新しい血は新しい革袋に

中野徹三氏の「社会主義像の転回』を読む

                       石堂清倫

労働運動研究 1995.4 No.306

 

 現代社会主義の崩壊がわれわれに教える最大の教訓は、時代の転換が新しい構想を要求しているということである。崩壊したのは昨日の世界の革命思想であり、今日の世界にふさわしい新しい社会主義像が求められているのに、それがまだ存在していなかったのである。

 ソ連共産党第二O回大会でのフルシチョフ秘密報告は、スターリニズム批判の第一声であった。それは社会主義の思想と実践における全面的反省を求めるものであったが、改革者フルシチョフはソ連共産党そのものによって葬られた。

 一九六八年の「プラハの春」は、支配政党であるチェコスロバキア共産党による共産主義の再生を求めるものであったが、それは事もあろうに、ソ連以下共産主義諸国の軍事的弾圧によって蹂躙されてしまった。

 ゴルパチョフによるペレストロイカの運動は三度目の改革提唱であつたが、これまたソ連共産党自体のクーデタによって中断された。

 伝統的共産主義はもはや進歩や改革の担い手でなくなり、保守と反動の下手人に堕落していたのである。理論と実践がこれほどまでに分製したことはかってなかった。それは時代の変遷を承認したがらない保守勢力が依然として支配をつづけていることを実証した。これまで忍従していたロシアの民衆がはじめて立ちあがってクーデタに反撃を加えた。

 この劇的な歴史の変転を、客観的事実の分析と、本来のマルクス的方法にもとづいて説明し、そこから明日への教訓を引き出すことは刻下の急務であり、社会主義者であるわれわれの死活の問題である。かつてマルクスがフランス革命の推移を、あたかも現地で取材したかのように活写した「プリュメール一八日」の現代版が切実に要求されるのは当然である。そのような本はいつか出ることであろう。また出なければならないのである。そのための部分作業にあたることを旧イタリア共産党がやっていた。

 その第一は、 六〇年代は何であったかを中央委員会で討論したことである。その成果は、ソ運共産党のイデォロギーである「マルクス・レーニン主義」との決別であった。教条化きれたマルクス理論の再検討がはじまり、マルクス理論のうち、何が生きており、何が死んでいるかがいろいろな人によって論じられた。中野氏が昨年の社会思想史学会で同じ題目で報告をしているのはけっして偶然ではない。

 現実の社会主義が何であったか。それと本来のマルクス理論とはどんな関係にあるか。「マルクス・レー二ン主義」が正当化をはかったソ連共産主義の実体は何であつたか。スターリニズムのようなマルクス思想の歪曲と変質を生み出したロシア社会の現実は何であったか。本来の社会主義とは何であるべきか。それらの問題を理論的に、しかも高い水準で一貫して説明することは容易なことではないが、中野氏はその任務を引き受けてくれた。私は一読して多大の教訓をえた。ある点では自分の誤りを訂正し、ある点では自説をさらに前進させられると感じた。 一人でも多くの人がそれによってそれぞれの疑問を解決し、それぞれの信念を基礎づけることを私は切に祈りたいと思う。

 ソ連国家の失敗は、冷戦構造にしばられ、不毛な核装備中心の軍拡競争にまきこまれて自滅したことを意味する。それを資本主義にたいする社会主義の敗北と評価するのは誤っている。敗北したのは、みずから冷戦構造を支えた古い政治思想である。個々の資本主義国内で、労働者階級が何らかの手段で国家を握り、そのもとで社会主義制度を樹立し、その国家を帝国主義陣営から仕会主義陣営に編人し、ついには社会主義陣営の世界的制覇をはかるという対決と陣営の思想そのものを克服することが時代の要求だったのである。

 その実現にとりかかったのがゴルバチョフであり、彼の「新しい思考」であった。「新しい思考」は十分な形で理論的に整えられるには至っていないが、それは、「変革された思考」なのである。諸国民の共生のための (その第一着手が「コーロッパ共同住宅」)「相互依存」は社会主義運動の将来の柱になりうる性格のものであった。

日本の社会主義思想が旧来の第ニインタナショナル的なものから―その社会主義像は「エアフルト綱領」解説の受容に端的に表われていた今日の共産主義思想に飛躍した機縁は一九一七年十月革命の成功であった。だがあの十月は何であったかのか。アントニオ・グラムシは逮捕前の論文で「二つの革命」を論じている。新しい革命の世界史的段階にあって古い革命を遂行した歴史的パラドックスをロシアの民衆が体験したのであった。

そのことをゴーリキーが書いていた。

民衆の指導者たちは、湿ったロシアの薪をもやす意図をかくしはしない。その火は西の世界を照らすことであろう、その世界では社会的創造の炎がわがロシアよりももっと明るくまた理にかなって燃えるのである。薪に火がつけられたが燃えがわるく、ロシアを泥臭く、酔いどれの臭いで臭くしており、しかもこの不仕合せなロシアをゴルゴタへとに引きずり、押しやっている。世界を救うためにロシアを十字架にかけようというのだ。これこそ百馬力もの「メシアニズム」ではないか。

 

単独のロシア一国で社会主義は実現できないことはすべてのボルシェヴィキが承知していた。だが世界革命が到来すれば、ロシアは救われる。現にドイツでは明日にも革命が起こりそうである。世界革命の始動のために、まだその条件のないロシアで命がけの飛躍を敢行しよう。これがレーニンはじめボルシェヴィキの信念であった。

だがこのメシアニズムは報いられなかった。一九二一年三月のドイツ革命の敗北で世界革命は遠のいてしまう。そうするとつぎの革命の波がやってくるまで、農民国ロシアでどうしてプロレタリア革命を維持するのか。それは歴史のアポリアであった。そこでは労働者と農民の同盟の持続をはかる外はない。そのためにとられた新経済政策は「かたつむり」の速度で漸進的に民主的改革をはかるものであった。しかし新経済政策はレーニンの死後廃止され、五ヵ年計画や集団農場政策が強行される急進方針がとられることになった。ソ連邦は数百万の無実の人の強制収容所を槓杯とする要塞国家に変わった。スターリニズムはその退化の表現であった。そしてコミンテルン自身、このソ連の存立を最大の使命とする組織に変わった。

それに対する批判はないではなかった。ムッソリーニの獄中のグラムシの綴ったノートは、実際にはソ連邦の思想と政策にたいする根本的批判なのであった。一九世紀ヨーロッパの「労働組合現象」が世界の経済を変化させた。古いジャコピニズム型の変革に代わって新しいヘゲモニー運動を基軸とする運動によって、フォーディズム現象に対抗しなければならなくなった。二〇世紀の資本主義は新しいものであったからそれに対応する運動は、「経済的・同業組合的」段階から新しいヘゲモニー段階に昇る必要があった。労働者階級は知的・道徳的な自己革新という歴史運動を経過する必要があった。その他の中間階級は、労働者階級の自己犠牲をも含むヘゲモニー行為を確認することによって、解放運動の先導者の役割を労働者階級にあたえるであろう。

ヘゲモニーとは異なった社会的諸要求が一つの方向に流入できる水路、いわゆる同意形成の道を示すことである。これまで階級闘争の原理とされた「独裁」の思想はここで見直されるべきである。それがなされなければ社会運動はいつまでも「経済的・同業組合的」段階にとどまるであろう。それは資本主義的イデオロギーの一部であり、ブルジョアジーはプロレタリアートの要求のある部分を先どりして、受動的革命のなかにとじこめることができる。現にソ連邦は受動的革命の圏内にとどまっているのでないか。

こうした思想が「獄中ノート」に充満している。それを正しく理解し普及し、それによってわれわれ自身の思想改革が実現されるとき、われわれは未来に対する展望を確立しうるであろう。私は、グラムシ思想の核心に対応する諸命題が、べつの言葉で、中野氏によって提示されているように感じている。現状と過去の科学的分析のなかから基本的なもの、恒常的なものをとりだすなかで、はじめて予見と展望が可能になるとグラムシは述べたが、そのための材料が中野氏によって理論的にも歴史的にも提供されたことは社会主義運動に関心をよせるものにとり、感謝にあたいすることであった。

中野徹三著『社会主義像の転回』(定価三五〇〇円、三一書房刊)
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