新しい社会主義像の原理的探究をめざして

―拙著『社会主義像の転回』(三一書房)の研究会からー

札幌学院大学 中野徹三

 

労働運動研究1995.6 No308

 

はじめに

 

 四月三〇日の一二時から四時まで、神田の学士会館で「労研」主催の研究会が開かれ、本年二月に刊行された私の著作『社会主義像の転回』(=書房)が検討された。本書はもともと一九九〇年四月から翌九一年一二月にかけて『労働運動研究』誌(二四六号〜二六六号、その間一時休載あり)に連載させて頂いた論文「コミンテルン七〇周年と社会民主主義再評価のために」()()から出発し、またこの論文に若干の加筆を行った部分を第一部二〇世紀社会主義を検証するとして成っており、本書の出生自体、当研究所に大きく負っている。しかもなお今回、はるばる広島からお越しになった松江澄氏はじめ、多数の会員あるいは非会員の方々が、ゴールデンウィークの里貝重な一日を割いてこの研究会に参加され、本書に対する真剣かつ有益な御意見を提示して頂いたことについては、筆者として大きな感激であり、またこの上ない励ましであった。この研究会を主催された柴山健太郎氏、福田玲三氏はじめ、労働運動研究所の関係者の皆さんに、心からのお礼を申し述べたい。

 以下本稿では、紙幅の都合上、刊行後の読者諸氏からの反響ならびに当日の研究会で提起された質問を考慮しながら、私が本書で特に強調しようと試みた諸論点のうち、とりわけその結節点を成しており、また従来の「マルクス・レーニン主義的」通念の構図の変革を迫るはずの一、二点に絞って、簡単ながら再説させて頂くことにした。

 

一、マルクス主義学者たちの「道義的責任」と本書執筆の基本的出発点について

 

 最初に私は、これからの議論の第一の主体的前提となるべきところの、私たちの問題対決の姿そのものについて、一言したい。

 私自身の問題意識の形成史について触れた本書のやや長い「まえがき」において、私は自分がほぼ三〇余年前にスターリン主義体制とその公認のイデオロギーとなった「マルクス・レーニン主義」のうちにひそむ非人間的・反社会主義的構造に気づき、以後一貫してその根底的克服をめざす仕事を進めてきたこと、また旧東独での研究生活をも通じて、「現実社会主義」体制の抜本的変革の必要と必然をかなり早くから確信し、予期し、熱く期待をしていたこと、にもかかわらず一〇年前(一九八五年)に始まったペレストロイカ以後の事態、とりわけ一九八九年の東欧革命から九一年のソ連邦解体にいたる展開は、自分のこれまでの社会主義像ならびに「現実社会主義」認識に「なお多大の甘さと不十分さ、さらにいくつかの根本的問題でのあいまいさと誤りを含んでいたことを、痛烈に教えてくれた」(本書一二ページ)、と述べておいた。

 そのうえで私は、これまで社会主義と社会主義体制についてなんらかの意味でこれまでの「マルクス主義通念」にもとついて語ってきたすべてのひとびと、とりわけ私を含むマルクス主義学者たちは、やがて五〇周年を迎える敗戦の直後に日本の大多数の学者と教師たちが直面した事態よりもはるかに大きい過去の自己の言説についての道義的責任を現在負っている、とも記した。ここで敗戦後の教師よりも道義的責任が大きいというのは、当時の彼らにとって異見を説くことはほとんど同時に国是に背く非国民として弾圧の対象にされることと同義だったのに、私たちの場合には、少なくともこうした権力的強制がなく、自由な意志でこうした立場を選び、論文や著書で、または教壇から学生たちに「世界人口の三分の一を占める社会主義世界体制」について語り、やがて崩壊すべきこの体制の形成と展開を、事実上不可逆的な世界史的過程として「講義」もしてきたからであるーそのスターリン主義的性格について、どれほどかの言辞を費やし、それなりの批判と保留を残したとしても。

 誰も予見できなかったのだから仕方がない、という仲間うちの慰め合いは、それが「現存社会主義」の認識であった限り、これまでのみずからの「科学的社会主義」の衆愚性の相互確認以上ではないし、善意からの期待の余り、危機の深さも崩壊も予想できなかった、という弁解も、認識者としてのきびしい自己責任を回避しての逃げ口上であることに、変りはない。現在のわが国の「左翼」思想界を蔽うこのあいまいさと無責任性と逃晦のすさまじさは、かつての天皇制と軍隊から、現在の官僚と「会社人間」までを貫くそれと同根・同次元である=こういう手合いが、「従軍慰安婦」問題では政府の弱腰を非難もするのだ。

 さて、それ故に私たちは、これまでの支配的通説とそれにどこかで依存していた自分の言説のどこに欠陥があり、どの点において誤っていたのか、を全面的にしかも到達できる限り深く十分に自己検討し、その反省を私たちのこれまでの思考と認識の原理的なありかた、さらにはそれを支えた情報と価値判断の社会的ネットワークの問題性にまで推し進め、社会に公開すべき道義的義務を負っている。そしてそのためにはー本書のまえがきでやはり述べたようにーかつてのスターリン主義批判で私たちが行ったようにマルクスやレーニン、トロツキーなどの見失われ、歪められていた個々の思想や命題を復原して「現実社会主義」体制ならびにそれと共役関係にある「マルクス・レーニン主義」に対置するにとどまらず、「マルクスの理論とレーニンの事業(ロシア革命)の全体を徹底的に批判的に対象化し、その総体的構造をそれらが生れた史的諸条件の上で根源的に再把握すること」(一二ページ)が、とりわけマルクス主義者をもって自任していたすべてのひとびと、なかんつく社会・人文科学者にとって、専門の別を超えた第一の主体的課題となるべきであろう。

 「すべては疑いうる」は、マルクスが娘たちの質問に答えて彼が挙げたコ番好きな標語」だったが、私たちに今求められているのは、まさにこの標語の精神に立ち戻り、これまでのすべての「マルクス主義的」常識を、いかなるタブーをも排して、苛借なく、しかも万人の理性の前に開かれた挙証と論理にもとついて検証し抜こうとする勇気、である。

だが、これまでの通説がなんらかの意味で過去の自己の言説であった限りにおいて、この検証作業は本来苦痛なしにありえぬ自己検討でもあり、この結果は時には自分の従前の全学問的営為の破産の確認でもありうる。本書第二部第一章「現存社会主義」論の諸系譜は歴史の試練にどう耐えたかは、八九年以後の事態についてそれぞれの立場から発言した政党や個人による「現存社会主義」崩壊論の代表的諸例の検討であるが、読者はここからも、通説の呪縛がどれほどの重みを持っているかを、あらためて知るであろう。それで一部の論者は、「現存社会主義」の崩壊はマルクス理論と無関係の事態である、としてマルクス理論の検討を回避する(問題そのものから自己を遮断し自閉するか、あるいは居直る)

 では「現存社会主義」体制の公認理論だった「マルクス・レーニン主義」は、果たしてマルクスと無縁であったといえるのか?マルクス主義を標榜する運動と体制がどういう結末をたどろうとも、それがマルクスの理論とは無縁であるとするならば、およそどんな思想も理論も、自己の実現形態を持たないことになるだろうし、あるいはただそれだけが成功裡に進展していると見える局面にのみその実現を見ようとする、恣意的な、まさに党派的=カルト的な判断に堕してしまうことになろう。

これが果たしてマルクスを真に生かす道であろうか?かつての「マルクス学者たち」の大多数が選んでいる問題回避の第二の道は、マルクスの理論そのものへの正面からの取り組みを避け(あるいはそれを他の論者に委ねて自分たちはそのすう勢を観望し)、外国のネオ・マルクス主義者たちやレギュラシオン派等々の議論を自分の小才にあわせて紹介したり、時流のテーマに紛れてそのなかで(やはり時流に合わせて)マルクスやレーニンの個々の教義の「限界」やその「現代化」の必要などを説く、という手法である。これは率直にいってしばしば胸がわるくなるほど欺隔的であり、また学者としても人間としても、許しがたいほど人間的道義に無感覚であり、無恥である。ここでは問題が全面的=原理的に(したがって主体的に)問われることがないから、古い教条は解体されることなく残存し、流行の「新理論」と原理的な相互媒介もなく継ぎ木される。

 そもそもこういう論者たちのほとんどは、今回の事態以前には、体制および運動として存在した(専制的に君臨した)「科学的社会主義」の理論に対して、理論的または実践的にただ一度も根源的な批判と抜本的改革の道を提起したことも、なかったのである(こういう論者たちの議論については、近著で逃晦を許さぬ全面的批判を加える予定である)

本書はもともと、「ソ連型社会主義」七〇余年のその崩壊に到る全歴史経過を踏まえ、マルクスの思想・理論とロシア革命の指導原理たるレーニン主義、そしてさらに「現存社会主義」体制を支えたイデオロギーとしての「マルクス・レーニン主義」との問の理論的=実践的な連続と断絶の諸関係を総合的に明るみに出すこと、そしてこの作業を通じてマルクスの思想と理論において今後の世界に真に生きるべきーまたそれが今後の人間と世界とを生かすべきー「部分」を「死せる部分」から可能な限り弁別すること、をめざして、その不可欠の前提となる新旧マルクス研究者の間の自由な論争のために、ひとつの礎石を提供することをめざすものであった。

 幸いに私のこの試みは、尊敬するわが国の真の反スターリン主義の大先達である石堂清倫氏の強いご推賞を得ることとなり(本書の「帯」に寄せられた氏の推せんの言葉ー「人間解放の唯「の道である真の社会主義の可能性とその方向を原理的または歴史的に論証した画期的な研究」等)、また『労働運動研究』第三〇六号での氏の本書に対する書評でも、「グラムシ思想の核心に対応する諸命題」などの表現を含め、過分の評価を頂くことができた。

 そして四月三〇日の合評会においては、当研究所の最長老のリーダーとして活動されてきた松江氏が冒頭「……私たちが模索してきた諸問題を突っ込んで研究して頂いて、大変勉強になった」と述べられたのち、戦前の一高時代からのご自身の長い闘いの半生を興味深く回顧し総括されたが、そのなかで前衛党思想を消すことができたのはソ連の崩壊と共に、であると述べられたこと、そしてマルクスから残る最後の言葉としては、『共産党宣言』のかの「各人の自由な発展が、万人の自由な発展の条件であるような連合社会」であろうと述べられたことー等が、私にとってまことに印象的であった。

 氏は最後に、@過去のマルクス主義はーこれまでの支配的命題にほとんど無抵抗だったところのーどうだったといえるのか、またAこれからの社会について、私が本書で

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「資本主義社会から(いわば)市民主義社会への徐々たる推転」(第二部第三章世紀の転換点に立ってのV二一世紀の社会主義像を展望する、二八九ページ)と記した点について、この「新しい市民主義社会」の内容をもう少し展開してほしい、と要望されたが、特に後者については、私の今後の引き続いての研究課題に属する。今後のいっそうのこ鞭燵の程を、ぜひお願いしたい。

 また討論の最終段階で発言された福田氏から、本書の基本姿勢にについて「態度が公明正大であり、現実をありのままに見、非常な勇気をもって問題を提示していること、マルクスとレーニンの誤りをはっきりと批判し、そこから未来の展望を引き出していること」を積極的に評価する発言を頂いたことも、私にとっては大へん嬉しい、限りない励ましであった。氏はさらに『ル・モンド』紙に掲載されたフランスの政治学者で欧州議会議員であるデュベルジェの論文「二一世紀の社会主義」を引き、そこでの内容が私の本書での展望、思考過程とほとんど一致している、と述べられたあと、ただひとつ違う点として、デュベルジェが、二一世紀の社会主義が直面するであろう当面の諸困難(失業の増大、社会保障の不備等々)を指摘しており、ここからこれまで以上に「野蛮な新資本主義」が出現する可能性にも触れている点である、と語られたが、この点は私自身、大いに教えられるところがあった。

 ただ、今日の内外の教条的マルクス主義者の間には、次の世紀に必然化すると見るエコロジカル・クライシス(破局的な環境危機)や民族紛争、旧社会主義諸国や第三世界での生活難にもとつく社会的動乱等々から一種の「エコ・ファシズム」の到来を予想し、ここからこれに対抗する一種の「プロレタリア独裁」と集権的経済管理体制の再現を夢見る潜在的・顕在的諸潮流が存在するが、これらは結局は反動的ユートピアとして、自己を二一世紀ファシズムの一部に合流させて終るだろう。

 人民の自由な意志にもとつく高次の知的・民主主義的連帯(国境を超えての)の行動のみが、すべての危機に対する唯一の真実の解答たりうることは、来る二一世紀を通じてますます確証されざるをえない歴史の大方向であり、そしてこの時代の社会主義の基軸を成すものは、福田氏がまとめられたように、市場経済の容認とその人間的制約をともなうところの、不断に自己を深化し発展する社会民主主義以外のなにものでもありえないであろう。

 

二、マルクスの革命論とコミュニズム社会論の把握をめぐって

 

 本書第一部の第一章コミンテルン創立期の戦略展望とその基礎理論上の諸問題は、『労働運動研究』誌の二号分(第二四六・二四七各号ー九〇年四・五月刊)に掲載された内容と同一であり、したがって誌面の制約上、かなり圧縮した形で表現する以外にはなく、したがって今考えると不十分な点が多々あるが、ここで私はロシア革命とコミンテルン創立期の戦略展望を規定したボリシェヴィズムと、さらにそれを根拠づけているマルクス、エンゲルスの基礎理論の問題点を検討した。八九年東欧革命直後の生々しい衝撃と感動のなかで執筆した本章の内容をさらに圧縮して要約するとすれば、次のようになろう。

 ロシア革命およびコミンテルン創設期(一九八九年はその七〇周年)のボリシェヴィキらの戦略展望は、第一に西欧とりわけドイツのプロレタリア革命の近迫の確信に裏付けられており、それはさらに世界資本主義がもはやこれ以上存続しえない時点に到達したという、いわば「出口なし」の資本主義認識に支えられていたこと。

 そしてこの資本主義認識と、大戦争中に国家資本主義にまで到達した独占資本主義を打倒し、その完備した物質的基礎と経済生活の徹底した組織化を継承するであろう西欧の社会主義革命は、プロレタリアが管理する国家の機能をごく単純なものとし、やがて国家そのものの消滅に導くだろうとするレーニンらボリシェヴィキのオプチミズムー一種の「組織化信仰」とは相即的であり、この「組織化信仰」は、後進国ロシアにおいても戦時共産主義下の強制された現物経済の強権的組織化から、商品も貨幣もない共産主義的経済制度に直接移行できるだろう、という幻想をも生産した。

 ボリシェヴイズムの展望とそのオプチミズムーそれは(第二章で見るように)第ニインタナショナル期のカウツキーら中央派マルクス主義からローザら左派マルクス主義までともかなりの程度に共有されていたーは、彼らの師であるマルクス、エンゲルスの理論によって基礎づけられていた。西欧文明の伝統に立脚するマルクスたちにとって、コミュニズムの究極の主軸は諸個人の連合(アソシエーション)による彼らの自由の普遍的実現であり、ロシアのボリシェヴィズムの主軸が階級の廃止と諸個人の平等に置かれていたのとは少なからず位相を異にしていたが、プロレタリア世界革命の到来とその革命が扉を開くであろう人類前史から正史への移行は、資本主義的生産様式の発展と成熟により物質的にも準備されるところの、ひとつの自然史的必然の過程として把握される。

 そしてこの「必然」観は、プロレタリア階級がこの過程を通じて数的にますます増大するとともに、彼らがそのもとに置かれる同質の生産諸関係により、彼らに対する抑圧と搾取、したがって彼らの窮乏と彼らの反抗もまたひとつの必然として普遍的に実現され組織される、と見る立場に具体化される。

マルクスが彼の歴史観の基本カテゴリーとした生産諸関係は、一社会の「経済的土台」として、他のすべての社会的諸関係を、さらにまたそのもとにある諸階級のイデオロギー的諸観念をも客観的に(彼らの意識から独立して)規定するものと、理解されているのである。ここから、同一の生産諸関係のもとに立つプロレタリアートの階級的同質性とその持続への楽観、信仰が根拠づけられる。

 プロレタリアートがこの点において同質的である限り、生産諸手段の資本家的ないし地主的な私的所有の、したがって階級の廃絶後には、プロレタリアートはひとつの組織された階級としての独裁を実施するが、その主体はもはや統治を行う政治的国家ではなく、同時に「相互に独立した私的諸労働の生産物」たる商品の生産と交換も廃絶される。階級の廃絶が私的交換をも廃絶に導くであろうとする見解は、一八四七年の『哲学の貧困』においてはじめて明確な表現を受け取るが、以後この基本思想は、マルクス、エンゲルスの晩年の全作品までを貫通する。

 私はややのちに(本書第二部第二章「ソ連型社会主義」の崩壊は何を教えるか?において)以上を総括して、マルクスのプロレタリア革命論と未来社会論の本質を「私的所有(階級)と商品=貨幣関係、政治的国家という人間疎外の三位一体の同時的廃絶」と把握した(二一一ぺージ)が、私的所有と階級の廃絶がすべての疎外からの人間の解放を結果する、と見るこの強度に階級還元主義的な哲学的共産主義の思想が、マルクスの青年期に定式化され、以後『資本論』と「ゴータ綱領批判」、『反デューリング論』を含む成熟期のマルクス、エンゲルスの革命論と未来社会論を主導するに到った経緯と、そのうちに含まれるユートピア性・諸矛盾に対する私の批判については、本書第一部第一章ならびに第二部第一章を、ご参照頂きたい。

 そして私自身による次代の社会主義像の展望については、第二部第三章 世代の転換点に立って にそのさしあたっての骨格を描いてみたが、本誌読者の皆さんのご検討とご批判とを、切にお願いする次第である。

 なおマルクスのコミュニズム社会をもっぱら協同組合(アソシエーション)的社会として理解しようとする見解については、私は本書の二五二〜二五六ページ、あるいは社会思想史学会年報『社会思想史研究』第一八号(北樹出版・一九九四年)に収められている第一八回大会シンポジウム「マルクスにおける生けるもの死せるもの」での私の報告「マルクスの歴史・社会理論におけるユートピアと科学」で批判を加えておいたが、再度ここで一言したい。

 田畑稔氏の近著『マルクスとアソシエーション』(新泉社)に代表される見解は、マルクスとの正面からの取り組みを回避する先に挙げた二つの系列とは異なり、マルクスのうちにいわば失われた視座としてアソシエーション論を見出し、マルクス理解の「アソシエーション論的転回」をとおしてマルクスを再生させようとする試み、であるが、四月三〇日の労研主催研究会に参加された山口勇氏も、田畑氏とほぼ同じように、マルクスの未来社会論としてのコミュニズム社会を、もっぱら「自由で平等な生産者たちの諸協同組合(アソシエーションズ)から成る社会」(マルクス「土地国有化について」一八七二年)として理解されているように思われる。

 そのために田畑氏はマルクスの著作から「アソシエーション」の語が用いられている箇所をひたすら拾い集めているが、同じマルクスが本来のコミュニズム社会を、生産手段の共有にもとつく非市場的・現物経済的共同計画によって管理される社会として構想していること、そしてこの共同計画の実施に際しては先の「土地の国有化について」論文自身が強調しているように土地など「生産手段の国家への集中」を不可欠の土台としていること、そしてこの国家は、まさに「プロレタリアートの政治的独裁」にほかならないこと、を主張していることとの間には、現実の事態として、果たしてどんな予定調和が成り立ちうるというのであろうか。

 田畑氏らは、マルクスの未来社会の理念としての美しい目的と、この目的実現のための諸手段との間に伏在している悲劇性とその深刻な矛盾までを合わせ考え抜こうとしない(この点は石井伸男「『自由・平等・友愛』と協同社会主義」、『新たな社会の基礎イメージ』、大月書店、も同じである。)

問題は美しい言葉ではなく、人間生活の現実がはらむ頑固な論理であ

る。または「論理がないところには、言葉が都合よくやってくる」(ゲーテ『ファウスト』)。プロレタリアートの名で(事実上は)一政党ないしプロレタリアートの一部が政治権力を握り、主要な生産手段を自分たちの手に集中した際、そのもとの社会が果たして自由な協同組合の連合体として成長しうるか否か。歴史はすでにこの問いに対して、残酷過ぎる程の解答を与えたが、これは「現存社会主義」体制のもとでだから、マルクスの理論にはまったく関係がないというのであろうか?

 ここで先の私の立論にもどるならば、かの「プロレタリア独裁」論と「自由な協同組合的社会」論を媒介し、両者の予定調和を保証していたもの、それはやはり政治的独裁の主体と市民社会の構成員との間の「同質性」とその持続の神話、である。もはやここまで「疑う」ことなしには、「二〇世紀社会主義」の悲劇から私たちが真に学んだことにははらないのだ。なお、晩年のエンゲルス自身の方がこの問題についてはるかに現実的だったことは、次のべーベルあての彼の書簡(一八八六年一月二六日Vが、よく示している通りである。

 「……そして完全な共産主義経済への移行にあたって、中間段落としで、われわれが協同組合的経営を広範囲に応用しなければならないであろうということ、このことについてはマルクスも僕も疑問をもったことはなかった。だだ、問題は次のように取り計らわなければならない。すなわち、社会が、したがってまずは国家が、生産手段を所有し、そうすることによって協同組合の特殊利益が社会全体に対立して設定されることのないようにしなければならない。……」

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名前の呼び方

東京 石堂清倫

『労研』二月号、三五ページ、二段目にウルカート卿とあります。もし原語がUrguhartならばアーカートと発音した方が正しいように思います。スコットランド系の名です。

御参考までに。(有難うございましたー編集部)

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