階級的戦闘的運動の現状を反映

     ―B分散会の討論を聞いて―

            松 江  澄 (労働者党全国協議会議長)

 労働運動研究 昭和514月 No.78

 

 この分散会ではまず(全逓)の報告者から総会報告を補足し、敵の態度は労働組合の鞍闘性を解体するのでなければ「スト権」は与えないという点にあることを明らかにしつつ、 いわゆる「正常化」路線との闘いこそ当面最も重要であることが訴えられた。

 ひきつづく討論では(大阪労働講座)がまず口火を切り、資本の全面攻撃と労働者の反撃の中で重要なことは、七六国家予算を粉砕する国家独占資本主義との闘いで国会を包囲するゼネストをかちとることだと提起した。これに対しては多くの人々から反論が出るとともに、どのように闘っているのか、どうして呼応する力をつくるのか、と具体的で鋭い質問も出された。 (南部一般)(大阪労働講座)の発言を批判するとともに、集会基調の「社共に代る」という方向について、依然として高度成長ではぐくまれた産別闘争の強化という「幻想」があるときびしく追求し、具体的に失業者闘争と公労協ストとの連帯を報告しつつ、縦の団結から横の団結へ―変革時における「脱藩」と「横議」―の闘いを発展させることの重要性を強調した。

 つづいて(国労)からスト権ストを闘った経験の総括と反省が報告された後、(大阪全金)から現在の中小企業闘争の具体的展開のもとで、工場閉鎖に対して「ツブすならツブせ」と言い切れるかどうかの問題こそ重要であり、資産譲渡の事前協定を結ぶ闘いと合せて労働者白身の問題であることを強調するとともに、(南部一般)に対し既成の運動をどうするのか、全否定するのかと鋭い質問を提起した。さらに(全逓)から職業病、労災についての闘いが報告され、職病闘争では結局その原因である作業ラインのスピードを決めるのは労働者なのだと結論づけ、”労働者とは何か"という根源的な問題が提起され、また差別賃金を闘わない限り失業、半失業等の差別構造をなくする闘いにはならないことが指摘された。

 その後再び(大阪労働講座)から、企業別、産業別の個別闘争ではだめで、全体をどう発展させるのかが重ねて強調されたが、 (電気労連)から、企業の内部では電気産別の意識すら組織することが困難で、スト権の問題にしても公労協ではなく自らのスト権はほんとうにあるのかが問い直されなければならない現状が報告された。つづいて(南部一般)から重ねて(大阪労働講座)を批判して、その主張は結局社共と同じワク組みではないのか、重要なことは政策提起ではなく現在の運動の危機をどうするのか、ということであり、その意味で基調の「変革の課題」はきわめて不明確であると批判した。

 こうした討論の発展の中で報告者の一人である(造船重機)から(大阪労働講座)の問題提起については危機の現状認識についての相異があることを前提として、現状では運動は"絶望的"で今までにないものを新たにつくり出すしかないと訴え、進行している矛盾激化の中で重要なことは、矛盾をどう解決するかではなく矛盾をどう拡大するかにあることを強調し、既存のワクにはまった整理された運動ではなく"メチャクチャ"な運動こそ必要であることを主張した。また(南部一般)からも"お先まっくら"の中で"新しい高み"に立って闘うことが強調された。これに対して(大阪全金)からは、今の闘いを制度要求に収斂することはまちがいだと主張するとともに、高度成長を土台にした産別闘争は崩壊したという(南部一般)の主張を批判しつつ、それを全否定するのではなく真の産別を闘いの中で追求する重要性が強調された。なお多くの討論の余地を残しながら、問題点の議長集約によって分散会を終ったが、その討論は重要な問題を内包しながら今一歩の追求が制約された時間の中で果されなかった。

 (大阪労働講座)から提起された政策闘争も積極的なものを含みながら具体性が乏しく、現在の運動のワク組みの中での闘争を強調することで運動の危機をどうするのかという全体の問題意識とのズレが目立った。これに対して(南部一般) (造船重機)からの危機意識に立つ逆説的な提起〜既存の運動の全否定の中から従来のワク組みを脱した新しい追求―は参加者に強く訴えるものがあったが、 (大阪労働講座)批判のアンチ・テーゼとしてはきわめて重要な内容をもちながらも、どう闘うかという積極的な問題提起が抽象的で、 (南部一般)の提起した具体的な闘争形態も一定の条件のもとでは有効でも普遍化には耐えず、(大阪全金)から出された既存の運動との関係についても充分討論がかみ合わなかった。

 全体としては極めて短い時間の中で、大胆な問題提起を中心にはげしく討論され、現在の運動がもっている課題が鋭く浮彫りにされた。討論は、どんな小さな闘いの中にも質を変える発展の契機が含まれていることを確認することはできたが、それぞれ異なる条件のもとでの新しい運動の追求が、どうして共通の質をつくり出すのか、運動の真の指導部の形成をどう闘いとるのかという重要な課題を残した。しかしそれが現在日本の階級的戦闘的運動の現状でもある。それを追求することこそ、今後の運動が実践で解答を迫られる課題である。
表紙へ