1.日共大会の意味するもの
2.「人民的議会主義」とは何か
3.()議会主義とレーニン
4.
()議会改良闘争とレーニン
5.
()二つの法案と二つの態度
6.
()議会の宣伝的・組織的役割とレーニン
7.
「革命的議会主義」とは何か
8.

「人民的議会主義」は人民的か

―レーニン主義のみごとな「偽造」−

 松江 澄

労働運動研究 昭和49年1月 No.51

 

 

日共大会の意味するもの

日本共産党第十二回大会が終了した。一週間以上にわたる同大会に提案された「議案」は、何のはらんもなく、ほとんどそのまま決定されたようである。

一般的には、今度の大会に提案されるため前もって発表された「民主連合政府綱領案」が注目されていたようだが、私にとってはそれ以上に「民主連合政府」を位置づけている大会決議案の方により大きな関心をはらわざるを得なかった。なぜならば、この大会決議案こそ第十一回大会以来なしくずしに表われていた「宮本構革路線」を最終的に完成したものだからである。この「路線」がどんなに綱領との矛盾をつくろうのに破れん恥な苦労をしたかは、小寺山氏「目本共産党の苦節十二年」(『現代の理論』十一月号)にくわしいが、ここでは、今度の「決議案」の中で、とくに政治方針にかぎって特長的な点だけあげておきたい。

それは、現状分析の中でかつての二つの敵」がいつの間にか実際上「一つの敵」にかわり、小寺山氏もいうように「半ば占領された事実上の従属国」から「高度に発達した資本主義国」にそのウエイトと比重が移行し、反帝反独占の革命が反独占民主改良に転向したことである。「決議案」の中で綱領との矛盾を救うものはただ言葉の技術だけでしかない。

「決議案」はアメリカ帝国主義への従属の主要な側面を、今や軍事面に求めるほかなくなっている。

「強調する必要があるのはベトナム協定締結以後、アメリカ帝国主義のアジア戦略にとって日米軍事同盟の比重と在日米軍基地の重要性が一層大きくなったことである。」(日本共産覚中央委員会「決議案集」八頁)

沖縄協定――ベトナム協定以来軍事面に関してとくに重要なのは、日本帝国主義の軍隊としての自衛隊が質量ともに強化されている事実であり、こうした「自前」の軍備増強を前提とした日米帝国主義同盟が、目本帝国主義のアジア戦略ではたす役割である。しかし「決議案」では、アメリカ帝国主義の軍隊と基地の重要性がますます大きくなり、したがって一層「軍事的従属」が深まることになる。こうした矛盾は、経済面での「従属」を説明するとき大きな破綻を暴露することになる。

「急速な経済的発展をつづけた日本独占資本主義は、世界貿易においても、対外援助や資本輸出の規模においても、その国際的地位をいちじるしく高め、帝国主義的な海外進出を強化した。…日本独占資本主義の急速な発展によって日米間の矛盾がはげしくなった。

それは世界一の『高度成長』をつづけてきた日本の独占体が、寄生的な体質をつよめつつあるアメリカ独占体に対して日米軍事同盟を主柱とした従属関係にむすびつけられてきたことの必然的な結果であった。」(前同九頁、傍点筆者)

おくればせに口米問の経済矛盾の必然性を認めながら、きわどい所で再び「従属」論に集約される。

「だが重視すべきことは、この矛盾もまた、事実上二回にわたる円の大幅切り上げ、貿易・資本の自由化の完成、繊維製品をはじめとする対米輸出規制など、日米軍事同盟のワクのなかで、とりわけ中小企業や農業の利益を犠牲として、目本の対米追随と譲歩を基本として調整された。」(前同)

日米の経済矛盾(下部構造)は深まったが、日米軍事同盟(上部構造)のワクの中で再び対米従属は釘づけになっている。しかも、挙げるに事を欠いて、円切り上げと自由化や貿易規制が「従属」のタネにされるとは! ここでは、上部構造と下部構造を形式的に分離する上田耕一郎流の「帝国主義論」が逆立ちにまで発展している。彼らは事実に目をふさぐわけにはいかないが、その紛れもない事実を、世界帝国主義の一環である日本帝国主義として見ることができず、もっぱら固定した日米関係という眼鏡をかけなければならないほど綱領との矛盾をバクロしている。こうして言葉のアヤを残しながら事実上「二つの敵」はいつの間にか「一つの敵」に、「従属」はなしくずしに「帝国主義的自立」に転向することになるが、それは闘う政治的方向を示すなかで一層あきらかとなる。

かつて「構革論」を修正主義と断罪した「宮本路線」は今、「宮本構革路線」に一八○度の転回をとげた。

「民主連合政府は社会主義の政府ではなく、民主勢力の一致を前提に、自民党の悪政の諸結果および日米独占資本の支配と抑圧から国民の利益をまもる各分野での民主的改良と民主的改革を実行する政府である。……平和的手段による民主連合政府の樹立と政治革新の展望を国民多数の支持のもとに現実化するためにひきつづき奮闘するものである。」(同前一九頁、傍点筆者)

こうして、かつて打倒すべき対象であったはずの「反独占民主改良(改革)闘争」は、今、その輝かしい旗印になった。しかし社会主義への展望はただの一句もない。そこで必要になるのは現在のブルジョア諸制度のもとでの「憲法民主主義」の無条件かつ全面的な支持と尊重であり、このワクの中でいかに「勝利」するかが決定的となる。選挙こそその指標に外ならない。

「今日の日本の政治条件は、一般的にいっても、各党派が有権者の支持を争う選挙戦を政治闘争のもっとも重要な形態の一つとしている。とくに国政の進狢の選択がせまられている七〇年代の諸条件のもとでは、国会選挙の一つひとっが、政治的力関係の変革をめざす党と民主勢力の闘争全体の結節点としての意義をもっており、選挙戦での党の前進の度合が国政革新のテンポと方向を決定する。」(前同一六頁、傍点筆者)

ここからでてくるものは、国会と地方議会での議席の獲得と拡大に有利な条件をつくりだすことに全力をあげることであり、これは労働運動の中でも貫徹する。

「なかでも革新統一戦線結成と民主連合政府樹立という歴史的事業の成功の条件をきりひらくうえで、とくに重点的に追求する必要があるのは、第一に、労働者階級の生活と権利のための闘争と組織化の任務および、それと結びついて、『特定政党支持』義務づけの休制を打破し、労働戦線の階級的民主的前進をかちとる任務である。」(前同一五頁、傍点筆者)

こうして「政党支持の自由」――「選挙の勝利」――「民主連合政府の樹立」は、労働者階級にとって至上の「革命への道」となる。ここではいつの間にか「半占領」と闘う民族的任務は消えて、「日本独占資本」と選挙で争う改良的任務だけとなる。そうして、これこそが今度の大会決議を一貫してつらぬくスジなのである。

「人民的議会主義」とはこうした「路線」の総称に外ならない。

「人民的議会主義」とは何か

広い意味で「人民的議会主義」とは、今日の日本共産党の「革命路線」の総称でもあるが、具体的には「国会活動の三つの任務」として規定されているブルジョア議会についての「新しい」理論でもある。日本共産党第十一回大会の「決議」は国会の問題について次のように規定している。

「国会はたんに政治の実態を人民の前にあきらかにするだけでなく、国民のための改良の実現をはじめ、国民の要求を国政に反映させる闘争の舞台として重要な役割をはたす。さらに今日の日本の政治制度のもとでは、国会の多数の獲得を基礎にして、民主的政府を合法的に樹立できる可能性がある。(『前衛』)九七〇年八月臨時増刊一五五〜一六頁)

今度の第十二回大会「決議」で改めて、「人民的議会主義の路線」と名づけ、「第十一回大会決定に定式化された国会活動の三つの任務」(前同「六頁)といっているのはこれである。

それでは「三つの任務」とは何か。不破哲三はレーニンを引用しつつ、これを次のように定式化している。

「第一に、レーニンは人民にたいする宣伝、煽動の演壇としての国会の役割を重視したが、それは、いわゆる『暴露』につきるものでも、それを主としたものでもなく、反動政府の政策や非プロレタリア諸党の政策の批判とともに、当面する政治・社会問題の真の人民的な解決の方向を国会の演壇からあきらかにし、政治の変革の事業に広範な人びとを結集する積極的な活動を重要な内容としたものだった。……

第二に、レーニンは、国会の宣伝的・組織的役割を重視しながらも、改良のための闘争の舞台としての国会闘争の意義を決して否定しなかった。……

第三に、国会を基礎に民主的な政府を樹立するという任務は、ロシアでは制度上もはじめから問題にならなかった。しかし、一定の歴史的条件のもとでは、人民的な勢力が議会の多数を獲得して適法的に政府を樹立する可能性が革命運動の前にひらけてくる。そういうときには、科学的社会主義の創始者たちは、労働者階級のまえにこの可能性を大胆に提起し、これを、議会活動の重要な任務の一つとした。(不破「人民的議会主義」新日本出版社、六八〜七一頁)

もし日本共産党や不破が、こうした「国会活動の三つの任務=人民的議会主義」について、マルクスやレーニンを引合いにださず、全く新しい「創造」的理論として提起するなら、それはそれとして興味深いものがある。しかし彼らは、その理論の「創造」性にあまり自信がないとみえて、ことことにレーニンやマルクスを引合いにだす。しかも破れん恥な偽造までして。

そこで、不破「人民的議会主義」のうち、「レーニンと議会主義」を手がかりにその偽造ぶりをあきらかにすることは意味がないことではあるまい。それはまた「人民的議会主義」の唯一の根拠でもあるからだ。

「三つの任務」のうち第三の「議会における多数の獲得」が今日の新しい情勢の下で移行形態の役割をはたし得るか否かについては、「民主連合政府」批判とともに近く稿を改めて書くつもりである。そこで今回は「人民的議会主義」の現実的な核心ともいうべき議会内の改良闘争およびその宣伝的・組織的活動について批判することにする。それはまた、議会内・多数派の形成を権力獲得への移行形態とする「人民的議会主義」の政治的核心を内包しているからである。

()議会主義とレーニン

不破はまずレーニンを引合いにだして、日本共産党が国会活動や議会闘争を重視していることを強調する。

「社会民主党は、議会主義を、プニレタリアートを啓蒙し教育して自主的な階級政党に組織する一手段、労働者の解放をめざす政治闘争の一手段、労働者の解放をめざす政治闘争の一手段とみている。このマルクス主義的な見解は社会民主党を、一方ではブルジョア民主主義派から、他方では無政府主義派から、決定的に区別するものである。」(レーニン「社会民主党と選挙協定」全集第一一巻二七六〜二七七頁。全集は大月書店版「レーニン全集」のこと。以下同じ、)

そうしてレーニンが、「ロシアに社会民主主義的議会主義をつくりだす仕事を(西ヨーロッパとは)ちがったやり方で組織」(レーニン「大道へ」)したことにならって、「日本の人民にとって、その解放の事業「にとって『どんな議会主義が必要なのか』〔レーニン)という問題を、今日の日本の歴史的条件に即して自主的に、かつ科学的に解明」した結果つくりだされたものが「人民的議会主義」であるという。(不破、前同四七〜五〇頁)

しかし、レーニンは、「議会主義にもいろいろな種類がある」ことを前提にして、どんな議会主義をつくりだしたのであろうか。

レーニンとボルシニビキがボイコソトを主張した「プルイギン国会」(一九〇五年)が流産した後、一九〇六年二月「第一国会」の選挙が行なわれ、四月に召集されながら早くも六月には解散させられた年の十一月、「第二国会」の選挙を前にして書いたのが不破の引用する「社会民

主党と選挙協定」であった。レーニンは次のようにのべている。

「われわれは他党とはちがってこのカンパニアに、独立の意義はなにもみとめないし、それどころか、最高の意義もみとめはしない。われわれは他党とはちがってこのカンパニアを階級闘争の利益に従属させる。またわれわれは他党とはちがって、このカンパニアのスローガンとして、議会改革のための議会主義を提起するのではなく、憲法制定議会のための革命闘争を、それも、近年の闘争形態の歴史発展からでてくる最高の形態の闘争を提起する。」(全集第一一巻二七六〜二七七頁)

「そうしてひきつづく「選挙人へのアピールの草案」の最後を次のようにしめくくっている。

「ロシアの労働者諸君ならびに全市民諸君!ロシア社会民主労働党の候補者に投票せよ!党は完全な自由のため、共和制のため、人民による官吏の選挙制のためにたたかっている。党は、あらゆる民族的抑圧に反対してたたかっている。党は農民にすべての土地を、買取金はいっさいなしであたえるためにたたかっている。党は、自覚した水兵と兵士のすべての要求を支持し、常備軍を全人民の武装によってとりかえることに努力している。

ロシアの労働者諸君ならびに全市民諸君!ロシア社会民主労働党の候補者に投票せよ!(全集

第一一巻三〇七頁)

「人民的議会主義」の選挙アピールと、何とちがっていることか!不破がいうようにレーニンは「真に社会民主主義的な議会主義」の確立という課題を提起しているが、それは「新しい形態で、別の方法で、――ときには、われわれが希望するよりもずっと緩慢に――革命的危機はさらにもう一度近づきつつあり、ふたたび成熟しつっある」時期に、「いっそう広範な大衆に革命的危機にそなえて準備させ、もっと高度の、そしてもっと具体的な任務を考慮に入れて、もっと真剣に準備させる長期間の活動をわれわれが遂行しなければならない」条件のもとで、「この教育と養成の活動の必須の構成部分」として「国会の演壇を利用すること」を提起している。新しい諸条件が新しい闘争形態を要求しているだ。そこでレーニンは、「党にたいして変則的であり、「党的でなかった」西ヨーロッパの社会主義政党の議員団とは「ちがったやり方」で「ロシアに社会民主主義的議会主義をつくりだす仕事」にとりかかったのである。(以上、レーニン「大道へ」全集粥笛一一巻三三六〜三三八頁)

不破がしばしば引用しているレーニンの論文は、不破がそこに権威を求めようとしたように、特殊な議会主義の成立を一般的に根拠づけたものではない。それどころか、レーニンは、当時のロシアのおかれた革命的情勢と条件の生き生きとした分祈のなかから、ブルジョア議会主義的な西欧の社会主義政党の議員団とは異って、真に党的であり革命的な議員団を組織したのである。もちろんレーニンの時代と今同の時代は異っている。しかし、党的で革命的な議員団の組織化は不変の原則であり、またそれ以上に、レーニンがどんな情勢と条件のなかでどんな議会主義を重要な活動だとみなしたかを学ぶことこそ重要であって、不破のように「人民的議会主義」を合理化するために都合の良い一言、一句を盗むことではない。

()議会改良闘争とレーニン

不破は、今まで「不評判」だった「なんでも反対」式の態度をつよくいましめ、第十一回大会での自らの発言を引用して強調する。

「レーニンは、……国会議員団にたいする指導のなかで、中途半端な解決を許さない、革命の根本にかかわる問題については、非妥協的な対決の態度をつらぬくことをきびしく強調してメンシェビキ などが無原則な妥協におちいることをつよく批判しました。しかし同時にレーニンは、勤労人民の生活を恥くらかでも改善するような国民生活の分野での改良法案にたいしては、これはいろいろな制約があっても賛成すべきである。こういうことを議員団に指示しております。そして『なんでも反対』的な態度におちいることをつよくいましめております。」(不破、前同五九頁)

そうして、「議会活動におけるこうした態度を定式化」したものとして、レーニンの次の文章を引用する。

「社会主義者は、改良のための闘争をこばむものではない。たとえば、彼らはいまでも議会のなかで、たとえわずかでも大衆の状態をよくすることにはなんでも賛成し、荒廃した地方の住民への補助金をふやし、民族的抑圧を軽くすることなどに賛成しなければならない。しかし、歴史と現実の政治的事態とが革命的に提起している諸問題を解決するのに改良を説くことは、まったくのブルジョア的欺瞞である。」(レーニン「第二回社会主義者会議へのロシァ社会民主労働党中央委員会の提案」一九一六年、全集第二二巻一九七頁)

この「第二回社会主義者会議」がひらかれたのは第一次帝国主義大戦の末期であり、一九一七年革命の前年である。そして「ロシア社会民主労働党の提案」を一貫してっらぬいているのは、その全文を読めばあきらかなように、社会排外主静義者への批判であり、第ニインタナショナルの「ブルジョアジーの『社会主義的』な召使」による「民主主義的」講和綱領への手きびしい追及である。それは不破が何故かその一歩手演削で引用することをやめた次の一句であきらかだ。「いまの戦争が日程にのぼせている問題は、まさにそのような問題(改良というブルジョア的欺瞞では解決できない問題〜筆者)である。それは帝国主義の根本問題である。」と。

ここでレーニンが強調しているのは、改良闘争ではない。レーニンは当然のこととして、「社会主義者は改良のための闘争をこばむものではない」といい、その一例として議会内活動をあげているが、レーニンが口をきわめて批判し、また強調しているのは、「歴史と現実の政治的事態とが革命的に提起している諸問題を解決するのに改良を説く」社会排外主義者とカウツキーの「ブルジョア的欺購」である。レーニンは、そうした連中とは反対に、議会の演壇から兵士にむかって武器を捨てるように呼びかけ、革命を説き、帝国主義戦争を社会主義のための内乱へ転化させるように説く社会主義者」(同二〇二頁)としてのリープクネヒトを支持してカウツキー主義者とたたかっている。

レーニンは、同じ「提案」のなかの第七項で次のような重要なことを語っているが、これこそある意味での「革命的議会主義」の定式化といえよう。

「社会主義者の議会闘争の問題については、ツインメルワルドの決議が、わが党に所属し、シベリァ流刑に処せられた五名の社会民主党国会議員団に、同情の意をあらわしているばかりでなく、彼らの戦術に共鳴していることを念頭におかなければならない。大衆の革命的闘争をみとめながら、社会主義者がもっぱら議会内での合法的な活動にかぎるという状態に甘んじることはできない。これは労働者の正当な不満を呼びおこし、彼らを社会民主主義から、反議会

的な無政府主義あるいはサンディカリズムへはしらせるにすぎない。(まるで今日のことのようではないかー筆者)議会内の社会民主主義者は、議会での演説のためばかりでなく、議会のぞとで労働者の非合法組織と革命的闘争に全面的に協力するためにも、自分の地位を利用しなければならないし、大衆みずから、その非合法組織を通じて、自分たちの指導者のこのような活動を点検しなければならないということを、はっきりと、だれにでも聞えるようにかたらなければならない。」(前同二〇三頁)

不破の引用主義は、一九〇八年の「社会民主党国会議員団の予算表決の問題にかんする実際的指示」とその「指示」に関する一九一三年の「決議」とで頂点に達する。

一九〇八年におけるレーニンの指示を要約すれば次のようになる。

(1)予算全体――賛成投票は許されない。

(2)大衆の抑圧手段の経費を法的に確認している予算の個々の項目――賛成投票は許されない。

(3)改革または文化的欲求の費目――労働者階級にたいする警察的=官僚的後見と結びついた諸改革を排撃するという原則にもとづくこと。

(イ)第三国会の諸改革、文化的欲求の費目ー原則として、反対投票

(ロ)労働者の状態の改善があり得ると思われる場合――棄権(理由についての特別声明)

(ハ)労働者にとってはっきり利益だということが疑いないような例外的場合ー賛成投票が許されるが党と協議すること。(以上、全集第一五巻三一四頁)

これは現在でも「革命的議会主義」の予算表決についての原則的規範に充分なり得る。

レーニンはその後、一九一三年、「ロシア社会民主労働党中央委員会と党活動家との会議の諸決議」中の「社会民主党の国会活動」の項で、一九○八年の「指示」を若干補足した。

「一、上記の決議(一九〇八年の「指示」ー筆者)が社会民主.党の国会活動の任務と方向を全く正しく規定しており、したがって今後もこの決議を指針とする必要があることを認める。

二、十二月決議(前項「指示」――筆者)の第三条の最終項目(労働者の状態の改善問題で賛成投票あるいは棄権することについて)にたいしては、つぎのような注釈をつけなければならないことをみとめる、法案や討論打切り動議などで、労働者、下級職員の、一般に勤労大衆の状態を直接に改善すること(たとえば、労働日の短縮、賃金の増額、また労働者の、一般に広範な住民層の生活からたとえわずかでも不幸をとりのぞくこと、など)が問題となるときには、これらの改善をふくむ項目には賛成投票しなければならない。

また第四国会が、その改善案につけている条件のために、改善が疑わしいばあいには、議員団は、あらかじめ労働者組織の代表とこの閤題を討議したのち、かならず棄権の特別の理由をあきらかにして棄権する。」(全集第一九巻四五一頁)

一九一三年、第四国会でカデットが逓信従業員の七時間労働日を求める提案をだして表決が行なわれたとき、社会民主党議員団が棄権した結果、この提案が否決されたことがあった。これをメンシェビキがとりあげて攻撃し、『プラウダ』は固執して反論し論争にとった。レーニンは「誤りはなおせばなくなってしまう。なおさなければ化濃して潰瘍になってしまう。」と、編集局が訂正することを指示した。こうした経験から一九一三年の決議では、最後の項(協議の上で賛成投票が許される)の解釈上のあいまいさをとりのぞくために注釈(例外的な協議による棄権以外は賛成投票)がつけられた。ところが不破によるとこの「注釈」が方針変更に「発展」し、「一九〇八年の決議では、一般的方針は棄権で、例外として党組織との協議のうえで賛成もありうるとされていたが、一九一三年の決議では、一般的方針は替成で、例外として労働者組織との協議のうえで棄権もあり得ると変更されたのである」(不破、前同六四頁)と、「人民的議会主義」に都合よく我田引水した上で、レーニンの態度が「俗にいわれる『なんでも反対』の態度とはどんなに無縁なものであったか」の実例として、鬼の首でもとったように強調される。溺れる者はワラでもつかむとはこの類であろう。

()二つの法案と二つの態度

そこで言葉の上だけでなく、レーニンが「国営労働者保険にかんする国会法案にたいする態度について」(「ロシア社会民主労働党第六回協議会」)であきらかにしたボルシェビキ議員団の態度と、昭和四十八年六月第七一国会に提案された「公害健康被害補償法案」にたいする日本共産党議員団の態度を比較してみることは、実に興味深いことである。

レーニンは、この法案について、「賃金労働者が生み出す富のうち、彼らが賃金としてうけとる部分は、ほんのわずかであるから、彼らのもっとも切実な生活欲求をみたすにはとうてい足りない。こうしてプロレタリアは、傷害、疾病、老齢、療疾の結果、労働能力を失うばあい、また資本主義的生産様式と不可分に結びついている失業のばあいにそなえて、自分の賃金のなかから貯蓄するあらゆる可能性をうばわれている。だから、すベてこのようなばあいの労働者保険は、資本主義的発展の進行全体によっていやおうなしに命ぜられる改良である。」(全集第一七巻四八八〜四八九頁)とのべ、「労働者保険のもっともよい形態」の基礎として要約つぎのような原則をあげている。

(イ)対象――労働者が労働能力を失

うすべての場合および失業のた

め賃金を失う場合。

(ロ)範囲――賃労働の当人とその家

族との全部。

(ハ)補償額と負担――企業主と国家

の全額負担による賃金全額補償

の原則。

(ニ)組織と構成――地域別の、また被保険者の完全な自治の原則にもとづいて構成される統一的保険組織。

レーニンは、提案されている政府の法案が「合理的に構成される保険のこれらすべての基本的要求に根本的に対立している」ことを指摘し、政府案が災害保険と疾病保険だけであり、対象が労働者の全てに及ばず(農民、建築、鉄道、郵便通信、店員等が除かれている。)、補償額が最大限の場合でも賃金の三分の二(それも低い基準で計算される)であり、政府の介入監督が行なわれることを批判し、この法案に対する政府と、そのための広範な煽動を展開することを指示している。

それでは「公害健康被害補償法案」はどうなのか。この法案は四十八年六月十九日衆議院に提出され、同十三日の委員会で、自民党修正案に自民、共産、民社の各党が賛成し、社会、公明二党が反対して多数で可決され、同十八日本会議で可決された後、参議院でも同じように多数で可決され、一O月五日公布されたものである。

共産党は九月十三日、自民党修正案が採決される前に自党の修正案を提出して否決され、自民党修正案採決の際「われわれの修正案に対する考え方が、自民党修正案の中に一部盛られているから賛成する」と態度を表明し、自民党席から喚声が上ったという。これは不破がレーニンを引いていうように、「勤労人民の生活をいくらかでも改善するような国民生活の分野での改良法案」なのだろうか。それとも「役者が舞台でセリフを間違えた」のだろうか。

この法案は、「深刻な公害による健康被害者を救済するため」いろいろと手をつくしてきたが、とくに「原因者が不特定多数で、民事的解決に委ねることがきわめて困難とみられる都市や工業地域における大気の汚染による健康被害者の救済の問題は、当面すみやかな解決を必要とする課題となって」いるので提案された。(政府提案理由説明より)この法律は、あらかじめ汚濁負荷量に応じた負担金を関係企業から基金協会に払い込み、被害者からの申請を受けた知事が、その任命する審議会にはかって補償金額を決定、支給するというしくみになっている。

レーニンに習っていえば、こうした一連の公害補償法は、公害を不可避的に生み出す「資本主義的発展の進行全体によっていやおうなしに命ぜられる改良である。」したがって、公害補償法のもっともよい形態の基礎としては、(1)すべての公害のすべての被害者が対象とされ、(2)その補償は企業と国家の全面的な責任と負担のもとで、過去・現在および将来にわたる恒久的な被害救済対策の全てに及び、(3)その決定には当の被害者は誰でも無条件に参加できるものでなければならない。しかしこの度の法案は、大気汚染の、しかも国が指定する地域に限定され、補償金額は健康被害にかぎられ、すべては知事とその任命する機関が一方的に決定するもので、さきにあげた原則的な基礎と根本的に対立する。その上、こうした中途半端で安上りな補償によって、下からの公害反対闘争と企業告発の権利が買い上げられ、結局は企業の公害保険の役割をはたすことになる。このやり口はやがて他の公害にも及ぶ可能性があり、森永問題への厚生省の介入も、この法案の登揚と無関係だとはいい切れまい。だからこそ、広島では「森永砒素ミルク中毒の子供を守る会」の総会で抗議決議がおこなわれ、また広大をはじめ全国から集ってこの法案を告発した若い医師たちの抗議で、今年の公衆衛生学会(広島)は流会となった。

自民党や民社党が賛成するのは当然だが、彼らと相乗りで共産党が賛成するとは、改良主義は結局底なし沼のようにとめどなくのめり込むのであろうか。たしかに共産党は修正案をだしたが、その内容は技術的範囲をでず、ただ補償金について精神補償と移転補償がつけ加えられているにすぎない。また共産党が「われわれの修正案にたいする考え方が一部盛られている」と賛成して成立した自民党の修正案も、死亡にともなう補償制限をはずし、公害保健福祉事業に対する知事への義務づけを少しばかり明確にした程度のものであった。

日本共産党にとっては、この法案は「勤労人民の生活をいくらかでも改善する改良法案」なので、どんな補償にも替えがたい「住民の告発し闘う権利」を売り渡すこの法案に対しても、「『なんでも反対』的な態度におちいることをつよくいましめて」賛成したに違いない。「人民的議会主義」もここまでくると、「社会民主主義的議会主義」とほとんど変りはない。

()議会の宣伝的・組織的役割とレーニン

不破は、レーニンが「人民に対する宜伝、煽動の演壇としての国会の役割を重視したが、それはいわゆる『暴露』につきるものでも、それを主としたものでもなく」、「当面する政治、社会問題の真の人民的な解決の方向を国会の演壇からあきらかにし、政治の変革の事業に広範な人びとを結集する積極的な活動を重要な内容としたものだった」(不破、前同六八頁)といい、一九〇七年のロンドン大会に提出した決議案のなかで、この活動を「批判的、宣伝的、煽動的および組織的役割」(「国会における社会民主党の戦術について」)として特長づけたといっている。そうして「暴露」する際にも、「たんなる批判にとどまらず、党の積極的な提案をこれに対置することを議員団の『基本的任務』として指示した」例として、「第三国会における社会

民主党議員団の戦術についての決議」ーーロシア社会民主労働党第四回協議会(一九〇七年)をあげ、さらに、「大衆のまえに社会改良主義の偽善と虚偽を暴露するために、大衆を自主的な経済的、政治的大衆闘争へひきいれるために、独自の社会民主主義的法案を作成し、提出し

ければならない」(レーニン「国会活動にかんするボルシェビキの任務についての演説と決議案」一九〇九年)と強調している。

しかし、レーニンは不破の期待に応えているだろうか。レーニンは、不破が引用した「批判的、宣伝的、煽動的および組織的役割」を強調した「決議草案」の冒頭で、次のようにのべている。

「きたるべき国会カンパニアにおける社会民主党の直接の政治的任務は、第一に、国会がプロレタリアートと革命的小ブルジョアジー、とくに農民の諸要求を実現する手段としては全然役にたたないことを人びとにあきらかにすること、第二に、現実の権力がツァーリの政府の手にあるかぎり議会的方法によって政治的自由を実現するのは不可能であることを人民にあきらかにすること。」(全集第一二巻一三八頁)

また、「社会民主党の最小限綱領の諸要求をそれらの提案に系統的に対置することが第三国会における社会民主党の基本的任務の一つである」と強調した一九〇七年の「第四回協議会」でも、「国会は革命のために利用しなければならない。すなわち党の政治的および社会主義的見解を広範に普及させる方向に主として利用しなければならないのであって、どのみち反革命を支持することになり、民主主義のありとあらゆる制限となる立法による『改革』の方向に利用してはならないという見解がでてくる」(全集第一三巻一三二頁)と指摘している。

さらに不破が、「独自の法案(ならびに政府および他党の法案にたいする修正案)を作成し、提出しなければならない」と、最近らん発する日本共産党の対案と修正案の根拠と意義を強調したい箇所について、レーニンが強調しているのは大衆闘争である。レーニンは不破の引用した箇所につづいて「ただこの大衆闘争だけが、労働者に真の成果をもたらすことができるか、あるいは、現在の制度の基盤のうえでの中途半端で偽善的な『改革』を、プロレタリアートの完全な解放への途上における前進的労働運動の拠点にかえることができるのである」(全集第一五巻四二九頁)と強調してある。

以上であきらかなように、レーニンは国会の宣伝的、組織的役割を重視したが、それは決して不破や日本共産党のような「現在の制度の基盤のうえでの中途半端で偽善的な『改革』」を説いたのではなく、全く反対に、当時の国会が、「全然役にたたないことを人民にあきらかにする」ために重視したのであり、したがってどんな対案や修正案も、「立法による『改革』の方向に利用してはならない」ことをいましめたのである。不破はレーニンを利用してレーニンを偽造している。

もちろん、今日はレーニンの時代ではない。レーニンの教条化はレーニン主義とは無縁である。一九〇六年〜一九一六年の帝国主義的反動と革命の準備の時期にレーニンの「革命的議会主義」はうちたてられ、たたかわれた。今日は今日の時代の「革命的議会主義」をつくりあげなければならない。しかし、時代を超えてかわらぬことは、どんな場合にもブルジョア独裁の道具である議会は、革命のためにこそ利用すべきものであって、中途半端な「改革」のために利用すべきものではない。もし時代が変ったからといって、議会を申途半端な「改.革」のために利用するならば、かならずプロレタリァートや入民をブルジョア的歎臓としての「改.革」に…期待をいだかせて革命から引きはなすか、さもなくば失望させて反議会的なアナーキズムに追いやるかの何れかとなる。そうしてその何れの揚合にも、議会的「改革-」に血道をあげる「前衛」を社会民主主義的議会主義へと堕落させるに違いない。

「革命的議会主義」とは何か

今日、日本共産党の「人民的議会主義」の登揚に対して、改めて「革命的議会主義」の復活と再検討が求められている。とくに新しい左翼セクトの諸君にとって「革命的議会主義」は実力闘争から議会闘争への転回に際して最も魅力的な金科玉条となっている。そうして、しばしばホコリをはらって持ちだされるのはコミンテルン第二回大会の「共産党と議会に関するテーぜ」(一九二〇年)である。

「この機関を支配階級の手からもぎとり、それを破壊し全廃し、そのあとに新しいプロレタリアートの権力機関をおきかえることが、労働者階級の当面の歴史的任務である。同時に、しかしながら労働者階級の革命 的参謀本部は、この破壊事業を容易にするために、ブルジョアジーの議会諸機関の内部に偵察部隊をもつことに強い関心をもつものであ.る。ここから革命的目的で議会に入っていく共産主義者の戦術と、社会主義的議会主義者のそれとの間の根本的な相黒穴が生まれる。」(デグラス編「コミンテルン・ドキュメント」(1)論争社、一三四頁)

したがって「共産党がこの制度の中へ入るのは、議会の中でその一部としての機能をはたすためではなく、説議会内の行動・によって、国家機関と議会そのものを打砕くために大衆を援助するため」(前同一三五〜一三六頁)であり、重要なことは議会外の大衆闘争に従属して、「議会の演壇からの革命的煽動、敵に対する暴露」(前同=二六頁)を行なうことである。

こうしたコミンテルンの決議の中には時代を超えた不変の原則とともに、当時の時代と情勢によって制約されているものがある。「革命的議会主義」は決して固定した教条ではない。その意味でも、この決議は議会に対する共産主義者の正しい態度を指摘している。

「議会主義に対する共産党インタナショナルの態度は、新しい理論によってではなく、議会主義そのものの変化によって決定される。議会は、それに先立つ時代においては資本主義発展のための道具として、ある程度、歴史的に進歩的な仕事をなし遂げた。しかるに無軌道な帝国主義の今日の諸条件のもとでは、議会は虚偽と欺購と暴力とおしゃべりの道具の一つとなってしまった。帝国主義によって行なわれた荒廃、掠奪、暴力、強盗、破壊に直面しザ、秩序と耐久性と系統とに欠ける議会的改良は、労働者階級にとってもはや一切の実.際的意義をもたない。」(前同一三三頁)

共産主義者の議会にたいする態度として重.娑なのは、かつての第ニインターの社会主義的「議会主義」や今日の日本共産党の「人民的議会主義」のように、「新しい理論によつてではなく」、時代と情勢に応じてかわる「議会主義そのものの変化によって決定される」ことである。そこで必要なのは「現在の時代の性格についての明確な理論的分析から出発しなければならない」ということである。

しばしば引き合いにだされるように、マルクスが移行形態について例外的に規定しているイギリスは、当時(一八七一年)少くともこの決議(一九二〇年)が指摘しているような帝国主義的反動の状態ではなかった。一八九一年エンゲルスが言及したときもそうであった。

「人民代表機関が全権力をその一身に集中していて、人民の大多数の支持を獲得しさえすれば、憲法上は何でも思うようにやれる国でなら、古い社会が平和的に新しい社会に成長移行していけるというばあいも考えられる。つまりフランスやアメリカのような民主的共和国や、王朝を金で買いとることが目前の問題として日々に新聞紙上で論じられていて、この王朝が人民の意志をまえにしては無力であるイギリスのような君主国でならそれも考えられる。」(エンゲ

ルス「エルフルト綱領批判」国艮文庫九六頁)

しかし、一九一七年の革命をまえにして、レーニンが「国家と革命」を書いた当時には、すでにこうした情勢と条件はない。

「アメリカからスイスにいたりフランスからイギリス、ノルウエイその他にいたるどの議会主義国でもよいから一瞥してみたまえ。真の「国家」活動は舞台裏で行なわれ、各省や官房や参謀本部が遂行している。議会では、『庶民』を欺こうという特別の目的でおしやべりをしているにすぎない。(レーニン「国家と革命」全集第二一巻四五六頁)

マルクスやエンゲルスが生きた時代にいくつかの国々で可能性のあった条件も、レーニンがたたかった時代にはすでになくなり、今日ではレーニンが生きて活動した情勢と条件はさらに発展、変化している。そうして、時代によって異なる「議会主義そのものの変化」によってこそ、共産主義党の態度=「革命的議会主義」は決定される。

レーニンは、議会もその一部である政治的上部構造が下部構造の変化と発展によってまた発展、変化することを強調して、しばしば引用されるように、「自由競争には民主主義が照応する。独占には政治的反動が照応する。」(レーニン「マルクス主義の戯画と『帝国主義的経済主義』とについて」全集第二三巻三八頁)と指摘した。たしかに、自由主義時代においては議会も一定の民主主義的な機能をはたし、「ある程度、歴史的に進歩的な仕事をなし遂げた。」しかし、帝国主義=政治反動の時代には、「虚偽と欺購と暴力とおしゃべりの道具の一つとなってしまった。」それでは今日の時代にはどうであろうか。

私は今年二月、このレーニンの規定をさらに発展させる必要があることを強調し、「自由競争には民主主義が、帝国主義には政治反動が照応するとすれば、現代帝国主義=戦後国家独占資本主義には、いつでも政治反動へ転換する可能性をもつ『民主主義』的統合と管理が照応する」ことを主張した。(松江「現代帝国主義と統一戦線し『労働運動研究』[九七三年三月号)上部構造の一部である議会と議会主義もまた、時代とともに変化する。

今日の時代の日本は、もちろん、「人民代表機関が全権力をその一身に集中していて、人民の大多数の支持を獲得しさえすれば憲法上は何でも思うようにやれる国」(エンゲルス)でもなければ、だからといって今日の議会はただの「おしゃべりの道具の一つ」(レーニン)でもない。たしかに現代日本でも、「真の国家活動は舞台裏でおこなわれ」、「各省や宮僚や参謀本部」をその一部とする国家独占資本主義とその官僚機構がそれを遂行している。

しかし、戦後における労働者階級と人民の闘いの圧力は、議会をただの「おしゃべりの道具」から、形式的にも実際上も国の重要な機関にすることを強制した。それはまた今日のブルジョア独裁が、「国民主権」の名のもとに国民を国家の「疑似的主人公」に組織することなしには、その政治的支配を維持することができなくなっていることを示している。それは、国家独占資本主義が、全般的危機の深まるなかで、その経済的危機を回避するため国家を資本の再生産過程に介入させることによって、搾取と蓄積の新たな補強装置になっているのに照応している。「民主主義」的統合と管理およびそのための道具の重要な一つである今日の議会は、労働者階級と人民の闘いが日々生みだす政治的危機を回避するためにつくりだされた「安定した統治」のための補強装置である。それはいつでも政治反動への転換にともなって「虚偽と欺購と暴力とおしゃべり」の機関に転換するが、少くとも今日では上から人民を「民主主義」的に統合管理する道具となっている。そこに今目の新しい議会主義があり、したがってまたそれに対応する新しい「革命的議会主義」を必要とする理由がある。

それは、コミンテルンの「決議」が示しているように、「破壊事業を容易にするために」おくられた「偵察部隊」としての「革命的煽動と敵に対する暴露」だけでなく、議席を利用して議会外の革命的、階級的、人民的諸闘争の闘いの道具とさせ、ブルジョア的諸制度を突破する下からの労働者管理と入民参加の闘いをはじめとした大衆闘争を擁護する任務をもっている。それは「議会の演壇」から暴露を行なうことによって敵に爆弾を投げつけるだけでなく、進撃する味方に対して、「有利なざんごう」から援護射撃する部隊でも.なければならない。管理されてはいながらも「民主主義」のギリギリの限界まで利用する必要があるし、また利用できる可能性がある。

しかし、この機関の「民主主義」的な機能に目をうばわれて、その基本的な管理の機能を忘れ、まるで「全権力をその一身に集中」した「人民代表機関」であるかのように錯覚して、「人民の大多数の支持を獲得しさえすれば憲法上なんでも思うようにやれる」と考えるなら、それは第ニインターの議会主義の「二度目の喜劇」となるであろう。なぜならば、議会は紛れもなくブルジョァ独裁の重要な道具であり、どんな意味ででも「プロレタリアート独裁」の形態にはなり得ないばかりでなく、移行形態の重要な役割をはたし得ないからだ。そうしてわれわれが求めて闘うのは権力の打倒であり、外ならぬ「プロレタリアートの独裁」なのだ。

レーニンがいったように、「代議機関はもっとも『進歩』的なものであっても、それに代表された諸階級が実際の国家権力をにぎるまではボール紙細工にとどまる運命にある。代議機関は、もっとも反動的なものであっても、それに代表された諸階級の手に実際の国家権力がにぎられているなら、ボール紙細工ではないであろう。」(レーニン「社会革命派は革命の決算をどうつけているか」全集第一五巻三二四頁)

(一九七三・一一・二三)

「人民的議会主議」は人民的か 松江 澄