安倍政権の戦争をする国づくりへの対抗
    この秋の焦点は、テロ特措法延長、集団的自衛権の行使の解釈改憲、米軍再編成の具体化、沖縄戦に関わる教科書歪曲問題などです。新たな情勢を踏まえて、全力で取り組みましょう。また11月に東京で開催予定の「憲法理念を実現する大会」を成功させましょう。

 原水禁世界大会を通して、私たちは多くのことを胸に刻みました。広島の原爆慰霊碑に刻まれた言葉を、もう一度思い出しましょう。

「安らかに眠って下さい
   過ちは 繰返しませぬから」





大会宣言

 原子爆弾が投下されてから62年。ヒロシマで14万人、ナガサキで7万人もの尊い命が原子雲の下で即死、あるいは数日後に失われました。放射能による被害は、いまなお多くの人々を苦しめ、二世や三世も健康に不安をかかえて生活しています。生きとし生けるものに未曾有の惨害をもたらした8月6日と8月9日は、人類にとってけっして忘れてはならない日です。

 しかし、この1年、「原爆投下は、しょうがない」という長崎県出身の久間防衛大臣による発言をはじめ、安倍内閣のもとで、閣僚や自民党首脳による核兵器保有を容認する発言が相次ぎました。その一方で、核兵器廃絶を訴えてきた伊藤長崎市長が、凶弾に倒れて亡くなられる事件が起きました。私たちは、被爆地に集い、被爆の実相をあらためて心に刻むなかで、核兵器容認の発言や暴力を糾弾するとともに、核兵器廃絶の実現に向けて誓いあいました。

 62年後の今も、原爆症・放射性被害で苦しむヒバクシャの課題は残されたままです。原爆症認定訴訟では、2006年5月の大阪地方裁判所の判決以降、広島、名古屋、仙台、東京、熊本の各地裁は、連続して厚生労働省の認定制度の過ちを厳しく批判・否定し、原爆症不認定処分を取り消す判決を下しました。国に被爆者の実態を反映した認定制度に一刻も早く改めさせなければなりません。また、在外被爆者や被爆二世・三世などに差別なき援護施策を行うとともに、日本の戦争責任と戦後補償の問題として、国家補償を明記した被爆者援護法への改正を早急にすすめなければなりません。さらに、私たちは、世界各地のあらゆる核利用の場でヒバクシャがつくられ、増大していることを糾明し、その救済にとりくみます。

 7月16日の新潟県・中越沖地震は、柏崎刈羽原子力発電所の基礎岩盤に大きなダメージを与えました。柏崎刈羽原発で発生している事態は、地震の危険性を過小に評価した安全審査に根本的な欠陥があることを明らかにしています。国の主張する安全神話は根底から崩壊しました。この1年間、電力会社の事故隠しも相次いで明らかにされました。私たちは、いまこそすべての原発と原子力施設の安全性を再点検するために、最新の知見によって活断層と原発の耐震性を一日も早く徹底的に検証することを求めます。あわせて、六ヶ所再処理工場やプルサーマル計画などのプルトニウム利用政策の転換を求めるとともに、高レベル放射性廃棄物の埋め捨て処分に反対し、脱原発社会の実現をめざします。

 世界にはなお2万7000発もの核兵器が存在しています。核兵器廃絶に逆行するアメリカのブッシュ政権がすすめる核兵器の先制使用や通常兵器との一体的運用政策は、世界に緊張をもたらしています。このなかで、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)やイランの核問題が起きてきました。北朝鮮の核問題をめぐっては六カ国協議が進展し、核兵器廃絶に向けて動きはじめており、非核・平和の東北アジア実現のために、日本政府は北朝鮮敵視政策を改め、日朝国交正常化を実現させなければなりません。さらに、現在の重大な課題は、NPT(核拡散防止条約)を崩壊させかねない「米印原子力協定」です。この協定は、日本などが賛成しない限り発効しない仕組みになっており、今月下旬に訪印予定の安倍首相がこの協定に賛成しないことを強く求めます。私たちはNPTの形骸化を許さず、2010年再検討会議に向けて核軍縮・核廃絶の動きを強めるよう、世界に求め、働きかけていきましょう。

 小泉前政権は、イラクの多国籍軍への自衛隊参加などを通じて日本を戦争のできる国へと変貌させてきました。これを継承した安倍政権は、憲法第9条や基本的人権などの憲法改『悪』に向けて、教育基本法の改定や、改憲手続き法、米軍再編関連法などの制定を行い、自衛隊が国内外で戦争をするための法整備を強行しています。在日米軍再編による沖縄・神奈川や岩国など全国各地の基地機能強化や、横須賀の原子力空母母港化、ミサイル防衛(MD)の推進などは、地域住民や自治体の反対を強引に押し切ってアメリカの軍事戦略に積極的にかかわろうというものです。閣僚・自民党首脳の相次ぐ問題発言や歴史教科書での沖縄戦記述の歪曲もこのなかで起きているものであり、断じて許してはなりません。参議院選挙における与野党逆転という結果は、それを許さない国民の意思を示しました。私たちのめざす政策が実現する可能性は大きく拡大しています。いまこそ非核・平和の政治の実現に向けて連帯の輪を広げましょう。

 私たちは、核被害を根絶するため、世界のヒバクシャと連帯し「核と人類は共存できない」という「核絶対否定」の思想を広めるとともに、「対話と共存」を基本とした平和な世界を実現し、「核も戦争もない21世紀」を子どもたちに贈るとりくみを強めます。また、平和や核軍縮、脱原発、ヒバクシャの権利確立をめざし、「新たなヒバクシャをつくらない」という原点に立ち返り、被爆62周年の大会に参加した私たちすべての総意として、あらためて内外に宣言します。

 2007年8月9日

被爆62周年原水爆禁止世界大会 




グラムシ歿後70周年記念〜いま、その思想を読む(1)

 

  グラムシへのアプローチのために

 

片桐 薫

 

 グラムシは「獄中ノート」で、ダンテとマキァヴェッリを対比しながら、ダンテの政治論はその伝記的要素によってとらえることができると書き、伝記的要素からのダンテ政治論の把握の重要性を指摘した。

 同じようなことはグラムシについてもいうことができる。私の狭い経験からしても、グラムシへの伝記的側面からのアプローチは、彼の思想鉱脈へのより深い理解を助けてくれるように思われる。

 

 「見捨てられた」サルデーニャ出身者として

 そうした意味で、グラムシの思想的原点としておさえておく必要があるのは、イタリア近代化の苦しみのなかで、「本土から見捨てられた」サルデーニャに生まれ育ったということである。

 イタリアの近代国家統一(1861)は、サルデーニャをふくむ南部にたいする北部の覇権として進められた。その結果、北部は南部を犠牲にして肥え太り、北部の経済的・工業的発展は、南部経済と農業の後進化・貧困化に直接つながっていった。

 こうした政策に、多くのサルデーニャ人は本土への憎悪を感じ、サルデーニャ州のイタリア国家からの独立という分離主義が育まれていった。中学高学年(10代半ば)にさしかかっていたグラムシも、「その頃、私は、サルデーニャ州独立のための闘いを考えるようになり、"本土人を海へたたき込め!"と何度もくりかえした」と後に回想している。

 こうした彼の感情も、イタリアを代表する近代的大工業都市トリーノの大学文学部に進むことで、ジグザクの過程をへながら変わっていった。

 トリーノに出てきて知ったのは、南部「貧困」が、南部人の無能、未開、生物的劣性等によるもの説明され、南部という「鉛の足かせ」がなければ、北部イタリアの工業文明はもっと大きな進歩をとげていたはずだという考え方が、社会学者や社会主義の論客たちによって支持されていることだった。

 それに強い反発を感じながらグラムシは、他方ではサルデーニャ語なまりが気がかりで、人前ではなるべく口をきかないようにし、大都市の片隅の下宿に独り閉じこもって読書とタバコで過ごす「二重・三重の田舎者」だった。

 そうした状況からの脱出の契機となったのが、若い言語学者マッテオ・バルトリ講師との出合いだった。生きたサルデーニャ語を話すグラムシは、『サルデーニャ語小論』を出していたこの言語学者の目にとまり、研究への協力を依頼された。それに応えるなかで、サルデーニャ語は方言ではなくて独立した言語であるというバルトリ先生の話は、グラムシに強い衝撃を与え、サルデーニャ再考の契機となっていった。

 こうしたサルデーニャ語の新発見は、さらに彼をして言語問題を社会的・歴史的・文化的現象として考察するようにさせ、それは後に獄中での主要研究の一つにイタリア言語問題をあげ、それとの関わりで「知識人問題」や「南部問題」や「民間伝承問題」などにとり組むことによって、彼の革命思想に幅と深みをもたせることとなっていった。

 もう一つ、「サルデーニャ主義」からの飛翔の契機は、同学部で一つ年下のA・タスカとの接触である。大学に入って友達のなかったグラムシに近づいてきたタスカは、すでにトリーノ周辺の社会主義のリーダーで、グラムシを当地の労働者ストライキ闘争を見に誘った。

 そうしたなかでグラムシは、近代工業都市の労働者の闘争を知ることで資本主義の激しい鼓動を感じ、それまでの彼自身の「反本土的」サルデーニャ主義のあいまいさを自覚するようになっていった。社会党に入党したのも、その頃と見られている。

 

貧困家庭の出として

 

 P・アンダーゾンは『西欧マルクス主義』でこう指摘する。

「マルクス、エンゲルスをはじめ、20世紀にかけての西欧マルクス主義の主な理論家はいずれも、ブルジョワ階級出身だった。……そうしたなかでグラムシだけが唯一の例外で、貧困家庭の出だった」。

 そのへんのところを、もう少し詳しく見てみよう。

 一時の職を求めてナポリからやってきた彼の父親は、サルデーニャの片田舎のギラルツァの登記所に就職し、母親は村の税吏の養女で裕福な家庭の部類に属していた。そして男子を頭に女、女そしてアントニオ、男、女、男と7入の子供をもうけ、父親もサルデーニャ永住を決めていた。その一家の平穏で幸福な暮らしは長く続かなかった。

 生まれた時には元気だったアントニオが、1歳半頃のカリエスがもとで突然、背中にコブ状のものができて大きくなり、周期的な発作や貧血に悩み、村医者の数々の治療の甲斐もなく、身障者としての生涯がはじまった。これについては後で見ることにする。

 その不幸に輪をかけたのが、父親の投獄だった。勤め先での職務上の不正行為から逮捕され、58ヵ月の禁固刑に処されたからである。

 母親は、相続した土地を処分して弁護士への謝礼にあて、下宿人をおいたり衣服の仕立てなど、身を粉にして働いた。子供たちもそれぞれ手助けし、11歳のアントニオも登記所で割の合わないアルバイトをした。こうして力を合わせて家族の危機を乗り切った経験は、家族の絆をより強めることになった。

 とはいえ彼の幼少時を知っている人は、「彼の笑いは子供らしいものではなく、彼が嬉しそうに笑うのをみたことがありません」と語っている。グラムシの内心は複雑で、子供心にも鋭敏な感覚で受けとっていたのである。

 母親は夫が刑務所にいるという事情を14歳になる長男だけには説明したが、他の子供たちには、「お父さんは遠い祖母さんのところにいっている」と話して、隠しておこうとした。そんな子供だましが、狭い田舎で通用するはずはなかった。大人たちのさりげない言葉の端などから何かを感じとっていたグラムシにとって、最大のショックは、遊び仲間から嘲りという形で事実を知らされたことだった。

 その結果、母親への信頼と不信、愛情と反抗のあいだを揺れ動きながら母親に強く当たることで内心のもやもやのはけ口を見いだし、手のつけれない子供になっていった。

 夫の投獄後、女手ひとつで7人もの子供をまもり育ててきた母への思いは、大人になるにつれて強くなっていった。しかしながら、今度は彼自身が逮捕・投獄され裁きを受ける身になったのである。最大の気がかりは、その知らせを母がどう受けとるかだった。それを考えるとペンが進まなかったが、こう書き送った。

 「この数日間、ずいぶんお母さんのことを考えました。お母さんはこれまでいろいろ苦労を重ねてきたのに、ここでまたお母さんに新しい悲しみを与えてしまったことや、お母さんの歳のことを考えました。そうしたことがあっても、私が強いようにお母さんも強くあってください。そしてお母さんの深い愛と優しさで私を許してください」。

それとともに、もう一つの気がかりは、幼い子供たちにそれをどう伝え、理解させるかだった。彼は自分の「在獄」という真実を隠すことなく、「すでに分別をそなえた者として扱い、真剣に話してやる」ことを家族たちに求め、「そうすれば、子供たちも深い感銘を受け、性格も強くなるでしょう」と書き送った。

 

 公正さ・誠実さ求める姿勢は、対家族関係だけでなく、彼の現実の政治活動にも見られた。グラムシが党運営において、「党内に分派ではなしに、最大のイデオロギー的等質性をもたらし、したがって実践的行動において最大限の指導上の統一を刻印できるような中核をつくりだす」ようつねに求めた。

 有名な「ソ連共産党中央委員会への手紙」で、同党中央委員会内の論議が、権力闘争の様相を示しはじめていたときに書かれたものだった。

 

 身に負った障害者として

 

 身障者の彼は、「私自身余りにも多くの犠牲を強いられたし、自分が家族のなかでさえ厄介者、余計者だと信じずにはいられないほど虚弱だった」と後に手紙に書いている。反面、彼なりに負けん気でもって不運な境遇に立ちむかっていった。それが発揮されるのは獄中においてだった。

 獄中から彼が凝視していたのは、ソ連共産党指導体制におけるスターリン的官僚化、イタリア・ファシズムにおける軍事的・警察的な権力ブロック、アメリカにおける巨大な生産力の発展による資本主義的再編……。そうしたうえに、妻からの音信不通、とだえがちな家族からの便り、コミンテルンとそれに従っていったイタリアの党指導部の方針との食い違い、それに起因する同獄の同志たちとの対立、その結果としての中傷や誹謗::・。

 

 こうした精神的苦痛や孤立感によって、グラムシは落胆しふさぎ込んでしまうことはなかった。弟にこう書き送っている。

 「私が確信しているのは、いつも自分自身と自分の力だけを当てにしなければならず、万事窮するように思われるときでも、落ち着いて再び仕事に着手し、はじめからやりなおさなければならないということです」。

 それは、彼のたんなる気分的な強がりの表明ではなかった。

「獄中ノート」では「状況を変えたいと望むならば、ありのままの現状に注意力を集中しなければならない」と書き、また別のところでは、「現状を変革する具体的イニシアティヴにおいては知的意志と知的能動性豊かな構想力をともなうものである」

と書いている。

 ここには、現実の諸事態に背をむけることなく、真っ正面で受けとめながら、精神的主体性でもって逆に押し返していくというグラムシの強靱な人間主義がうかがうことができる。

 つまり「知のペシミズム」から「意志のオプティミズム」への逆転である。

 グラムシの真面目はここから先だった。それは現実から逃避することでも、「マルクス」主義」の公式に処方箋を求めることでもなかった。ファシズム体

 

制のもと、同意のない権力、大衆の側からのイニシアティヴの欠如……、だが、そこでは国家と大衆の関係は、一方的で硬直したものとはいえ、従来とは比べものにならないほど深くかつ広範なものとなっており、そこで大衆は国家と出合い、国家的基盤のうえにますます直接的な位置を占めるようになっている。

 そうしたなかでプロレタリアートは、従来のような「機動戦」とは異なった「陣地戦」の展開という新たな条件を見いだすことができる。大衆は、政治から疎外されながら、別の次元の政治的・文化的闘争という新らしい条件を見いだすことができる。

 こうしてグラムシは独り獄中で、20年代後半から30年代半ばにかけて、歴史的転換の可能性を探っていたのである。

 

片桐薫さんの最新刊

 

 ファシズムとスターリン主義が支配した狂気の時代。没後70周年に際し、新資料に拠って生きたグラムシ像に迫る。

●第1部 出会い

●第2部 獄中から・獄外から

●第3部 グラムシ没後と今日

 新資料にもとつく最新の評伝。獄中生活を物心両面から支えた義姉タチャーナと親友スラッファとの交流をはじめて詳細に紹介。  (日本評論社/5040)

(GEKAN SENKU2007.07より)

 



教育基本法改悪阻止! 憲法改悪のための国民投票法案反対!
在日米軍基地縮小・撤去! 核兵器廃絶!

反戦・反核・平和 11・19 ヒロシマ集会 (仮称)

麻生外務大臣の「日本の核保有論議も大事」発言に抗議

2006年10月19日

内閣総理大臣 安倍 晋三 様
外務大臣    麻生 太郎 様

原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)
  代表委員 向 井 高 志
    片 山 春 子
    桑 原 知 己
広島県平和運動センター
  議  長 向 井 高 志
(連絡先)〒733-0013
広島市西区横川新町7-22 自治労会館1階
(TEL 082-503-5855 FAX 082-294-4555)

 

 

 

 


 

「日本の核保有論議も大事」発言に対する抗議・申入れ書

10月18日、衆議院外務委員会で、麻生外務大臣が、北朝鮮の核実験問題に関連し「隣の国が(核兵器を)持つことになった時に、(日本が核保有の是非を)検討するのもだめ、意見の交換もだめというのは一つの考え方とは思うが、議論をしておくのも大事なことだ」と発言されたことに、強く抗議するとともに、発言の撤回を求める。

10月15日、自民党中川政調会長が、日本の核保有について「憲法でも核保有は禁止されていない。核があることで攻められる可能性が低くなる。やればやり返すという論理はあり得る。当然、議論があってもいい」と述べたことに、政府・与党内でも抗議や批判が相次ぎ、翌16日には、安倍晋三首相が「非核三原則は国是として守り続ける。政府で議論することはない」と強調された直後であるにもかかわらず、この発言は現職の外務大臣としてあるまじき発言である。

18日の日米首脳会談でも、日本など周辺諸国の核武装を誘発すると懸念が表明され、中国や韓国を含め日本の周辺諸国からも懸念され緊張を高める恐れがある中で、中川政調会長に次ぐ麻生外務大臣の発言は、きわめて軽率で、周辺各国に警戒感・不信感を与えるものであり、内閣総理大臣として、また自民党総裁としてこうした発言に対し厳しく対処すべきである。

日本において核保有を議論することは、国是である「非核三原則」にも違反するものであり、「非核三原則を変える意図」がなければ全く不要であり、議論すること自体が、周辺各国に警戒感・不信感を与えることになる。唯一の被爆国として、被爆者・ヒロシマの「核絶対否定」を保証するために、国是である「非核三原則」の法制化を強く求める。

こうした発言は、今なお苦しみ続けている被爆者と被爆二世・三世の心、被爆地ヒロシマの心をふみにじるものであり、断じて容認できない。

重ねて、麻生外務大臣の発言に抗議するとともに発言の撤回を求める。そして、「非核三原則」の法制化、そして、核兵器の研究・開発、保有・持込み、核武装論を放棄することを求める。

広島原水禁ニュースより
原水禁ニュース
中川政調会長の「核保有論議発言」に抗議

2006年10月16日

自由民主党総裁  安倍 晋三 様
自由民主党政調会長  中川 昭一 様

原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)
  代表委員 向 井 高 志
    片 山 春 子
    桑 原 知 己
広島県平和運動センター
  議  長 向 井 高 志
(連絡先)〒733-0013
広島市西区横川新町7-22 自治労会館1階
(TEL 082-503-5855 FAX 082-294-4555)

 

 

 

 

 

 

中川政調会長の「核保有論議発言」に関する抗議・申入れ書

10月15日国連で北朝鮮の制裁決議がされた直後,政権政党で自民党の政策責任者でもある中川政調会長は,民放番組で北朝鮮の核実験発表に関連した日本の核保有について「憲法でも核保有は禁止されていない。核があることで攻められる可能性が低くなる。やればやり返すという論理はあり得る。当然,議論があってもいい。」と述べたことが報道された。

この中川政調会長発言は,今なお苦しみ続けている被爆者と被爆二世・三世の心,被爆地ヒロシマの心をふみにじるものであり,断じて容認できない。
ましてや,「憲法で核保有は禁止されていない」との発言は,戦争放棄を明確にしている憲法を無視した国民を愚ろうしたものであり,憲法を順守すべき国会議員としての責務を放棄したものである。
この発言の根底には,「9条を中心とする絶対平和主義を理念とする憲法」を改悪しようとする意図の表れではないか,強く危ぐする。

中川政調会長発言は,核の先制攻撃も辞さない米国,そして核抑止論を根拠にした北朝鮮の核実験実施発表と何らかわりはないばかりか,北朝鮮の核武装を正当化するもので,核拡散の道を開く暴論であり,絶対に容認できない。
直ちに,中川政調会長の発言を撤回することを強く求める。

また,「憲法で核保有は禁止されていない」との発言は,国是である「非核三原則」にも違反するものであり,「日本の核保有について議論すること」は,「非核三原則を変える意図」がなければ全く不要であり,議論すること自体が,周辺各国に警戒感・不信感を与えることになる。
被爆者・ヒロシマの「核絶対否定」を保証するために,国是である「非核三原則」の法制化を強く求める。

日本の核武装論は,安倍首相が官房長官時代に主張していた「憲法解釈上は,自衛のための必要最小限度を超えなければ核兵器を保有できるが,非核三原則やNPTがあるから核保有の選択肢はない」との認識,今年3月の麻生外相の「核武装発言」,さらに,中曽根康弘元首相が会長を務める「世界平和研究所」が去る9月5日に発表した「将来の日本の核武装化について研究しておくべき」との提言などと,今回の中川政調会長発言は軌を一にしたもので,「日本の核武装」を意図したものではないか。

中川政調会長の発言は,シーファー駐日米国大使が,北朝鮮の核実験に関連して「米国の核の傘が日本を守ってきた。日本が自立路線を考えたら,この地域はすぐに危険な状況になる」と,韓国や日本などでの核武装論が高まることを懸念し,警告した矢先であり,国連での北朝鮮に対する制裁決議が採択された直後あることを考えれば、余りにも無神経である。

重ねて,中川政調会長発言に抗議するとともに発言の撤回を求める。そして、「非核三原則」の法制化,そして,核兵器の研究・開発,保有・持込み,核武装論を放棄することを求める。



10月9日北朝鮮が核実験を実施したと発表しました。現時点で実際に核実験であったかどうかはなお不明な報道ですが、国連安保理、中国は非難声明を発表しています。
広島県原水禁と広島県平和運動センターは、ただちに以下の抗議文を送付しました。

また、緊急の抗議行動(座り込み)を行います。最大限の参加をお願いいたします。

 

核実験報道に抗議する座り込み

  • 日 時:10月10日(火)12:15〜12:45
  • 場 所:原爆慰霊碑前
  • 呼びかけ:県原水禁、平和運動センター、広島県被団協、連合広島など12団体による「核兵器廃絶広島平和連絡会議」
(広島原水禁ニュースより)

 

2006年10月9日

朝鮮民主主義人民共和国
 国防委員長 金 正 日  閣下

原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)
  代表委員 向 井 高 志
    片 山 春 子
    桑 原 知 己
広島県平和運動センター
  議  長 向 井 高 志
(連絡先)〒733-0013
広島市西区横川新町7-22 自治労会館1階
(TEL 082-503-5855 FAX 082-294-4555)

 

 

 

 

 

 

核実験実施発表に強く抗議する

10月9日、貴国が地下核実験を実施したと発表した事に、強い憤りをもって抗議する。

この核実験は、日本の核武装を目論む勢力、日米軍事一体化をすすめる勢力に格好の口実を与えるだけでなく、核拡散の引き金となりかねず、世界の平和を脅かし、北朝鮮の安全保障にも逆行する危険な行為ではないか。核兵器をはじめとする武力で平和は実現できず、犠牲となるのは民衆であることがアフガン・イラクなどでも明らかではないか。
これでは、国際社会・世論を無視して、自らの意に反する国・地域紛争に武力で解決しようとしている身勝手なブッシュ政権となんらかわりがない。

いかなる理由があろうと、核兵器の開発・保有・使用は断じて許せない。
直ちに、核開発計画・保有を放棄し、6ヵ国協議に復帰して対話による解決を改めて要求する。

核武装や武力でなく、対話による解決こそが、真の平和実現にとって最も有効であり、北朝鮮の安全保障につながるのはないか。対話による解決こそ人類の知恵ではないか。

民衆の上に立つ指導者であるなら、核開発・武力増強に心血を注ぐのではなく、民衆の衣食住を中心にした生活の改善・充実をさせることこそ重要であり、なによりも優先して取り組みべき課題ではないか。
対話を通じてこそ、休戦協定にとどまっている朝鮮戦争を終結させることにつながるのではないか。

ヒロシマの心は、いかなる理由があろうと、いかなる国の核兵器開発・保有を断じて許さない。重ねて、抗議し、核開発・保有を直ちに放棄することを強く、強く要求する。



東広島市全教職員研修会・講演
「佐渡島を原爆で削れば、新潟の雪が増える」
発言に対し、抗議並びに申し入れ

9月19日、広島県原水禁・県被団協・県護憲・平和運動センターの4団体で、東広島市教育委員会に、抗議と申し入れを行いました。
この申し入れは、8月11日、市教委が開催した「東広島市全教職員研修会」の記念講演の講師、東北福祉大学・有田和正教授が、「新潟市に比較的雪が少ないのは、佐渡島があるから。佐渡島を原爆で削れば、新潟の雪が増える」と、被爆者の思いを踏みにじる発言をしたことに対するものです。

4団体を代表して、向井高志・県原水禁代表委員から、教育委員会次長に文書を手渡し、申し入れの主旨について説明しました。
まず、責任者である教育長が出席し対応されないことに抗議し、被爆地として許すことのできない発言であることを伝え、経緯について説明を求めました。

指導課長から、「市教委としては、講師から届いた、発言に対する謝罪と訂正を各学校を通じて参加者に伝えた」と組織内部の対処しかしていないことが説明されたため、「内部だけでの処理では済む問題ではない。県被団協をはじめ4団体で申し入れている事を重く受け止め対応するよう」強く求めました。

そして、被爆者のみなさん、県民・市民に対する公開謝罪と、経緯と対応について文書で回答する要要請し、市教委からは、「申し入れの内容について教育長に伝える。文書での回答は早急に行う」と回答があり、「文書回答については、あらためて教育長に出席してもらい説明してもらいたい」と重ねて要請しました。

 (広島原水禁ニュースより)

東広島市全教職員研修会・講演発言内容に対する抗議並びに申し入れ

8月11日、東広島教育委員会が開催された「東広島市全教職員研修会」の記念講演にて、講師の東北福祉大学有田和正教授が、「新潟市に比較的雪が少ないのは、佐渡島があるから。佐渡島を原爆で削れば、新潟の雪が増える」と発言されたことについて、私たちは強い憤りをもって抗議します。

この発言は、61年前、広島と長崎に原爆が投下され、生きとし生けるものに史上例のない惨禍をもたらし、原爆によって亡くなられた多くの犠牲者と、61年経った今でも、放射能による後障害に苦しみながら、核兵器廃絶と戦争のない平和を願っておられる被爆者のみなさんの思いを踏みにじる軽率なものであり、私たちは許すことのできない重大な問題として受け止めています。

つきましては、被爆者のみなさんに対する公開謝罪と、この件についての経緯と対応を、文書にて回答されることを申し入れます。


 イスラエルを含む核保有国へ
「中央アジア非核地帯条約」への議定書署名を要請

9月19日広島県原水禁と平和運動センターは、米・英・仏が、カザフスタンなど中央アジア5ヵ国が世界で6番目の「非核地帯条約」に調印したことに対し、異議をはさみ、米国は拒否の方針を明らかにしたことから、アメリカ・イギリス・フランス・イスラエル・インド・パキスタン・ロシア・中国政府に対し、議定書に署名するよう下記の要請書を送付しました。

(米・英・仏には異議撤回を含めた要請、他は議定書署名要請のみ)
(広島原水禁ニュースより)

「中央アジアの非核地帯条約」への議定書署名要請

中央アジア5ヵ国(カザフスタン,キルギス,タジキスタン,トルクメニスタン,ウズベキスタン)は9月8日,カザフスタンのセミパラチンスクで「非核地帯条約」に調印した。紆余曲折もありながら、当事国の努力と国連などの支援によって,8年越しで核兵器の製造や入手,配置など禁止した非核地帯条約化を実現したのである。
世界が望み,核拡散防止が叫ばれる中,歓迎されるべき条約調印である。

ところが,「米国は9月12日,核保有国が行う議定書への署名をしない方針を決めた」と報道された。そしてイギリス,フランスも異議を唱えているという。私たちは,核超大国の身勝手な態度を許す事は出来ない。
自国は核兵器を保有し、自国の都合によっては核開発を容認し,自国の都合にそぐわない国には商業利用であっても容認せず制裁を科すという二重基準も許してはならない。

世界各国には核軍縮の責務がある。核兵器廃絶の願いは世界の人々の切実な願いである。

人類史上初めて原爆投下によって核被害を受けたヒロシマは,この「非核地帯条約」調印を全面的に支持するとともに,貴国が「非核地帯条約」に対する異議を撤回し,議定書への署名を速やかに行うことを要請する。



「体内被曝」「体内取り込み」に言い換え?!
日本原燃・兒島社長の「体内被曝」発言に抗議と要請

9月19日広島県原水禁と平和運動センターは、日本原燃の兒島社長が9月15日に開催された青森県原子力安全対策会議で,使用済み核燃料再処理構造の作業員の体内被曝問題について,「体内被曝の『曝』には強い印象が残り,過剰に心配をかける恐れがある」として,「今後は(体内取り込みに)統一していきたい」と発言したこのに対し、下記の抗議・要請文を兒島伊佐美社長宛に送付しました。(広島原水禁ニュースより)

日本原燃・兒島社長の「体内被曝」発言に対する抗議と要請

報道によると,日本原燃の兒島社長は,9月15日に開催された青森県原子力安全対策会議で,使用済み核燃料再処理構造の作業員の体内被曝問題について,「体内被曝の『曝』に は強い印象が残り,過剰に心配をかける恐れがある」として,「今後は(体内取り込みに)統一していきたい」と発言された。

この兒島社長の発言は,被曝を過小評価し,放射性物質の危険性を隠ぺいする言い換えであるばかりか,「被曝者自らが放射性物質を取り込んだ」との印象を持たせ,被曝者に責任を転嫁し,自らの責任を逃れようとするものでもあり,強く抗議する。

この兒島社長発言には,六ヶ所核燃料再処理工場で作業員が内部被曝した事故で,原子力技術協会理事長が,5月に起きた1例目の内部被曝事故の再発防止策などの中間報告を青森県知事に説明した際に,「再処理を行っている限り微量の被曝は起こり得る」とし,6月24日の被曝事例でも,「農家が畑作業をしていて土が付くのと同じで,(放射性物質の付着を)皆無にすることはできない」と述べたことと相通じた原子力産業界の認識である。これまでの事故隠しやデータ偽造,原発流量計設定値不正入力問題,死傷者まで出した原発事故でも責任をとらず居座り続ける経営陣など,国策にあぐらをかき,国民の安全・安心を無視している表れである。
こうした業界の姿勢では,原発の重大事故防止はできない。

被爆二世にも影響が続く被爆を体験しているヒロシマは,「新たなヒバクシャを出してはならない」と願う立場から,兒島社長の「被曝」を「取り込む」とする表現は撤回し,原子力産業全体が,国民の安全・安心を最優先した姿勢に改めることを強く求める。
あわせて、この申し入れに対する回答を求める。


71年の展望

 

二つの可能性(1971115日 労働者新聞 No.12)(松江 澄)

 

 一九七〇年が去り、一九七一年がはじまった。

 七〇年は政府と「反政府」が随所で対立した年であり、七一年は政府と「反政府」がその指導権を争う年になるだろう。もし意識的に追求すれば現政府を危機に追い込み、新しい七〇年代の端緒がひらける可能性があるが、同時にまた咋年の延長に終始すれば、激発する宇盾が政府と資本の先取りによって吸収され、「安定」した七〇年代の基礎がつくられる可能性もある。

 六九年の反安保闘争は、「危険」を恐れる既成左翼の足ぶみによって回避され、冒険的な「新左翼」の猛進は体制の先制攻撃によって大きな打撃を受けた。

 七〇年は、休制の巧みな誘導と既成左翼の街頭的市民主義、「新左翼」の戦術転換もあって舞台は「安保」から「公害」に移行した。にもかかわらずこの「公害」の中にこそ、現代日本資本主義の最も鋭い矛盾が内包されていた。実に「公害」ほど生産力の発展と現代経済のしくみ、独占資本と国家のゆ着をロコツに露呈したものはない。

 「人間らしい生活を!」「人間らしい生産を!」という声は全国的に湧き起った。戦後民主主義の休制にょる買い取りを超えて新しい「戦闘的ヒューマニズム」の旗印が登場した。それは十九世紀の啓蒙的な人間主義でもなければ、廿世紀の一般ヒユーマニズムでもない。それは公害、交通戦争、過疎等、人間集団をバラバラに切りきざみ、ちっ息するほど圧しつぶし、かすかな「希望」であったマイホームさえ遠慮なくブルトーザーにかける貧慾な「資本」と「国家」に対する、市民と人民の生存をかけた自己防衛の闘いであった。従ってそれはまた、体制の選択に通ずる意味で階級的ヒユーマニズムとも呼ばれるべきものであり、この闘いの先頭にこそ労働者階級は立つべきである。

 しかも、残念ながら昨年の労働者闘争は結局企業のワクの中におしとどめられ、全体としては資本の許容し得る範囲での経済闘争に終わり、激しかった公害闘争も街頭的な市民主義の域

を出なかった。

 七一年の闘いのカギの一つはここにある。

 もちろん、労働者の闘いの主要な陣地は賃金闘争にある。賃金と権利のための闘いを忘れて大衆的な労働者闘争は発展しない。しかし、「上」からの取引きを拒否して徹底した賃金闘争を追求することは、「下」から労働者が職場と生産の主人公になるための闘いと別なものではない。そして労働者が、自らの生活を守る闘いから人民全体の生活を守る闘いへ、また、 「白ら」の人間的な生活を守る闘いから「他人」を傷つけない人間的な生産―それが真の生産だ―のための闘いへと進むときこそ真の指導的階級となることができるだろう。こうした闘いの中からこそ伝統的な企業内主義と労資協調主義は突破されるし、企業内部の経済的な予盾はひら、かれた社会的予盾と結びつくだろう。

 七〇年は沖縄人民の激しい抵抗闘争で終ったが、それは新しい年を通じて日米帝国主義の政治的矛盾としても一層発展するだろう。七〇年代の特長の一つは、政治的矛盾と社会的予盾、また経済的矛盾が次第に接近しもし労働者階級の意識的な指導があれば、すべての対立が関連的に発展し、全人民的に爆発する条件があることである。そうして七一年の課題は、そのほんの僅かな手がかりでもつかみとることにある。そのためにも今必要なことは、今年こそ、こうした闘いを指導できる戦闘的な労働者と住民の集団を形成することであり、形成された集団を一層拡大すると共に、相互に連帯することである。

 職場と地域を基礎とした人氏の自立的な闘いの拠点をつくろう。戦闘的ヒユーマニズムの旗を高くかかげよう。

 七〇年代最初の統一選挙闘争も、こうした闘いと拠点を支えとしてこそ真の戦闘的な議会主義の勝利となるだろう。



かまきり通信

★いかなる企みも東アジアの
       緊張緩和への流れを
               妨げることは出来ない  
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“脅し”とは通常強い方が弱い方に対して行うもので、それでこそ効き目があるといえる。逆に弱い方が強い方に向かって、同じようなことをやったらどうなるか。何のプラスにもならないのは勿論、相手の怒りを掻き立ててとんでもない結果をもたらすことになるのは必定である。しかも今度の場合は「挑戦状」を突きつけられたのが、力も悪知恵も世界に冠たる超大国と言うわけだから、この成り行き波乱なしでは済まぬようだ。
 さて、御大ブッシュ大統領は、大方の予想に反してそれほど多くをしゃべらない。悠然と構えている節さえある。それにひきかえ彼につき従う日本政府は、早速経済制裁だ、安保理決議だと待ちかねたようにはしゃぎ始めた。
 五日払暁、緊急記者会見の席に現れた安倍官房長官は、その深刻な表情にもかかわらず、何か内心の喜びを隠し切れず、笑いが顔に出るのを懸命に押さえているようにも見えたが、実のところいったいどうなのか。
 彼としてはこれで更なる緊張激化の火種が見つかった、ネオ・ファシズムへの道が清められた、九条取っ払いの大義名分にも大いに役立つ等々…とでも踏んでいるのだろう。
                ※   ※   ※

 だが、ピョンヤンの考えもさっぱり分からぬ。相手を困らせてこそ作戦は生きてくるのだが、喜ばせてしまったのではぶちこわしではないか。
 まァそれはともかく、人間というのは恐ろしいものだとつくづく思う。日米の支配層が、北朝鮮をいかに信用できない国家だと決めつけているとしても、それが主権国家であることは紛れもない事実、その相手を最新技術の粋を尽くしたスパイ衛星で上空から監視したりして手を取るように把握している。
 これで相手の冷静になれと言うのが、無茶な注文であることぐらい百も承知のはず、怒らせて動転させてチョンボを仕出かすように追い詰めようと言う魂胆なのは明々白々。
 うまく罠に嵌ってくれたと舌を出しているのだろう。いや剣呑剣呑われわれ善良な市民には世界の出来事すべてを疑ってかかるぐらいの慎重な判断が、今求められていると言えそうだ。ご用心ご用心…。
                ※   ※   ※

 話題を変える。七月に入って日本列島の中央部でちょっとした政治的異変が起こった。滋賀県と東大阪市の首長選挙で前者は、政権与党に民主党までが加わって支持した三期目を目指す現職に対し、主要政党の中では一番非力とされる社民党だけが応援した無名の女性候補が、予想を覆して勝利を勝ち得たもの。後者は政治地図の中では最も左に位置し、中間層の取り込みにはどこよりも苦労するとされる共産党が見事に返り咲いたという選挙戦である。
 滋賀の場合、原動力は市民運動で、新幹線新駅の建設の凍結を訴えたのが奏功したと聞く。争点を一つに絞った戦術と言えば昨夏の総選挙時の小泉流を連想するけれど郵政民営化一本のワンフレーズポリティックスが大事な論点を故意にぼかし巨大マスメディアを篭絡して詐欺師的手法の「勝利」だったのに引き換え今回の“シングルイッシュー”は無駄な税金投入、県民の生活と環境破壊につながる政策の中止を求める広範な市民の声に応えるものだったのであり、その意味は決定的に異なるのではないか。
 東大阪市長選はもともと地力を持つ共産党の元職候補が遮二無二襲いかかる金持ち優遇、福祉切捨ての悪政にノーを唱えて多くの市民の結集をすすめ見事市政奪還に成功したのだと思う。
 これらから得られる教訓は何か。小泉→小泉亜流の流れがこの国の進路を無条件で決めていくものではないと言うことなのである。

                                2006・7・9
★変革の主導権を国民の手に
   小泉→小泉亜流への圧力を強めよう    
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 小泉首相がイラクからの陸自撤退を決めた。もっとも航空自衛隊の活動範囲は逆にいっそう拡大され、トルコ国境にまで及ぶというのだから、ことは単純ではない。
 しかし、ともかく二年半以上にわたった地上部隊の駐屯に終止符が打たれ、このまま推移すれば一人の犠牲者も出さずに全隊員の帰還がかなうと言うわけだから、アメリカ追随の小泉政権がこれまでやってきた政策に対する論議は論議として、この事実は虚心に受け入れなければならないと思う。
 さて、多くの人びとが当初から自衛隊の派兵に疑問の声をあげていた。世論調査を見ても、派兵の継続に肯定的な意見は政府筋の期待に反してほとんど増えず、国民の支持共感を取り付けることに、明らかに失敗していたといえるだろう。
 だがそれにもかかわらず、今度の陸自撤兵の方針は、国民の反対の意思に押された結果だとはとても言えず、もっぱらアメリカ主導による世界戦略の組み替え作業の一端として策定されたものだということも明らかな現実ではないか。
 日本国民は、そして世界の諸国民は、いまだに自らの将来を決定するカを獲得していない。あちら側の支配権はまだまだゆらいではいないのである。

                  ※    ※    ※


 われわれの非力振りと言うか、もてる力を効果的に発揮できていないことが、本来もっと追いつめられていてもおかしくない相手方の安泰を保障し、太平楽を並べさせている原因の一つだ。
 小泉氏の後釜をめぐって、あれだけ余裕たっぶりの内部抗争を彼らがやれると言うことは、野党だけでなく国民全体の屈辱ととらえなければならぬ。
 日米軍事協力の新展開、教育基本法や憲法の改悪等国の進路を危うくするたくらみは無論のこと、身近な問題をとってみても、医療費負担の急上昇、住民税の
大幅増といった悪政が、容赦なく市民生活を破壊し統けている。
 なのに、それらへの不満、怒りを結集して政府与党を追いつめるカが存在しない。いらいらが募るばかりである。こういう状況は、一面では権力の側に立つ人間、権力にぶら下がって、うまく立ち回る人間もしくは立ち回ろうとした人間をして、ますます世の人をくみしやすしと侮らせることになっていく。
 堀江氏に続く村上氏、その彼とひょんなつながりを持つ福井日銀総裁、彼らのしやべっている言葉から得る感想は、ひと口で言えば「世間を舐めてかかっている」ということになろうが、つきつめるとこんな発言を許している民衆自身が、無邪気すぎるという結論にもなりかねない。
 それにしてもこの福井と言うお人、童顔に似合わずふてぶてしいことをしやあしやあと云ってのける方ですねェ。皆さんのお考えは…?

                  ※    ※    ※


 くどくどと愚痴めいたことを並べてきたが、あとふた月あまりしかない自民党総裁選(事実上この国の支配者を決める選挙)までの残された期間、これをどのように活かすべきか。
 このままダラダラと空費してはならぬこと言うまでもない。福井総裁の辞任を求めることで、野党四党が共同歩調を取ることを決めたと言う。結構なことである。だがこれは、小泉→ポスト小泉政権と対決する統一行動への第一歩とすることではじめて意味があるのだから、くれぐれもこの問題だけで終わらせてはならない。

                                2006.06.25

★幅広い連合こそが
      小泉→ポスト小泉に打ち勝つ道    
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小泉首相は今国会の会期を延長しないことに決めたらしい。だとすると、教育基本法の改悪や共謀罪新設などは継続審議、次の国会に先送りということになる。
 率直に言って、これは野党や広範な国民の反対の声にたじろいだ結果ではなく、政府与党側の内部事情、すなわち今秋の自民党総裁選を前にしての党内調整に力を注ぎたいと言う意向が、強く働いたためであろう。
 その意味で、情勢を変えてゆくのには、諸野党も国民もまだまだ力不足という他はなく、これからの頑張りによって、早急に立ち遅れを取り返さなければならない。
 教育基本法破壊、共謀罪、国民投票法等々…いずれも次期国会では、更に陰険な装いを凝らした姿で、現れてくることだろう。並々ならぬ気構えで迎え撃つ覚悟が必要となる。
             ※    ※    ※

 さて、硬軟両様の策略で、沖縄、岩国等の懐柔に当たってきた在日米軍再編問題は、日米両政府間の最終報告を軸にその「的確迅速な実行」を明記した実施方針を閣議決定し、さきに無理やり「基本的合意」に追い込んだ稲嶺知事に無条件受け入れを迫っている。
 しかし彼らの強引なやり口は、沖縄でも岩国でもその他の自治体でも、更なる反発を招き、アメリカのために火中の栗を喜んで捨いかねない小泉自公政権の危険な政策に対する国民の怒りの声も、いっそう高まってきた。
 こうした中、自民党は彼らの次のトップを決める総裁選を数ヵ月後に控え、各グループそれぞれの思惑が入り乱れて、百鬼夜行の有様となりつつある。
 彼らの総裁選は即、この国の政治の最高権力者を決めることになるという見通し(現状では口借しいけれどその通り)から、ここしばらくは世人の目もメディアの報道も、あげて彼らの内部抗争に注がれるであろう。
 それにしても、彼らにこれほどの余裕を与えているものは何か。昨年の総選挙の結果たる与野党議席の圧倒的大差だけによるのではあるまい。
 小泉政権のもたらした破綻…その極端なアメリカ追随、市場原理万能主義、弱者切捨て、格差拡大…こうした政策が生み出したどうしようもない行き詰まり。それにもかかわらず、小泉氏と彼の仲間たちを追い詰めきれぬわれわれの非力さ加減。いったいどう説明すればいいのか。これこそが深刻に問われなけれぱならない。

             
※    ※    ※

 克服すべき弱点は、いろいろあるだろう。だが一番大きな問題は、小泉→ポスト小泉路線に対抗する広範な連合(これは何も厳密な意味での統一戦線でなくてもよい)が出来上がっていないことである。
 その点で去る4月9、10両日のイタリア総選挙の結果は示唆に富む。金持ち優遇、アメリカベったりのベルルスコー二という小泉氏の双子の兄弟みたいな人物の政権を終わらせるため、それに反対する全勢力が、小異を捨てて(それどころかある程度大異をもしばらく不問に付して)団結し、勝利を掴んだのだ。そしてその後行われた地方選挙で、着実に前進を遂げている。
 イタリアで出来ることが、わが国で出来ないはずはない。従来のしがらみに囚われず、あたらしい一歩を踏み出そう。少しでも早い方がよい。
 遅れれば遅れるだけ、国民の不幸は加重する。

                                              2006.06.01
★国民の総ロボット化を狙う
     教育基本法改悪の企てを葬ろう     
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“アメリカのためなら、エーヤコーラ”というわけか、しゃかりきになって大奮闘の小泉首相と額賀長官。稲嶺知事にぴったり張り付いて「説得」を続け、どうにか「基本的合意」にまでこぎつけた。
 さてもご苦労なことであるが、沖縄県民にも全日本国民にも災厄以外のなにものでもない日米新軍事協力体制が、このままスンナリとできあがるわけもなく、また絶対にそうさせてはならない。まさにこれからがわれわれの闘いの正念場なのである。
 さて正念場といえば、教育基本法や組織犯罪処罰法の改悪(共謀罪新設)をもくろむ政府与党の攻勢も、終盤国会に入ってますます常軌を逸したものになってきた。
 とりわけ希代の悪だくみたる共謀罪導入のごり押しには目にあまるものがあり、これには自民党出身の河野衆院議長でさえ、見逃すわけにはゆかなくなって、法務委員会での強行採決に”待った”をかける事態となっている。だがまァよくもこれだけ、恥ずる気色も無く、悪乗りができたものだ。「行革推進法案」「医療制度改革関連法案」「国民投票法案」「防衛庁(省)昇格法案」等々…。

                 
※    ※    ※


 もともと悪法(乃至現行法の改悪)というのは、支配する側の必要から突きつけてくるものであるが、彼らもバカではない。それどころか非常に悪賢いので、これに提出するに際しては、民衆の側の何がしかの弱点、盲点を狙って、揺さぶりを掛けてくるということも随分見受けられる。
 だからこれに反対するわれわれは、相手方の意図を抜かりなく見抜いて、有効な反撃を加えることが不可欠になってくるのだ。
 さて、教育基本法の改悪の目的は何か。支配者のたくらみに何の疑問も持たず、忠実につき従う人間の集団を作り出すことである。その後ろめたさとか、本質の隠蔽とかあれこれの理由で、何をこの改悪の大義名分に掲げればよいかを考えた末、これぞ絶好のキャッチフレーズだと決めたのが「愛国心の涵養」なる殺し文句だったのだろう。
 与党内部のいろんな事情を反映して、その文言が度々改変された経過は、噴飯ものといえそうだが、それにしてもこの問題をためらいも無くしょっぱなに持ってきたのは、彼らなりの知恵を搾り出した結果なのだといえなくもない。
 なにせ「ナショナリズム」の思想とは思惑微妙で、簡単に規定・断定できかねるものだからだ。もちろん政府与党の「愛国心」、彼らの言うところの「祖国」の正体は、すぐ化けの皮の剥げる空虚な誤魔化し以外の何者でもない。

                 
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 現行憲法は、占領者に押し付けられたものだから、自主憲法に変えねばならぬと言う連中の主張は、いま改憲を誰よりも強く求めているのが、他ならぬかっての占領者アメリカだという冷酷な現実の前に、その誤魔化しが音を立てて崩れ始めてきた。かかる、漫画みたいな滑稽さは、ご主人様にぴったり寄り添って、犬馬の労をとる小泉、額賀両氏の惨めな姿に象徴的に表れているといえるだろう。
 ところで真の愛国心とは何か。これはまじめな検討に値するテーマだと思うが、少なくとも政府与党筋のすぐ底の割れるチャチな論理には、お引取りいただいても、差し支えないのではなかろうか。

                          
2006.5.24
★たそがれ小泉政治の悪あがきに
                容赦ない懲罰を   
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 グアムへの引越し費用をちょっぴり負けてもらったことを、さも大手柄のように吹聴する額賀長官は、帰国早々アメリカの世界戦略再編の片棒を担いでいる自己の姿を、はずる気色もなく国民の前に現した。
 テレビは現行の日米ガイドラインが、今日の国際情勢下で見直しが必要となったとする彼の談話を伝えている。この露骨な発言には、自民党後継総裁レースに名乗りを上げている麻生外相がさすがに慌てて、時期尚早だという否定的コメントを出すなど、権力側の内部事情の複雑さも窺えるが、とにかく油断も隙もあったものではない。
 そして、悪だくみの終着点、憲法破壊の前哨戦と与党が意気込む教育基本法改悪をめぐる攻防、国会の多数を頼んで有無を言わさず強行しようとする共謀罪制定の策動への対決等など、われわれは連休に入った今重大な関頭に立たされている。
 ここに来てようやく黄昏てきた小泉政治のこと、なりふりかまわぬ中央突破作戦に打って出てくる可能性が大きい。掛け値なしの正念場である。

                  ※    ※   ※

 ところで小泉与党は、でかい態度をよそおってはいるものの、内実は結構苦しいのだと思う。せっかくグアム移転の出費がいくらか減ったと自慢できると喜んだのも束の間、長期負担額ということでは更に7000億円以上も増える話が無常にもアメリカ筋から伝えられるなど、これまさに子の心親知らずではないか。
 もっとも超大国アメリカがカネに汚いのは、今に始まったことではない。湾岸戦争(不正な戦争だった)のときにも、日本政府は「多国籍軍」(実態はアメリカ軍)のために1兆円を超えるカネを貢いだのだが、事前の予想よりもはるかに早く終わった戦争であったにもかかわらず、当然余ったであろう金を返還したという話はついぞ聞かぬ。
 まァ何かにつけ滅私奉公に徹している歴代日本政府の献身ぶりに対して、アメリカの態度のなんと冷たいことか(特に現小泉内閣に)。
 国連常任理事国入りの問題にしたってそうである。小泉政府の外務官僚が、これまで一緒にやってきたドイツ、インド、ブラジルとの連携も打ち切るという義理を欠いたことまでやって、ひたすらアメリカに縋ろうとしているのに、取り付くしまも無いようなつれないあしらいで、迎えられたというではないか。
 あれほど大声で常任理事国入りのオダを上げてきた手前、いまさら引っ込むわけにもゆかず国連大票田のアフリカ諸国の支持を取りつけようと、首相自らエチオピア、ガーナなどの訪問に乗り出す構えだという。
 だが経済援助をちらつかせて、発展途上国の歓心を買おうとするような浅ましい振る舞いはやめてもらいたい。
 小泉氏個人のことでは済まず、日本国民全体の恥になるからである。

                  ※   ※   ※

 小泉氏の任期もあと4ヶ月あまり。どのような政治情勢の展開になるにせよ、彼がアメリカ追随と市場万能主義、弱肉強食と格差拡大を遮二無二強行してきた人物として、歴史に悪名を刻まれることは、最早確定的になったといってよいだろう。

                                2006.4.30
★おごる自民に痛烈なトリプルパンチ
        全国民の力で悪政にとどめを   
21

 
4月23日は久しぶりに嬉しい日となった。衆院千葉7区補選で、自民党公認候補が敗れた。あえて云う。民主党が勝ったことよりも、自民党が負けたことが一層重要なのである。今はなにはともあれ、小泉自民党に痛棒を食らわすことこそが、求められているからだ。民主党以外の野党は、この点をよく考えてほしいと思う。
 それにしてもこの日は、岩国、沖縄など各地の新市長選挙でも、次々に朗報が伝えられた。あの『ガセネタメール事件』で自公両党は“労せず”優位に立ち、大船に乗った気持ちでわが世の春を謳歌していたが、一転足元が怪しくなってきた感じである。
                 ※    ※    ※

 さあ、小泉政権に立ち直りの機会を与えてはならない。
 これまで摩訶不思議ともいうべきカリスマ性の力で、人気を持続させてきた小泉純一郎氏であるが、任期満了直前の今度こそ、エセ構造改革に引導を渡さなければならぬ。
 考えてみれば、小泉政治の5年間は、従来のどの自民党政権にもまして、ウソとごまかしで塗り固めた国民不在の政策が、まかり通ってきた。
 そしてこの間の“ブッシュのポチ”と呼ばれるアメリカべったりの姿勢には全く目にあまるものがあり、アメリカから舐められ続けてきた結果が、有害食肉の輸入というトラブルであり、総額の75パーセントを要求されているグアムへの米軍移転費の問題である。さすがに泡を食った小泉氏は、額賀防衛庁長官をワシントンに派遣して、何とか局面を打開しようとしているが、はてさて如何なことに相成るか。ラムズフェルドの前に額(ぬか)づいてひたすら減額を乞うという、みっともない姿を晒しているのではないか。彼にそれを求めるのは所詮無いものねだりということだろうが、毅然とした態度で交渉に臨めといいたい。(今入ったニュースでは59パーセントで合意したとのこと、何たる破廉恥!)

                 ※    ※    ※


 話題は前後するが、竹島をめぐって展開された日韓両国政府間の争い、そしてあわただしい一時的幕引き…これをどうみるべきだろう。愚かしい揉め事だと一笑に付してよいものか。
 今回の出来事の底に、脈打っている不気味な排外的ナショナリズムの鼓動。決して打っちゃっては置けぬ深刻な問題だと思えてならない。この不健康な思想が小泉首相とその後継者たらんとする人々によって意図的に自らの支持基盤強化のために利用されているのは、紛れもない事実なのだから…。
 アメリカにペコペコする卑屈さと近隣諸国への尊大な態度がくっついて醜を晒しているのである。

 機は熟した。時を移さず、追撃を開始しよう。彼らの破綻は誰の目にも明らかである。今まで誤魔化しおおせてきたのが、不思議なくらいだ。自信を持って前へ進もう。
                        
2006.4.24

★うんざりだ 永田議員をめぐる茶番劇
   小泉→ポスト小泉の流れに断固たるメスを! 
20  

 
永田衆議院議員への風当たりは、弱まりそうにもない。政治家の『けじめ』なるのものを要求して飛び交う意見を聞いていると、政敵自民党よりも身内の民主党からの方が、きびしいくらいだ。懲罰委員会での各党の言い分は、要するに彼永田氏が議員の品位を損なったとか、国会への信頼感を傷つけたとかいうことに帰着するらしい。ま、いろんな考え方があるとは思うけれど、今の議員諸公や国会に、そもそも品位や信頼感があるのだろうか。

 もともとありもしないものが、これ以上損なわれたり、傷ついたりするものか知らん。それにしても、永田議員がなぜあんなことをやったのか、さっぱりわからぬ。典型的なエリートコースを歩んだあのお人が、どうしてこんなこどもでも引っかからぬようなあやふやな情報に、振り回されたのか。エリートなのにどうして…といったが、ひょっとするとエリートだから見事につまずいたということかもしれぬ。

                  ※    ※   ※

 ところで、『品位』や『信頼』の問題はさておき、今度の騒動で誰が泣き誰が笑ったか、どちらが得をしどちらが損をしたか、そう眺めてみるとこれはもう一目瞭然、疑問の余地なくはっきりしてくる。
 大いに点数を稼いだのが、政府、自公両党そして権力の側に立っている人々であり、打撃を受けたのは野党側(民主党だけではすまぬ)と悪政に苦しめられている一般国民であることは明らかだといわねばならない。
 このドタバタ劇を仕掛けたものは誰か、そんな具合に推論を進めると、なにやらサスペンスドラマの見すぎだといわれそうだから、これ以上の追求はしない。
 ただ、強調しておかねばならぬのは、われわれが闘っているのは、とにかくとてつもない大きな力を持っている相手だということである。

                  ※    ※   ※

 新年度予算案をいとも簡単に通過させて、記者会見に臨んだ小泉首相は終始余裕の表情であったが、傍若無人のようでその実緻密な計算にも長けている彼らしく、要所要所は慎重に言葉を選んで、インタビューに応じていた。
 自衛隊イラク撤退の時期に関してはそれを明示せず、アメリカの顔色を伺いながら英豪などの対応を見守りつつ、様子見の姿勢に徹する構えのようである。
 アメリカの世界戦略の見直しに伴う、沖縄からグアムへの米軍移駐の費用負担問題、日米軍事協力体制の質的構造的変化を画策する両国支配層の動向、そして日米同盟を後生大事に奉って口先だけのアジア善隣外交の空念仏を繰り返す政治姿勢…それらに対決する有効なたたかいが、早急に組織されなければならない。
 それはまたポスト小泉をめぐる与党内部の抗争の反国民的本質を、白日の下に明らかにする道にもつながるものだ。
 前途は険しいが、ひるまず頑張り抜こう。
    2006.3.31

アメリカ追随の小泉政権は
     われわれを何処へ連れて行くのか
     19
            〜いまこそ全国民的抵抗を〜

 
三点セットとか四点セットとか呼ばれてきた(過去形で語られるというのがいかにも情けない)自公政権の失政の焦点をめぐる攻防は、口にするのも腹立たしい民主党のチョンボのお蔭で、いまいち野党側の気勢が上がらない。反対に自公与党にとっては勿怪の幸いとなり、ひところの浮き足立ったそぶりがウソのように掻き消えて、元の図々しさを取り戻している。
 だが小泉サンよ、喜ぶのはまだ早すぎるぞ、あなた方の悪政のタネがなくならない限り、国民からの手痛いシッペ返しもまた免れないというものだ。アメリカの世界戦略の転換がもたらす極東米軍の再編計画は、彼らにあごで使われっぱなしの小泉政権と日本国民との間の矛盾をいやおうなしに激化させる。
 さる12日には厚木基地の米空母艦載機の移転計画に対し、岩国市民は痛烈なノーを突きつけた。そして今またアメリカ側は、沖縄からグアムへの米軍移転費の75%(8,850億円)というべらぼうな金額の負担を日本側に押し付けようとしており、国民の反発を招くのは必至である。
 しかし小泉政権と与党の首脳は、これに無条件で応じかねない破廉恥な姿勢を見せ始めていて、少しの油断も許されない。額賀防衛庁長官の国会答弁を聞いていると、この人物風貌は村夫子然としているが、なかなかのしたたか者らしく一筋縄ではゆかぬ悪知恵の持ち主とみた。くれぐれも要注意。

               
※      ※     ※

 さて弥生3月も、はや下旬である。9日には日銀の『量的規制緩和政策』5年ぶりの解除という素人にはなにがなんだかよくわからぬ改変が行われたわけだが、要するに庶民の「預金」は底ばいが続き(ホンのちょっぴり金利が引き上げられるという話が一部にあるにせよ)、その半面「住宅ローン」は確実に上昇局面に向かっていくというのだから何のことはない、全てこれ従前どおりの金持ち優遇・弱者者切捨ての金融システムの継続ということなのだろう。
 更にはPSEマークをめぐる零細リサイクル業者や消費者泣かせの経済産業省の施策の問題がある。最小限の気配りも欠いた今度のやり口に対する抗議の声は、無神経な官僚連中を大慌てさせるほどの高まりを見せた。
 こうして現状への怒りはじわじわと国民各層に広がり、秩序の壁を揺さぶり始めている。
            
※      ※     ※

 終わりにもう一度日米関係に立ち返ろう。ブッシュ大統領は、21日の記者会見で在イラク米軍の完全撤退は、将来の米大統領とイラク政府が決める問題だと述べた。彼の任期が続く、あと2年半以上もの間、イラク占領を続けると公言したわけである(彼の言葉通り占領継続が可能かどうかは別として)。
 ところで、日本政府はどうするのか。彼らは陸自撤退時期の目安を本年5月ごろと非公式に表明してきたのだが…。われわれはきっぱりと言おう。外国の軍隊が居すわる限り、イラクに平和は甦らない。
 小泉首相よ、今すぐ自衛隊を引き揚げさせなさい。

                          
2006・3・24
★禁じ手はダメ
       正攻法で勝利を!        
18

 送金メール問題はまともに論ずる気も失せてしまうようなバカバカしい様相を呈してきた。民主党は、今日のうちにも事実上”おわび”を意味する経過報告を発表するらしい。
野党第一党のこのみっともないつまづきもさることながら、何としてもわれわれの腹の虫が治まらぬのは、わずか十日あまりの経過の中で、あんなに追い込まれていた小泉自民党がすっかり息を吹き返してしまったことだ。
 彼らは窮地に立たされた前原氏に、救いの手をさし伸ばすほど余裕を見せている。もっともこれは、集団的自衛権や対中国政策などで、自民党そこのけのタカ派的発言を繰り返す前原氏が引き続き民主党のトップであり続けるほうが好ましいという思惑もからんでのことだろう。
 政府与党の悪だくみの本丸、憲法改悪への道を掃き清めるためには、前原氏の協力がぜったい不可欠の筈だからだ。

                 ※     ※    ※


 さてもなさけない状態に陥っている民主党だが、今からでも遅くはない。くだらぬ人身攻撃にうつつを抜かすような愚かなことはすべて終わりにして、本来の政策論争に身を入れたらどうか。
 耐震偽装、ライブドアの証券取引法違反そして食肉輸入にまつわる不祥事、すべてこれ小泉政権の推進してきたむちゃくちゃな規制緩和と”官から民へ”路線、格差拡大とアメリカ追随の政策がもたらした人工災害である。
 武部氏の息子を標的にした今回の騒動の陰で、ないがしろにされて済む問題ではない。議席は減ったとはいえ、すぐれた論客をそろえている民主党には、この切実な国民的課題に対応できる充分な力があるではないか。
 共産、社民その他の野党とも連携を蜜にしスクラムを組んで、水ぶくれの「巨大与党」に果敢な戦いを挑んでほしい。

                
※    ※    ※

 相手は衆院で三分の二以上を制しているといっても、ひと皮剥けば度胸も根性もない腑抜けの集まりである。野党側が正しい政策を引っ提げてぶつかれば、戸惑いやたじろぎが生じて彼らの結束も大いに乱れることだろう。
 さてアメリカは、先に小泉政権を侮って政府間の約束もないがしろにした有害食肉の輸出をやってのけたが、今度沖縄からグアムへの米軍移転に関してまたもや理不尽な費用負担を、日本側に押し付けようとしている。あまりにも法外な要求なので、小泉政府もさすがに二つ返事では承諾しかねているが、国民の間で反対の声が広がらないと見れば、最後にはアメリカの云いなりになってしまうこと火を見るより明らかであろう。
 そんなことができないよう監視の目を光らせようではないか。こうしてひとつひとつ彼らの政策に”待った”をかけること、それらを積み重ねていくことがこの反国民的な政権を放逐する道につながるのである…。
 まるで夢物語のようだと批判されるかもしれないが、決してそうではない。夢を現実に変えるため全力を尽くそう。

                                
2006.2.28
今求められるのは
       正面からの政策論争だ!    
17

 
耐震強度偽装、ライブドア証券取引法違反、米国産食肉輸入の不始末が失政三点セットと呼ばれているが、これだけにとどまらず防衛施設庁の談合だの麻生外相の靖国問題にかかわる不規則発言などがつぎつぎに飛び出し、弱り目に祟り目というのか、泣き面に蜂というのか昨秋の総選挙直後には想像もつかなかったような窮地に立たされている小泉政治の今日この頃である。
 対する野党側は息を吹き返し、ここぞとばかり反撃に転じての諸悪の根源自公政権を追い詰めようと意気込んでいるようだが、これがどうもいまいち迫力を欠き、見ていても歯がゆい感じがしてならない。
 それというのも民主党あたり特にそうなのだが、問題の本質にメスを入れるのではなく、政権与党と同じ土俵の上で、相手の取るに足らぬ凡ミスをあげつらったり、政治家個人のスキャンダルを暴いたりといった点に、精力の大部分を集中させているかに見えるからだ。

                 ※    ※    ※


 そういう手法の一つが、最近話題に堀江氏から武部氏次男への送金メール問題である。このメールの信憑性をめぐってはいろいろ取りざたされているが、本物であるにせよガセネタであるにせよ更に一部でささやかれているように政府自民党筋の仕組んだ罠であるにせよ、小泉悪政のもたらした当然の帰結たる弱肉強食社会を変革してゆく闘いの本筋とは、ほとんど何の関係も無い瑣末事だといわねばならない。民主党もつまらぬあら捜しでなく堂々とした姿勢で論戦に臨むことをわれわれは期待する。
 それにしても権力を持つ小泉自公政権はしぶとい。これだけ逆風に見舞われてもまだ持ちこたえている。この堅陣を突き崩すには、並々ならぬ努力が国民すべてに求められるということになるのではないか。
 さもないと彼小泉氏は、またまたあっけらかんと立ち直り、涼しい顔で今週の任期満了の日を迎え、後継者に将来を託することになりかねない。

                
※    ※    ※

 さて最後になるが、秋篠宮(アキヒト天皇の次男)夫人の懐妊に伴う皇室典範改定問題先送りについてひとこと。昨今の現行典範の是非をめぐる論議は、そもそも主権在民をはっきり規定した日本国憲法の本来の趣旨に即して眺めるとき、はなはだ見当はずれのぎろんだといわねばならぬ。
 自公や政府与党筋のあれこれの発言は言うに及ばず、野党側が発表する見解にも(商業紙やテレビなどの報道を通じて知る限り)あまり見るべきもののないのは、残念至極という他はない。
 この困った風潮のなかにあって、九条の会の呼びかけ人の一人でもある碩学O氏のコメントはさすがにきらりと光っていた。頭の下がる思いである。  
                        
2006・2・21

★小泉政治を歴史の屑かごへ
      働く者がむくわれる社会に!   
16

 
ライブドア騒動はグループトップの逮捕に発展した。昨秋の総選挙に堀江氏を担いだ自民党は大慌てとなり対応に苦慮、弁解だか居直りだかわけの分からぬコメントを重ねた末、ここはひとまず謝るだけは謝っておいた方が得策と判断したのか、武部、竹中両氏に当時の言動を陳謝させ、小泉首相本人もふてくされた態度ながら、とにかく自らの不明を認める記者会見となった。
 ところで、選挙戦で苦杯をなめた民主党が、鬱憤を晴らす絶好のチャンスとばかり久しぶりに生気を取り戻して、反撃を開始したのはまァ当然だとしても、あんなにべったりとホリエモンに寄り添って、提灯持ちみたいな役割を果たしてきたマスコミが、突然態度を豹変、ライブドア叩き一色となったのには、いささか鼻じろむ思いである。
                
※     ※     ※

 堀江氏とライブドアをめぐる過熱気味の報道を眺めると、天下の耳目を集めた風雲児に目をつけて、広告塔に使おうとした自民党の浅ましい選挙戦術のこと、そして、そのヒーローが今や詐欺師まがいのことをやったという疑惑の渦中にあること、それらをネタに声を大にして小泉与党の道義的責任を追及する方向に、人びとを誘導しようという構図がはっきりと浮かび上がってくる。
 しかしながら、このようなとらえ方は、問題の本質をあいまいにするものとはいえないか。今回の事件の主役たちは小泉自民党や巨大資本の手によって、しゃにむに進められてきた数々の規制緩和と市場原理万能主義の土壌が産み落とした申し子であり、彼らと小泉自民党はそれこそ持ちつ持たれつの間柄なのである。
 政府も財界も、自分たちの政策による庇護の元に大きな成長を遂げたこのモンスターの吐き出す毒気に当てられて狼狽しているが、まったく身から出たさびというべきで、彼らがこれでも懲りずに現在の弱肉強食、格差拡大路線に固執する限り、第二第三のライブドア事件が、しかも今度の失敗から学んでより巧妙、陰険な形で繰り返されるおそれなどないと誰が保障できようか。
 だから今こそ社会正義を求める圧倒的多数の国民の声で、彼らのよこしまな政策にストップをかけなければならぬ。

                ※     ※    ※

 ところで天下の情勢はどうなのだろう。昨年10月発覚した耐震偽装問題では、人命に関わる建築物の安全確認を、あろうことか民間の機構に委ねているという驚くべき実態が露になった。
 これだってあんな事件が起こらねば、国民の多くはほとんど気付かぬままだっただろう。そしてライブドア事件のあとでは、輸入再開された米国産牛肉にまつわる不祥事が明るみに出て、小泉政権にはまたまた大きな黒星となったのだが、これなどどう評すべきか。一口で言うなら、日本国民が小泉内閣のおかげで、これほどまでに侮られ見くびられているということなのだろう。
 こうしてさしもの小泉不倒神話にもようやく翳りが見えてきたようだ。

 小泉首相の登場以来4年有余、この間規制緩和、官から民へ、小さな政府、自立援助等などの美名の下、市場原理万能、福祉切捨て、弱肉強食、格差拡大の政策が情け容赦なく強行されていくさまを嫌というほど見せ付けられてきたのだが、彼の任期もあと半年余をのこすばかり。ここまでこの内閣を延命させてしまったこと…、思えば我々の非力が悔やまれてならない。
 だが、もう沢山だ。なんとしても彼らがこれ以上横車を通そうとするのを押し返そう。そしていうまでもないことだが、憲法改悪につながる一切のたくらみも打ち砕こう。
                                2006・1・29

★憲法改悪、弱肉強食に断固ノーを!       15
    〜2006年を総反撃の年に〜

 年は新しくなっても、われわれを取り巻く情勢はあまり変わらない。小泉氏の傍若無人のふるまいが、依然続いている。屠蘇気分も覚めやらぬうちかれはあたふたと中東へ飛び立ったのだが、わが国にとって何よりも大切な近隣諸国との関係をこじらせたまま、遠く離れた中東訪問を正月早々の初仕事に選ぶという神経は、やはり並たいていのものではない。
 もっともこの場合も彼は例のごとく慎重な上にも慎重を期して、万事これでよしという自信が得られた後実行に移したのだろう。不敵ともいえる彼の行動を支えているのが、第二次大戦の戦争責任など今や過去の話、超大国アメリカにべったりくっついて世界に冠たる経済大国の道を一直線に突っ走り、アジア太平洋地域に君臨しようとする排外的ナショナリズム思想に汚染された一部の「国民世論」であることも、残念ながら認めないわけにはいかない。

                
※    ※    ※

 
このあやしげな「世論」は、アメリカに尻押しされて国連安保理常任理事国入りを目指すという小泉内閣の画策にも、肯定的な評価を与える。
 昨年小泉外交は、ご主人の意向を読み違えドイツ、インド、ブラジルと組んで、常任理事国入りを図った。その際ワシントンは、自らの一極支配の永続化をたくらむ立場から露骨に不快感を示すとともに、他の三カ国への態度とは異なり小泉=日本だけなら喜んで肩入れしてやるゾとのメッセージをよこしてきたのである。
 2006年の劈頭日本外務省は、このありがたいおはからいに応えてもう独印伯の三国とは一緒にやらぬ、アメリカの庇護の下に動くのだという。“イチ抜けた宣言”を発するに至った。
 かかるみっともないことを新春早々臆面もなくやってのける小泉氏の下僚の精神構造もまたそう簡単にお目にかかれるシロモノとはいえぬ。
 それにしても繰り返すことになるが、こんなたわけた舞台を見て拍手喝さいを送る観客の「感性」とははてさていったい何なのだろう。


                
※    ※    ※

 しかも小泉政治を支える動きの中に、民主党代表前原誠司氏が一枚くわわっているのだから、まったくもって情けない話である。
 小泉氏の筆頭イエスマンだとうれしそうに語る武部自民党幹事長ごときから一緒にやろうと水を向けられるなんてこの上もない恥辱ではないか。
 「自民党との連立など99パーセントありえない」といくら陳弁したところで、このみじめさをどう取り繕うことも出来ない。自衛隊が米軍と一体となってカリフォルニア州沿岸で実施した軍事演習にしても、前原氏の度重なる不規則発言があればこそ、防衛庁内タカ派は中国を意識した演習などと、公然とうそぶくことが出来るのである。
 こうして冴えない情報が溢れる中、春闘の開始を報ずるテレビニュースが放映された。連合代表が日本経団連の会長に辞を低くして賃上げを懇請している様子が映し出され、これに対する経団連側は木で鼻をくくるような横柄な態度で終始していたのだが、今日の資本と労働の力関係をこれほど明白に物語る光景もない。

            
※    ※    ※

 こんなありさまでは、よほど気合を入れてかからねば今年は乗り切れぬわいと柄にもなく考えていたら、そこへ飛び込んできたのがホリエモンこと堀江貴文氏のライブドア関連企業に検察の手が入ったというニュースである。弱肉強食、格差社会を象徴する存在として超有名なこのお人が今後どうなるのか。
 こういうモンスターを生み出した小泉流エセ構造改革を問い質し、批判し尽くし、否定しさるキッカケとすることが出来るかどうか…。
 体制側の別働隊に過ぎぬ検察庁のやることといったら所詮トカゲのシッポ切り程度でしかない。この国を動かしている魑魅魍魎の姿を人びとの眼前に明らかにしていくこと、これを憲法改悪阻止の闘いとともに今年の重要な課題としなければならない。
 皆さん、2006年を総反撃の年にしよう。
                        
2006・1・18


 「勝ったのは民主主義だ!」NEW

        政権を奪還したイタリア中道左派連合の苦闘の軌跡

                       労働運動研究所 柴山健太郎

 イタリア総選挙結果(2006年4 9、 10 日)

 第1表 下院議員選挙結果

 [中道左派連合−ユニオン(Unione)]        

 

 政党・政党連合名

  得票率(%)

 議席数

  備           考

 

 オリ−ブ(Univo)

 

   

 共産主義再建党

 (Rif.Communista)

 拳の中のバラ

 (Rosa nel Pugno)

 イタリア共産主義者

 (PDCI)

 デイ・ピエトロ−価

 値あるイタリア

 (Di Pietro-Italia

 lavori)

 緑の党

 (Verdi)

 欧州民主連合(UDEUR

 )

 その他

 在外イタリア人

   31.3

 

 

   5.8 

 

    2.6

 

    2.3

 

    2.3

 

 

 

    2.1

    1.4

    2.0

 

   220

 

 

  41 

 

  18 

 

  16 

 

  16 

 

 

 

   15

   10

    4

    7

  左翼民主(DS)、 マルゲリ−タ(Mrg

  erita)、イタリア社会民主主義者

  (SDI)、ヨ−ロッパ共和党

 共産党の左翼民主党への転換に 

  反対し分裂し結成された党

 急進党+民主社会党(カトリック

  教会の影響力排除を主張)

 共産主義再建党のブロデイ政権か

 らの離脱に反対したグル−プ 

 90年代の政界汚職摘発の立役者の

 デイ・ピエトロ元検事とイタリア

  共産党の左翼民主党への転換させ

  た時の書記長オッケツトが創立

  旧キリスト教民主党中道派

  得票数 459、454

 合計

    49.8

  348

 

 (参考)2001年得票総数 19、001、6854 票 同議席数 259 議席

 (注)la Repubblica 2006年4 12日号より柴山が作成。以下の表も同じ。

 [中道右派連合−自由の家(Casa delle Liberta)]

 

  政党・政党連合名

 得票率

 議席

 備         考

 

 フオルツア・イタリア

 (FI) (Forza Italia)

 国民同盟(AN)

 (Alleanza Nazionale)

 キリスト教民主同盟

 (UDC)

 北部同盟

 (Lega Nord)

 

 

 新社会党(DC-Nuovo PSI)

 

 

 その他

 在外イタリア人

  23.7 

  12.3 

   6.8

   4.6

 

 

 

   0.7

 

 

   1.6

 

    137

   71  

   39  

 26  

 

 

 

  4  

 

 

    0

    4

 ベルルスコ−ニ首相の創立した党

 保守党に変身した旧フアシスト党

 

 旧キリスト教民主党右派

 北部の豊かな州を代表し、税金の

 南部への投入や中央の官僚主義に

 反対し地方分権や移民労働者排撃

 を主張

 旧社会党クラクシ派、クラクシ元

 首相を糾弾した共産党やデイ・ピ

 エトロに反発し中道右派に参加

 得票数 369、952

 

 合       計

  49.7 

 281

 

 (参考)

 2001年得票数  18、976、460

  〃 議席数  355議席

 第2表 上院議員選挙結果[中道左派連合−ユニオン(Unione)]

 

   政党・政党連合名

 得票率(%)

 議席数

 備           考

 

 左翼民主(DS)

 

 マルゲリ−タ

 共産主義再建党

 イタリア共産主義者

 緑の党(PDCI Verdi)

 デイ・ピエトロ

 拳の中のバラ

 (Rosa nel Pugno)

 欧州民主連合(UDEUR)

 その他

 在外イタリア人

  17.2

 

  10.5

   7.2

   4.1

   2.8

   2.4

   1.4

   3.6

 

   62

 

   39

   27

   11

  4  

  0  

  3  

  8  

  4

 旧イタリア共産党から社会民主政党に

 転換、社会主義インタ−に加入

 旧キリスト教民主党左派+プロデイ派

 統一リスト

 

 得票数 426、544票

 合    計

  49.2

  158

 

 ( 参考)2001年得票数  17、141、937 票 同議席数  137議席

 [中道右派連合−自由の家(Casa delle Liberta)]

 

    政党・政党連合名

     得票率

   議席

 備       考 

 

 フオルツア・イタリア(FI)

 国民同盟(AN)

 キリスト教民主同盟(RNP)

 北部同盟 (Lega Nord)

 その他

 在外イタリア人

    23.6

    12.2

    6.6

    4.4

    3.1

 

   78

   41

   21

   13

   2

   1

 

 得票数 332、999票

 合        計

    49.9

 156 

 

 (参考)2001年得票数 17、359、754票 議席数 176議席

 

 裏目に出たベルルスコ−ニの新選挙法

49、10日に行われたイタリア総選挙は、プロデイ元首相の率いる中道左派連合「ユニオン」(Unione)が、大接戦の末にベルルスコ−ニ首相の率いる中道右派連合「自由の家」(Casa della Liberta)を敗り、5 年ぶりに政権を奪還した。4 12日付けの日刊紙『レプブリカ』は2面の大見出しで「勝ったのは誰か:勝者は民主主義だ」というプロデイの言葉と、3面では渋面のベルルスコ−ニ首相の顔と「私を隅に追いやらせれない」という談話を掲げ、勝者と敗者の明暗を際立たせた。
総選挙前の世論調査では「ユニオン」は「自由の家」を常に3 5 %リ−ドしてきたが、終盤戦になってベルルスコ−ニ首相は傘下のテレビのネットワ−クをフルに駆使して反共宣伝と固定資産税の廃止などの減税公約をばらまき猛然と追い上げ、上下両院選挙ともに空前の大接戦になった。下院( 定数630 ) の選挙結果は、「ユニオン」の得票率の49.8%に対して、「自由の家」が49.7%とわずか0.1 %の僅差だった(第1、2 ) 。それが議席数で、「ユニオン」が348 議席、「自由の家」 281 議席と大差がついた原因は、皮肉にも昨年10月のベルルスコ−ニ首相が中道右派連合の劣勢をはね返すために強引に成立させた新選挙法だった。 従来の選挙法は日本と同じく小選挙区・比例代表並立制度だった。これは戦後の比例代表制による小党分立が、キリスト教民主党主体の連立政権の長期的支配と腐敗を許したことへの反省に基づき、国民投票を行って制定されたものである。これは上院(定数315)、 下院( 定数630)とも75%を小選挙区で、残り25%を比例代表制で選出する仕組みだった。つまり小選挙区制主体の制度で、下院は1 票制で1 票は選挙区の候補者に、他の1 票は比例代表制で提出名簿に基づき政党または政党連合に投票するが、上院は1 票制で選挙区の候補者にのみ投票し、比例代表は小選挙区の得票結果に基づき各政党に配分されることになっていた。

 ところがベルルスコ−ニ首相は、このような小選挙区主体の選挙制度では中道右派連合に不利だと判断して、昨年10月に突如として上下両院とも完全比例代表制に代える法案を国会に上程した。この暴挙に、中道左派連合は、プロデイ元首相を先頭にして「国民投票を経て制定された現行制度を党派的利害で改正するのは民主主義の精神の侵害だ」と猛反対したが、中道右派連合は十分に審議もせずに上下両院で強行可決させてしまった。
この新選挙法では、下院(定数630 議席、 うち海外選挙区12) は、拘束名簿式で全国1 選挙区で選出され、比較多数をとった政党連合に議席定数の55%の最低340 議席が与えられ、少数派連合には278 議席が割り当てられることになった。上院(定数315 議席、 うち海外選挙区6 議席。 終身議員を除く) は州1 選挙区(20 選挙区) で、州ごとに比較多数の得票数を得た政党または政党連合が55%の議席を獲得する仕組みになった。
ベルルスコ−ニ首相は、「ユニオン」には得票率が2 %前後の小政党が多いので、この新選挙法によって完全比例代表制に移行すれば、小選挙区制よりも候補者の統一や政党連合の代表選出が困難になり、中道右派連合には有利と判断して新選挙法の制定を強行したのだが、この新選挙法が完全に裏目に出たのである。

 下院選挙では、「ユニオン」の得票率は49.8%で「自由の家」の得票率49.7% をわずか0.1 %しか上回らないのに、最も得票数の多かった政党連合が総議席の55%を獲得するという新選挙法により、「ユニオン」が348 議席( うち海外選挙区7)を獲得したのに対し、「自由の家」は281 議席(うち海外選挙区4)になり、少数派に転落したのである。上院選挙でも、イタリア本土では「ユニオン」の得票率は48.94 %、154議席で、「自由の家」の50.19 %、155 議席を下回ったが、海外選挙区(定数6)で「ユニオン」が4 議席を獲得したのに対し「自由の家」はわずか1 議席しか獲得できなかった。そのため「ユニオン」が得票率49.2%、158議席、 「自由の家」が得票率49.9%、156議席になり、上院も「ユニオン」の逆転勝利となったのである。

 元来この在外選挙区制度も、ベルルスコ−ニ首相が「在外イタリア人は保守支持者が多い」として野党の反対を押しきって制定したものだった。だがこれも全くの思惑はずれになった。こうして有権者350 万人の在外選挙区では4 選挙区が設けられた。それは欧州(上院定数2、下院定数6)、 南米( 2、同3)、 北中米( 1、同2)、 アジア・アフリカ・、オセアニア、南極( 1、同1)などである。ところがふたを開けてみると、ベルルスコ−ニ首相の思惑ははずれ、在外選挙区の投票率は約42%で、上院選挙では「ユニオン」は全4 選挙区で1 議席づつ獲得したのに対して、「自由の家」は欧州の1 議席しか獲得できず、「ユニオン」の逆転勝利の決め手となった。怒り狂ったベルルスコ−ニ首相は「選挙で大規模な不正があった」として疑問票の再点検を求め、「ユニオン」の勝利を認めるのを拒否した。だがイタリアの最高裁判所は4 19日、疑問票の再点検を終了した結果、下院の最終的な得票数を発表し、中道左派連合「ユニオン」の得票数が1900万2598票、 中道右派連合「自由の家」が1897万7843票と確認し、2 4755票の差で「ユニオン」の勝利を確定した。

 

 「オリ−ブの木」の再編成から「ユニオン」結成まで

 

 だが今回の「ユニオン」の勝利は、単なる「敵失」の結果として中道左派に転がり込んできたものではない。これには2003年夏以降、プロデイ元首相(当時欧州委員長)を先頭にした、左翼民主(DS)(旧イタリア共産党)の中道左派連合の再建のための、粘り強い努力があったことを見逃してはならない。以下、この過程を簡単に振り返ってみよう。

 03年夏のプロデイ氏の「04年の欧州議会選挙に『オリ−ブの木』は統一リストで臨もう』という提案、それを受けた左翼民主ら4 党による「オリ−ブ・欧州のための統一行動−FED 」の結成と「 統一リスト」 による欧州議会選挙への参加、04年10月の中道左派の9 政党による政権獲得のための戦略会議の開催、05年4 月の州議会選挙での中道左派「ユニオン」の圧勝、10月の「ユニオン」の首相候補者の予備選挙でのプロデイ氏の圧勝、06年2 月の 「ユニオン」の政策綱領の決定を経て今回の総選挙の勝利に至る、3 年に及ぶイタリア民主主義・社会主義勢力の苦闘があったのである。

 上述のように、中道左派連合の再建の動きが始動し始めた契機は、03年夏のプロデイ提案だが、この提案に賛成したのは、当時の「オリ−ブの木」の参加政党では、左翼民主(DS)、イタリア社会民主主義者(SDI) 、マルゲリ−タ(Margerita) と、旧共和党から離れたヨ−ロッパ共和党など4 党だけで、その他の政党は賛成しなかった。そのためこの4 党だけで 04 6 月の欧州議会選挙では「オリ−ブ・ヨ−ロッパのための統一行動−FED 」という統一リストで欧州議会選挙への取り組み、31.1%の得票率で25議席を獲得した。
欧州議会選挙後の04年6 29日、 統一リストの提唱者のプロデイ氏と、統一リストに参加した4 党の党首、書記長その他の幹部が集まり、今後4 党が政党連合の形態をとり、各党代表による執行部で統一行動をとること、欧州議会でも統一リストの議員25人はそれぞれのグル−プに所属しながらも常に連絡を取り合えるシステムを考えることなどが話し合われた。
その話し合いに基づき、05年3 月、 「オリ−ブ・ヨ−ロッパのための統一行動−FED に参加する4 党の党首、書記長にプロデイ氏も参加してFED 基本規約に署名し、FED が正式に発足した。それに基づき、プロデイ氏を委員長とする新しい「オリ−ブ」には、参加4 党のリ−ダ−で構成される15人の指導部と60人からなる評議員で構成される全国評議会が設けられ、外交、欧州外交、憲法問題に関する権限をFED に委譲する「制限主権」を認め、それらの政策は評議会の過半数で決定されることになった。

 一方、中道左派全体では、04年の欧州議会選挙の得票率は45.5%で、中道右派の45.4%を0.1 %上回ったばかりでなく、1999年の欧州議会選挙の42.2%、01年の国政選挙の43.9%から票を伸ばした。こうした成果を踏まえて、プロデイ氏は、自らの欧州委員長の任期(04年10月31日)切れを目前にして、10月11日に中道左派政党の代表を集めて政権獲得にむけての戦略会議を開いた。この会議に参加した政党は、左翼民主(DS)、マルゲリ−タ(Margerita) 、イタリア社会民主主義者(SDI) 、ヨ−ロッパ共和党、デイ・ピエトロ(Die Pietro)、緑の党(Verdi)、共産主義者党(PDCI)、共産主義再建党(Rif.Commmunista) 、欧州民主連合(UDEUR) 9 政党だった。
この会議では、今後の中道左派連合の運命を決する4 つの重要な決定が行われた。その第一は、05年4 月に14州で行われる州知事、州議会選挙で中道左派の全党が「民主大連合(GAD)」の名のもとに統一候補を立てて闘うこととである。第二は、プロデイ氏のリ−ダ−としての地位を確固たるものにするためにGAD の首相候補の予備選挙を行うことである。第三は、1996年に誕生した「オリ−ブの木」の第一次プロデイ政権が、共産主義再建党の政策協定なしの選挙協力と閣外協力によって成立したため、同党の途中離脱によって崩壊し、ベルルスコ−ニ政権を成立させたた苦い教訓に基づく政策協定の締結だった。今回はこの轍を繰り返さぬために共産主義再建党は初めから中道左派連合の戦略会議に参加し、政策立案に参画し、政策協定を締結することが確認された。

 第四は、イラク戦争に関する決定だった。会議は、現在の派兵がイラク占領軍であるので撤兵し、国際会議を開き、国連の平和維持軍として改めて派遣することが決定された。 最後に、05年12月には全党によるコンベンションを開き、総選挙に備える態勢を確立することが決定された。

 会議後の05年3 月に、共産主義再建党はこの決定を実践するために党大会を開き、「中道左派による政権獲得をめざし政府に参加する」という運動方針を賛成60%で可決し、良心にかかわる問題以外は、議員団の多数決に基づき全員一致で投票することを決定した。 共産主義再建党が党大会で正式に中道左派連合への参加を決めたことにより、プロデイ氏はこれまで9 党からなる中道左派連合を「民主大連合」(GAD))と呼んでいたのを「ユニオン」と改称し、ロゴは平和のシンボルである虹を9 党に見立て、その下にオリ−ブ色でL'UNIONE(ルニオ−ネ)と書くことを提案し決定された。

 05年4 月の州議会選挙は、中道左派は20州中13州で行われた選挙で11州を獲得し、その後のバジリカ−タ州選挙でも勝利を収め、「ユニオン」の圧勝に終った。これによりこれまで14州の政府は左派6 州、 右派が8 州だったのが、今回の圧勝で左派12州、 右派2 州と「ユニオン」が絶対的な優位を占めた。特に人口の多いロ−マを州都とするラツイオ州、北部工業地帯のトリノを州都とするピエモンテ州、ジェノバを州都とするリグリア州の政権を奪還し、得票数も「ユニオン」は中道右派連合を250 万票も上回った。

 他方、「オリ−ブ・FED 」では、5 月にマルゲリ−タ全国代表者会議で次の総選挙の比例区で「オリ−ブ」の統一リストではなく独自のシンボルマ−クで闘うことを決定し、一時プロデイ氏との関係が険悪化したが、左翼民主の仲介で和解し、マルゲリ−タは上院選挙では独自のリストで闘うが下院選挙では「統一リスト」で闘うことになった。さらにプロデイ氏を中道左派のリ−ダ−として認め、「ユニオン」の首相候補の予備選挙ではプロデイ氏を支持することを表明することで合意が成立し、マルゲリ−タもFED も分裂の危機を脱する一幕があった。

 6 20日、 中道左派を形成する9 党のリ−ダ−が一堂に会し、@10月8、9 日に予備選挙を行うこと、A12月には9 党で政権の政策作成会議を開くこと、B政権をとった場合はプロデイ氏は5 年間の任期を全うすることなどを決めた。

 中道左派の予備選挙は、05年10月16日にイタリア全土9731カ所、国外157 カ所、投票者は実施前の予想では100 万人に達すれば大成功とされたいたのが、予想をはるかに上回る431 1149人に達した。また居住権を持つ外国人でも、滞在許可証と身分証明書を提示して登録し、投票時に最低1 ユ−ロ(140円)をカンパすれば投票できることが決められ、4 7000人が参加した。

 予備選挙の結果は、予想通り左翼民主、マルゲリ−タ、社会民主主義者、ヨ−ロッパ共和党の推したプロデイ氏が他を大きく引き離し74.1%を獲得して圧勝した。次いで共産主義再建党のベルテイノッテイ氏が14.7%で第2 位、中道の欧州民主連合(UDEUR) のマステッラ党首が4.6%で第3位、デイ・ピエトロ氏が3.3%で第4 位、 緑の党のペコラ−ロ・エスニオア氏が2.2 %で第5 位などとなった。これによってプロデイ氏の「ユニオン」代表としての地位が確立した。この予備選挙には全国の有権者の1 割近い人たちが投票所に足を運び、中道左派躍進にはずみをつけた。ここでも新選挙法によるベルルスコ−ニ首相の「ユニオン」の内紛挑発の策謀は、中道左派連合の民主主義の実践によって見事な失敗に終わった。
ベルルスコ−ニ首相の策動に加えて、中道左派連合内部では、「体外受精」の国民投票、首相候補の予備選挙の方式、「オリ−ブ」内部の「改良主義政党」結成をめぐる左翼民主(DS)、社会民主主義者(SDI) 対マルゲリ−タの路線の対立など、幾度か分裂の危機に見舞われた。だがその都度、分裂の危機を克服できたのは、左翼民主を中心とする左翼のイニシアチブによる徹底した民主的な話し合いと、共同の実践に基づく合意の獲得だった。「勝者は民主主義だ」というプロデイの言葉には、ここに到達するまでのイタリアの民主主義・社会主義勢力の苦闘の実感がこめられているといえよう。

 

 「『持てる者』と『持たざる者』へのイタリアの分裂をなくそう」

今回の総選挙で、中道左派連合がベルルスコ−ニ首相の率いる中道右派連合との大接戦を制することができたもう最大の原因は、ベルルスコ−ニ政権のなりふり構わぬ「政治の私物化」や相次ぐ汚職事件の発生に対する国民の強い反発だった。

 「政治の私物化」の代表的なものは、相続税・贈与税の廃止、企業の粉飾決算の非刑罰化、首相在任中の刑事責任免責を規定した「免責特権法」、個人によるテレビ・新聞などの所有規制の緩和、公判開始中も時効を適用する「時効法」の制定などがそれである。汚職事件では、最近のオランダの銀行による伊アントンベネタ銀行の買収に関連する前中央銀行総裁によるインサイダ−取引疑惑、ベルルスコ−ニ首相のメデイア関連企業の脱税疑惑裁判におけるイギリス人弁護士への偽証依頼疑惑、昨年4 月のロ−マの県知事選挙におけるストラ−チェ保健相(国民同盟)の政敵スパイ事件の発覚による辞任などスキャンダルが相次いでいた。選挙戦で「レガリタ(法の支配)の確立」が高く叫ばれたのはそのためだった。

 さらに選挙戦のなかで重大な争点として浮上したのは貧困化の問題だった。イタリア通貨がユ−ロに切り替わったのは、01年5 月にベルルスコ−ニ政権が発足して約半年後だったが、以来4 年間に物価はほぼ倍になった。ところが賃金上昇は平均8 %に過ぎず、勤労大衆の貧困化が急速に進んだ。イタリア銀行の報告によると、家庭の債務総計はベルルスコ−ニ政権の発足時の01年から05年末までの4 年間に2500億ユ−ロ(約35兆円) から3850億ユ−ロ(約53兆9000億円) 54%も増大する一方、貯金ゼロの家庭は38%から51%へ、全世帯の51.4%と全世帯の半数を超えた。
イラク派兵問題も大きく取り上げられた。ベルルスコ−ニ政権は7 割を超す反対世論に背を向けて、ブッシュ大統領の「大規模戦闘の終了」宣言後に3500人の軍隊をイラクに派遣した。ところが05年3 月、米軍兵士によるイタリア人記者の銃撃事件後、イラク派兵の撤退を求める世論の高まりに押され昨年9 月から段階的撤退を開始し、本年1 月にはマルテイノ国防相が年末までの完全撤退することを示唆したが、それも「米英の合意があれば」という条件付きで、ベルルスコ−ニ政権の対米追従外交と反EU的態度は際立っている。 総選挙終盤戦に入った本年2 月、ドイツ保守派長老のコ−ル本首相はプロデイ元首相の招きで会談したが、彼は欧州人民党の仲間であるベルルスコ−ニ首相にではなく、プロデイ首相ににエ−ルを送り、「ロ−マでは誰が政権についても、イタリアは言葉ではなく、事実において確固として欧州支持の立場に立っていた。今日では、このイタリアの声が欠けている」と痛烈にベルルスコ−ニ政権批判を行った。ここでも欧州政界からも不信を浴びているベルルスコ−ニ政権の立場が象徴的に示されている。

 06年2 11日、「ユニオン」代表のプロデイ氏は、ロ−マでの政策協定の締結と発表の会議で改めてベルルスコ−ニ政権の実績を厳しく批判して次のように述べた。

 「右派政権の5 年間に、イタリアは持てる者と持たざる者、ずうずうしく富んだ者と貧しくなった者、系統的に税を逃れながら優遇された者と最後の1 ユ−ロまで税を払った者、政府の行動によって存分に力づけられた者と政府から見捨てられた者に分裂した。われわれは、この分裂を一掃したい」 それでは最後に「ユニオン」の政策綱領の要旨を紹介して本稿を終わりたい。

 

 「ユニオン」政策綱領*  

 [国内部分]

 

 [労働、権利、経済成長]  
「労働と福祉」は、われわれの経済社会政策の価値の中心軸である。その出発点は、経済発展と社会発展、権利と成長、競争力と正義の間に質の良いサイクルをつくりだすことにある。われわれは、自由という考え方を個人の権利としてだけでなく社会的責務ととしてとら

える。個人の権利ならびに労働の権利と、社会的権利の不可分の結びつきを取り戻すことができるし、そうしなければならない。
われわれにとって平等とは、「基本的な能力の平等」であり、連帯とは、とりわけ、男性と女性、そして各人の社会に対する責任である。
われわれは、能力、すなわち、個人が「人間となる」自由を制限するあらゆるメカニズムに強く対抗することを、公共政策における最優先の責任であると考える。

 

 [完全(雇用)で質の良い労働]
経済は危機的状況にあり、雇用の増加はとりわけ南部において中断し、雇用の不安定化が進んでいる。[右派]政府は、雇用の安定化、貸付支援策の手段を縮小したり取り消したりしてきた。こうした支援策の放棄は、労働者の置かれた条件を悪化させ、不安定さを増大させてきた。

 われわれにとって、雇用の通常の形態というのは、[雇用]期間に定めのない労働]である。だれもが人生の設計をたて、安心して働くことができなければならない。柔軟な労働[パ−トやアルバイト、派遣・季節労働など雇用期間に定めのある労働]は、安定した労働よりも安い値段で扱われてはならない。だれもが人生の設計をたて、安心して働くことができねばならない。また期限の定めのある雇用契約は、[企業が]必要とする客観的な根拠が明らかにされねばならず、企業の雇用総数の一定の枠を超えてはならない。

 

 [市民の権利の新しいネット、個人と家族]
わが国において、比較的多数の市民や世帯が、ますます深刻で経済的に困難な状態へと向かっている。
イタリアは、発達した諸国のなかで、可処分所得の不平等率がもっとも高い国である。

人口の19%が相対的貧困ライン以下で生活している。貧困や低所得は、特に子供に打撃を与え、とりわけ若い母親のより広い層に社会的経済的後退の危険を生み出す。
ここ数年、低所得層や不安定な人々への適切な支援、社会サ−ビスや住宅の提供、失業

手当て、社会経済政策が欠如していた。

 「ユニオン」は、こうした状況を変えることを約束する。

 

 [外交部分]

イタリア国民の生まれつき持っている平和に対する志向と憲法第11条( 国際紛争を解決する手段としての戦争放棄 )を、安全保障問題でイタリアが遂行する選択の中心点にすえる。

 決定の共有と共通の規則の作成と解釈される多国間主義を選択する。紛争を予防し、「憎しみの水たまり」を干し上がらせることを促進しながら、国際的レ

ベルで平等と正義という目標を積極的に追求する平和の予防策を選択する。紛争に対処し、法と諸権利に基づく国際秩序をつくる要として、国際的合法性を選択す

 

 [国連システムのなかのイタリア]
多極世界への貢献として、国連、イタリアが所属している国際機関を強化することは、欧州統一の構想とともに、最優先の国益である。
イタリア共和国は生まれつき平和への志向を強く持っている。それは友好国と同盟国、とりわけイタリアが加わっている国際機関と同盟にイタリアが提供してきた資源である。イタリアは、自らの歴史に基礎を置くとともに、顕著な規模で、イタリアが持っているいくつかの限度、不面目なペ−ジにも基礎を置いている。
国際紛争の解決手段としての戦争拒否、集団的安全保障という代案の選択は、まさにこの歴史の産物である。
核の野望を実現したばかりの国、あるいは実現しようと望んでいる国々にいっそう効果的な圧力をかけるため、核兵器保有大国が軍縮の具体的措置を再開することを求めなければならない。

 

 [イラク]
イラク戦争と占領は、重大な誤りであったと考える。それは何も解決しなかったばかりか、安全保障の問題を複雑化させた。テロリズムはイラクの内部に、同国国境の内外で、行うテロ活動のための新しい基盤と新しい口実を獲得した。国際的合法性を破る形で始められた戦争は 、国連を弱体化させ、戦争の多国間主義的な統治という原則を弱める効果を与えた。紛争を一致して解決し、国連の権威を取り戻してその役割を強化する手段としての多国間主義の価値を確認するために、イラク国民と国際社会に対し、非継続性の明確なシグナルを送らなければならない。

 多国間主義の原則にそい、現在の軍事関与を乗り越え、国際的当局(国連)の関与を実現する明白な路線転換を伴う、イラク危機の管理の国際化が必要だと考える。もし選挙に勝利するならば、われわれは直ちに、技術的に必要とされる時間のうちにイタリア軍を完全撤退させることを国会に提案する。

 

 [新しい国防政策]
次の会期でわれわれが作業しようと考えている根本問題は、@欧州防衛ならびに欧州連合と米国の協力A新しい現代的な防衛システムの再構成B人的資源を中心に据えること−である。欧州防衛は、国の有効な安全保障政策と信頼できる国際環境に不可欠なものである。世界の一極的な仕組みから発生する諸問題に対応するために、常に大西洋同盟との関係の中にありつつも、深く変容しつつある自立した欧州防衛にねらいを定めて向かっていかなければならない。
イタリアが米国の誠実な同盟国であるだけでなく、欧州統合政策の主人公として確固として欧州に結合しているという戦略的な位置を提案しなければならない。「ユニオン」は、欧州に置いての協力の枠組みの中で、軍事費の削減を可能にする政策を支援することを約束する。

 *『しんぶん赤旗』06年4 14、15 日号より引用。

 


大原社会問題研究所雑誌No.572/2006.7に掲載されたものです。伊藤晃氏と編集部早川氏の掲載の了解を取ってあります。

刊行委員会編監

『山本正美治安維持法裁判―続/山本正美

陳述集―裁判関係・論文集』

評者伊藤晃

  本書の著者山本正美は,1920年代半ばにソ連(クートヴェ)に留学,プロフィンテルンやコミンテルンで活動し,いわゆる32年テーゼ作成に実質的に関与した唯一の日本人になった。32年に帰国,このテーゼに基づいて壊滅状態の日本共産党を再建する責任者となり,33年春に検挙された。公判に付された山本は法廷で長大な陳述を行った(36-37)。本書はその陳述の筆記を原本として,山本に親近した人びとが刊行したものである。

  本書刊行以前1998年に『山本正美裁判関係記録・論文集』(新泉社)が刊行され,これには彼の予審尋問調書と獄中手記が含まれている。これらと本書所収の陳述とは重なるところも多く,あわせて扱われるべきものであるが,そのなかで陳述の特徴は,共産党再建運動にまつわることがほとんど述べられず,もっぱら32年テーゼの理論上,政治上の立場を説いていることである(獄中手記もそうだが)。このテーゼを正しく理解させ,対立する諸見解を批判して党再建の基準を与えるために,彼は肉声を公判廷から運動に届かせようとしたのであろう。

  これは当時の運動には生かされなかったが,第一級の歴史資料になった。山本は前述の経歴からだけでなく,その理論能力からも,32年テ一ゼを語るのに最適の人である。彼の能力はソ連滞在中,アキなるペンネームの諸論説にも示されたが,コミンテルン内で相当高い評価を受け,日本問題については欠かせない要員になっていたようである。日本国内で活動した共産党員やマルクス主義学者と比べてみてもその水準は高く,本書は当時の日本共産主義運動の理論の程度(正・負の両面で)をはかる手がかりになるものである。本書刊行の意義は大きい。

 陳述は32年テーゼ作成の経緯については述べていない。しかしそこで山本は,コミンテルンがこのテーゼに何を期待したかを示唆しようとした。彼は戦後,自伝『激動の時代に生きて』(1985年マルジュ社刊。以下『自伝』と略称)など機会あるごとに,当時スターリンをはじめソ連上層部をつき動かしたのは,「満州事変」で顕在化した日本の極度の侵略性に対して日本の運動を立ち向かわせねばならないのに,この点での日本国内での認識が弱いと焦慮したことであった,と述べている。陳述はまさにこの問題,日本の侵略性が近代日本の経済,社会,政治のどこに決定的に起因するか,当面の国際情勢がいかにそれを強めているか,従ってこれへの対決がいかに日本革命の中心問題であるかに集中,というより終始している。

 このテーゼが,スターリンの意を汲んだ絶対主義天皇制なる観念を基底にもつ歪みによって,日本の運動にマイナスの効果を与えたことは,すでに論議を要しないであろう。コミンテルンでもこのテーゼは数年で棚上げになったらしい。しかし陳述の当時はもちろん,その後も山本は,日本の侵略性と正面から戦うという実践的熱気が32年テーゼに込められていたと考え,それを運動に伝えたかったのである。ここから陳述は,テーゼの解説であるとはいえ,公式的なそれを越えたいくつかの注目すべき論点を持つことになった。

 

 山本はテーゼに沿って,日本資本主義が発展しながらも古い「半封建的」要素への依存を断ち切れない構造的関係を強調するが,そのとらえ方は著しく動的である。発展のなかで新しい要素と古い要素とが常に相互依存と矛盾の枠組みを作りかえていくという。いわゆる講座派と労農派との論争を揚棄しうるものが感じられる。日本資本主義の構造的弱さがむしろ強い帝国主義的侵略性を生み出すという,経済の政治に対する逆説的規定性は,山本がことに強調するところである。

 経済的にニ流の日本帝国主義が,東アジアにおける帝国主義的支配体系を変動させる能動的要因たりえたのは,日本がこの地域で軍事力を自由に働かせる便宜を独占したためであったが,それが一方で米・英帝国主義との対立を深め,またこの時代の新しい政治要素,民族解放運動(中国革命)の主敵として日本を押し出さざるをえない。しかも近年の軍事・運輸・通信技術の発展は日本の軍事的優位を失わせ,侵略行動を発展の本質的要素としてきた日本の危機を深める。この山本の見方からは,資本主義の危機の分析が本質的次元から現実的具体的次元に進むとき,社会構成における経済の契機に止まらず政治・軍事の契機へ上向しなければならぬ,という方法論上の立場がうかがわれる。

 また,一国の範囲から世界政治のなかでの対抗関係に視野を拡げて日本を見るとどう見えるか,という見地は,実際に長期間外から日本を見てきたものの強みであって,日本マルクス主義の歴史,現状の分析能力を格段に高める可能性を秘めていた。『自伝』によると,山本は帰国後野呂栄太郎と討論をくり返したが,そのとき野呂に対して要求したのは,日本資本主義の構造的矛盾を帝国主義的侵略性の規定要因という観点からもっと深く考えよ,ということであったようだ。

 

 天皇制についても,固定的に絶対主義と見るだけでなく,独占ブルジョアジーの成長が天皇制と寄生地主制との三者の関係の変動を牽引し,天皇制の主要な基礎となる方向へ進むと見る。天皇制官僚勢力のなかで「政党官僚」の重みの増大という注目すべき指摘があり,危機のなかでブルジョアジーが天皇制を放棄する選択肢にさえ言及している。ただし当面の国際的国内的危機は天皇制への依存関係,天皇制の相対的独自性を強化させざるをえない,と見るのである。

  こうした論点は,言い方を変えれば,32年テーゼが日本の現実のなかでどう修正されなければならなかったか(山本に言わせればどう発展させられねばならなかったか)を示していることになる。山本はそれを,日本の侵略行動の進展に対して刻々に立ち向かう,という立場から考えていたのであった。

さて,重要な働き手であった山本を,コミンテルンは日本に送り返したのであるが,それは,絶望状態に陥り31年政治テーゼ草案で方向を見失った(とコミンテルンは見る)日本の運動を立て直す,最後の切り札としてであっただろう。

しかしその任務は果たされなかった。運動再建と一斉検挙の追いかけっこ状況の只中に単身飛びこんだ山本は,わずか数か月の活動で検挙された。しかも大量転向の時代が迫っている。そこでは32年テーゼの実践的検証の機会は失われるであろう。

  大量転向の一因にはたしかに,32年テーゼのもたらすマイナス効果が感じ取られたことがある。山本の公判陳述はそのなかでテーゼの思想を擁護しているが,しかし彼も苦悩しつつあったのである。山本が「進歩的国民主義」の立場への転換を表明したのは1939年のことである。

『自伝』によると,彼は反戦反ファシズムの広汎な統一の重要性を軽視していたと気づいた。

 

 

民衆の潜在的な革命へのエネルギーを育てるために,勤労大衆との結びつきをどのような形であれ保ち,小さな不満や反抗をとらえて支配体制を下から崩す活動,そういう能力の共産主義者における欠如を痛感して,戦時体制の矛盾を大衆とともに変革の方向に利用する道を選んだのであった。

 こうしたある種の転向として自己批判を表現したのは,当時の破壊された運動のなかでそれしか選択肢がなかったからであって,山本個人にとっても運動全体にとっても不幸であった。

この時期,運動がもっていた諸欠陥について,悪罵を放ちたくなければ黙っているほかなかった。そこでは32年テーゼへの批判も公然と議論する機会は失われたのである。

 しかし山本は,公判陳述において,自ら意図せずにだが,テーゼ批判の論点となるべきことをいくつか示唆している。陳述は当時の日本社会主義思想の到達点を示しているが,それは裏側から見れば,ついにどこまでしか到達できなかったか,という限界点をも示しているわけである。そのいくつかを指摘してみたい。

天皇制をロシア・ツァーリズムとの類推から絶対主義権力と見るのは,コミンテルンの一貫した傾向だが,32年テーゼはそのもっとも固定的な形を示している。これはすでに諸家が指摘している。山本がこの点,絶対主義天皇制という見方に同調しながらも著しく柔軟だったことは前述のとおりである。しかしそこにも大きな弱点はあった。ツァーリズムと近代天皇制との大きな違いは,前近代的で民衆にとって外的な権力と,ともかく近代国家の支配体制として民衆の内面を規制してきたものとの,ヘゲモニーカの差であろう。この点での天皇制の強さについて山本陳述はほとんど言及していない。天皇制イデオロギーの分析,戦争と植民地支配に民衆が自己の運命を托する,その意識構造の分析が欠如している。32年テーゼは,天皇制廃止の思想を民衆意識の深層に届かせる点で無力であったが,山本陳述はここでテーゼを批判する力をもたなかった。

 第二に,28年コミンテルン綱領が極度に固定的に定式化した「資本主義の一般的危機」という観念を,山本陳述も共有していた。危機からの出口は戦争と革命にしかないというカタストロフ思考は,彼の日本分析におけるダイナミックな発想の効果を消してしまうのである。だから,進行中の総力戦体制への推移が,古いものと新しいものとの歴史的前方に向かっての二重化という,グラムシならば受動的革命ということばで説明したであろう実態をとらえきれなかった。この受動的革命の効果は戦後日本をも規定するのであるから,結局山本の理論は戦後にまで至る十分な射程距離をもたなかったことになる。

 第三に,一般的危機論は,コミンテルンの周知のセクト主義とも深く関係していたが,山本もこれを打破する上で力が足りなかった。陳述は人民戦線に言及してはいる。しかしこの時期に必要だったのは,従来の階級闘争の隊列と民主主義・平和の隊列との問にズレが生じるなかで,社会主義革命の新しい戦略を模索することであった。しかし山本陳述には,革命の歴史過程における民主主義的ステージのもつ可能性を汲みつくすこと,階級闘争の一部に止まらない独自な領域としての平和闘争の意義を解明することよりは,革命のソヴェト方式とプロレタリア独裁への固執が目立つ。階級対階級の思想,社会ファシズム論をともかくも批判した35年コミンテルン7回大会を,山本は詳しくは知らなかったであろう。ただ彼は,古い思想を口にしながらも,前述のように深い疑問を内心感じてはいたのである。

  こうして山本陳述は,日本支配体制の構成に関する理論において高度なものを持ちながら,変革の理論において貧困である,というアンバランスを示すことになった。このことは日本の運動思想の伝統であるが,同時にスターリン支配下のコミンテルン思想の弱さをも示すものであろう。

 従来日本共産主義運動史研究には,日本一国の視野に止まるか,コミンテルンへの受動的関係の分析を好む(正・負いずれの面を重く見るかは別として)傾向が強かった。本書(山本陳述)はそこに一石を投ずる効果があったと言ってよいであろう。山本は,日本の運動をして国際的運動のいかなる能動的構成部分たらしめるか,という考えをもって30年代共産党運動にかかわった人だからである。同時にそういう考えがどこまで到達したか,どこまでしか到達できなかったかをも,山本陳述はよく示している,というのが私の得た印象である。

(刊行委員会編監『山本正美治安維持法裁判陳述集ー続/裁判関係記録・論文集』新泉社,

20057,524,定価20,000+)

(いとう・あきら千葉工業大学教育センター教授)

 

大原社会問題研究所雑誌No.572/2006.7