原爆投下を招いた鈴木貫太郎内閣の責任

侵略戦争を肯定する奥野氏らも同根

 

東京 岩田英一

 

労働運動研究1995.7

 

戦前の大衆的反戦デモ

 

 今から六四年前の一九三一年九月

一八日は、満州・東三省の軍閥張作

森が日本帝国主義の尖兵となること

を拒否したため、関東軍が列車を爆

発させて張作森を爆殺し、満州事変

勃発の日となった。

 当時、浅草六区映画館街ではトー

キーの採用によって、弁士と楽団が

一挙に職を失い、その数は一万人に

のぼった。この人々のストライキに

西天風という芸名で応援に参加した

私は、深化する恐慌打開のために、

第二次世界大戦は近いと演説してい

たので、満州事変勃発を機に戦争反

対のデモを計画し、九月二七日、浅

草六区公園で争議団を中心に三〇〇

余人によって、数万人の見物人が見

守るなか、反戦デモを断行、百数十

人の警官隊と激突し、交番を占拠し、

私を始め三〇人が警官隊と乱闘の

末、逮捕され、拷問を受けた。

 この大衆的反戦デモは日本歴史上

はじめてのもので、ソ連に本部をお

く国際共産党の日本代表片山潜がこ

れを取り上げて報道し、一躍世界的

な大事件になった。

 このとき映画館屋上から散布した

紅白数千枚の宣伝ビラの冒頭には

「日本帝国主義は満蒙侵略を開始し

た労働者、農民、市民、青年を犠

牲にして、恐慌打開を目指す満蒙侵

略戦争反対!」と記した。奥野誠亮

らはこの戦争がアジア各国を欧米の

植民地から解放した聖戦といってい

るが、とんでもない。

 

天皇制維持を優先

 

 第二次世界大戦の末期、一九四五

年四月三〇日、ソ連軍によって追い

詰められたヒトラーがベルリンで毒

を飲んで自殺すると、米大統領ト

ルーマンは即日日本政府に対してそ

の事実を告げるとともに、後にポツ

ダム宣言の雛形になる無条件降伏を

勧告したが、鈴木貫太郎首相は即日

これを拒否した。

 七月二六日、日本帝国政府に対す

る無条件降伏を求めるポツダム宣言

が発表された。

 総理大臣・鈴木貫太郎海軍大将は、

同宣言第十項の戦争犯罪人の処罰

に、陸海軍大元帥である昭和天皇が

相当し死刑にされる恐れが大である

ため、米国のトルーマン大統領、ソ

連のスターリン首相に立憲君主制

(天皇制)維持を条件に降伏を申し

入れ、その交渉で日時をむだに過ご

している間に、八月六日には広島に、

九日には長崎に原子爆弾が投下さ

れ、数十万人の市民が爆殺された。

 八月九日にはまたソ連軍が参戦し、

満州国は席巻された。

 ここに至って万事窮した鈴木貫太

郎首相は、勝手に立憲君主制(天皇

)が維持されることを条件として、

降伏を申し入れた。

 世界歴史上、こんな馬鹿な降伏を

した国はない。一人の天皇を守るた

めに、原子爆弾による数十万市民の

被爆死をまねき、またソ連軍に降伏

した六十万の関東軍兵士はシベリア

の原野に酷使され、うち五、六万人

がムダな死を遂げた。

 現在、広島・長崎に対する原子爆

弾投下の是非が議論されているが、

原子爆弾が投下されず、馬鹿な日本

軍が抗戦した場合、九州、関東に米

国軍隊が上陸すれば、日本国民が数

百万、米軍数十万が死傷していただ

ろう。

 日本はすでに抗戦能力を失い、原

子爆弾の投下は対ソ戦略の一環でし

かなかったという研究も最近はある

ようだが、硫黄島、沖縄における徹

底抗戦に遭遇した米軍の原爆投下に

ついての理屈を否定するのは、倫理

の問題はあるにしても、難しい。

 原爆投下をまねいた鈴木貫太郎内

閣の責任を合わせて告発するのでな

ければ、道理にもあわず、世界の人々

を納得させることもできない。

 

特高意識そのまま

 

 現国会で戦後五〇年の国会決議を

めぐって、「侵略」「植民地支配」の

文句挿入に反対している人たちは、

侵略戦争を実行した、また、原子爆

弾投下を招いた当時の支配層の思想

を受け継ぐものであり、これらの反

動政治家を国政から引き下ろさない

限り、日本の侵略戦争の責任は消え

ず、再び同じ道を進む危険は大きい。

 それらの代表である奥野誠亮氏

(戦後五十周年国会議員連盟会長)

は第二次大戦末期に宮崎県特高課長

をしていたが、一九六三年一一月の

総選挙で、三重県から立候補し初当

選したとき、衆議院議員会館の個室

に私が訪ね、「特高課長奥野がなぜ追

放されなかったのか」と聞くと、彼

は一瞬ギクリとして、「私が就任した

のは終戦直前だったので、そう悪い

ことはしていない」と言い訳をした。

私が重ねて彼に現在の心境を質問す

ると、「ポツダム宣言の民主条項に賛

成です」としおらしく答えた。

 その彼が八三歳、当選11期、文

相、法相、国土庁長官を経験して自

民党の長老議員になると、だんだん

地金がでてきて、大東亜戦争は欧米

の支配からアジア各国を解放する聖

戦だといっているが、これは特高意

識そのものだ。

 いまの若者は、侵略戦争への進行

を阻止できなかった戦前の歴史を不

思議に思っているようだが、奥野の

ような軍国主義者を排除できなかっ

たことが、戦争への道であったこと

を認識し、今こそ行動を起こし子孫

に対する責任を果たすべきだろう。

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