書評 志賀義雄編「千島問題――アジア集団安全保障への道」日本のこえ出版局

労働運動研究 昭和47年6月1日発行 第32号 掲載

内野壮児著

 

 千島問題は、日本の民主陣営の内部に、多くの意見の分岐と混乱がある問題である。それだけに、七〇年代闘争を前進させるために、日本労働者階級は、この問題にたいして明確な見解をもつことが必要である。

 「沖縄のつぎは北方領土」というのが、佐藤内閣と自民党のスローガンである。六九年十一月、悪名たかい「日米共同声明」をつくりあげた佐藤・ニクソン会談直後のナショナル・プレス・クラブの演説の中で、佐藤首相は、「北方領土の復帰」を「日本国民の正当な要求」として、その実現のために努力することを強調した。追っかけて翌七〇年十月の国連二五周年記念総会でも、「北方領土固有領土論」を強調したこともよく知られている。佐藤・ニクソン会談に先立って、政府は建設省国土地理院に、四四年度地図から、ハボマイ・シコタン、クナシリ、エトロフを日本固有領土として色をぬりかえ、日本帝国時代の地名をつけて発売させた。また文部省の指示によって、七一年四月から使用する教科書と地図も、同じように改訂された。ちかごろでは、商業放送のコマーシャルで、北洋の風景と、政府が領土として要求する島々の地図を画面に写し出す北方領土問題対策協議会のスポットが、毎日のように茶の間にとびこんでくる。この協会に政府は四十六年度いらい一億六千万円近くの補助金を出している。「南千島固有領土論」を国民の日常感情とするための思想カンパニアが、政府の指導のもとに、根気よく不断におこなわれているのである。

 日本政府が「南千島固有領土論」をもちだし、エトロフ・クナシリの返還要求にあくまで固執し、それを大々的に宣伝したのは、五六年のモスクワの日ソ平和交渉いらいのことである。そのため日ソ平和条約の締結は不可能になり、代りに、日ソ両国間の戦争状態を締結し、平和関係を回復する「日ソ共同宣言」が合意された。だが、その後も、政府と自民党は、日ソ平和条約を締結で切る現実的条件を真剣に考慮したことはない。反対に「南千島固有領土論」をますますかため、「日米共同声明」以後、北方領土要求カンパニアをつよめて、反ソ報復主義を扇動し、軍国主義強化と、新しい侵略的日米軍事同盟を推進する武器としているのが現在の情勢である。しかも、今日、問題を複雑にしているのは、十五年前「南千島固有領土論」に反対してたたかった日本共産党が、六九年三月いらい、その態度を公然と百八十度転換させて、政府・自民党の「南千島固有領土論」をさらに上まわる「全千島固有領土論」を主張し、日本帝国主義の水車に水を注いでいることである。それだけに、日本の労働者階級は、区区の表面的現象にまどわされず、この問題の本質を、根底的にみきわめなければならない。

 志賀義雄編「千島問題――アジア集団安全保障への道」は、この問題を解明し、労働者階級のとるべき態度を明確にしょうとしたものである。編者が述べているように、「日本帝国主義の千島要求に反対して、社会体制にかかわらない平和共存の立場を主張し、アジア集団安全保障の前提条件をあきらかにする論文と資料を集めた」ものが本書である。

 本書の第一の特色は、現在の東アジアと太平洋の国際情勢、そのなかで帝国主義強国として復活した日本帝国主義の進路という観点から、日本政府の千島要求の性格と意義をあきらかにしようとしていることである。

 日本帝国主義の現在の進路を表明しているものは「日米共同声明」である。編者は「はしがきに代えて」のなかでいう。

「日米共同声明は日米両帝国主義が相互に協力して社会主義を東方から侵略し、太平洋を独占する帝国主義的共同綱領であり、それが七〇年安保の主性格を決定した。」そして佐藤演説が南千島要求を第一に言及したのはなぜか。

 「日米合同作戦計画では、対馬、津軽、宗谷の三海峡の封鎖が対ソ作戦の基本におかれているが、千島がソ連領であっては、その封鎖が尻抜けになってしまう。千島の諸島間の水深は大きく、潜水艦の出入りに適している。現在の海岸の主要戦力は航空母艦から核武装原子力潜水艦に移りつつある。そして南千島のエトロフとクナシリは海空軍の基地となる広さをもっている。ことにエトロフの太平洋岸の中央部にあるヒトカップ湾は真珠湾攻撃の日本航空母艦基地となったほどある。」

 こうして南千島要求の真の性格は、日米両帝国主義の軍事戦略的要求であり、それいがいの何ものでもない。

 それでは正面におしだされている「南千島固有領土論」を労働者階級はどうみるべきか、本書第二章「報復主義者の台頭と千島問題」はこの問題に詳細に論じている。

 千島列島の帰属は、日本がポツダム宣言を受諾したときから決定していたとみるべきでる。ポツダム宣言の第八項は「『カイロ宣言』の条項は履行せられるべく又日本国の主権は本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸諸島に局限せらるべし」とある。これを受諾したとき、日本は千島問題の帰属を連合国の決定にゆだね、それに服することを誓約したのである。千島問題の帰属を決定したの連合国間の協定派、当時はまだ公表れていなかったが、四五年二月のヤルタ協定であった。この協定による千島列島のソ連帰属が制約力をもっていたからこそ、サンフランシスコ平和条約でも、日本の千島領有権放棄を規定しているのである。

 「南千島固有領土論」は、サンフランシスコ講和条約で千島列島を放棄することを承認した日本政府が、何とかしてその一部、南千島(クナシリ・エトロフ)をとり戻そうとしてあみだした「論理」である。それはつぎのように構成されている。@クナシリ・エトロフは日本固有の領土である。日本はいかなる国にたいしても日本固有の領土を放棄することはできない。A大西洋憲章は領土の拡大を求めないことを明白にしており、ソ連も賛同した大方針である。カイロ宣言にも、日本が他より<奪取した地域>を返還させるとあり、固有の民族領土は尊重されるというのは大原則である。

 クナシリ・エトロフを日本国固有の領土という論拠は、一八五五年調印され、翌年発効した最初の「日本国魯西亜国通好条約」が、日本とロシアの国境線をエトロフ島とウルップ島との間にひき、ウルップ以北をロシア領、エトロフ以南を日本領として、相互に承認し合ったからである。この歴史的事実を至上の論拠として、日本政府はヤルタ協定を否定し去ろうとしているのである。

 だが労働者階級にとっての中心問題は、第二次世界大戦遂行のための連合国の共同綱領となり、戦後処理の原則と戦後の世界秩序を規定する基礎となった、カイロ、ヤルタ、ポツダムの諸宣言、諸協定をどう評価し、これにたいしいかなる態度をとるべきかということである。これは第二次世界大戦をどう評価すべきかということにつながる。

 第二次世界大戦は、複雑な要因と性格をもちながらも、全体としてみれば、諸民族を侵略し奴隷化しようとした世界ファシズムを撃滅し、諸民族の自由と民主主義を擁護しようとする戦争であった。したがって戦後処理の原則は、何よりも戦争の火元となった、ドイツ・イタリーのファシズム、日本軍国主義を消滅させ、根こそぎにして、その再起を不可能にするような世界秩序をつくりあげることでなければならなかった。mあた、戦後平和を確保するために、連合国の主力となった社会主義ソ連と資本主義米・英の共存、協調を保証するものでなければならなかったのである。

 カイロ、ヤルタ、ポツダムの諸宣言と協定は、この原則にもとづいてつくりあげられた具体的諸協定である。領土問題に対する処理も、ファシズムと侵略的軍国主義の再起を不可能にし、平和をたかめるという観点からおこなわれた。だからこそファシズムの撃滅のために、自らも血の議背を払って、この戦争に参加した世界労働者階級は、これらの諸協定を完全な実施を要求し、この協定をふみにじろうとするアメリカ帝国主義などの帝国主義者の企図とたたかってきたのである。

 日本の労働者階級は、日本帝国主義と軍国主義者の惨虐な侵略戦争を阻止しえなかっいた歴史的責任を負っている。彼ら軍国主義者が侵略戦争によって他民族に与えた損害を償い、日本帝国主義と軍国主義の復活に抗して、その消滅と平和のためにたたかうことは、その歴史的任務である。カイロ、ヤルタ、ポツダムの完全実施のためにたたかうことは、現在も重要な任務である。

 たとえ南千島が戦争によって取得された領土でないとしても、それは真珠湾奇襲の前進基地となった。これを再び帝国主義者の軍事的侵略拠点としないために、ヤルタ協定による領土処理がおこなわれたのである。それはたしかに部分的に大西洋憲章と矛盾する。だが戦後処理の最高原則は、ファシズムの消滅、平和に対する脅威の防止と除去である。ヨーロッパとアジアの国境線は、この観点から制定されたものであり、この承認こそ、戦後平和の基礎なのである。

 本書は千島問題をめぐる歴史的経過をあきらかにして、ヤルタ協定を第二次大戦戦後処理の原則として強調する。日本帝国主義の反ソ策動を暴露するとともに、一九六五年いらい、日本共産党が千島問題にたいする態度を転換してきたことを「宮本指導部の変節」として批判し、告発する。代々木流の論理は、政府・自民党の「南千島固有領土論」と基本的に同じ論理である。大西洋憲章をもちだし、ヤルタ協定の領土処理はあやまっていたというのである。ちがうところは、一八七五年の「樺太千島交換条約」を根拠に、日本の「固有領土」の範囲を全千島に拡大して自民党の主張をさらに増幅していることである。そして自民党政府がサンフランシスコ条約で千島を放棄したことを非難し、将来の民主連合政府のもとで、日米安保条約を破棄した上で、サンフランシスコ条約の千島条項を破棄し、全千島の復帰をソ連に要求するというのである。この見解が連合国の戦後処理諸協定にたいする階級的評価とプロレタリア国際主義を忘れた小ブルジョア民族主義の産物であり、日米両帝国主義の侵略的デマゴギーを掩護する役割をはたしていることはいうまでもない。

 あえて大西洋憲章といわず、第一次世界大戦におけるレーニンの「無併合無賠償」の原則を、この問題の解決基準と主張することはあやまりである。双方の側からの帝国主義戦争であった第一次世界大戦と、第二次世界大戦とは、さきにのべたように戦争の性格が違っており、この性格の相違に応じた戦後処理の原則が基準とならなければならないからである。

 領土問題は本書も指摘しているように大衆をしばしば排外主義的熱狂にかりたてやすい問題であり、とくに帝国主義的侵略戦争をおこなって敗戦した国ではそうである。それだけに日本の労働者階級は、民族的感情を配慮しながらもこれに迎合せず厳格な階級態度を、その分析と政策につらぬかなければならない。

 「千島問題は、第二次大戦後の社会主義と帝国主義という二つの体制の境界領土の問題である。」その今日の帰属を決定しているものは第二次大戦とその結果であって、千島が過去にどうして日本領土になったかというのは主要な問題ではない。これは本書の基本的立場であり、労働者階級の見地から見て正しい。

 本書の特色は、また、千島問題を含めて戦後形成された国境の承認を真の集団安全保障の基礎としてとらえていることである。第三章、中立と集団安全保障――アジア集団安全保障への道は、ヨーロッパと対比しながら、アジア集団保障の条件を論じたものであり、重要な政策提案として検討されなければならない。

 第四章、平和共存と集団安全保障に、この問題にたいする国際共産主義運動およびソ連の公式文書が集録されている。附属試料として、年表、条約、関係法などが集められているのも便利である。

    (内野)

(日本のこえ出版局発行 定価九六〇円)

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