伝導「ベルト」理論の克服とは何か

遊上孝一

労働運動研究 19831月 No.159

 

 小稿はある大学の学生を対象に、表記のテーマについて、わたくしの話した講義を整理したものである。繰り返しが多く、短くしたいというわたくしの希望に、繰り返しの多いのは理解を助けるとの一部の参加者からの意見があり、そのままにした。なお、わたくしの話のテープを忠実に原稿にして下さった方に御礼を申しあげます。

 今の紹介では、 「大衆団体・党・フラクション」という問題についてという話です。それまでの連絡ではいわゆる伝導「ベルト」理論の批判ということであったわけです。非常に難しい問題です。

 最初に断っておきますが、私の話は、というよりは理論というのは、いわば複雑な現象の中での本質的なものを述べることだろう。ということは抽象であり、いろんな複雑な条件を捨象しておるわけです。したがってそれをそのまま現実に、ストレートに適用できない問題です。非常に本質的な問題ではあるが、それは抽象であると。したがって現実に皆さんが活動される諸条件にそのまま適用できるような、そんなテーゼはあり得ないだろうし、そんなことを直接にストレートに期待することはできないと思うのです。それは、その具体的条件を皆さんがふまえて、自分の頭を使ってそういう基本的な原則的な大切なものと関連して自分でやるしか方法がない。こういうことだろうと思うのです。つまり、理論というものを教条化して、それだけで、そのままそれを機械的に現実に当てはめるという態度は間違いで、理論というのはいわば複雑な現実の抽象であって多くの条件が捨象されている。しかし本質的な大事なものを、そこから法則的に導き出されたものが理論だから、理論を教条的に中間の媒介項の分析をぬきにして、万事事終わり、というような考えはとるべき態度でないだろう。それを先に言っておきます。したがって判りにくい点がおありだろうと思うし、私の能力からくる不充分さと同時に、理論というものはそういう性格を持っているということを最初にどうしても話しておきたいのです。

 それなりに考えてきたわけですが、ある意味で司会者の言ったのは組織論ということにもなろうかと思うのです。われわれにとって、革命理論、それと不可分の政治戦略、それと政治的実践、それを媒介するものとして組織論があるという意味で、この話は実に多面的ないろいろな問題を含んでいる。そういう位置づけをすると、とても私の能力の及ばない問題であるような気もするし、僅かの時間何でもかもしゃべるわけにいかないということですが、それはそれとして中心的な問題について私なりのお話をすることにします。

「ベルト」理論の本質

 いわゆる「ベルト」理論というものが(学者じゃありませんから正確でないかと思いますが)大きな歴史の流れの中でどのような時期に、どのような問題として出されてきたか、ということを最初に話したいわけです。立派な文章があると誰の文章でも、私は引用するのですが、それは偉い人の言葉で権威をつけようという意味ではありません。一九五六年の二月に有名なソ連共産党第二〇回大会が開かれます。そこで、一つは衝撃的なスターリンの暴虐・暴政・弾圧・粛清というものが暴かれる。それと同時に世界革命の中で革命の多様性・形態の多様性が確認された。それから、かつてはわたくしたちもそうでしたが、帝国主義戦争を内乱へ、帝国主義戦争、戦争を革命の契機としてきた。それに対して革命の形態の多様性とともに、われわれは戦争を、世界戦争を防ぐ現実的可能性があるということ、つまり戦争を革命の契機としない展望というものが明らかにされるわけです。

そして平和を守ること、平和擁護、これが共産主義者の第一義的任務であると、このように規定されるわけです。そこからいろんな問題が大きな歴史の流れとして生まれてくる。

直接いわゆる「ベルト」理論をとりあげたのは、その二〇回大会ではない。そこでは党論、組織論までには及んでいない。同じ年の十二月のイタリア共産党の八回大会で具体的に「ベルト」理論の克服ということが提起されていく、これが大きな歴史的な流れです。

 その内容を言いますと、 「八回大会の綱領的宣言を契機にわれわれは憲法を『擁護』するだけではなく、憲法に、つまり議会制度、自由に表

明され選ばれた多数派の原則の尊重、複数政党制、国家の非宗教的性格、同盟の政策と構造改革の問の関係に沿う政党でありたい。ということを確認したのである。」これが、その八回大会をめぐって組織論をも含めて言われている焦点の一つです。「(八回大会の前進の一つとして)労働組合を伝導『ベルト』とする(スターリン自身の)見解が放棄されたことを私は非常に重要だと考えている。このようにしてわれわれは党自身の中に市民社会のあらゆる契機を吸収し、かつ包含する『総括的な』党という思想と縁を切ったのである。言わせてもらえば、すでにこの選択の中には、今日われわれが『複数制』と言っている立場が入っていた。

 ……さらに言えば、労働組合に対して.: …このような自主性の領域を認めた時に、われわれはそうすることによって、党についての『カリスマ的』ビジョンとこれまで言われていたものに、今一つの打撃を与えたのである。この『カリスマ的』ビジョンは革命的意識を党内で前ってすべて解決しようとするものだった(傍点引用者)。そこから階級意識の形成に関する、宗教にも似た観念からの脱却、総合的なビジョンが生まれてくる。しかし、この道を進むことによって、おのずと知識人層との関係の問題が鋭い形で現われてきた。単純化して言えば、党の指導部がもはや『カリスマ』を持たず、学説を独占しないが故に討論が始まったのであり、党そのものの中にさまざまな『学派』が認められなければならなくなったのである。」(イングラオニ九五六年の転換と社会主義へのイタリアの道の二〇年」) こういわれているわけです。つまり伝導『ベルト』論というのは、党が先験的に指導者であり、そして指導していく。その指導の方法として伝導『ベルト論』があった。つまり例えば、労働組合の大会が開かれると、そこで、その労働組合をどうもっていくかということについて前もって党が、いわば党フラクションによって解決していき、それを労働組合に、悪く言えば押しつける。良く言えば説得していく。そこから労働組合の引き回し、そういう現象が行なわれてきた。また、分裂の契機ともなった。これはわたくしたちの経験からしてもそうだったのです。

 そこで最初の問題に戻って、党フラクション会議をやっちゃあいけないんだと単純化して教条的にわたくしの発言をとらない方がいい。必要があれば相談してもいいだろう。しかし、大事なことは、党の前衛性というのは、アプリオリにあるのでなしに、言わばその活動と政策とその献身性によって事後的に承認されるものである。こういうことがはっきりしたうえで、これはフラクション活動だからやめたらいいというような機械的な受けとめ方は必要ないと思うのです。最初に序言的に言ったのはそういうことです。

統一ということ

 「しかし党の特色づけの中には方法の点でもう一つの新しさがある。

この年(一九五六年)は内部の討論や論争が厳しく呵責なく行なわれた年であった。どのような方法がとられたか。二〇年経った今、われわれは一つのことを言うことができる。

それは階級敵、あるいは敵のスパイというような烙印を押された者は一人もいなかったということである。

わたくしの記憶する限りでは、五六年にわれわれは誰をも党から排除しなかった。討論は厳しく激しかったとしても、開かれたものであった。

協調と統一、つまり同意の道が追求された。一枚岩主義、先験的なものとしての統一を克服する道も追求された。これは、われわれの間に大きな困難があった中間層、および知識層との関係を後にたて直すことを可能にした幾つかの要因の一つである。」 (前掲と同じ)

 こう言っておるわけです。ここで、ある意味で伝導『ベルト』論というのは党論の反映であった。党の改新ということの不可分な一つとして、伝導『ベルト論』の克服が提唱されたということです。つまり、大衆団体の自主性を認めるということ、抽象的にはそういうことですが、大衆団体を引きまわさない、ということでもあり、今まで言われていた一階級一政党という考えを破っていった、ということです。

 例えば、それから後の長い活動の中で労働組合の統一ということが課題になって進んでいる。つまり共産党系の労働組合、社会党系の労働組合、それからキリスト教民主党系の労働組合とか、この分裂している労働組合の統一という道がその後、追求されていく。そしてそれは、だいたいその方向に現在進んでいる。

 この中で言われている一つは、労働者階級の政党は一つであるという考えに対して、もっとリアルに現実の労働者状態を分析した、ということです。社会党を支持する労働者がある。キリスト教民主党を支持する労働者もおる。そして共産党を支持する労働者もいる。 (かつてはわたくしもそうでしたが、)労働者階級はマルクス主義の政党だけにただつに収敏されるであろうと考えたわけです。ところが、事実は長い活動の歴史のなかで具体的な労働者状態を調べた場合に、そう単純に現実は図式通りにいってない。こういう反省がそこにあるわけです。

 わたくし自身もこのような誤りをしたことがあります。マルクス主義政党、と自分たちをそう規定するわけですが、労働者の政党はマルクス主義政党のみであると。日本社会党は小ブルジョアの政党であるとわたくしはある時期、そう考えたことがあります。で、われわれの歴史から言っても、社会主義革新運動(一九六一年創立)を創った初期には、 このような考えが支配的であったわけです。しかし、今目では、日本社会党も労働者階級に基礎を置く政党である。日本共産党もそうである。もっと言えば民社党もそれであろうと。そこから労働者階級の統一という課題が生まれてくるわけです。

克服の組織論的手段

 そこでの反省の一つは、いわゆるカリスマ的党、しかも労働者階級の唯一の政党という今までのテーゼを克服したこと、その克服と関連して労働者階級の統一が追求されたということです。

 それで具体的な活動上の問題として組織論的に申しますと、労働組合の指導的役職と政党の指導的役職の兼職の禁止、こういう措置が一つ組織論的にはとられるわけです。つまり労働組合の委員長、書記長であり、社会党あるいは共産党の政治局員であり指導部員であるという関係を禁止した。だいたいそれまでは、例えば、日本でも産別会議議長というのは同時に党の政治局員であるという、慣行的にそのような最高ポストが与えられていたわけです。それを、兼職の禁止という形として、組織論的措置としてそのようなことがとられた。これはあくまでも労働者階級の統一、労働組合の統一を指向する、労働者は決してマルクス主義政党だけを支持していない。他の政党も支持している。そういう労働者状態の具体的事実の、具体的分析の中から問題はおきているということです。それは、産別会議、共産党が指導した労働組合、そこの最高指導者は同時に党の最高指導機関におったという歴史的事実があるわけです。そういう歴史的事実に反省が加えられている。こういうことなんです。その他いろんなことはありますが、省略します。それから、この問題は国際組織の問題にも反映していく。つまり世界労連、国際的意味の共産党系の労働組合組織ということになるわけですが、その場合にそこにもオブザーバーとしては参加するが、しかし、そこの構成員にはならない、ということです。それは先ほどの兼職禁止の問題を労働者が多様な政党を支持し、多様な労働組合がある。これを労働組合として統一する活動をするという場合の馬いわば国際版という形として問題は出ている。国際的な労働組合組織としては、非共産党系の国際自由労連があるのですから、それとの共同行動、統一のための課題として出されている。

 終戦直後、つまり反ファシズムの諸国連合、ファシズムと闘った諸国、つまりアメリカもイギリスもソ連も、そういう反ファシズム連合諸国がまだ団結している時期には、国際的な労働組合は一つだったわけです。それが冷戦の登場、反ファシズム連合が壊れて冷戦構造になる。その時期に分裂していく。そういう経験もふまえられているとわたくしは理解しているわけです。いま、日本を見ても共産党系の統一労組懇がある。社会党系といわれている総評がある。民社系といわれている同盟がある。長い展望の中でわれわれはそれに対してどのような対応をするかという問題があると思っています。

つまり、日本の労働者はマルクス主義政党だけでなしに、多様な政党を支持しているという現実の上に立って、研究していくことが必要なのです。

労組だけの問題か

 いままで言われてきたのは、労働組合の自主性を尊重するということですが、さて、自主性を尊重するという抽象的表現ではそのとおりなのですが、組合運動の問題あるいは大衆組織と政党という問題の場合、労働組合だけではないわけです。いろんな社会団体がある。消費組合がある。社会運動の団体がある、平和運動の団体がある。そういうものについても、それが言えるのではないか。伝導『ベルト』理論では先に党が階級運動の図式を自分で事前に作って、それを押しつける、引き回す、いい言葉で言えば説得して引きつけるということになるわけですが、これがいわば権力をとったところではどのような形態をとるかということも、考えてみる必要があるだろう。それは、そのようなグループ活動ということは一つあるだろうと思いますが、その組織的手段として大きいのは、労働組合の役員の任命を党が独占する。形式上選挙とかいろいろ言われますが、事実上、組合役員の任命権を党が独占する。こういう形態として現われておるし、論理的にも現われる問題だろう。党がアプリオリに指導者である、という考えに立てば、労働組合の指導は資本主義社会、まだ権力をとっていない社会においては『ベルト』理論という形態をとるわけですが、権力をとった社会では先ほどの兼職禁止の規定の対極に該当するような一つの特徴としては、労働組合の役員の任免権を事実上党が持っておるという形態になるだろうと思うんです。

現にソ連を含めて一部の東欧諸国では、そのようになっているわけです。つまり労働組合の委員長を事実上党の会議で決めるとともに、事前に労働組合運動の方針・任務を党が決めてしまう。ここでは主人公の労働者は事実上、疎外されてしまっている。

 だから、選挙は形骸化されて、抽象的な表現でいえばまったく労働組合の自主性が無いと、こういうことになるわけです。これをもうちょっと具体的問題として言いますと、先ほど複数主義という表現が出ました。まあ、プルーラリズムと言われているわけです。この問題について

複数主義を政党次元だけでとらえるというふうに単純化しては、間違いだろうと考えるのです。政党次元および社会運動、労働組合、文化、思想、そういう組織、大衆組織、社会組織そうしたものについても、やはり複数主義ということがここで萌芽的に出てくるわけです。つまり言いかえれば、事実上の問題として労働組合、文化団体、平和団体などなどは、党と違った次元の組織であって、それは党の従属物でない。こういうふうにテーゼ化してもいいだろう。言いかえるならば、例えば、労働組合と党は次元の違う組織であるということは、労働組合は、党とは同一でないということになる。そして、条件の如何によっては対立することもあり得るし、歴史的にも事実として対立したこともある。こういう現実をふまえた場合に、単に抽象的に自主性ということだけをいうのでなしに、具体的な問題として諸社会組織の自治をどうして認めるかという組織論的な方法が追求されなければならないだろう。

官僚主義の一根拠

 プルーラリズムというものを単に政治的次元だけの問題としてでなく、あらゆる社会組織についてそれが適用されなくてはならないとおもう。極言すれば、音楽の団体の人事に共産党が任免権を持ったという、今もそうだと思うのですが、そういうバカなことは間違いだということです。音楽の団体を運営するのは、音楽をやる人がやるので、それについて政党は行政的に指導すべきでない。音楽や映画や芸術、彫刻や絵、こういうものに政党が行政的指導するということは許せないということでもあろうと思うわけです。例えば、皆さんもご存知だろうが、エーゼンシュタイン、ソ連邦の生んだ秀れた世界的映画監督、かれの映画についてここをこうせよ、ここはカットせよ、という無数の干渉が行なわれたということは今日明らかになっているわけです。その映画をみる社会人の評価とそれにもとつく社会的「監督」だけに任せるべきもので、行政的指導はすべきでない。

 そういう「指導」が音楽にまで行なわれるわけです。皆さん知ってるかしらんが、これも世界的に秀れたソ連の音楽家ショスタコヴィッチ。

この人が膨大な本を書いています。

死んでから発表してくれとの条件で。そこでは、そのような官僚の「指導」する苦しい中でいかに音楽家として生きたかということを述べてある。音楽や映画なんかになると、官僚統制はよくないことはすぐにわかりますが、本質は同じで、やはりすべての組織についてそれが言われる必要があるだろう。例えば、音楽の判る人がその音楽部門を担当する部局におれば、まだいくらかいいわけですが、音楽のちんぷんかんぷん判らんわたくしのような奴が、その音楽部門の担当者になったら、こりゃ官僚化せざるを得ないですよ、知らんのやから。そういう現象が官僚化の一側面として現実におこっている。そういう問題も含むということです。

 ここで伝導「ベルト」理論の克服ということは、今までの党論の克服、それは党の刷新と結びついておる。それは言いかえれば、党というのは政治活動をする組織であって、政治活動の部面においてのみ民主集中制は適用される。それ以外の領域で多数決はとれないだろう、とってはならないのかも知れない。

マルクス主義の神官

 第二の問題は、マルクス主義の党は、マルクス主義の解釈を独占するのではない。つまり、マルクス主義の解釈の神さんに、神官にならない。党内外の論争が起っても、それは事実に基づいて討議すべき課題であって、それに対して独断的に、マルクス主義の解釈を独占する立場で、人に非マルクス主義者という、あるいは日和見主義者、修正主義者というレッテルをはることは許せない。

つまり、ここでわれわれは階級敵あるいは敵のスパイとかいうレッテルを誰一人としてはらなかった、ということはその意味だろう。それは外国のことではないわけです。日本でそのような討論で党の神格化が行なわれていた時期、極端な時期、それを一つ話します。日本の共産党が俗に言う主流派と国際派に分かれていたいわゆる「五〇年問題」の時期が

あるわけです。それがある時期統一するわけですが、納得しないで統一しなかった連中もおるわけですが、まあ統一する。その後に第二次総点検運動というのが行なわれた、党内点検が行なわれたのです。その時に、処分された党員が一千二百二十人。そのうちの川島優という人は自殺しています。その除名者に対して、酷いのはマーフィの手先、マーフィはその時のアメリカの大使なんですが、マーフィの手先、スパイ、日和見主義、修正主義、分派主義者と一切のレッテルがはられておる。

一千二百二十人。だからソ連のスターリンの粛清が一千万とか一千五百万とかいろいろ言われています。中国でも。しかし、日本の党で、権力をとっていないときのそういうレッテルはり。それで一千二百二十人の除名者がおった。その多くがそのようなレッテルをはられた。

 その姿勢は、いわば全くマルクス主義の神官になった姿勢だった。無条件に前衛意識、アプリオリな前衛だと、絶対的な指導者だという意識が日本でも、一千二百二十人におよぶ除名者を出した。これが権力をとったら百万ぐらい平気になろう。もっと党員は多いだろうから。それには複雑な要因はあると思うのです。

党内の権力闘争もあったろうし、その他いろんな問題があった。しかし、それにしても、そこで基礎づけられた理論というのは、トータルな党、総括的な党、アプリオリな前衛という意識があったろう。つまり、マルクス主義の解釈の神官という意識があったろうと思う。

 だから一つお願いというか望みを言えば、自分の意見に自信を持つことは結構だ、自信があるからわれわれは闘えるんだ。しかし、どうか相手に対して自己を絶対化しないでほしい。ということは、相手にレッテルをはらないでほしいとこういうことだろうと思うんです。必ず、これからの活動の中で、いろんな対立、いろんな複雑なからみ合いのなかで活動するわけですが、レッテルはりはやめた方がいいと思う。事実に基づいて討議する。いかに激しい討議だろうと、レッテルはりはやめるべきだと思うんです。スパイという極言は無くとも、あれは日和見主義だ、あれは修正主義だというレッテルをはらない。それは自分の意見に自信がないということではなく、自信があればあるほどそのような姿勢で臨んでもらいたいと思う。

許せない破門の論理

 マルクス主義的前衛党が無ければ革命は成功しないんだというふうな理解、総括的な党の問題を話したわけですが、歴史的に見ても、例えばキューバ革命では共産党は指導的役割を果たしていない革命だった。しかし革命は行なわれたわけです。革命の一手販売権は誰にもない。という事を一つはっきりしておく必要があるだろうということです。それから、革命はマルクス主義者だけの事業でない。非マルクス主義者も含めた多様な人によってなされるのが、これからの革命であろう。そういう意味で考えると、党の神格化というものの克服が大事な問題だろうと思うのです。それで党の神格化の問題の一つは、敵か味方かの二元論なんです。味方でないものは敵だという論理です。しかし、革命は党の専売特許でないという考えに立つと、そういう敵か味方の単純な善悪二元論は許せない。いわば非マルクス主義者も含めての共同の事業ということになると、味方でない者は敵ではなくて、敵でない者は味方であるとの考えに立つ必要があるのでなかろうかと思うのです。それを歴史的事実に則しながら話してみます。

 「労働運動研究」誌の十一月号の「焦点」に、「一部の国の小ブルジョワ民族主義的非国際主義的な共産党指導部を除いて、(社会主義体制は)国際共産主義、労働運動、反帝・反戦運動その他の解放闘争の国際的中核となっている。」という文章があります。

 「一部の国の」というのはおそらく、イギリス、イタリア、スペインその他の諸国を指していると思います。

 これらの共産諸党はいずれも今日の世界政治のなかでの、ソ連を中心とする社会主義体制(それはもはや一枚岩的存在でなく、そこにちがいを含んでいます。非同盟を方針とするユーゴを一つ考えただけでそのことは明らかです)のもつ客観的な積極的役割、その大きな比重を否定していないと思います。そして、マルクス主義党は国際主義に立っていると思います。

 資本主義というのは世界体制であり、それぞれの国のマルクス主義者は世界革命の一環としての自国の革命をめざして活動するわけです。

「万国の労働者団結せよ」というスローガンは、そのことをあらわしています。

 ちがいは「国際主義」の解釈にあり、今日の国際主義のあり方をめぐる意見の対立にあるわけです。

 これら諸国の共産諸党は、コミンテルン時代の一枚岩的な国際主義を否定し、統一はとれているが、伸縮性があり、開かれた、調和のとれた、すべての党の自治を常に保持しているような国際主義を探求しているのだ乏思います。

 これらの諸党に「非国際主義的」と断定することは、国際共産主義戦線からの排除につうずる断定であり、反帝国主義戦線の分裂につながる危険な論難であると思います。もう一度、さきの『労研』誌の文章を読んで下さい。 「一部の国の共産党指導部」を破門していることがわかるだろうと思います。

 国際主義のあり方をめぐって、論争がなされている時に、その相手に「非国際主義的」だと言うことは、それら諸党はマルクス主義政党でないと言う断定なんです。これをわたくしは破門の論理だと主張するわけですが、それだけは絶対にお互いやめたいと思うのです。その破門の論理ということについて、やはり歴史的に是非考えていただきたいことがある。これはわたくしの自己批判の表明としても、したがってあなた方が受け継いでこれから活動する場合の大事な問題であろうと思う。

 例えば、NATOができたとき(一九四九年)、当時フランス共産党の優れた指導者トレーズ(現在は故人)が、ソ連との戦争が起ったらどちらへつくかとの質問に、 「われわれはソ連につく」と言った。それはトレーズのその当時の国際主義を示していると思うのです。ところが今日―ソ連と戦争が起ったら、どっちにつくかという質問を受けたら、選択する前に人類は灰になってしまうのです。今日、対ソ全面戦争は米ソ戦争であり、それは核戦争にならざるをえない。

 米国とソ連が全面対決したらソ連とアメリカの国民だけでなしに、われわれをも含んで、核戦争ですからもう壊滅するわけです。そういう時に、ソ連につくのだというのは答えにならないという国際主義の理解もあるわけです。米ソ全面対決をさけるための緊張援和、軍縮をめざす闘いのなかにこそ、国際主義があるともいっていいでしょう。したがってそこでは、国際主義自体の内容が問題になっているのです。それを非国際主義と断定するのは、神様の論理であり、神官の論理であり、いわば破門の論理であろうと思うのです。

 それを歴史的に、日本の例で言いますと、先ほど言ったいわゆる五〇年分裂問題の時に一千二百二十人の人が除名になり、一人が自殺したという事件の場合、当時、五一年綱領というものがあった。これはマルクス主義の最高の結晶として信ぜられたわけだ。ところが討論がすすみ、歴史の中でこれは間違いだということになった。すると、この五一年綱領に対して批判した人も、マルクス主義者だったわけです。非マルクス主義者もおったわけだけど。だからマルクス主義の現実への適用、解釈をめぐっての対立に対して、自分がマルクス主義解釈の神官という立場で論争することが、いかに間違ったことかということを、これは示して

いると思うのです。神官の立場に立って言うことは、結局は排除の論理であり、破門の論理である。現に一千二百二十名が破門されたということなのです。これは歴史的現実からの反省であるわけなのです。

 それからもう一つの問題は、一九四八年コミンフォルムの時代に、コミンフォルムはチトーを、っまりユーゴスラビアを除名した。破門したわけです。その時、チトーにたいして「非国際主義」というレッテルがはられた。そして、歴史的事実として、その後の一九五六年以降、それは間違いであったと。その時、チトーはアメリカ帝国主義の手先と言われ、ユーゴはファシズムの支配する国であると言われたわけですが、一九五六年にソ連とユーゴの接触が開始されて、今日では、ユーゴは社会主義国であるということ、チトーは秀れた革命家であったということが言われている。だから、ここでもわれわれが排除の論理、神官の論理、破門の論理を展開してはならないという反省を、ここから学ぶことができるのではないかということが一つです。

 それからかつては、中国とソ連とがエライ対立していて、お互い中国はソ連を社会帝国主義、あれは社会主義でないと言っていたし、ソ連はまたそれをおうむ返しに喧嘩していて、今日仲直りをしようとして努力しているということ。これは二つの国が、いろんな複雑な国家的利益とか要因があると思いますが、今日のテーマに即して言えば、どちらもが破門の論理をやめたということだろうと思うのです。つまり、あれはマルクス主義の神官に両方がなっていて喧嘩したわけです。それに対して和解の話をするということは、両方が破門の論理を展開しないこと、自分がマルクス主義の神官という考えを捨てたこと、そして意見の違い・も確認し合うこと、意見の違いは具体的な事実の情勢分析による客観的な条件の反映としての意見の違いなのか、マルクス主義の解釈をめぐる意見の違いなのか、ということは今後の研究問題としていく。そしてわれわれは同意と寛容な精神の姿勢で討議していくという立場に立ちつつあることが大切だと思います。したがって、レッテルはりは結局破門の論理に通ずる。マルクス主義解釈の神官なんだという立場に立ったレッテルばりは、絶対にこれからやめたいと思うのです。

 例えば先ほど言ったように、マルクス主義者だと思っている人の一部に対して、非国際主義的だと言うことは、これは残念ながらおまえマルクス主義者でないそという宣言です。これが政治闘争の中で複雑な組織内活動の中で、私は破門の論理につながるのではないかと思うのです。これは自信のなさを言うのではなしに、自分の考えに自信を持つということと、相手に対して破門のレッテルはりをすることは別問題であろう。われわれは意見の違いは怖れない。意見の違いは、敵でない者は味方だ、味方でない者は敵でないというような姿勢で、いわゆる理論闘争がなされければ大変なことになる。これは皆さんがこれから元気にやられる場合、必ずつき当る問題であろうと思います。

 もう一つわたくしの自己批判を述べます。ジャーナリストが一九五六年以前にソ連の政治裁判の問題について、あれは粛清であると、権力闘争であると言っていた。ありゃブルジョアジーの宣伝であり、デマだと言うふうにわたくしは解釈したし、

わたくしだけでなしに多くの人がそう解釈したわけです。しかし今日、まさに権力闘争であり粛清であったことは事実なわけです。ここでも、マルクス主義者が絶対に正しいのだと言うことは言えないということが、一つの反省として浮かぶわけです。それからもう一つは、ジャーナリズムの報告からも学ばなければならないということを考えるわけです。ただし、ブルジョア新聞と呼ばれているジャーナリズムには、それの読み方があるだろう。無条件にそれをそのまま受けとるのではなしに、やはり自分が頭をはたらかしてそこからも学ぶということが必要だろうと思うのです。

 中国には反面教師という言葉がありますが、敵からも学ぶ、当り前のことを言っているのです。だから、ましてやブルジョア新聞であろうと、どんな新聞であろうと、それはそれなりの現実の反映であるから、それに対してその読み方を覚える勉強をする必要があるだろうと思うのです。これはブルジョア新聞が言つているからデマだ、というふうな善悪二元論でなしに、新聞の報道からもわれわれは自分の頭をつかって学

ぶ、つまり読み方を覚える必要があるのではないか、ソ連の弾圧問題は、何と言おうとわたくしには深刻な問題だったのです。マルクス主義者のわたくしより、ブルジョア新聞が正しかったのだから、あれが権力闘争であり粛清であったのは紛れもなく今日の事実なのだ。ところがブルジョア新聞はデマだと言って、わたくしは信じなかった。しかし、ではわれわれにとっては粛清であり、権力闘争であったという事実だけ、そのまま受けとっていいのかというと、その権力闘争が起こるメカニズム、そして粛清の行なわれる論理、それを克服する道をマルクス主義者は研究する必要があるので、それを善悪二元論的にこれは本もので、これは嘘だというような一方的な形の受けとめ方はやめる必要があるだろう。

 社会主義社会、そして日本でも行われた粛清という名の弾圧が、どのような理論、どのようなメカニズムで行われたのか、それを研究し、それを克服するための方法を研究し、われわれの政治活動のなかで、また組織生活のなかで、事実をもって、こうした誤りを克服していかなければならないと思います。

 そうでなければ、社会主義目粛清=全体主義=自由の欠如という思想攻勢と有効に闘うことはできないのです。

 その場合、意見の違う者に対し、破門の論理を展開することだけは許せない。これだけは許せないということを感ずるわけです。この問題は必ず突き当る問題だと思うのです。

 『労研』の五月号に、植村邦さんが書いている文章があります。 「その事と結びついてわれわれの近くでも現実の社会主義の批判的研究が『反共主義』の名の下に怖れられている。われわれは資本主義の限界と社会主義への移行の必然性を主張する勢力として、かかる政治的風土を克服し、われわれ自身の社会主義研究を推め、これをもって種々の『ソ連研究』 『クレムリノロジー』に対処できなくてはならない。例えば最近有名な書物、テムボスレンフスキーの『ノーメンクラツーラ』(中央公論社刊)にもわれわれの読み方ができなくてはならない」とこう言っています。

 至言だと思います。

 


労働運動研究 198211月号 焦点

十月社会主義革命六五周年を迎えて

 今年の十一月七日は、一九一七年十一月七日、レーニンに率いられたボリシェビイキの指導で世界においてはじめてプロレタリア革命が勝利し、社会主義政権が樹立されてから六五周年記念日に当たる。

 この十月社会主義大革命はたんにロシアに社会主義国家を出現させただけでなく、資本主義諸国および植民地・半植民地諸国において共産主義運動、労働運動、農民運動、民主主義運動、反戦平和の闘争、反帝民族解放闘争の世界的規模での展開の端緒ともなった。

 十月社会主義革命における勝利につづいて、第二次大戦での、帝国主義の極反動的な独裁体制ーファシズムーに対する決定的な勝利を通じて世界体制にまで成長した。そして現在では軍事力をも含めて帝国主義世界体制と十分に拮抗できるだけの解放能力を蓄え、かつ、一部の国の小ブルジョア民族主義的、非国際主義的な共産党指導部を除いて、国際共産主義運動、労働運動、反帝・反戦運動その他の解放闘争の国際的中核となっている。
 もちろん、十月社会主義革命の勝利以後の六五年間の闘いは社会主義世界体制にとっても、世界の解放運動にとってもそう生易しい歳月ではなかった。そこには深刻な矛盾が起こり、その解決のために大きなエネルギーを割かねばならなかった(スターリン主義、毛沢東思想、ユーロコムニズム、ハンガリー・チェコ・ポーランド問題、中ソ問題、中越戦争など)また帝国主義段階における社会主義革命の特質からして、これら社会主義の多くの国では社会主義建設の課題の中において経済、社会、文化などにおける後進性の克服が大きな比重を占めたこと、その克服の過程での党の指導方針の誤りがさらに国内政治の混乱を招く要因となったことも事実である。しかし、これらの矛盾や混乱も、マルクス・レーニン主義の立場を踏みはずさない限り、ひとつひとつ前向きに解決されたか、または解決の方向に向っている。たとえばポーラン下問題をとってみても、レーガンなどアメリカ帝国主義者たちや、日共指導部をはじめとする「民族共産主義者たち」をよろこばせる方向ではなく、社会主義体制を守りながら、従来の党指導部の誤りをひとつひとつ健実に克服する方向で解決に向っており、中ソ関係にしても、なお模索の段階とはいえ、これまでのような悪化の方向ではなく改善の方向で努力が続けられているようである。私たちはこの努力が実りをもたらすよう祈っている。

 それに反して帝国主義世界体制の方はどうか? この体制はいまや深刻な経済恐慌と政治不安定にみまわれている。かつてなかったほどの失業者の大群、反核運動の大波、中南米諸国にみられる、社会主義的方向での反米帝民族解放闘争、中近東における反米帝、反イスラエルファシズム闘争、帝国主義諸国間の利害の対立と、レーガンの米帝覇権政策に対するそのほかの帝国主義諸国の反ばつと離反の傾向などなにひとつとってみても、この体制の陥っている深刻な状態、暗い未来を暗示しないものはない。

 この状態をおおいかくそうとする帝国主義陣営からの猛烈な反社会主義、反ソ宣伝に眼をくらまされない限り、世界史的にみて社会主義世界体制と世界の解放闘争の方がはるかに強力であり未来性に富んでいることは明らかである。

 ここに十月社会主義革命の勝利後の六五年間の闘いの最大の歴史的成果がある。

                          (MY)
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目 次
伝動「ベルト」理論の克服とはなにか
1.「伝動ベルト」理論の本質
2.統一ということ
3.克服の組織論的手段
4.労組だけの問題か
5.官僚主義の一根拠
6.マルクス主義の神官
7.許せない破門の論理
8.82年11月号焦点