労働運動研究8月号復刊29号通巻413号目次

焦点 民主党は「国民の生活が第一」の原点に帰れ         柴山健太郎

第一特集 ノーモア・フクシマ 脱原発の闘いのグローバルな展開をめざして!

  原発の無い安全で豊な日本をめざして

―地震列島における脱原発政策の基本的視点―

                神戸大学名誉教授(地震学) 石橋克彦

 東電福島第一原発事故の今 これからどうなる 

  ―隠蔽されるチェルノヴィリを超える放射能被害―

                  元京大原子炉実験所講師 小林圭二

 関西電力の全原発の運転を直ちに停止せよ!

 ―八木誠・関西電力社長への申し入れ― 

京都 反戦・反貧困・反差別共同行動

ドイツ緑の党から日本の脱原発運動へのメッセージ

     緑の党 連邦議会議員 ジルヴィア・コッティング=ウール

  脱原子力発電への工程表              ドイツ・緑の党 

翻訳 京都・「緑の未来」翻訳チーム

“原発よ さようなら!” 

イタリア国民投票 反原発派が圧勝― 

『フランクフルター・アルゲマイネ紙』訳・解説 労働運動研究所国際部

3.11」フクシマ原発震災の衝撃とドイツ政治  

   ―メルケル政権の原発政策の再転換の政治的背景―                  

 工学院大学 小野 一

  [インタビュー] エネルギー政策転換と脱原発をめぐって

          「連帯的近代のための機構」理事 フランツ・アルト                         翻訳 小野 一

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第二特集 波乱含みの2012年仏大統領選挙―優位に立つフランス社会党

『ヌーベル・オプセルバトール』誌とのインタビュー

 「左翼統一候補として立候補を望む」

         フランス社会党第一書記 フランソア・オーランド

               訳・解説 労働運動研究所 福田玲三

フクシマ以後のフランスの原発政策    

   ―『ヌーベル・オプセルバトール』誌とのインタビュー―

                     フランソア・オーランド

                         要約・福田玲三

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ポピュリズム的傾向を強める日本政治

―統一地方選挙結果に影響を及ぼした原発問題―  

政治評論家 『進歩と改革』前編集者 松本弘也

占領期の学生運動史に関するいくつかの論点

               元法政大学大原社会問題研究所 手嶋繁一

不破哲三「マルクス未来社会論」の批判(下の5)

社会主義研究家 中野徹三

 [書評]

  本庄重男/日野秀逸・大村泉・高橋禮二郎・松井恵共著『東北大総長おやめください―研究不正と大学の私物化―』(社会評論社 20113月刊 定価 1800)

  長瀬隆/丸浜江里子著『原水禁運動の誕生―東京杉並の住民パワーと水爆』

  石井和夫/大内力著『インフレイションと日本農業』(昭和212~6月)(三愛書院 20114月刊 頒価2500円〈送料込み〉)

志保田 行/小川重明著『中野重治余滴』(菁柿堂 20115月刊 定価2800+税)

柴山恵美子/竹中恵美子著作集『現代フェミ二ズムと労働論』(明石書店2011年 定価6000円+税)

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 原発の無い安全で豊な日本をめざして

 ―地震列島における脱原発政策の基本的視点―

               神戸大学名誉教授(地震学) 石橋克彦

  

以下の講演は、2011426日、原子力資料情報室(CNIC)主催で東京・千代田区・参議院会館一階講堂で開かれた緊急集会「『福島原発震災』後の日本の原子力行政を考える」で、石橋克彦氏(神戸大学名誉教授)が行った講演の要旨である。主催者CNICのご好意により録音・収録するご許可を頂いたことに誌面を借りて深く謝意を表したい。(文責・編集部)

 

著者紹介 石橋克彦(いしばし かつひこ)

1944年、神奈川県生まれ。専門は地震学(地震テクトニクス)。東大理学部地球物理学科卒。東大地震研究所助手、建設省建築研究所国際地震工学部応用地震学室長、神戸大都市安全研究センター教授を経て現在神戸大学名誉教授。1976年の日本地震学会で「駿河湾地震説」を発表、これが地震学会だけでなく、マスコミで広く取り上げられ、静岡県周辺の防災対策強化や地震予知体制の許可を官民挙げて推進するきっかけをつくった。

雑誌『科学』(岩波書店)199710月号で論文「原発震災―破滅を避けるために」を発表。以後、日本国内の原子力発電所の耐震性を最新の地震学の知見で見直す必要性や、東海地震想定震源域の真上に立つ浜岡原子力発電所の閉鎖、原発依存からの脱却を一貫して主張し続けている。2001年には、国の原子力耐震指針検討分科会委員に就任し、『発電用原子力施設に関する耐震設計審査指針』の改定に関わったが、改定案が了承される20068月になって、内容を不服として委員を辞任した。氏の主張してきた「原発震災」への懸念は、2011年の東日本大震災における津波で引き起こされた福島第一原発の事故で不幸にも現実のものとなった。

 主書:『地震予知の方法』共著、東大出版会、1978

    『大地動乱の時代、地震学者は警告する』 岩波新書 1994

    『阪神・淡路大震災と地震の予測』(共著)岩波書店 1996

    『阪神・淡路大震災の教訓』岩波書店(岩浪ブックレット)、1997

 

 

 浜岡原発判決を事実で覆した「福島原発震災」

 

ただいまご紹介いただきました石橋です。本当はもっと前に皆さんにお話したかったと思いますが、こんなことになってしまってからお話しするようになって大変残念です。

 いま皆さんの関心がおありなのは当面の福島第一原発の原発震災の問題だと思いますが、私は原発の専門家ではありませんで、あくまで地震学の研究者として基本的なことを大局的に考え、お話をさせていただきたいと思います。

 皆さんもご存知のように、数年前に静岡県御前崎市で地元住民の方々が、静岡地裁に対して、「中部電力浜岡原発のいま稼動中の1号機から4号機の原子炉は危険だから運転を差止めてくれ」と提訴し、これに対する判決が2007年の1026日にありました。この裁判を傍聴していたマスコミ関係の方々は「明らかに原告側が優勢だ」と感じ、原告側証人の私も「原告が勝つ」と思っていましたのに敗訴になりました。しかも、この判決は、「地震発生時に原発の安全システムが同時損傷でダウンする可能性は無い」と全面否定したのです。これは明らかに日本の司法が、国と電力資本の原子力政策の前に下僕のようにひざまずいている現状を暴露したものです。この時に私はマスコミからコメントを求められ、「この判決の誤りは自然が証明するだろうが、そのときには私たちが大変な目にあっているおそれが強い」(毎日新聞同日夕刊)と述べましたが、まさか大自然の審判がこんなに早く下るとは思いませんでした。

 

  政官民学の原子力複合体の解体へ

 

それでは話がわきに入らないうちに、まず今日言いたいことをまとめておきます。まず第一は、日本列島の地震活動が3.11の大地震によってなお一層活動的になるだろうということです。地震研究者の多くは、以前から日本列島が活動期に入っていると思っていたのですが、この巨大地震によって一層各地で巨大地震が起こりやすくなりました。第二は、日本が地震列島であり、原発立地では世界で最も危険な場所であり、この原発に対して「本質的な安全」を目指さなければいけないということです。いまのまま日本が原発を増やし続ければ、日本の滅亡だけでなく、世界の迷惑になってしまいます。

だからまず原子力基本法の法体系を抜本的に見直し、さらに原発フリーの体制を構築するために政官民学の強大な原子力複合体を解体する必要があります。そして建設中、計画中の原発計画を中止または凍結し、稼動中の原発は段階的に閉鎖することです。すべての原発を一度に止めることは非現実的ですが、原子力安全審査員会の評価や原因付けに基づいて何基かの原発の停止を決めても、炉心の燃料を取り出すまでにかなり時間がかかります。しかも取り出した核燃料を貯蔵するまでにも時間がかかりますし、核燃料自体も10年以上も危険性があり、その間に地震に襲われたら再び災害が生じかねないので順位付けをして、停めるべき原発から停めるということを本当に急がなければなりません。

 核燃料サイクルの中止、再処理工場「もんじゅ」の閉鎖。この再処理工場の中でも「もんじゅ」と六ケ所村はとりわけ取り扱っている物質が危険なだけでなく、活断層が直下にあるという点でもきわめて危険な施設ですから、直ちにやめて欲しいのです。

 今後の復興は復旧、つまりただ単に旧の状態に戻すのではなくて発展的に復興させるということですが、例えば女川原発をどうするのかという問題もあります。さらに今回の大地震によって東海道メガロポリス、近畿圏や九州、更にその沖合いの方まで巨大地震が連動して生ずる危険性が一層強まってきました。ひとたび3.11のような大地震が起こると、震源が東日本よりも陸地に近い、というよりも陸地の下まで断層が入っていますので、地震動が非常に激しくて静岡県や愛知県は震度7くらいにまでなります。そのために北陸地方あたりまで震度6強くらいになり、大災害になるところがたくさん出てきます。そこまで考えて復興や原発問題を考えなければならないと思います。だから東北地方を初めに復興して、首都圏が直下型地震でやられた場合に、副首都を大坂近辺に創り、その間をリニア新幹線で結びつけようというような3.11以前の構想はもう成り立ちません。

原発をなくすに当って大変な電力を消費するリニア新幹線が本当に必要なのかという問題も出てきます。そういうことを考えると、東北地方を日本の緩やかな中心、副首都にするかどうかということまで考える必要があります。勿論、東北の農業や漁業などの第一次産業を復興させなければならないと思いますが、東京も大阪もともに大地震でやられた場合のことも考える必要があります。

 そうしますと、原発フリーの政策を確立することと関連してその他のエネルギー・経済・産業・国土政策などあらゆる政策を根本的に見直さなければなりません。果たして今回の復興構想会議がそこまでやってくれるのかどうか、ここでウヤムヤに復興して原発を復活させたりすると大変なことになります。

 

 敗戦前の帝国軍隊に似た原子力増強政策

 

最近、マスメディアの方々の中にも「先生のような批判的な意見が以前からあったのに、何故こんなことになってしまったのか?」という反省の空気が出てきました。昨日も私にそういう質問をされた方がいましたが、私に言わせれば問題は原子力基本法にあります。

原子力基本法の第1条には「この法律は、原子力の研究、開発及び利用を推進することによって、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もって人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする」と書いてあります。これを根本的に考え直さなければ現実的に原発を減らす、原発フリーに持っていくことはできないのだろうと思います。

2007年の柏崎刈羽原発の地震被災以降の、原発をめぐる日本社会の現状は、アジア・太平洋戦争前及び敗戦前の帝国軍隊の状況と実に良く似ていると思います。それは原子力が大多数の国民にとって絶対的な善であるとされ、国策として莫大な人と金と組織がつぎ込まれた点です。電力会社・政府・御用学者は大自然を客観的・真摯に見ようとせず、既定路線に固執して詭弁を弄し、マスメデイアは無批判に「大本営発表」を報道し、芸能人が宣伝に動員され、国民のほとんどは原発が必要で安全と信じきっていたわけです。

しかし、当時から自然は段階的にわれわれに警告を発していたように思います。1995年の阪神淡路大震災で、日本の耐震工学の安全神話が一挙に崩れました。にもかかわらず、原子力安全委員会はその2日後に耐震安全検討会を立ち上げ、まだ地震と震災の調査・研究の真最中の9月に、「兵庫県南部地震を踏まえても日本の耐震安全性は大丈夫だ」という見解を出しました。だがその後、200010月にはこれまで活断層の存在が知られていない場所でM(マグニチュード)7.3の鳥取県南部地震が発生し、20058月にも宮城沖地震で女川原発は耐震設計の基準を上回る激しい地震動に襲われました。それから20073月には能登半島でM6.9の地震が発生し、北陸電力の志賀原発が基準地震動をはるかに上回る揺れに襲われました。

当時、私は今後日本のあちこちで日本列島の原発が地震被害を受けることが日常的な風景になるだろうと書きましたが、2007716日の新潟県中越地震(M6.8、死者15人、住宅全半壊約7,000棟)の時には、世界最大の電気出力(7基で8212万kW)を誇る東京電力の柏崎刈羽原発が世界で初めて大きな地震被害を受けました。この原発の基準地震振動は旧指針に沿って、将来起こりうる最強の地震による揺れ(S1)300ガル、およそ現実的ではないと考えられる限界的な地震による揺れ(S2)として450ガルと設定されていましたが、原子力安全・保安院に報告された1~4号機にかかった最大の揺れはなんと2,280ガルに達しました。

この柏崎刈羽原発の地震災害はわれわれに対する大きな警告だったのですが、原子力推進派の人たちはむしろ喜んで、「放射能漏れは微量だった」、「原子炉は即時に停止したではないか」、「むしろ日本の原子力技術が優れていることを誇るべきである」などと言ってこの警告を無視しました。しかしこれは地震学的にいって運が良かっただけの話に過ぎないのです。地震のマグニチュードも6.8に過ぎなかったわけだし、2004年の中越地震の時には大きな余震が頻繁に続いたのに、2007年の中越沖地震の時は非常に余震が少なかったのです。それから実際運転していたのは3基だけでもう1基は停止中でした。4基全部が運転中ならばもっと面倒な事態が起きていたかもしれません。謙虚に反省すれば慎重に検討すべきそういう要件がたくさんあったのにいい気になってしまったのです。(1)

私は地震学者ですからなんとなく地震の気持ちが分かるような気がします。地震の気持ちになると人間に対して「これでもまだ分からないのか」という感じが今回しました。

最近、半藤一利氏の『昭和史 19261945(平凡社)を読みまして、改めてつくづく思ったのは日本のアジア太平洋戦争を引き起こして敗戦に突き進んでいった過程が、現在の日本の「原発と地震」の問題にあまりにも似ていることです。それに戦前戦中に陸軍大学を首席で卒業した非常に優秀なエリート軍人や政治家たちが「根拠の無い自己過信」や「失敗した時の底の知れない無責任さ」によって節目節目の重要な局面で判断を誤り、「起きては困ることは起こらないことにする」という意識で自らを欺いてきました。これは戦時中、山本五十六大将の搭乗機が撃墜されたことで米軍に海軍の暗号を盗まれていることに気がついても、海軍は「暗号が盗まれたことがばれたら大変な騒ぎになるから盗まれてないことにしよう」ということで放置しました。敗戦間際にソ連の対日戦参加が明らかになってきても「今ソ連に攻められたらたまらないから、攻めて来ないことにしよう」といって対策の検討を引き延ばしために、日本の国益は今に至るまで大変な被害をうけているのです。

こうした軍部の態度は、いまの原発に対する東電や政府の対応にそっくりです。原発を作った後に地下に活断層があることが判明しても「活断層はないことにする」と決めたり、柏崎刈羽原発の沖合いにM7.5くらいの地震を起こす活断層があるという学説があり「充分検討に値する」ということになっても「活断層は無いことにする」といって無視する。しかも現に失敗が明らかになっても絶対に非を認めない。こうしたことはテレビに出てくる学者でもよくお目にかかる光景です。

1970年代に四国に伊方原発訴訟が持ち上がり、地元住民の方々や医学者や関大の久米先生らが一緒になって闘ったのですが、この訴訟も裁判で国側証人が原告側に完全にやり込められて完全に原告側が勝っていたのに、この判決を書いた裁判長はこうした裁判経過を全く見ないで原告敗訴の判決を下しています。

私は、原発の危険性に反対する運動に参加したのは恥ずかしながら、こうした先輩のかなり後になってからで、1997年に雑誌『科学』10月号で「原発震災」という概念を提唱しましたが、当時それを引き起こす可能性が一番高いのは中部電力の浜岡原発なので、浜岡は廃炉を目指すべきだと訴えました。

ここで私が提唱した「原発震災」という概念は、地震によって原発の大事故と大量の放射能放出が生じて、通常の震災と放射能災害が複合・増幅しあう破局的災害のことです。こうした場合、震災地の救援・復旧が強い放射能のために不可能になるとともに、原発の事故処理や住民の放射能からの避難も地震被害のために困難を極めて、無数の命が見捨てられ、震災地が放棄される。さらに地震の揺れを感じなかった遠方の地や未来世代までを覆いつくし、おびただしいガン死や晩発性障害をもたらして、国土の何割かを喪失させ、地球全体を放射能で汚染することです。

この論文は、静岡県の中に波紋を呼び、県当局が専門家の意見を求める事態にまで発展しました。その結果が静岡県議会の委員会の資料に「石橋論文に関する静岡県原子力アドバイザーの見解」としてまとめられました。その中で現在、原子力安全委員長の斑目(まだらめ)春樹氏は、私の指摘した「外部電源が止まり、ディーゼル発動機が動かず、バッテリーも機能しなくなる可能性について」に対して「原発は二重三重の安全対策がなされており、安全かつ問題なく停止させることができる」と述べています。さらに私の「核分裂反応を止めても炉心の温度上昇が続くことについて」の指摘には「万一の事故に備えてECCS (緊急炉心停止装置)を備えており、原子炉内の水が減少してもウランが溶けないようにしている」と述べています。私のその他の指摘事項である原子炉建屋とタービン建屋の揺れ方の違いが配管に及ぼす影響、爆発事故が使用済燃料貯蔵プールに波及してジルコニウム火災などを通じて燃料放射能が一層莫大になるおそれ、ECCSの問題、とくにBWR(沸騰水型原子炉)では再循環ポンプが特に問題であること等もすべて大丈夫としたうえで、わざわざ「石橋氏は原子力学会では聞いたことが無い人である」と強調しています。

小佐古敏荘氏(東京大学大学院教授、316日付けで内閣参与になったが、430日辞任)も私の懸念をすべて否定し、「国内の原発は防護対策がなされているので、多量な放射能放出は全く起こりえない」「石橋論文は保険物理学会、放射線影響学会、原子量学会では取り上げられたことはない」「論文掲載に当って学者は、専門的でない項目には慎重になるのが普通である。石橋論文は、明らかに自らの専門外の事項についても論拠無く言及している」などと答えています。 

 

 地震「静穏期」の原発建設ラッシュと「化石的地震学」

 

私は福島第一原発の重大事故の根本原因は唯一つ、地震列島で、しかもプレート境界断層面に対峙して,原発を建てたことだと思つています。

福島第一原発1号機が設置されたのは1966年ですが、その時の地震学は現代地震学の前夜で、いまよりもずっと未熟で、プレート境界などという概念は全くありませんでした。したがって地震学の非常に古い、いまから見れば博物館的、化石的地震学によって地震を理解して「大丈夫だ」と言っていたわけです。この現代地震学には二つほど柱があります。ひとつは地震の断層の経路であり、もう一つは「プレート・テクトニクス」理論です。この二つの理論が学会に出てきたのが1960年代半ばから末にかけてで、それが日本の地震に適用されたのが1970年に入ってからです。

ところが日本の原発の多くは1960年代に計画されて、実際に設計・建設されたのは1970年代、つまり現代地震学の形成される前夜だったのです。それからもうひとつ非常に不幸なことは、原発の建設開始、増設時期が日本列島のたまたま地震活動が「静穏期」だったことです。地震活動の「静穏期」というのはかなり曖昧な概念で、定量的に定義できるものではないのですが、1948年の福井地震あたりを境にして「静穏期」に入ったと思います。勿論、その間に新潟地震(19646月)がありましたが、1995年の阪神淡路大震災あたりから再び活動期に入り、いまもその最中です。日本の原発はそのような「静穏期」に、大地震の激しい「揺れ」の洗礼も受けずにどんどん増設されていきました。したがって日本の原発の多くは、地震と地震動の極めて甘い想定に基づいて、大地震の震源の近くに立地している例が多いということです。一言で言えば、「地震を甘く見ている」、「工学技術によって耐震性を確保できる」と考えているということです。しかし、私がさっき「地震の気持ちになって考える」と言いましたが、地震が本気を出すと本当に怖いのです。

地震の研究者は、地震については未だ分からないことが一杯あるということが分かっています。今度のM9の大地震も地震学的には確かに想定外でした。それから最も困るのは危険な原発をひとつとして整理しようとしないことです。折角、耐震設計審査指針が2006年改定され、再審査できるようになったのですが、詭弁を弄してそういう原発をひとつも廃棄しないのです。ドイツなどは日本で言えば吹けば飛ぶような活断層が見つかったからといって原発を閉鎖したりしています。

原発にはたとえ事故がおきなくとも、いろいろな問題があります。それは大地震などで原発が緊急停止で一斉に止まると、再稼動するのにかなり時間がかかるので、そこからの大電力にかなり依存している東京などが瞬間的に停電すると、ニューヨークの大停電の時のように大きな問題を引き起こします。要するにこれは大電力に頼っている弊害です。これまで原発は電力の安定特性が非常に良いと言われてきました。しかし、地震のことを考えると逆で、非常に不安定なのです。柏崎刈羽原発も福島原発もそうですが、仮に事故を起こさなくとも一度止まると、長期間の供給不足が生じてしまいます。それは当然経済的リスクも伴っていて、電力会社の収入に影響するし、コストもかかるし、温室効果ガス排出量の増加に伴う排出量取引の経済的損失などもあります。また非常に悲惨なのは立地自治体の経済損失、これには法人税、所得税などが入らなくなりますから大変な財政危機に陥ります。それから使用済み核燃料の処理問題も大きな問題です。現在、それはある程度地層処分ができることになり、活断層が無いところに貯蔵すればよいことになっていますが、活断層が無いところでも地震はおきますし、巨大な地震が起きたことの無いところまで地震が発生するなどという事実などを考えると、絶対に安全な方法などは考えられないのが現状です。結局、これも後世代に押し付けることになっています。

 

 人類を脅かす世界最大の地震列島の原発

 

現在の世界の原子力発電所の各国別基数を見ると、原発の設置数が最も多いのがアメリカの104基、次がフランスの59基で、日本は三番目で54基です。ところで地震活動はどうかということです。これは1975年から1994年までの世界の地震の震源図ですが、ここには震度4以上の地震を記録してありますが、フランスやアメリカは小さい地震を除いて大地震はほとんど無いわけです。これに対して日本は海岸線を含めて真っ黒になるほど集中しているのです。もし人工衛星を使って原発立地を検討したら、真っ先に「ここは人類の生存にとって危険だからやめましょう」というのが日本なのです。

地震というのは、科学的には地下深部の岩石層が面状にずれ破壊、つまり破壊面の両側が逆向きにずれ動く断層運動によって地震波を放出する現象です、地震波は、岩石の振動が地球内部を猛スピードで伝わる波で、これが地面に達すると揺れが生じます。

地球表面の岩石の層は「プレート」といわれる十数枚のブロックに分かれていて、それぞれがゆっくり着実に動いており、二つのプレート同士の境界付近で地震や火山噴火が多発します。太平洋の広大な海底は「太平洋プレート」とよばれますが、それが日本海溝のところから東北~関東地方の陸のプレートの下へ年間8cmほどの速さで無理矢理沈みこんでいます。西方にゆるく傾斜している両者の境界面には、普段しっかり噛み合っている「アスぺリティ」とよばれる大小さまざまな固着域が多数パッチ上に分布していると考えられています。沈み込んでいく太平洋プレートは、アスぺリティを介して陸のプレートを引きずり込み、それを徐々に変形させます。数十年とか数百年とかを経過して陸のプレートの変形が限界に達すると、アスぺリティのひとつ、または複数が突如として破壊する、それが地震です。この破壊を細かく見ると、あるアスぺリティのなかまたは近傍の狭い領域で、太平洋プレートの上盤が下盤に対して斜め上方に激しく動く、これをズレ破壊とよびますが、これが震源です。このズレ破壊は毎秒2~3キロの猛スピードでアスぺリティの中で拡大しますが、この間じゅう地震波が放出され、それが地表に達すると地面を揺らし、その各地点の揺れ(地震動)の強さを示す目安が「震度」です。(2)

 

『原発震災』は止められる

 

地震の規模を表す「マグニチュード」は、要するに地下の岩石破壊の規模ですから、震源断層面の大きさとズレの量に密接に関係します。一般的に、M7前後の地震の震源断層面は、長さ30~50km、幅15km程度で、M8クラスの巨大地震になると長さ100~150km、幅50kmもありますが、今回の地震は長さ約450キロ、深さ方向の幅が約200キロに達し、この範囲内の大きなアスぺリティ3個が次々と破壊され、それに要した時間は180秒にも及ぶ「超巨大地震」でした。1995年の兵庫県南部地震では震源断層面の長さは50キロ、幅は12キロ、平均的ズレは約1.5メートル、破壊時間は12秒なのに対して、今回の地震は最大のズレは20~30メートルで、平均的ズレも10メートル以上でしたから今回の地震が以下に大規模だったかが分かります。

震災というものは社会現象ともいうべきもので、激しい地震動に襲われた地表面に人間が住んでいて文明があって、社会があって、そこに生ずるのが震災ですから地震が起きるのが震災だということはないのです。だから地震は自然現象で、震災は社会現象なのです。だから地震は自然現象ですから止められませんが、震災は社会現象だからとめることができます。ましてや原発震災は止められます。

 1896年に明治三陸津波地震が起きたのですが、その2ヵ月後に秋田県と岩手県の県境に陸羽地震というM7.2 の大地震が起きました。だから今後も油断はできません。それから先日の411日の福島県の浜通りの地震もそうです。それから沈み込んで地下深部に斜めに垂れ下がっている太平洋プレート(「スラブ」と呼ぶ)の中でおきる大地震(スラブ内地震)も、深さなどによっては発生しやすくなった可能性が考えられます。47日の2332分に宮城沖の大地震が起きていますが、女川原発は想定している地震の揺れよりも強い揺れを受けましたが、これもスラブ内地震だと思われます。

200611月に千島海溝沿いのプレート間巨大地震(8.3)の約2ヵ月後に、海溝の外側で太平洋プレート内部の巨大地震(8.1)が起こったことがあります。これはプレートの運動や力の変化の考察から説明できる活動ですが、もし同様の地震が震源域の東方で発生するとすれば、1933年の昭和の三陸地震と似たような津波を生ずるおそれがあり、注意深い監視が必要です。

18541223日に起こった安政東海地震の最大余震は、実に翌年の1855年の117日にM7.6くらいで天竜川の河口の沖で起こりました。だから福島第一原発の原子炉の中のプロセスがどうなるかということも大事ですが、外から来る地震や津波などの自然災害は本当に予断を許しません。それがまさに地震列島に原発を作っている日本の現実です。

重要なことは活断層の上には原発を作るなということですが、もうひとつ重要なことは活断層が無くても地震はおきるということです。活断層研究者はこういう言い方するのを非常に嫌がりますが、現に2000年の鳥取県西部地震は活断層の無い、というかマーキングされていないところに発生しています。それから岩盤とはいえないくらい軟弱な地盤に建設される原発が多いことです。中部電力の役員と話をしていて、私が「浜岡原発の敷地の地盤が極めて脆弱だ」という話をしたら、彼は気色ばんで「石橋さん、あなたは浜岡原発の地盤が悪い、悪いと言うけれども、東電の方がもっと悪いですよ」というので呆れました。それから最大の地震を考慮して原発を作っているかということですが、全くそんなことはありません。人間の作った構造物というのは人知の限界において創っているわけですから、それを越える大自然の力に対しては適用できないことは自明の理です。原発では地震の激しい上下動で沸騰水型の下から押し込む燃料棒が外れるおそれがありますし、自動停止しても危険なわけです。まして老朽化した原発は設備が年々老化していますから、実験によってそのモデルの耐震性が安全だといってもあくまでもモデルのことでその原発が安全だといえません。それから津波対策が万全だといってもそれこそ地球から生ずる津波の様相をことごとく知っているわけではありません。

 

津波の危険を無視した新耐震設計指針

 

原発を設置したいという時は、申請設置許可を出すわけですが、それを審査する体系がいろいろある中に、耐震に関しては発電用原子炉施設の設計に関する審査指針というのがあって、その旧指針を1972年に原子炉委員会(当時はまだ原子力安全委員会はありませんでした)が策定し、それが1981年に原子力安全委員会に引き継がれて設計されました。実は1978年以前にできた原発もかなりあります。全くこの指針による審査もなしにできた原発もずいぶんあります。

 これがあまりにも古過ぎるということで、1995年には改正論議が持ち上がったのですが、「いまこの改正を行うと原発が創りにくくなるからまだ改正しないでくれ」という業界からの圧力があって改正に手をつけなかったという経緯があります。しかし、2001年からこの指針の改定作業が始まって、2006年の919日に新指針に改定されました。

私はこの改定指針検討分科会の委員への参加を要請されて、4回目から参加し、非常に熱心に検討に加わりましたが、最後はあまりひどいので2006年の分科会討議の最終回で辞意を表明して途中退席しました。この経験を通じて私は、日本の原子力行政の正体がよく分かりましたので、やめて良かっと思っています。この旧指針も新指針も、機械的な考え方は同じです。つまり最大の地震動、揺れでも、停める、冷やす、閉じ込めるという三つの基本的な機能を確保するということです。

地震の想定の方式は高度化されても、地震設計の基礎のなる地震動、揺れ、強さの基本的考え方は変わりませんが、地震動の中味が変わり、どこの原発でもそれまでの最大加速度が600ガルだったのが新指針では800ガルになったとか、そういう地震動を決めてそれにもとづきいろんな方法で耐震設計を行うのです。ひとつ分かりやすいのはモデル化した建物に想定した地震動を加えてコンピュータの上で原子炉模型を揺らして耐震性を確認する、さらに原子力建屋の床を計算して各階の耐震性をチェックするということをやります。これは2006年の629日に改定されたので、翌日原子力安全保安院が旧指針ないしそれ以前に許可された全国の原発に対して、新指針に照らしても大丈夫かどうか、大丈夫でない場合には耐震補強を実施して大丈夫だという報告をしなさいと命じています。それを再審査複チェックといいます。今も審査が続いているところもありますし、終わったところもあります。じつは福島第一原発に関しては、東京電力は中間報告を提出していました。それは600ガルという揺れに対しても配管類の耐震設計は大丈夫ですという報告書を提出し、それが現在の原子力安全保安院が事務局を勤める現在の審議会で審議されて、20097月に多少の注文をつけて修正させて認可されました。その他の原発に対しても同様な報告をしています。

ここで問題になるのは津波ですが、まず旧指針では津波について何も言っていませんでしたが、新指針では最後の第8章に「地震随伴現象に対する考慮」が追加されてその第2項で「極めて稀に発することが予想される津波によっても重大な危害を受けるおそれが無いこと」と書かれています。新指針では前のほうで地震動とか活断層のことなどかなり細かく論じているので、当時でもマスコミから「津波をこんなに簡単に片付けて軽んじたのではないか」と批判されています。当時私は耐震指針検討分科会の委員として審議に加わっていましたが、これはある意味で仕方が無かったのかなと思います。この指針は細かく仕様規定を書く指針ではなく、「細かいことは個別審査でやればよい」ということでこういう表現になったのです。私は新潟県の小委員会の委員もしていますが、そこで柏崎刈羽原発の津波の安全性の審議の時、事務局としても東電としても一日で審議を終えるつもりだったようですが、私が質問をたくさん出したので結局もう一度審議しましたが、それでも納得できなくて小委員会としては新委員会の再度報告書を出しましたが、新潟大学の立石さんと私が委員で「納得できない」と東電の報告を了承しなくて、結局両論併記になったという経緯がありました。

このように新指針では、個別審査できちんとやればよいという考え方が強かったのですが、福島原発はどうなのかというと、これも327日の毎日新聞のニュースサイトの記事に「20096月経済産業省の審議会でO議員が『869年の貞観津波を考慮しなさい』といったのにも関わらず、東電はそれを無視して津波の想定がなくなってこういう大惨事になった」とありますが、これは事実とちょっと違っています。ここで審議されたのは中間報告でありまして、中間報告では東電の中間報告では津波は後まわしになり、事務局も委員もそれを承知の上で議論したのであり、しかも「津波を考慮せよ」といったのではなくて、「大津波がおきたのは分かっている貞観津波を揺れの想定に加えないのは良くない」ということだったのです。だからもし一刻も早く貞観津波を考慮しなければいけないと思えば、一言はっきりそういうべきであったのであり、「津波のことは最終報告で出します」というのでそれで終わったのです。私の強調したいのはその後で最終報告の作成を督促すべきだったのに、それもせずにその弱点を津波に突かれてしまったということです。イギリスやアメリカの東海岸などでは津波などは起こり得ないわけです。ところが、まさか今年起こるとは想像もせず、神話化されていた869年の貞観津波が、現実に起こったというところに怖さがあるのです。

 

 地震動で破断された原発配管

 

 だから福島第一原発の事故は何故起こったか、根本原因は唯一つ、地震列島で、しかもプレート境界断層面に対峙して原発を建てたことにあります。

だから第二次世界大戦の日本の敗戦で、ガダルカナルの作戦やレイテ島の敗北の原因の追究は、結局日本が何故アメリカと戦争を始めたのかという根本原因に行き着くのです。

さらに言えば、福島原発の事故は決して津波によるものではないということです。地震が起こったときに、地震の揺れによって1号機の冷却材喪失事故が起こった可能性が非常に高いのです。これは岩波の雑誌『科学』5月号ですが、ここに田中さんという日立の関連会社で福島第一原発の4号機を設計された方が事故の状況を書いている中で、1号機が36分に水素爆発を起こした当時の原子炉の水位とか圧力、格納容器の中の圧力などを示し、そういう状況では地震動によりこの沸騰水型原子炉の一番弱い配管系統が地震の揺れで破断して原子炉圧力容器内の冷却水が漏れてしまった可能性が非常に高いと述べていますが、私もその通りだと思います。福島第一原発における地震の揺れはまだ公表されていませんが、福島第一原発から北へ24キロ地点の観測点のデータによると、今回の180秒にわたるものすごい上下動、東西動、南北動によって配管系が破断したのであった、従来の原子力安全委員会の耐震バックチェックは完全に否定され、新指針の揺れの想定は根本的に見直さなければならないことは明白です。

日本の現在の原発の多くの老朽化は極めて深刻で、配管を溶接しても、寸法が会わないことが多く、そういう時は強引に引っ張って溶接するという現場の報告もあります。それからメンテナンスにしてもひとつボルトを締めるだけで大勢の人が限られた時間内で順次に作業するためにすごく大変で、メンテナンスが必ずしも完全ではない。例えば柏崎刈羽原発の中には、作業中の置き忘れた異物がたくさんあります。地震が一番怖いのは多くの事故が同時に起こることや多数の安全装置がダウンする、さらに余震の続発ということなどで今回のように電源喪失から水素爆発が起きたのです。

 

 エネルギー政策の発想の抜本的転換を!

 

今回の福島第一原発の事故で、原発の安全性に関する関心が大きく高まってきたことは結構なことですが、そもそも安全には「制御されている安全」と「本質的な安全」があります。前者は、危険要因はあるがそれを技術的に抑え込んでいる安全で、後者はそもそも危険要因の無い絶対的な安全です。原発の安全性は、莫大な放射能を内蔵するために、他の施設よりも格段に高くなければなりません。ところが今回の事故で分かったように原発はまだ完成された技術ではありません。しかもわれわれの地震に対する理解はきわめて不充分です。こうしたことを直視すればこのちっぽけな地震列島の海岸に54基もの大型原子炉を林立させ、それを制御して安全を保つということがどんなに危ういことか誰にでも分かるはずです。原発の危険性を科学的分析と、技術的改善で避けうると主張する人たちには、日本の電力のためには原発が絶対必要という大前提があるように思いますが、それはもはや時代遅れの発想です。今では多くの人々は、過疎地の大電力基地から長距離送電する従来方式ではなく、野放図な電力消費の抑制を図るとともに、自然エネルギーの活用拡大を含む消費地内での分散型発電システムに移行するほうが望ましいと考えていますし、技術的にもそのほうにシフトしていく必要性があります。

 今回のM9.0の超巨大地震によって日本列島のほとんど全域で大地震がおきやすくなった可能性があります。柏崎刈羽原発の直下でM6.5クラスの余震が発生すればまた事故が発生しかねません。若狭湾には活断層が密集し、大地震空白域もあるのでM7.5を超えるような大地震が起これば、京阪神~中京圏を巻き込んだ一大原発震災になるおそれがあります。そして何よりも、近い将来に発生が予想されているM8以上の東海巨大地震の想定震源域の真上に位置する浜岡原発を閉鎖する必要があります。ここが原発事故を起こすと、最悪の場合、北東向きの卓越風に載って放射能雲が首都圏に流れ、1000万人以上が避難しなければならず、首都機能の喪失という重大事態が発生します。

 私は、美しい日本列島から原発をなくし、この暗い時代を突破したいと思います。